ディリー?闇鍋アラカルト
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近年日本では鬱病が非常に多いのだと言う。 それは長引く不景気が関係しているだろう。精神科に通う人も多い。 所で、精神科医は鬱病を治せるのだろうか。 僕は精神障害者の付き添いで、その現場に何度も足を運んだが、投薬が根本的な治療法とは感じなかったし、カウンセリングや生活指導というものも十分には思えなかった。 大体、鬱になるには原因がある。日本のように鬱が増えて来たのはそれなりの社会背景があるのだ。しかし、精神科医は脳内物質に注目する事が多いようだ。鬱にさせる物資が増えるから、それを投薬で減らそうと考える。また、元気になる薬を与える。精神科医は社会背景をどうのこうのは出来ないから、どうしても薬に頼りたくなる。しかし、社会背景はどうにもなら無くても、対処する生き方を示す事は可能だ。問題は、そうした知恵を精神科医が伝えられるかどうかという事なのだ。 高血圧について以前に書いた時にも http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99310&pg=20040430 同様のことを感じていた。 薬で鬱や不安や不眠に対処したとしても、本人の行き方が同じで社会背景・家庭の状況が変わらないなら、薬の効き目が終われば再び鬱・不安・不眠はおきる事になる。こういう事については http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99310&pg=200307 2003年7月30日に「精神科」というタイトルで書いている。 不景気が原因で鬱になったのなら、お金の心配もあるだろう。女房に「こんなはずじゃなかった」と責められているかも知れない。子供の成績が悪いのかも知れない。会社が倒産しそうなのかも知れない。窓際に座らされているのかも知れない。 困難な状況は存在し、それぞれに対処する様々なやり方や気持ちの持ち方がある筈だ。 女房や子供とうまくいっていないのならアドラー心理学を学んで貰うのも良いだろう。 金銭的な事であるなら、安上がりでおいしく健康的なやり方で生きる方法を伝えられれば低収入でもやって行けて、もっと楽しく生きられる事に目を見開くかも知れない。 また、絶望的な状況で、どのような生きる意味があるのかを書いた本としてV.フランクルの「それでも人生にYESと言う(春秋社)」があり、それを読んで生き方を変えるヒントを得る人もいるだろう。フランクルはユダヤ人の精神科医で、ナチスの強制収容所に居た。あしたはガス室送りになるかも知れないというような極度に絶望的な状況であっても、美や人間の真心・尊厳と言ったものに触れた数々のエピソードが書かれてある。 「なんて美しい夕日だ!」という感動は絶望的な強制収容所にあっても、会社や家庭で困難に囲まれた鬱病患者に有っても持ち得るものだ。しかし、絶望に囚われているとそちらに目が向かわない事も有ろうし、鬱病患者も空を見上げる事は滅多に無いだろう。 「おおい!すっげえ綺麗な夕日だぜ!みんなも外に出て御覧よ!」という声が変わるきっかけになり得る。 おいしい味噌汁の作り方も変わるきっかけになり得る。
所で、精神科医はそうした言葉をもっているだろうか?
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