Turn, Turn, Turn
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新聞みたいなことを書こうかな。はっきり言って、今日から始まった戦争は世界、地球の未来にとって、冗談じゃなく本当に終末へ確実に突き進んでしまう可能性を秘めた、たちが悪い衝突です。最悪を想起すればね。
アメリカ的には、「平和を愛する国際協調社会」VS「凶悪でエゴイスティックな動機に満ちたテロリズム」っていう構図にしたいんだろうけど、どっちもすごく不鮮明なカテゴライズなんだよな。そんな立場があるのかっていう。
「国際協調社会」なんていうのは極論的に例えればおままごとのような表面的なもんで、心の底から協調しあうなんちゅう宇宙船地球号みたいな理想は実際は本当に本当に難しい。それは人間を動物学的に考えるところまで行ったり、紀元前まで歴史を遡ったり、肌の色を考えなければならない根本的な真実を孕んでいる。確かに平和は愛するべきだよ。でも、平和の捉え方や作り方が、それぞれ違うっていうのかな? みんな同じ思考回路で平和を考えてればいいんだけど、実は違うんだよな。
テロリズムは確かに凶悪なんだけど、そしたら戦争だって報復だって凶悪だ。血を流せばすべて凶悪じゃね? エゴイスティックっていうけどさ、テロをしなければならなかった悲しい動機っていうのはあるわけだ。上に書いたような構図では、ここに対する配慮というか考慮が欠けてるよな。
つまり、この戦争の対立点は実はこんな勧善懲悪では捉えきれない、半ば絶望的なほどの人間の、社会の、国家の根本的な大問題に関わってる。つまり、アイデンティティーだよ。これは根深い。その人間や社会や国家を形作ってるものだもの。そう、それは民族・文明・宗教・歴史だ。
俺が心配するのはこの対立がどんどん深まっていくことだよね。とりあえずの恐怖は、今のグローバリズム・民主主義とイスラム社会の一対一の対立だ。戦争やテロは「最終手段」なんだよ。それは大前提。話し合いが基本っていうか、99.9パーセントまでそこでなんとかしなければ。もちろん平等な権利を持って。アメリカの今回の決心は、少し早過ぎたかもしれないっていう疑問は残ってしまうよな。早い方が良いこともあるから、これは賭けだ。世界平和への。
それで、我が日本。日本はほんとは浮遊した立場なんだよね。異質というか。キリスト教でもないし、イスラム教でもないし、中華思想でもない。かといって見過ごされるような希少な珍生物のような立場でもなく、かなり強い国の力を持ってる。
でも、誰を友達にすべきかっていう理由一点のみで、アメリカとの強固な関係を徹頭徹尾貫くべきだと思う。国益、安全に日本人が暮らしていく一番の得策を考えるとね。長いスパンで見ると、中国はいずれアメリカにあらゆる面で追いつくかもしれない。そしたら、この誰を友達にすべきかっていうことも国論が二分するような事態になるかもしれないな。
じゃあ、こんな現在の地球の中で、日本は、日本人は何をすべきなんだろうか。正解を出す責任は俺らに委ねられてる。「日本人だからこそ」できる国際平和への貢献をしなければね。
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