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天国からのお年玉

2004年01月13日(火)


      亡くなった義母から、毎年私にお年玉が届きます。
      って言っても、勿論ツレが相続した分から渡されるのだけど・・・

      このお年玉、最初は何時だったかなぁ〜
      義母が作るおせち料理は、黒豆・昆布巻き・伊達巻・煮物・田作りぐらいで
      それを普通に何時ものようにお皿に並べていただけ。
      結婚してすぐに、ツレは家庭でお重に入ったおせち料理を食べるのが昔
      からの夢って聞いて、私は3年目から手作りのおせち料理をお重に
      詰めたの。 
      私にだって、そういう可愛い時期はあったんだから(笑)。
      それとは別に、元日の午後には、義母が作らないおせち料理は私が
      用意して、姑と嫁の合作のおせち料理をツレの実家で食べていたの。

      でも、ある年、義母が年末にインフルエンザにかかってしまい、「お正月の
      用意は何も出来てない」って、連絡があったの。
      その時に初めて、ツレの実家の分として、お重に詰めたおせち料理をプレ
      ゼント(?)したら、やっとインフルエンザの治った義母が「綺麗ネェ〜」
      って、喜んでくれて、沢山食べてくれたの。
      その一部を独身で一人暮らしの義兄にもお裾分けしたら、とっても喜
      んだってお礼を貰ったの。
      それが、お年玉の始まり。
      それから毎年、何となく暗黙の了解のうちに、ツレの実家の分と義兄の分と
      おせち料理を作り、お年玉も貰っていた。

      何の料理も出来なくて結婚した私に、色々教えてくれたのは義母だった
      から、きっと私の料理の味が義母も口にもあったのでしょう。
      彼女が末期癌で入院して、抗がん剤の副作用で病院食が口にできなく
      なった時期も私の作った野菜スープと酢の物とプリンだけは、食べる事が
      出来たの。
      だから副作用が収まって、病院食が食べる事が出来るようになるまで、
      主治医の許可を得て、毎日作って病院へ持っていた。

      最期の一週間、吐血して、既に胃が食物を拒否しても、主治医は流動食
      だけは、口に出来るように応急処置をして下さった。
      2度と胃に食べ物が行く事はないけれど、せめて食べたい物を「美味しい」
      って、思いながら口に出来るように。
      叔母(義母の妹)は、デパートで売っている有名ホテルのスープ(缶詰)
      を買ってこようとしたけれど、義母が希望したのは、私の作ったスープ
      だったの。
      その頃の私は、義母の看病に毎日病院へ通い、夜は引越しの準備、家の
      中も既にダンボールだらけ。
      もう仕舞い込んであったミキサーを見つけ出し、義母が「もう一度、
      食べたい」って言ってくれたスープを作った。
      結局それが、義母が食べた最後でした。

      その時言われたの。
      「私が亡くなっても、お年玉はちゃんと届くようにしてあるから、
      それで、お洒落したり、お友達と遊んだり、旅行してね。」って。

      それが「天国からのお年玉」です。
      

      

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