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2004年02月28日(土)
地下鉄サリン以後の旧オウム真理教のスポークスマンの務めを果たしたのが 青山吉伸受刑囚・上祐文浩現アーレフ代表・故村井秀夫。 「カモメのジョナサンのように生きたい」と言って入信した故村井は、サリン 事件の約1ヵ月後、4月23日、当時の教団総本部前(南青山)で元山口組系羽 根組組員の徐裕行当時の青山本部まで刺殺される。 テレビのワイドショーがオウム真理教一色になっていた頃、テレビで見る村井は、 穏やかな物腰の人で、うっかりしたことを言ったりする、ちょっと間の抜けた 人に思えた。 それが原因で口封じされたとも言われた。 しかし、実は、彼こそは、一連のオウム事件に関与し、地下鉄サリン事件の総 括指揮官であった。 彼は、麻原の指示がとても期限に間に合わないような無茶なものでも二つ返事 で受け入れてしまう麻原の尤も忠実な「イエスマン」であった。 麻原の逮捕も無様な公判での姿も見る事無く、自分の罪を省みる事無く逝っ た。 青山吉伸受刑囚は、次々と逮捕される幹部達に弁護士という立場を利用し て、接見。 「否認して耐えるのが修行だ」という教団からのメッセージを伝え続けた。 その悪影響を断ち切るためか、5月の早い段階で「名誉毀損罪」で逮捕。 10月の初公判で、罪を認め脱会表明をしたが、果たして本意であったかどうか。 その後、他の被告の検察側・弁護側証人として法廷に立ちながら、のらりく らり。 脱会表明してから5年も経っているのに、新実被告の公判では、弁護側証人 として呼ばれながら、「証言しない方が誠実」などと主張して、弁護士・検察官の 説得に応じず、宣誓すら拒否した。 「誠実」と言うのなら、他の幹部のように、自分の記憶をたぐり寄せる努力 をしてもよさそうなものだ。 日常生活を思い出せ!と言っているのではなく、麻原の殺害の支持いう特殊 な状況の事なのだ。 それだけ、私達にとって特殊な事が彼らには日常茶飯事になっていたのか。 或いは、自分が上告中だったので、自分の保身しか考えていなかったのか。 (2002年滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件を8事件で、殺人未遂罪など に問われ、東京高裁で懲役12年が確定。) その前年に滝川弁護士に対して出した手紙に "私は、できる限り、他の苦しみを自己の苦しみとし、さらに自己の心を 静かに見つめて反省の毎日を送りたいと思います"とあるのは、偽りか。
「ああ言えば上祐」という流行語まで生み出し、追っかけギャルも登場、 ファンクラブも出来た当時の外報部長。 サリン事件当時は、ロシア支部長で、事件後、日本に呼び戻された。 ロシアへ行く直前には、第7サティアンのサリン工場建設のの人選に関与 していた事は、サリンプラント製造責任者で殺人予備罪に問われた滝沢和義 受刑者(懲役八年刑確定)の1996年の法廷での証言により明らかになった。 しかし、上祐はこの件では起訴はおろか逮捕もされず、熊本県波野村の国土 利用計画法違反事件のみで立件、懲役3年の刑を終了し、1999年末に出 所、2002年1月よりアーレフ代表となる。 本質的には麻原の評価を全く変えようとしないまま、アーレフを存続させ、 世間に認知させるために「脱麻原」を計ろうとしたが、他の幹部の反発で、 昨年秋に失脚したらしい。(アーレフ側の説明によると長期修行中) 今となっては、たとえ失脚したとしても、彼の生きる場所は、教団の中しか ないのだろう。 本来ならば、彼が知っている過去の全ての事を話し、塀の中にいる元幹部達に 代わって、オウムを完全に解体させる事が被害者達へ出来る彼の償いでは ないだろうか? 只、オウムの解体と一口にいっても、表向き解体して、地下に潜ってしまう 方が今よりももっと危険であるし、社会が元信者やオウムの子供達を受け入 れるかどうか・・・
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