今月は時間のたつのが妙に早く思われてしかたがなかった。 いちにち一日がかなり短かったような気がする。 暑い日もあったがいまや覚えていない、、このところ天気も悪く 薄ら寒いくらいの日が多かったせいか、、、 あの夏の日の じっとしていても アセが吹き出てくるような暑さのことなど とうに 忘れてしまっている・・・
このように忘れることはたぶんいいことだろう・・ 来年の夏はことしとはきっと違う、そう思うことで生きてゆこうと 思ったり、、、生きていけそうだとひそかに思ったり
庭の柿や栗の出来は その年によってよかったり、悪かったりで一喜一憂、、 一年たつと 樹たちは年輪をひとつ増やしていくだけのことなのに・・・
そして、その実のなりぐあいなどかれらの意志ではなく ましてや、わたしたちの思惑など はなから含まれてはいない。
あるがまま、、であることは、ヒトにはむずかしいのだろうが、 できるなら あるがまま の まんま で いたい。
栗も、たわわな柿も わたしたちのために実をつけるのではないが 今年もその実を口にすることができる喜び。
あまりに 飛躍した考えだと思ったが、、つい 白骨観という言葉を 思った。 所詮は 骨のうえに肉を 肉の上に皮膚を 覆っただけの いきもの。 何が 必要か、皮膚のうえになにをのせて喜びとするか・・・ 暑さ、寒さに 耐えないだけのことだ。
こうとまで、思ってしまったら、この周りにあるものなど ただの ガラクタだったり、古びた布きれだったり 後生大事はほんとはどこにある?
いるもの と いらないもの に 分けてしまえば いらないもののほうが 多い わたしの 生活が 今日も暮れ行く。
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