なぜか知らぬが、、変わりゆくものを 時代に感じる Showaのあの戦後のパックスロマーナのごとき 日々は 遠い昔になってしまった
今年 戦後60年のさまざまな報道と近隣の国々との 軋轢と、、不穏でも不安でもない、、何かもっと違う感覚・・ さりとて 新たなものが産まれる胎動のような力強いものでもない
指針もないし、予測もできない・・・ 戦後の復興のめざましさを夫と共有していない 『大学に行けるとは思ってもいなかった・・』 『くるまをもてるとは思ってもいなかった・・』と 夫はよく懐古するが、、しかし 私が5,6歳のころには 車はあったし、、、高校の同級生で就職をしたのは 10人に満たなかった・・・たった、9年の差なのだ 私の子どものころでももちろん戦後は色濃く残っていた
父の語る戦争と ごくごく幼いころ(もの心ついていない・・)の 記憶の傷病兵の白い着物に軍帽となべのようなものに金を 乞う姿、、泣いているような格好・・がこの時期思い出されるのだ 体験のないものにでも戦争は強烈なイメージで植えつけられた
息子の戦争に対する感覚もまた異なるのだが・・ 何かのTVで見たのか、、「(Showa)天皇は戦争をやめたかったんだよ・・」 という一言に ふと戦後がまだ終わらぬと思った
戦争と戦争の間が 戦後で戦前であるのだ・・・
だれかがそれを望むとしたら、、恐ろしいことだ・・ 恐ろしいことだが 果たしてこの100年のあいだにそれがないとも 言い切れないような・・・
このときに話した家族の会話は 『お前は戦争に召集されることは まずないだろうな・・』と 息子に夫が言った言葉で締められたのだった、、、 息子は17、、多分 確かにこの先十数年、いや二、三十年中には 戦いをしたくなる指導者は出てこないだろう
これは仮想だが そのようなパワーの指導者も望めないということなのだ
国民は自分に似た政治家(?)しかもてない・・ (コンナ内容だった・・) といったのは IIDA MOMO氏だったか、、私が二十歳ころ このアイロニーがとても気に入っていた
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