【シュークリーム作成日誌】

2003年08月03日(日) SSS#55「瀬戸口×速水 明るい雰囲気」


【こねこねこ】






まだ早春の風はしっとりと重く濡れ、それでいて清澄であるという独特の気配をはらんでいる。
喩えるなら、瑞々しい桜の花弁に露を含ませたかのような、とでも言うべきか。
速水の前髪もしっとりと湿りけを含んで普段よりも艶を増している。
まだ8時前。新緑に囲まれた尚敬高校の校門付近にも人影は無い。
少年は足早に昇降口を通り過ぎる。
彼は小隊発足の時からずっと3番機のパイロットを務めており、部署異動のために早朝に呼び出されるのは今回が初めてのことだった。
さわやかな空気に比して速水の心は重い。
速水自身が部署異動を願い出たわけではないことから、きっと今回の異動はスカウトへの変更。つまり陰謀だろう。
速水はすでにパイロットとしてかなりのステータスを所持しており、従ってスカウトになっても100%死んでしまうほど貧弱ではない。
しかし、実質スカウトへ移動させられるという陰謀は、死んでしまえばいいと思われているのと同義だった。
自分がそんなに誰かに嫌われたり恨まれたりしているのかと思うと、速水は泣きたいほどに辛かった。
速水とて聖人君子ではないし、それどころか本当のところを言えば正反対もいいところなので、他人の恨みを買う覚えは無いとは言わない。
しかし、誰かが速水の異動を陳情したとすれば、それはどこかの他人ではなく、この小隊のメンバー、つまり速水にとっては仲間ということになる。
足取りは次第に重くなり、彼はこのまま自分が永遠に小隊司令室に辿り着かなければいいとさえ思った。
自分が憎まれているという事実を目の当たりにするのはあまりにも辛い。
とうとう着いてしまった司令室の前で、少し躊躇する。
ドアをノックしようとして上げかけた手を握り締め、逡巡していると中からドアが開いて善行が顔を出した。

「おはようございます。こんなところで何をやっているのですか。早く入りなさい」
「は、はいっ」

慌てて彼の後ろに付き従う。
善行は自らのデスクの前に廻って、お手本どおりの敬礼をしてみせた。
速水もそれに倣う。

「朝早くからご苦労様です。
 速水千翼長、部署異動の辞令です」
「はっ」

速水は頬を強張らせ、決定的な瞬間を待つ。
まるで歯医者の順番待ちをしているような面持ちの少年を見ても、善行は表情も変えなかった。

「速水君は以降、『瀬戸口君のペット』として働いて下さい」

反射的に敬礼をした速水は、数秒経って目をぱちくりさえた。

「あのう…」
「どうしました」
「すみませんが、もう一度言ってくれませんか」

自分が聞き間違えたかと思ったのである。
だが、ありがたいことに彼の上官は、先ほどと寸分たがわぬせりふをもう一度口にしてくれた。

「速水君は以降、『瀬戸口君のペット』で働いてください」
「ベットで!?」
「ペット。
 パピプペポのペ、です」
「はあ…」

ご丁寧に発音まで解説してくれた善行に、速水は言葉も無い。
冗談でも何でもないことは、その真剣極まりない顔つきを見れば理解できた。

(それにしても…)

何だ、「瀬戸口のペット」って…。

「あ、あの…」

速水はもう一度、恐る恐る問い掛けた。

「瀬戸口くんのペットって具体的には何をするんでしょう」
「いろいろです」
「いろいろ、ですか」
「そうです。詳しくは瀬戸口君に聞くといいでしょう」
「はい…」
「それでは行って宜しいですよ」
「は…あ、あのっ!」
「まだあるんですか?」

神経質そうな節くれ立って長い指が、眼鏡を押し上げる。
その冷たい仕草に気後れしながらも、速水はこれだけは聞き逃せないと拳を握り締める。

「この異動はだれが陳情したんですか」
「機密です」
「……」

速水の勇気はあっさり却下された。
悄然と肩を落として教室へと向かう少年の背中に、彼の直属の上司はただ不気味に眼鏡を光らせるばかりだった。




***




「瀬戸口さんのペットって、本当に何するんだろ…」

速水は初めての部署に不安でいっぱいだった。

「お手とか…取って来いとか?」

速水はペットというと、犬か猫しか思いつかない。
一体何をしなければならないのか、瀬戸口と会うのが怖かった。

「ああもう、瀬戸口さんと会いたくないなあ…」
「おやおや、冷たいなあ、あっちゃんは。
 ご主人様はこーんなに逢いたがってるのにさ」
「わーーーーっ」

文字通り、ぬるっと背後から抱き付かれ、速水は顔を真っ赤にして悲鳴をあげた。
瀬戸口は足音を立てずに歩くのがとても上手い。

「んーv今日も可愛い反応!」

速水より17センチも背が高い男は、幸せそうにすりすりと頬擦りをしてきた。

「もう!やめてよ瀬戸口さん!!」
「こらこら、ペットがご主人さまに逆らっちゃいけません」

たしなめるように言われた言葉に、速水はさっと青くなって固まった。

「ご、ご主人さま…?」
「そう」

瀬戸口はニコニコと自らを指さす。

「今朝の辞令、聞いただろ。
 速水は俺のペットって…」
「聞いてない!
 聞いたけど…聞いてない!!」

自分は納得していないと大暴れする速水。
瀬戸口はそんな彼を容易く押さえ込み、さわやかに笑った。

「心配しなくて大丈夫だって。
 うんと大事にして可愛がってやるからさ」
「いらないよ!
 離してー!!」
「俺,可愛い黒毛の仔猫を飼うのが夢だったんだよな〜vvv」
「ああそう!
 じゃあ飼えばっ」
「うんvだから飼ったんだよ」

ああ可愛いと男はだらしなく頬を緩め、柔らかな黒髪に頬をうずめた。

「もう俺どうしよう。幸せすぎて怖いぐらいだ」
「どうしようも怖いもこっちのセリフだってば!離してよ〜〜〜」
「あっちゃんも俺と同じに幸せか。嬉しいなあ」
「一緒なのはそこじゃないー!」

じたばたする速水をいとも容易く押さえ込む。
それどころか、ひょいと向きを変えさせて自分と向かい合わせにすると、瀬戸口は彼と額を合わせて「めー」とやった。

「今はいいけど、だっこされている時は大人しくしてなきゃめーだぞ?
 おっこちたら危ないからな。
 俺の可愛いあっちゃんが怪我とかしたら、俺、24時間体制で看病しちゃうぞv」
「……」

少年が口をぱくぱくさせる間にも男は抜け目なく行動し、あっという間に彼曰く「黒毛の仔猫」を軽々と腕に抱き上げる。

「さーて、教室行きますか」
「…って待って!まさかこのまま…」
「うん」
「やだ!やだやだ、降ろしてよ!!」
「だーめ。皆に自慢するんだからさ」
「やだーーー!」

半泣きで叫ぶ少年の細身ながら柔らかな抱き心地に目を細め、瀬戸口は人ひとり抱いているとは思えぬ実に軽い足取りで歩き始めた。
そのポケットから、蒼天よりも鮮やかなロイヤルブルーのリボンが覗いている。
誰の首に巻かれる予定なのかは、想像に難くない。
速水にとっては、想像したくないところだろうが。




***




分厚く積み上げられた陳情書の森の中で、ひとりの男が寛いでいる。
仕事の合間に一息入れるための珈琲の味は、格別である。
舌を焼くほどに熱い液体を一口啜り、男は満足の溜息をついた。
深みのある香りに、全身の疲れが溶け出していくようだ。
男はやけに横に広がった暑苦しい顔で爽やかな表情をするという難しい事をやってのけつつ、何気ない仕草で傍らの山から一枚の紙片を取り上げた。

『5121小隊、ハヤミアツシ万翼長。
 3月31日付けをもって、3番機パイロットより瀬戸口のペットへ異動』

処理済みの判の押されたそれをぽいと放すと、紙はゆらゆらと数度左右に振れてデスクの上にひらりと落ち着いた。
芝村準竜師は独り語散る。

「それにしても…折角の休暇よりもこんなくだらん褒美を欲しがるとは、
 4代目はつくづく変わった男だな…」
「あら、閣下も休暇よりは3ヶ月ものの靴下などを貰う方が嬉しいのでは
 ありませんか?」
「うむ、それはそうだが…」

反射的に答えてしまって、ぎょっと息を呑む。
軋むようなぎくしゃくした動きで背後を振り仰ぐと、世にも美しい彼の副官が、これ以上無いほど眩い笑顔で立っていた。
直前まで一切の気配がなかったことが、一層恐ろしい。

「げ…い、いや…更紗」
「休暇を取って私と出かけるよりも、靴下の方がよろしいのでしょう?」
「ち、違う!待て、更紗。話を聞いてく…」

更紗はにっこり笑って背中に回していた手を現わした…。

数日後熊本市内の部隊では、陳情画面に現れた全身包帯のやや太めのミイラ男が話題になり、芝村準竜師暗殺計画の有無が軍内で取り沙汰されたりするのだが、その真相は永遠に闇の中である。




Fin
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芝村準竜師と更紗さんの遣り取り、久々に書きましたがやはり楽しいです。
それにしても、陳情内容。
「速水君は以降、瀬戸口君の『ベット』で働いてください」
で良かった気もする今日この頃。

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前日午前4時まで宿題の図面書いてて、今日も一日学校だったので疲労で吐きそうです。それなのにこんなお話書いてるんだから…アホウですね。いや、むしろセトハヤバカ一代。←望むところだ。

メールのお返事滞っててすみません。早めのお返事を心がけます。
夏コミオフの参加者、あまり順調に集まっていません。
みんな今年は来ないのかなあ。サークルさんも徐々に減ってるのが大変寂しい。
しょんぼりします。


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