知人から北陸の温泉をネットで調べてくれと頼まれて、「べにや無何有」という宿を見つけました。立派なお宿ですよ。 名前が面白いのでいろいろ調べていたら結構面白かったです。
おそらくこの立派な建物を設計されたのであろう建築家の竹山聖さんが、その由来をお書きなっておられます。 「無何有」とは荘子が特に好んだ言葉だといいます。つまり、何もないこと。 無為であることという意味です。この宿のコンセプトがこれなのですね。 「ぽっかりあいたスケジュール表の余白のような時間。空っぽだからこそ自由に満たされた時間」こんな時間をお過ごしくださいということでしょう。 また、荘子の「虚室生白」という言葉をひいて、部屋は空っぽなほど光が満ちる。 何もないところにこそ自由なとらわれない心がある、とも。 今、光をテーマに詩を書いているのでとても興味深かったです。
荘子の言葉は形而下でも形而上でも理解できます。(それと「ひかりは白かったんだ」という発見も)。 だけどここではぼく流の解釈として「室」あるいは「部屋」を「体」という言葉に翻訳してみたり、「アタマ」と翻訳してもこの論理は成り立つんじゃないかという気がしています。
ソリッドでシンプルであること。それこそが可能性とちからをうむのではないかと考えるのです。 そういう意味で「心」と翻訳した時、それこそ「虚心」こそが光に満ちるんだと思います。 闇すらも退ける「虚」というありかた。 身につけたいですけれどね。
ところで「光」。ウタダさんの「光」一度聞いてみます。今度のディープリバー、相当いいみたいですね。 何故かジャズファンの間で評判なのです。
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