今日、今までに書いた詩を全部読み返してみました。 自分でこれはいいかな、と思ったのが、24篇ありました。わがことながら少し うれしかった。以前はひとつかふたつしかなかったのです。 ぼくの書いてる詩はそんなに多くないです。この先死ぬまで書いたとしていくつ いくでしょう。年間がんばって30として1000いかないんじゃないかな。 ま、詩は数じゃないから気に入ったひとつの詩があれば十分なのだろうけれど。
年間30ということは一月に2ないし3つの詩を書くことになります。 去年や今年のペースだと可能かも。でも、後で読みなおしてボツにしてしまうの があるから。投稿している雑誌の選者、井坂洋子さんは「絶対置いておくべき」 と書いておられました。後で読み返して、絶対何かが残っているはずだ、と。
今日読みなおして思ったのは「へたくそ」だということ。自分の詩的な感情をど う引っ張りだして文字に置くか、四苦八苦してるのばかりが目につきます。 ただやはり書けば書くほど「何かに近づいてる」という感覚があります。 特に今年、詩のスタイルを散文というか、それこそ「作文」のようなものにして からそうです。自分がより出せているような・・・・。
吉行淳之介さんの「詩より、詩的なもの」というエッセイを読んでから始めたんです。「あ、それでもいいんだ」って。自分の気持ちを出し、自分で読んで納得の いくものにするのになんの遠慮もいりませんよね。 以前は書いたものをプリントして家の人や友人に見せていました。そのうち「次 はまだ?」というリクエストに応えるように書いた時期もあって、彼らのために という気がだいぶあったように思います。その気持ち、悪いとは思いませんけれど。 ホームページに公開し出してからプリントアウトは止めました。それから詩がま ともに自分に向き合い出した気がします。また、まったく知らない読者の方の 感想はそれまでになかったことです。 こないだ婦人公論に出たぼくの詩を久しぶりに見た「プリント組」のひとたちは 相変わらず「全然わからん」といってました。 こちらはあまり変わっていません。
詩にはいろんな形があります。やっと自分らしいやり方というのが見えてきたよ うに思います。「わかってほしい」というのと「おもねる」というのは、違うこ とです。だけれどより多くの方の心に届くべくがんばるべきだと思ってます。
目指すは「子供の詩」。少々文法的な間違いがあって書きかたの規格が破格で あってもとにかく「気のみなぎった詩」をめざします。 それともうひとつは「しんっ」とした詩。これはきりきりきりと切り詰めて行く 詩。心に届くにはそのようにして何かを剥ぎ取らねばならない気がしています。
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