2002年09月07日(土) |
「溺レルアナタ」とエゴン・シーレ |
田川未明さんのオンデマンド出版の第一作。「溺レルアナタ」が送られてきました。すでにゴザンスマガジン上で読んでいるテキストもあるけれど、やはり本は格別です。
その日のうちに一気に読んでしまいました。前から未明さんの作品は好きで、けっこう掲示板に書きこんだりしていたんですが、今回はノートをとりながら読んで見ました。
やっぱり短編集最後の「溺レルアナタ」の中盤から後半へのうねりながら盛り上がっていくテンションがよかった。 4作共通の柱も見えました。一言で言えば「おんな」です。ぼくには「港の女」という風にも読めました。 ノートにいろいろとメモをして、それをまとめただけだけど出版元のゴザンスへ送りました。未明さんの目に触れてくれるといいんですが。
読んでいない方も、ぼくのサイトのコンテンツにある「溺レルアナタ」へのリンクをクリックしてもらうとカバーを見ることができます。 このカバーが重要で、未明さんが是非にこの方で、と書いていた宮崎郁子さんの人形です。この「腕」ですね。眼を瞑り自らを抱きしめる姿。あるいは夢の中で男の体を抱きとめているのかもしれない。 この姿が作品全体を象徴しています。
宮崎さんはエゴン・シーレを題材に制作されるとききました。なるほど「腕」と「からだ」がシーレです。 ドイツ表現主義の異彩エゴン・シーレ。痛ましいまでに削ぎ落とされた肉体や孤独のあまりに閉じることを忘れたかのような目をデフォルメして描きつづけました。 ただ、その一見悲惨な絵が、それゆえにこちらをえぐってくる鋭いパワーをもっているのです。 まるでダイイングメッセージのように腕は普通ありえないような形にまで捻じ曲げられています。 ブヨプヨした現実。うそ臭い言葉。いんちきの虚飾を剥ぎ取ることで命そのものの力を静かに叩きつけるような「あり方」。
実は「溺レルアナタ」の主人公たちはみずからそういう立場をとろうとする女たちだと思うのです。 未明さんの丁寧な書きこみは、実はそのことをとても引き立てていました。
ロックミュージシャンでもシーレの影響を受けたアーティストは多く、典型的な例としてデビッド・ボウイの「ヒーローズ」、イギ―・ポップの「イディオット」のアルバムカバーをあげておきます。ご存知の方も多いと思いますがCDショップで いちどご覧になってください。
「手」と「目」です。
|