「東京都中野区」、思いもかけず「海辺のカフカ」のもうひとつの舞台となっているこの地名に少し感慨を持ってしまいました。 中学、高校から大学とずっと関西で、今も関西にいるのですが、東京の中野が本来の「出発点」です。
父は仕事の関係で全国を転勤しました。ほんとに全国津々浦々に支店のある会社の子弟はぼくに限らず、みな「転校生」という行を潜り抜けたんだと思います。 とうとう関西になじめず、東京に帰りたかった兄も、今は中野に戻りました。もう二度と目を覚ましてはくれませんが。
中野の思い出といえば、ぼくが小さいころ、まだ未舗装の道路がありましたね。 そこでよく遊びました。 で、まだ3歳か4歳のぼくには、「早稲田通り」が果てしなく広い川のような通りに見えたことを覚えています。 祖父母が健在なうちは、毎年、中野の家に遊びに行きました。住宅街の静かな一角です。
東京がフルサト、という自分も京都に住んでいる年数の方がはるかに長くなりました。 だけどどこが、といわれたら・・・京都じゃないですね。東京に二度と帰らないとしても、ちいさかったころ兄と一緒に遊んだ中野が、やはり一番大事にしたい場所です。「東京だから」ではなく、たぶんぼくと兄があれほど一緒に遊んだ場所はないからです。
さあ、本に戻ります。 もうひとつの魂も中野区を離れ四国にたどり着いた所です。
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