散歩主義

2002年09月13日(金) 猫としゃべれるナカタさん。

カタカナで「ナカタ」と表記すると、ほぼ自動的に「中田英寿」と判断する昨今ではあります。が、しかし、
とても好もしく切ないキャラクターの「ナカタ」さんに小説の中で出会いました。
「海辺のカフカ」です。字も読めないし計算もできないけれど猫としゃべる事のできる「ナカタ」さん。読むほどに好きになってしまいました。

今ちょうど中間点です。作品を包む空気にすっぽりはまっていたい作品です。
後二日ぐらいで読んでしまうでしょう。すでにかなり響くものがあります。
舞台は四国。高松、高知。
同じ時代のなかで同じ空気を呼吸する精神。何故だか不明ですがそんな事を感じつつ読んでいます。きっとそんな手触りがするのでしょう。

選ばれた「孤独」、というものを考えました。自分を実現しようと、まさに自分と向き合うしかない環境に身を置くこと。これはとても大事な事だと思います。
そこに四国・高知の山の中が選ばれている事はまっすぐに空海を想起させます。
だけど、それ以上におもわずにんまりしたのは、その田村カフカ君が篭る事になった小屋を実はサーファーの先達が作ったということ。
ほとんど、そうだ!!!と言ってしまいそうになりましたね。人生をサーフィンに捧げたようなサーファーはほとんど哲人のようなことを口にします。
ぼくには彼らは「あちら側へ渡ろうとしている人」という認識があって、特にそう思うのかもしれません。波の上を歩くような人間の認識はやっぱりどこか「抜けて」ますから。

そんなこんなで上巻の最後をこれから読みます。テレビで中国の九さい溝の映像を流しています。全編ウォン・ウィンツァンさんのインプロヴィゼーション。映像もピアノもきれるほどに綺麗です。

だけど春樹さんの作品は何故にいつも切ないんだろう。今回のもかなり、切ないな。今のところ。
ではでは。


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