2002年09月16日(月) |
ジョン・コルトレーン |
久しぶりにコルトレーンを聴きました。 ”マイ・フェバリット・シングス”1960年の録音です。なんだか昔よりもすんなり聴けた気がします。
ぼくはジャズのアーティストの名前もアルバムのタイトルも曲名も、どんな演奏かもすべて、ジャズ喫茶で学びました。特に18歳ぐらいから23歳ぐらいまで、集中的に。 そもそもジャズの膨大なタイトルの中から何を選ぶのかさっぱりわからなかったし、お金もなかった。レコードも持てないし、優秀なオーディオ装置もない、大音量で聴けない、・・・おいしい珈琲も淹れられない。そんな空間がなかったんです。ぼくには「ジャズ喫茶」にいくしかなかったんですね。 今ではそんなお店もずいぶんと減った気がします。
タバコの煙が揺らぐなか、濃い目の珈琲をすすりながら、まず自宅には置けないだろう、すんごいスピーカーから大音量でジャズを浴びつづける。ぼくは来る日も来る日もそれを続けていました。
まず、家でも聞いていたマイルス・デイヴィス。続いてピアノ、そしてサックスと興味の矛先を変えていきました。そして、そういった「ジャズ喫茶環境」にぴったりとはまって響いてきたのが、コルトレーンのサックスだったのです。
ヴィレッジ・バンガードのライヴ。延々と呪術のように続くソプラノサックスのインプロに度肝を抜かれてしまって、たちまちコルトレーンの虜になってしまいました。 ただ、難点があって、それは聴き終わるとぐったりと疲れてしまうこと。のめりこむように聴けば聴くほど、直後は何も手につかないぐらいになってしまうのです。
だから、リクエストする回数も減り、店で覚えたタイトルをレコード屋さんで発見してもつい、買うことを躊躇するぐらいになってしまったんです。 たしか、ジャズ喫茶でコルトレーンがかかると急に店でタバコを吸い出す人が増えたなぁ。
CDにマスタリングしなおしたものが出まわりだしてからも、なかなかコルトレーンの旧作には手が出ませんでした。聴きやすい「Ballad」なんかは聴いても、あとは買ったまま置いてあるだけのような状態だったんです。 ほんとに、最近、ぼちぼち昔の耳を頼りにもう一度聞き出したんです。
ずいぶんすんなりと聴けるので、そのことに少し驚いています。聴く側にある程度の緊張と覚悟を強いるのは相変わらずですが。 それでも今聴いてる、マイ・フェバリット・シングスなんかはとてもチャーミングに聞えます。マッコイ・タイナーのうねる海を想わせるピアノも素晴らしいし、エルビン・ジョーンズの歌うようなドラムも素晴らしい。
1960年、まさにこれから神かがりのような精神性の高い孤高の演奏へ突き進んでいく「とば口」に彼は立っていました。 昔のように、なにも手につかない、ということはありません。むしろ音楽がとてもよく聞こえます。ぼくのなかに何か変化があったのでしょうか。
湧きあがるイマジネーションの泉のように聞こえるのです。まるで励ましのような。 とても、嬉しい変化です。
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