ぼくが勝手に詩の師匠と決めている人が二人います。 ひとりは17歳の時に出会い、詩を書くきっかけとなった松本隆さん。もう一方は婦人公論で詩の選評をしておられる井坂洋子さん。井坂さんはその詩も好きで、詩集はよく読みます。(読みこみが甘いか!!)
現実的には毎月一度は選があるわけですが、自分が応募していない号の評も必ず何度も読むようにしています。かならず何らかの示唆があって、投稿者にとても寄り添った評があるからです。 それは井坂さんのエッセイなどを読めばわかるように、彼女も熱心な一投稿者から詩人のキャリアがスタートしていて、そのことをとても大事にしておられるからだと思います。
無論、賛辞ばかりではないのですが、「厳しい」とは感じたことはないです。ま、人によりますけれど。 今回の号が昨日、本屋さんから届きました。その評でとうとう河野多恵子さんの「小説の秘密をめぐる12章」を読むように、という「指令」が出されました。 この本は小説家を目指す人の間では評判の本で、いろいろと「波紋」もよんでいる本です。
この本の「小説」と言うところを「詩」に置き換えて読めば、たいていその通りであるから読みなさい、と。 この本を読んだあるカメラマンは「小説」を「写真」と置きかえれば、カメラマンを目指す人のための本になる、といってます。
「波紋」というのはこれを読んで凹んでしまう方がおられるらしいということです。なんで?と思いますけどね。んー、凹んで止めるぐらいなら、最初からやらないほうがいいよね。 ぼくなんか意気消沈大歓迎?というところがあって、凹んだ方が書ける?というか自分をよく見つめなおせるんです。 有頂天が一番ピンチ、というか。
いろんな雑誌に応募して、入選を何度かして編集部から「ちょっと書いてみて」と言われて有頂天になる人の話が出てくるけれど、そういうのがいやがられてるのかも。生々しすぎて。 わりと調子に乗りやすいぼくなんかは常にこの本を横において置きたいと思うほどですが。
で、もう1冊本屋さんに発注しました。えっ、最初の本?読めないぐらいぼろぼろなんです。何故でしょう・・。はははは。
とまれ、凹むことは「モノカキ」志望には大事なことだと思う、今日この頃でした。 ではでは。
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