2002年09月23日(月) |
いまだに書けないジャンの事。 |
詩を書いたり、あるいは日記を書く時にアタマに焼きついている風景を思い起こすことがよくあります。 毎日の暮らしの中で、ぼくは「打たれる」というんですが、とても面白かったり何かを強く感じるような言葉や風景や本や絵や音楽に出会うことがあります。それがすべてのような気もします。 そんな時は出会えたことに感謝の気持ちが湧いてきます。ほんとに。
今まで書いた詩も、ハナとか猫たち、薔薇などの植物、さまざまな表情の空、鹿王院や法然院などの場所など、そこから得たものがとても多いです。 このことにもっと意識的になろうとも思っています。世界はいつでも全開なのですから。もっといろいろ教えてもらおうという感じです。
で、ふと「人」の場合はどうだろうと思ったんですね。すると、モデルにしている実在の人物がまったくいなくなりつつあることに気がつきました。昔はありました。実際に「その人」を念頭において、物語を転がす事もありました。 ぼくが読んだ本だとミラン・クンデラの本なんかだと、実際の街角で見つけたご婦人のスケッチから、物語を組みたてだしていつのまにか「小説」の世界に入って行くのがありました。それも面白そうです。 もっと「人」を見る、ということが必要なのかもしれません。
もうひとつは犬のジャンの事を書いていないことにも気がつきました。なぜだろう?近すぎて見えていないのか、それとも。 それとも、ジャンには言葉が入り込むすきがないのか。うーーーん。 ほんとはなんとなく分かっているんですけどね。 たぶんジャンのことはかなりの時間が必要なんだろうな、と。
どうしても避けられない「あること」を通過しないと無理なぐらいくっつきすぎてるから。たぶん書く事を無意識に避けているような気がします。 ・・・・対象化できないのです。
と、足もとで寝ているジャンをしばし眺めています。
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