散歩主義

2003年06月11日(水) 東風が吹く

東風が吹いている。梅雨が始まった。誰かが宣言したから始まるのではない。
地球の気候の決まりごとだ。たぶん、多くの人は決まりごとというのは
変えられると思うようになってしまっている。「すべては人が決めたこと」というとんでもない錯覚が、ゆっくりと日本人のアタマにいきわたりつつある気がする。

東京の人たちは自らの出している産業廃棄物が闇の中どこにいっているのか知らない。大阪も京都もたぶん同じだ。ぼくも知らない。
ただ東京の場合「量」がけた違いだから、問題のありかがあぶり出しにされる。
おそらく東北と東京の対立が遠くない将来、浮上するだろう。もう東北では首都圏のゴミによる環境破壊に耐えられなくなりつつある。燃えるものならまだいい、そうではない産廃によるものだ。そして、それを山積みしたトラックにおそらく高い「税」をかけるはずだ。すでに構想はできている。田舎の腰の重い行政のレベルでさえそうなのだ。待ったなしの状況なのだろう。

日本という国は人が死に、奇病が蔓延してから大騒ぎする。その前に命をかけて警鐘をならす人物は必ずいるのだが、村八分に合うか「消えて」しまう。
そして田舎に住めなくなり、収穫物に毒が混ざる。
情報は見事に隠蔽されてきたけれど、とうとう明るみにでだしたようだ。

ごみのことだけではない。一見何事もないかのような社会だけど、破綻に向かっているという危惧はぬぐえない。予算も年金も保険も預金も農業も漁業も工業も教育も、すべて危ない。

身の丈を知るべきだ。

個人としては、生き方の価値観をしっかり持つしかないと思う。身の回りでてきることから。ほんとうにそうしないと、とんでもないことになる。
一番大きな原則。命をどう考えるのか、ということ。殺す側か尊重する側か。

「決まりごと」は自然のなかにある。それを認めるかどうか。
どんないいカッコをしていても、そうでないものに興味を持たない。そういうものには「お金」を遣わない。一番簡単にできることはそのことからだと思っている。
もう10年以上昔になるけれど、比叡山のあじゃりさんの言葉をいまだに覚えている。叡山きっての知性で知られた方だった。叡山の僧の方は滅多に将来を予言するようなことを言わないのだが、当時来るべき21世紀の人間にもとめられるものはなにかという問いに、『我慢』と。
『我慢ができない人はつらいでしょう』と。

ぼくは今になってこの言葉を次のように解釈している。

我慢というのは「耐え忍ぶ」というイメージだけど、考え方を変えればなにを幸福と捉えるかだろう、と。
「決まりごと」に従わざるをえないとおもえば辛い。自然の中で生きているのだと思えば工夫もできる。
大金持ちになろうとすれば辛い。今ある自分で幸福だと感じ、感じるように生活すれば生きていける。

幸せだといえる日々を毎日積み重ねることができれば。
人々の誰もがそう願っているとは思うのだが。

「考え方」というのは とても大事だ。


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