散歩主義

2003年08月13日(水) 「街角の煙草屋までの旅」

「街角の煙草屋までの旅」という吉行淳之介さんの短いエッセイを久しぶりに読みました。
もう黄ばんでいる古い文庫で、何度も読んでいる本です。
 ヘンリーミラーの次のような言葉を吉行さんは紹介しています。
『(前略)私たちは一生涯動き回っている。しかしこれまでによい旅(ボン・ヴォワイヤージュ)などしたことがあるだろうか?私たちが飲み屋や角の八百屋まで歩いていクときでさえ、二度と戻ってこないことになるかもしれない旅だということに気がついているだろうか?そのことを鋭く感じ、家から一歩外へ出るたびに航海に出たという気になれば、それで人生は少しは変わるのではないだろうか?(後略)』
 これを吉行さんは『街角の煙草屋までいくのも、旅と呼んでいい』ときめつけて、 ご自身の住んでおられた都市のなかを動く事を『旅』と受けとめている、と述べておられます。そして、それほど身近な風景に鋭敏に反応するアンテナを持っておられたにもかかわらず、いやだからこそなのか吉行さんは
『風景は一目にかぎる』と断言されています。
 御茶ノ水の「山の上ホテル」の裏手の急勾配の長い石段も、赤坂溜池の交差する高速とその下の広い下りも、ちら、と「一目」みるだけ。

 ぼくも歩くのは好きで、京都のいろんなところを歩いています。うちの近所にもいわゆる旧跡がたくさんあるけれど、最近では、それよりも犬と歩く町中こそが、吉行流に言えば「好みの風景」の宝庫になってます。だけど吉行さんのように『「おや」と思い一目だけ見る』という事ができない。おや、と思い、じっと見つめ、あろうことかデジカメを出してきてパチリ、なんてことが常。
 吉行さんの「一目」には、なにか集中しきったものをかんじます。最初の印象をとても大事にする意識を感じます。しつこく見ているとなにか手垢がつくとでもいいたげな。
 まるでそのほうが「粋」なんだよといわれているような。

 ぼくが自分のBLOGのスペースを「WALKXWALK」としたのも、ダイアリーを「散歩主義」としているのも、ただたんに身近を無意識に歩くこと(義務的な犬の散歩のような)から、逆転してそれを「旅」ととらえたいという積極的なまなざしへ転換しようとし、しつづけている、一種の決意表明にちかいものなんです。その後押しをしてくれたのがこのエッセイなのでした。
 
 考えて見れば、毎月毎回ゴザンスにアップしている作品たちも「街角までの旅」が原点になっています。西陣や祇園、木屋町、銀閣寺、衣笠、今出川、…。さまざまな京都の町。
 実を言えば学生時代から一番かかわった場所は一度も作品に出てきていません。近づいたのはありましたが。
 それより、今。毎朝歩いている狭い町中にも「旅」は存在するのだということを、もういちどアタマに叩きこんで歩こうと思っています。せっかく犬という得がたい相棒がいるんですから。
 できることなら「一目」で、風景をすぱっと焼きつけるほどの「粋」な感覚でいきたいものです。これは目標です。


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