| 2005年04月14日(木) |
お多佳さん、サウドスエで手紙をお書きなさい |
今日は夏目漱石全集(岩波書店)の書簡集を集めた巻をひろげて、ある方の名前を探していました。 その方は幾田多佳さん(たいていのデータベースでは幾田多佳女となっています)。
(漱石が「お多佳さん」とよんでいるのにならって、以下「お多佳さん」と書きます。)
お多佳さんは祇園では「文学芸妓」として名を知られた方です。 戦時中に亡くなりました。彼女が女将として活躍していたお茶屋「大友」は一種の文芸サロンのようになっていて、鷗外や漱石もよく足を運んだそうです。祇園で有名な歌人、吉井勇ももちろん。 現在、「大友」のあったところには吉井の歌碑があります。
かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水の流るる
戦時中の強制疎開で取り壊しになったのですね。現在の石畳が敷き詰められた白川南通りにあったのです。
さて、舞台は祇園ではなく、鴨川を渡ります。 1915年に四度目の京都訪問を果たした漱石は、その遊行途上で腹痛を起こし、寝込んでしまうのです。泊まっていたのが鴨川の東側、木屋町三条を上がったところの旅館。 そこで漱石を看病したのが、お多佳さんだったのですね。
漱石はお多佳さんに句を贈ります。
春の川を隔てゝ 男女哉
この句碑が現在、御池大橋西詰めにあるのですが、これ、いい句だなあ、と思い、(「川」がいいなあ)ふと、あ、手紙、と思ったわけです。
ありました。 それがまた漱石らしい、おもしろい手紙なんです。 看病の礼を述べたあとで 北野の天神さんへ行く約束を破って宇治へ遊びに行ったお多佳さんに、嘘をついちゃあいけない、と怒るんです。
あなたは根のところが善良だから、あなたが嘘をついたということを撤回しない、とか。あなたに冷淡になりたくないから云々。
漱石が書いた手紙だけが残っていて、お多佳さんがなんと返事されたのかはわかりません。 …ほんにかなわんおかたやわ…と思っていたのやもしれませんけれど。
手紙から感じるのは漱石が一生懸命だということです。 それと興味深いのは、漱石がお多佳さんの手紙の書き方に注文をつける下り。
明治時代の芸妓さんならば、たぶん「候文」の心得はあったはずですし、書も習うのでしょう。漱石の手紙の原文は次のとおりです。
…君の字はよみにくくて困る。それに候文でいやに堅苦しくて変てこだ。御君さんや金ちゃんのは言文一致だから大変心持よくよめます。 御多佳さんも是からサウドスエで手紙を御書きなさい。…
漱石の文章に「言文一致」という言葉が現れると、にわかに緊張します。 言ってることと書いてることの乖離、言葉と行動の不一致を乗り越えるべくひねり出された「言文一致」を、漱石もになっていたんだというリアルさが伝わってきます。
だけどその明治の言文一致の文学でさえ、今の時代では古典だ、と。 (これはたしか養老孟司さんが「バカの壁」の執筆に関して発言されていたことだと思います。)
じゃあ現代の言葉はどうでしょう。 作家それぞれの文体はあります。だけど「言文」を「思想と行動」にまで広げて考えると、必ずしもすべての作家が言文一致とは言えないんじゃないでしょうか。 スタイルとして旧仮名遣いを選ぶ人もいますから。
とまれ、漱石が病に伏していた旅館は、たぶん平野啓一郎さんの「高瀬川」の舞台になったホテルのすぐ近所です。 そして言文一致の新たな試みともとれるのが町田康さんの「告白」。全編、河内弁が登場します。 その地を知るものとして、もの凄くリアルに響いてきます。
● 「漱石全集」・岩波書店 第15巻 続書簡集
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