散歩主義

2005年04月20日(水) 読書

「ソローと漱石の森」稲本正・著、読了。
「環境文学」という切り口は今でも魅力的だけれど、実践の中でどう果たされていくのかは常に切実な課題としてあるなあ、という感想を持ちました。

自然の中に出ていくか、個人の内面の森に没入していくかという点や、風景と人がどう切り結ぶのか、という点を自分なりに追求したいと思います。

作品中、「文学・環境学会」での故・日野啓三さんの発言が紹介されています。その「森と文学のアナロジー」が示唆にとんでいたように思います。

また、稲本さんの、たぶん専門的な見地からはかなり強引と思われるかもしれない、量子力学と漱石の作品とのアナロジーは、
「文学的には」とても面白い指摘だと感じました。
個は「揺れ」であり「霧や雲のような分析不可能なものである」というとらえ方。

その見地から読み解ける作品として考えられ作家として、すぐに思い浮かんだのは吉行淳之介さんと日野啓三さんです。

で、日野啓三さんの「あの夕陽」読了。芥川賞を受賞した短編です。
主人公の離婚が描かれています。
「個」の揺れがまざまざと描かれていました。移りゆく夕陽の描写に被さる心理描写は精緻で見事でした。
時間のスパンは一日の出来事なのだけれど、そこにたたみ込まれた時間は戦時下、終戦直後も含まれているし、
地理的な描写は韓国、東京を含んでいます。

とまれ、個の心を追求して、こうだ、と簡単に割り切れるはずもなく、人間のありようも量子力学的であるという指摘も成立するでしょう。

午後、「告白」町田康・著を読み継ぐ。
これもまさに殺人を犯した「個」を追求しています。長編ですが、文の呼吸が河内弁なので、意外に読むのが早く進みます。
関西圏の人はすらすら読めてしまうかもしれません。
河内弁になじみのない人は少し読みにくいかも。

最後に日野啓三さんの「示現」を読みかけて、明日に続きます。

漱石もそうですけれど、読書を通じて浮かんできたキーワード、「再生」をどう書くのかが課題です。
しばらく考えながら自分の作品にも反映させていきます。


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