書店に頼んでおいた庄野潤三さんの文庫本が届いた。 文庫化された「うさぎのミミリー」と過去の作品でまだ手に入っていなかった「夕べの雲」「インド綿の服」「絵合せ」の合計4冊。これで庄野さんの文庫作品はほとんど全部そろったことになる。
特筆すべきは「うさぎのミミリー」(新潮文庫)。 巻末に江國香織さんと庄野潤三さんの対談が載っているからである。 こんなうれしいことはない。 他の本をどけて、本文もそっちのけでこの対談をいちばんに読んだ。
よかった。庄野さんの執筆活動の一端がうかがえたし、文学を志す、あるいは文章を書くものとしての骨太の姿勢を習った気がしている。
ところで講談社文芸文庫には他の文庫と違い値段が高いぶんかもしれないけれど、詳細な作家案内と著書目録が附いている。これがとてもいい。今回手にした 「夕べの雲」「インド綿の服」「絵合せ」にも当然附いているのだけれども、そのなかにあるぼくが忘れずに覚えておこうと思う言葉があるので抜き書きしておこうと思う。
『狂瀾の中に身を投じて美を求めないからといって、これらのエッセイストを咎めることは誰にもできない。静かに生きることはそれほどやさしいことではないからだ』
文中『これらのエッセイスト』とは庄野さんが学ばれたという、イギリスのエッセイスト文学のこと、とりわけチャールズ・ラムのことである。
『目立たない場所で、落ち着いて物を見、長い時間をかけて考えること−これはけっして容易なことではない。しかし、時代がどんなに変わったようにみえても、文学の根本はここにしかない』 これは梶井基次郎について述べた言葉だけれど、これがそのまま庄野さんの文学の根幹を指し示す言葉だと思う。
何も特別な誰かを作るまでもない。普通の、目立たない場所で、人たちの「生きる」ということに寄り添うように書くことができれば。それが庄野さんの作品に親しみ、文章を書くぼくの願うことだ。仮に小説が思考実験だとして、ぼくの実験の方向はそちらを向いている。そしてそうすることこそがぼくを元気にするのだ。 文庫化は待つ以外にないのだけれど、江國−庄野対談で言及されていた「ガンビア滞在記」を次に読みたいと思っている。
久しぶりに「温かい雨」の続編を書き始めました。
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