| 2005年07月25日(月) |
朝からFMで Like a Rollin` Stone がなっていた |
am4:00 起床。シャワー。猫たち点呼。猫のご飯。部屋の掃除。 昨晩の読みかけの本、養老さんの対談読了。
am6:00 ハナの散歩。シーズーのハナ、柴のゲン君、Mixのしんちゃん、名前を知らない黒ラヴ、といつもの挨拶。植物のチェックと水遣り。 昨晩、夕顔が咲いたようだ。気がつかなかった。朝に閉じた花を見る。
am7:00 朝食。トースト、ミルク、キウィ、トマト。珈琲。新聞にツールで優勝したアームストロングの写真がでていた。ここまでの21ステージを思うと感慨がある。 久しぶりに聴いたFMからディランのライク・ア・ローリング・ストーンが流れていた。若い頃よく聴いたけれど、いつ聴いてもいい。
昼休み 高橋睦郎「起きあがる人」を読み出す。「生きる」ということが、死を包み隠さず描くことによって、あぶりだされている詩。言葉遣いの巧みさは指摘するまでもないけれど、この息遣い、行の反転の隙間に浮かぶ切なさはどうだろう。鮮やかさはどうだろう。 おそらく亡くなった多田智満子さんと思われる方との「交流」を書いた詩に胸を衝かれ、前に進めなくなる。
その続き 一つ一つの作品がが実に味わい深く、ノートに感想を書きながら読み進める。 「起きあがる人」には詩人に対して書かれた詩が二つある。 励ましである。かけがえのない。
ところでジョージ・ルーカスは脚本を書くのにPCを使わないそうだ。 全て手書き。またアイデアはネットではなく古書から得るという。似た話を違う方から聞いた覚えがあるのだが、誰だったか名前を忘れた。
PCで文章を書いていて、それから手書きになった人は多い。理由は様々だ。 ぼくもノートに高橋さんの詩の感想やら私的な覚え書きを書いていて、「書くこと」そのものに没頭できる自分と、パソコンに打ち込む自分を分けないといけないと思いはじめている。 「書くこと」に没頭できるというのが好きなんだよね。 僭越ながら体質的に吉村萬壱さんに似ている。とにかく「文字」を書くこと、なのだ。
時として自由で流動的で可塑性が高いのは、むしろアナログの手書きじゃないのかと思う時もある。電気はいらないし場所も選ばない。 それとも、こちらのほうがよく見えるということは、こちらのほうがむいているということか。
夜の手前頃 ハナの散歩。ハナと猫の夕食の用意を始める。家のものからメール。今、吹田のあたりだという。ふむふむ。
明日からまたわいわいと賑やかな暮らしになる。 一人もいい。時間がたっぷりとれるから、読書にはほんとにいい。 猫も犬もこれは邪魔しない。
夜。ハナにご飯 さっきノートに書いたことを写すと
…本の「つか見本」のような、本ともノートともつかないものが、ステイショナリーで売られていたように思う。 白いページに自分で書き込んでいって、できあがると自動的に世界で一冊だけの本になるというもの。ハードカバーだったように思う。
あれに高橋さんが書き込んでいたのを思いだした。イタリア・フィレンツェで。当然、書き直しや訂正が入るから鉛筆で。 フィレンツェのどこに行くにも、必ず手に握られていた。まるで本を持って歩いているように見えた。
あれをつくろう。
昔、初めての詩集を自分で刷った時よりも、もっと根源的な手作りで。全部手書き。 鉛筆で書くからコピーを貼り付けるかたちにしようか。消しゴムで消えるとまずいかもしれない。いずれにしても世界に一冊しかない本をつくってみよう。 欲しい方がいたらプレゼントしよう。 とりあえず鉛筆で書き込むのと制作用の二冊を買おう。…
ノートには上記のようなことを書いているんです。
家のもの帰宅。 ハナ大喜び。猫は…ややクール。
寝る前にビートルズ。どこか体か心が凝っている時はいい。 うーん、ラバー・ソウルかな。Nowhere Manとかね。
やわらかくやわらかく…。
ではでは。
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