救いのない場所 - 2006年03月18日(土) テレビで『南極物語』がやっています。 むごすぎる…。 ほんとに辛過ぎて直視できない けど、席を離れることもできない。 で、おそるおそる観ようとすると涙で画面が見えません。 マジで。 幼稚園の時に映画館で観て以来、シャチの恐ろしさや クレパスの危険さにおびえていた私でしたが、 今観てもやっぱり怖い。 人間を信じて極限の地に連れてこられた犬達。 逃れることのできない恐怖と苦しさを味わい続ける ことになる。 仲間を失っていく犬達の切ない目が堪らない 気持ちにさせる。 最後にタローとジローが人間と再会できたからって なんやねん。 人間ひどいねん。勝手やねん。 でもきっと自分が高倉健ならもっと勝手やねん。 親から虐待を受け続ける子供のように 救いの無い場所に思えた。 自分の意志で逃げることができること、 それが自由ということなのかもね。 ... 夢の中 - 2006年03月12日(日) 好きな人、 『自分のやりたいことに夢中になってる人』 嫌いな人、 『おせっかいな人』 えてして、おせっかいな人は、暇だ。 だから、自分の暇を埋めるために、 夢中で暮らしている人にちょっかいを出す。 心配していると伝えたり、 お説教をしてみたり、 応援しようとしたり(陰ながらではなく)、 最悪なことには、自分も昔はそうだったと、 昔の自慢話を聞かせようとしたりする。 かんべんしてあげて欲しい、っていうか 度が過ぎると“悪”の域に入ると思う。 もちろん、肉親や愛する人は、 おせっかいじゃないことが多いと思う。 心から応援したり、心配したりするからこそ、 自分がしゃしゃり出るのではなく、 ただ、本人の幸せを祈る。 だから、全然違う。 ひとつ言えることは、 自分のやりたいことに夢中になっている人が、 おせっかいな人の言葉に影響されることはない、 ってこと。 出会いたいのは、きっとその人の分野で 夢中になって暮らしている人。 このまま進んでいくことの不安を、 身を持って経験してきている人。 何の不安もない、何の動きもないところから 発せられる声は、きっと届かない。 私は、何かに夢中になっている人が好きだから、 これからもずっとそういう人達と出会っていきたい。 だから、私も私の本当にやりたいことをやっていく。 心酔して、我を忘れる瞬間が、多くあればいいと思う。 ... 哲を学ぶよりも - 2006年03月04日(土) 昔から頭の中で概念的なことをこちゃこちゃこちゃこちゃ 考えている方だった。 でも、現実的な生活での問題解決能力は非常に低かった。 なので、自分はダメな人間なんだ、と思いがちだった。 時を経て、ラクで幸せな考え方を身に付けた。 毎日が進んで行って、とても楽しい。 「気付いたら、問題が解決していた。」 なんてことも、ままあるようになってきた。 自分の嫌いな部分はあるけど、完璧っぽい人間なんて 面白くないしこれでもいいやん、と思うようになった。 生きていくのが苦しい時には『哲学』は救いになる。 でも、実生活を生き抜いていくには、 概念的な言葉をあまり出さない方がいいな、 と今は思う。 酒の席で友達が誰にともなく、 「哲学ってなに?よくわからん」 と言っていた。 なんだろうね?確かによく分らないね。 “哲学が何か”を分かることよりも、 うまく釘を打てることや、 栄養のある献立を考えられることや、 必要事項を無駄なく伝えられることの方が、 大切と思う。 −具体的な事柄の積み重ねが、 次の行動を生む− 問題に押し潰されそうな昔の私に そう教えてあげたい。 とにかく今は、 概念的なことは詩や音楽で感じられたらいい、 と思うのでした。 ...
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