あお日記

2002年06月30日(日) 恋心 嶋さん編


 嶋さんと文通を重ねていく上で彼女に対する興味は書簡が往復する「回数」に比例することもなく、中学時代同様、文通そのものに興味を持っていたというのが初めの頃の正直な気持ちだと思います。それが変化していったのが高2の夏でした。

 同じ市内に住んでいながらお互い学区の違う公立高校に通っていたので普段の生活でもかなり縁のない私たちでした。彼女は隣の学区ではトップクラスの女子高に通っていましたが、そんな嶋さんと文通しているという状況をタケダ君は羨ましそうに話していました。彼に嶋さんの話をしたことを明確に後悔したのは、私自身が彼女に恋心を抱いたと自分で認めてからでしたね。

今でも自分の恋愛事を秘めたがる傾向は変わっていないかな?
すっすいませんです、皆さま(笑)。

嶋さん自身に興味を抱いたのは、文通がお互いの内面の告白を含んできたからでした。もっとも、私が嶋さんの手紙にクソ真面目な返事を書いて自分なりの人間関係論を説いたのがきっかけなんですけどね(エラそ〜にね/笑)。彼女はそういったことをおざなりにせず返事をくれる人でした。だから私も高校に入ってから黙して語らなかった自分の考えていることを嶋さんに「話したい」という気になったのでしょう。
ここまで思えばもう恋に落ちるのは時間の問題でした(笑)。





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 それは多分に「友人」の域を美化して越えないだろうもの



2002年06月29日(土) 夏休みと読書

 高校3年間で覚えている夏休みと言えばもちろん『彼女たち』と過ごした高3の夏なんですが、こうして過去日記を書いていると不思議とどうでもいいような記憶が残っているものです。

 知的好奇心はまあそこそこあったつもりですが、盲目的(にわか仕込みともいう)に感化されることはほとんど読書からきていましたね。高2の夏は母親がどこからか借りてきた「ブッダ」という手塚治虫のマンガに感化されて(これが読書か? というツっ込みは不可/笑)この頃から当時でいうところの「岩波文庫の水色シリーズ」を読み漁るようになりましたね。といってもはっきりいって むずかしいんです。訳わかんないんです。
 仏教からはいって、キリスト教系は西洋の訳書がいっぱいあったので一番よく読みました。宗教に興味があったわけではなく、いわゆる宗教の教義の中に自分が共感できることがあればそれで良かったんですね。

 ただまあそれらを読んでいて率直に思ったのは

「宗教に入るには信仰心が無さすぎる」

ってことですね。この言葉はその後、夏目漱石の「行人」という作品で再び出会うことになりました。知りたきゃ読みなさい(^^;;




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ということですか(笑)。
まさにそれこそが私の考え続けていた命題でもあった。
周囲の女性は避けてるくせに。ははは。

もっとも、そんな自分に気付いてないのがいちばん大問題。



2002年06月28日(金) 読書


 それまで休み時間は大抵教室におらず隣のタケダ君のところへ行っていたのですが、演劇発表会が終わったあたりでしょうか、教室の自分の席に留まって文庫本を読む機会が多くなりました。新しい人間関係が生まれていく中での発展途上な状態、要は話を合わせたりお世辞を言ったり持ち上げたりして相手の性格を探るのがめんどくさくなったからだ。かといって自分のクラスでボケッと過ごすのは得策ではないという気持ちもあったでしょうか。

 恥ずかしながら、私はこの頃生まれてはじめて自分のこづかいで純文学系の文庫本を買いました。それからというもの、暇さえあれば放課後は本屋に行ってから帰宅というパターン。ただでさえガキなので無い知識をそこに赴くだけで色々と満たしてくれる場所でしたね。まあ今現在博学か?というとそうでもなく、明らかにあの頃の方が知識はあったし真剣でもあった。

 最近は店舗が大型化して売れる本ばかりを並べる店が多いのですが、昔は近所のソコソコ大きな本屋でも平気で売れない専門書を置いていたり、やたらと1分野にこだわって本を入荷していたり、それを探したりする楽しみが本屋にはありました。今近所で一番大きい本屋はツタ○なんですが、はっきりいって私にはどうでもいいような本屋ですね。




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今でも持っています。何回読んだのかなぁ??



2002年06月27日(木) ロン

 2年の頃か3年の時だったか今一記憶にないのですが、ここで話をしておきましょう。
 
 高齢という年端は、ロンの身にも確実にやってきました。この頃は専業主婦だった母が散歩をさせていたのですが、若い頃のような判断が下せないくらいロンはボケがはじまってしまいました。

 チャリ通学だった私とタケダ君はよく私の自宅に寄って色々な話をしたものです。もっともまだこの頃(2年の前半)は私自身が彼に心を許していない状態でしたが。2年の夏休みですかね、彼を受け入れるようになったことに明確なきっかけなどは無かったのですが、「1年の秋頃から文通してる人がいるんだ」と「嶋」さんの話をした頃がこの時期でしたね。
 ロンはあまりタケダ君には懐きませんでしたが、彼はロンに会うたびに
「人間でいえばU子さんのように美形だよ、ロンは」と言って大人しく座っているロンの頭を撫でていました。

  
 とある初夏の暑い夕方、私たちはいつものように帰宅しました。すると私の自宅前に子猫がウロウロしていました。まわりを見渡したのですがどうもノラ猫のようです。私が抱きかかえても抵抗なかったので生まれてからしばらくは人間に育てられた捨て猫だったかもしれません。

 いつものようにロンの相手をしているタケダ君にも見せようと軽率にロンと子猫を近づけたのが悪かったのです。ロンは気性も大人しく猫などを見ても相手にしない性格だったので私は全く意に反さずにいたので、思わぬロンの興奮振りに動揺してしまいました。その瞬間子猫も驚いたのか私の手から落ちて、車の下に行ったのですが、そこから金縛りのように動きません。
 とにかく子猫をロンの目の届かないところにやらねばと思い子猫に手を伸ばすのですが、子猫もそうやすやすと捕まってはくれなくて...何を思ったかいきなりロンの行動範囲内に飛び込んでしまいました。
 ボケてはいてもその辺のスピードは人間のかなうものではありません。

 私はあんなに興奮して豹変したロンを見たのは初めてでした。同時に動物にとっての「老い」の現実を見せられてひどく自己嫌悪しました。ロンに対しても子猫に対してもひどいことをいとも簡単に成してしまった自分の軽率さを責める言葉は見つからなかった。

 自宅の裏に小さな祠があったのでそこの鳥居の近くに子猫を埋葬しました。宗教的な偶像など信じる気にはなりませんでしたが、その時はこれが私に出来る精一杯のことでした。


 その夜、大好きな牛乳をカップに入れて持っていくと、ロンはいつものように喜んで私を迎えてくれました。

 ごめんね ロン





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2002年06月26日(水) 犬

 中学入学と同時に親が家を建てて引っ越しました。それから間もなくして父の仕事の取引先である材料屋の所長がきて犬を1頭置いていきました。その頃でもう十分歳を取っていたので、私が高2のこの時期には15,6歳にはなっていたはずです。

 私の家の人間はほとんどといっていい程散歩はしなかった。もちろん私も含めてなんですが、彼女は毎日散歩の時間になると(ちょうど私の帰宅時間あたり)小さい体で仁王立ちになって私を促したものです。拘束されているチェーンから離してやると彼女「ロン」はすっ飛んで散歩に出かけたものです。今思うと、良く毎日無事で帰ってきたなぁと思います。たまに帰りが遅い時は外に出て探しに行くのですが、裏のヤブにてこずって出て来れなくてキューンと泣いていたり、隣の家の縁側に座って夕ご飯のおこぼれに与っていたり、体中にウン○をつけて申し訳なさそうにドアの前をウロウロしていたり...。

 ロンの中では家族の中での位置付けがあって、毎日ご飯をくれる母が最上位。

 母
 父、姉
 ロン
 私

という順位でした。なので私がちょっかい出してもハナであしらわれるんです(笑)。
「子供は黙ってろ...」って感じで。ははは。それでも私はロンが大好きだった。

 ロンが子供の頃、人間にいじめられたそうで、安易に心を許さない感じだったロンでしたが、私が接しているどんな人間より、彼女は素直だったし、家に帰ると私は飽きずにロンに話し掛けていた。

 私はロンが本当に大好きだった。




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2002年06月25日(火) 大失敗

 今となってはどれだけの時間をかけて演劇の練習をしたのかまったく記憶にないのですが、少なくとも日が経つにつれ、隣のクラスに顔を出す時間のほうが多い放課後でした。

 で、本番当日。

 演劇発表会は2日にわたって行われます。演劇部や先生を中心にした審査員の点数と全校生徒による一般投票の集計で順位が決まります。

「一人舞台で一般投票第1位...」←ああこれは「ガラスの仮面」(愛読書/笑)


 そこで...やっちまいました。
 どう考えても練習不足&経験値不足。
 部活紹介で舞台に立った時とは明らかに状況が違うのに、それを拠り所に「大丈夫」と決め付けていた自分が甘かった。つーーか もともと引っ込み思案だろ お前はぁ!!

 劇はまあ無難に終わって、フィナーレを迎えました。そこでは全役者によるダンス披露がありました。そんな時に持ち前の練習不足がたたり(笑)見事なくらい自分で何やってるんだかわからない状況になってしまいました。あの時リズムに使っていた曲の題名は当時から分からないままだけれど、今でも思い出せます。苦い思い出です。
 
 まあこのクラスは高校3年間の中でもいちばん、出来た人間の集まったクラスだったので私のその失敗を責める人間はいませんでした。それがまた逆に引け目となってクラスで孤立を望むきっかけになっていった気もします。
 まあ それでもこのクラスのみなさんは、私に対して鷹揚でしたね。コイツらに幸あれ!!って感じです(笑)。




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はず(笑)



2002年06月24日(月) 練習

 わがクラスの出し物は「白雪姫」。今思い出しましたがそういえばヒロインは「スー」さんでした。ランさんは小人役の一人。

 練習は放課後なんですが、劇中の私の役は女王様に向って
「はっ!かしこまりました〜」とうやうやしく会釈をする
それしかないんです(笑)。まっ所詮「狩人B」ですから。なので練習といっても私のすることなど何も無いに等しい。

 練習の時もまあいつも通り自分の場所を決めて、クラスの中の様子を見渡すくらいしかしていなかったのですが、役者の集まりはほとんど女子だったので必然と近くの視界に黄色い声が横切ることになる。この時期はホント、クラスの色々な女子が私に話し掛けてくれました。
 自分がどう受け応えしていたかは未だにナゾだ。ただ日に日にその状況に押されて、逃げるように隣のクラスのNやタケダ君のところに行ってしまいました。「不愉快」という気持ちは全く無かったし、普通に女子と話をする、そんな当たり前のことがむしろ新鮮な心持だったことは確かだ。「ランさんだから苦手」という訳ではなく、同じ年頃の異性だからダメだったのだろう。まっ今思えばこのお坊ちゃん、意識しすぎなんですけどね〜。

 どうも私が女性っぽいからなのか、女子はホント友人に話し掛けるようでした。小学生の頃自分の容姿や名前でいじめられた経験があるので、「中性的」と言われるのは構わないが「女性的」という言葉には抵抗があるようでした。「なんで普通に話し掛けてくるんだ? こいつらは」って悩みました。やっぱ女っぽいのかなあって(笑)。女役とか言わないように!! シャレにならん。

 「恋」の興味を失っていたとは思いませんが、そういった不特定多数の中にそれを見出せるほど積極的ではなかったし、そんな観察力もなかった。そして自分自身、そういった中に自分の気持ちを満たせるものがあるとは思ってもいなかった。




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 狙っていたわけではないんですが、どうもこのスタイルが自分にとって一番楽だというのは本当です。それでも数多の淘汰があり、今付き合っている友人がいるわけですね。

 ただちょっと友人には見せられん日記になってきたぞ(笑)





2002年06月23日(日) 放課後

 とある5月のからっと晴れた放課後のこと。
 ニワトリの小屋掃除とエサやりが終わって一度教室に戻ってきました。自分の机の整理をして教室を出ようとしたとき教育実習生のY先生がたまたまやってきて私にしては珍しく話し込んでしまいました。今でもそうなんですが、どうも私は年上と話をする方が比較的得意そうです。Y先生も所詮はまだ大学生ということもあり、緊張の色もあったのでしょう。この時に彼が地元の酒屋の息子だということや、彼の高校時代にやった演劇発表会のことなど、この学校に来て初めてこんなに穏やな心地で当り障りの無い会話をしたなと思います。

 廊下の窓から降り注ぐ西日の強い日差しがロッカーに反射して先生の向こうは目を細めないと見えません。その日差しの中、不意に現れた女性がいました。そのクラスメートは私と先生を交互に見やり、何事も無かったかのように話の輪に加わりました。

 どうして私は彼女がダメだったんだろう?
 ひょっとして...ホ○は私?(笑)

 

 その陽光は、一瞬の間をおいて、不意に日常の時間と同化した。




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 世間一般ではこういうのって「きっかけ」とか言わないかい? はは。
 ただ、西日に映える彼女の若白髪を「美しい」と思ったのは本当です。




2002年06月22日(土) 演劇発表会

 この年もやってきました、演劇発表会。去年好きだったのは主役のドロシーでしたが、この年は「女王様」(笑)。発表会以降、よく似合っていた黒ブチめがねをしなくなってしまったのでマイブームでは無くなってしまった(^^;; 背のスラっと高くて明るい子でした。

 うちの学校の演劇は舞台に出る配役は全員口パクで声優は別の人間がやりました。この年は配役を決める時に丁度一番前の席だったのが不幸でした(笑)。舞台の配役は皆さんやりたがりません。特に男子は。その男子の役の割り当てが2人だったので、半ば押し付けのように実行委員に説得され、「狩人B」の役をやるようになってしまいました。

 この学校に来てからというもの、普段から極力人を避けてきた私にとって「無難」では片付けられない問題となってしまいました。

 そうそう、この発表会の準備期間を見計らって毎年教育実習が行われて、この学校出身の実習生が臨時担任になるのもこの季節のことでした。この年は確か...国語だったかな? を受け持っている地元の酒屋の御曹司・Y先生でした。

...




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白雪 おお あの継子!


つづく




2002年06月21日(金) ランさん��

 きっとランさんは私に恋心を持って興味を抱いてくれていたのでしょう。

 それはともかくとして、2年生に入って曲りなりに顔を見合わせる日々が1年過ぎていたので、1年生の頃のように彼女のことをあまり意識しなくなったというのも事実です。人間的に彼女が劣っているわけではなく、むしろ穏やかな顔つきで明るい性格は多くの人に愛されるべき素養であったと思います。
 それに気付いたから私が変わったというと、そうでもない。自分にとって縁の無い人間から被る行為は「間接性」を超えないと分かったからだ。自分が気にしてなければどうでもいいことなんだと割り切ったのがこの頃だった気がします。同時にますます視野が狭くなって、そういった間接的に影響を行使しようとするものまで目が向かなくなった、と言うほうが正しいかもしれない。

 なんか、どっちにしろ「やなヤツ」なんですけどね〜 私ってば(笑)。


 そんな私の態度を知ってか知らずか、ランさんは相変わらず寡黙な私に声をかけるクラスメートの一人でした。思えば女性では彼女だけだったと思いますね。そんな彼女に私が持った唯一の興味は、彼女が「女性」というSEXを持ったその点だけ。思えば同年代で最初で最後、女性の体に興味を持ったのは彼女だけだった...かな?(^^;;

 そんな自分がイヤになっていったのは自分の性格からいえば順当な流れ。要は「ひとりよがり」の典型。そんな自分に今出来る後悔はありませんが、その後の性体験が大幅に遅れることになりました。

 人にはみな「体温」がある、ということを知らぬままに。




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 それまでこの日記で浮いた話は期待しないように(^^)
 






2002年06月20日(木) 「ラン」さん

 高校の頃になると色々な地域から人間が集まってくるわけで、もちろんそれに比例して雑多な人間が存在する。それは中学のような地域限定の閉鎖的な社会とは比べられないくらい、言わば世の中の人間たちの有り様の縮図がそのまま詰まっている場所でもあった。意地の悪そうな大人もいるし、自分勝手な輩も大勢いる。逆に私なんかは及ばないくらいの純朴な生徒もいれば、しっかりとした自分の主張を持って生徒に接する大人もいたわけだ。それを分かっていたつもりでも、伊達に歳を取ったかもしれない今の私から見て判断してさえ、当時の自分は視野が極端に狭く、周囲に対して冷静で中立な判断力を行使していたとはとても思えません。それは不器用で画一に満ちた「思い込み」という名の思想に裏づけされている、非常に薄いものでした。「道徳」という名の画一。
 「思想」なんて偉そうなもんじゃない。

 1年2年と同じクラスだったのは、人当たりの良さそうなセミロングで若白髪の豊富な「ラン」さん、それとパーマの効いた茶髪のショートカットで利発・秀才で美人と評判の「スー」さん。その2人とは入学時から何故かよく目が合う。高校に入ってからひねくれ者になった私はあまり人と目を合わせる行為を好まなかった。その最大の理由は「虚勢がバレる」という危機感だったのかな? それでも目が合うってのは相当な縁??(笑)
 入学当時でまだ高校の「時間」に慣れていない頃、早め早めに行動しないと気が済まない私と前後して朝の教室に姿を現すのがスーさんでした。とは言っても私が彼女に興味を持つ訳でもなく、その後もほとんど彼女と話をしたという記憶はない。忘れているだけとも言う(笑)。その点、ランさんは私の「嫌いだ」と思っている連中そのものだったのでよく覚えており、当時は彼女の視線や懲りずに話し掛けてくるその姿勢にうっとおしさを感じてもいました。

 相変わらず「恋」という観点から興味をもたれることが嫌いだった自分と、ランさんのように年相応の恋愛の夢も見ているであろう人と、順逆の差の激しい私たちの接点ははっきりいって何も無かった。

 ひとつの場所にいる ということを除いて。




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 次回も「ラン」さんについてです。



2002年06月19日(水) 余談

隣のクラスでとある休み時間にあった出来事。

 Qさん「ねえ タケダくぅ〜ん 付き合ってくれない?」

 ラザ(ゲっ!)
 海(ゲゲ!!)
 あか(えっ?)
 N(...?)

 タケダ君「ええ〜〜〜!!!!」(本気で狼狽/笑)

一同全員Qさんのタラコ...ではなく彼女自身を注視。



 Qさん「職員室に...」



そしてまたとある休み時間...。

 あお「キゅっ、QさんQさん」

 Qさん「なに??」

 あお「○月○日 空いてない?」←夏休み

 U子さん(ええっ??)
 A子(デートの誘い??)
 B子(誰 この人?)
 タケダ君(あおちゃんいきなり何事? でも誘う相手間違ってない?)←大笑


 あお「前話したうちの部の研究発表なんだけど 人手足りなくてさ」

 Qさん「...」

 あお「手伝ってくれないかなと思って」←もちろんそれ以上の他意などない(笑)

 Qさん「その日はうちの部の合宿がはじまる日だからダメなんだ〜」


 なんかこの日からQさんと疎遠になっていった気がする(笑)。まあもともと薄っぺらい「知人」という程度の関係だったのですがね。自分の幼さゆえに周知の席で彼女にヘンな意識を与えてしまったのであれば申し訳ないことをしたと思います。まああの季節特有の若気だと思ってもらいたいです(^^;;




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 最近自分自身のこと書いてませんね。
 次回書きます。2年間同じクラスだった「ラン」さんについて。


 



2002年06月18日(火) デート追跡

 NとU子さんのデートは「映画」ということに決まりました。人間同士のパワーバランスなどには無関心でしたが、Nは皆が行動を起こして撃沈してから満を持しての出馬だったので、彼のその行動を責めるヤツはいなかったし、デートという選択をしたのはU子さん自身なので口を挟めるわけも無い。

 撃沈したといってもやはり気になるんだろうフラれ組。Nはデートの場所や日程など聞かれれば素直に答える性格だったので、タケダ君を筆頭にクラスの何人かで密かに追跡したそうです(笑)。ってタケダ君はフラれた訳ではないんですが、彼はこういう悪戯心は旺盛だったのでフラれ組がそれに乗ったというわけ。
 この話を聞いたとき「よくやるよ」と正直そう思い苦笑したのを覚えています。「誘ってくれれば行ったのに」なんて思うようなかわいいヤツではなかった私。
 
 話によれば...都内に行ってトムクルーズ主演の映画を見たそうですが、初めてのデートで観るにしてはエロチックな濡れ場が多すぎたそうで、N自身困ってしまったそうだ。その後、サンシャイン通りの喫茶店で一服するツーショットを見るためにご一行はその向かいのファーストフード店の窓際に陣取ったらしい。観察によればあまり話が弾んでいるようには見えなかったそうだ。

 残念ながらNのデートに2回目は無かったようです。


 先年に都内で友人の結婚式があったのでその帰り、図らずもその喫茶店で一服することになりました。タケダ君のその話を初めて聞かされたラザ君は「そうだったの?」と呆れ顔。10年以上前のことでもつい先日のことのように思い出せるタケダ君の話っぷりが羨ましくも思ったし、そんなバカが出来るのもあの頃だったから笑って許される。その思い出の中に私の影が全く無いことに多少の嫉妬を覚えたりもした。





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だった気がします。私もなぜか見た目は「優男」に映るらしく、同じ人種は見ていて嫌いでした(笑)。



2002年06月17日(月) 恋の花咲く季節?

 2日前の日記でふれた通りの真面目軍団だった私の仲間たちでしたが、みなお年頃になったのでしょう、話にも浮いたものが多くなりました。私はどうもそういうのが苦手だということが仲間内で公然となっていたため、みな努めて私の前ではそういった話は避けていた気がします。
 
 ただ...よりにもよって何故みんな面食いなんだ?? って言いたかった(笑)。そのクラスで最も美人だと思われる「U子」さんに皆さん首ったけ。恋話の苦手な私でさえ色々と彼女の話を聞かされるので、そのうち私自身「彼女のこと好きになったかな?」とか錯覚してしまった(笑)。綺麗な女性だったのは確かですが、私の記憶にある彼女はいつでも澄ましていてそれ以外の表情は思い出せない。U子さんとかいっても特にくちびるがタラコな訳ではない、念のため。

 仲間内でこれだけの競争率だから、さぞかし彼女を狙っていた男子は多かっただろう。

 私的にはU子さんがいつもクラスで行動を一緒にしている美術部の「Q」さんの方が興味あったんですけどね。恋愛の対象になる人ではなかったですが、ツヤツヤしたロングヘアでお澄まし美人なU子さんよりショートカット(というより昔で言うおかっぱ)でちょっと時代遅れっぽくて、賢そうで話し掛けやすいQさんのほうに人間的な興味が向く私でした。今時の女子高生のように化粧などしていないので、昔の女性は素で勝負できていた訳ですね〜。

 タケダ君は横恋慕をして仲間を失うような性格ではないので、こういう時はきっぱり身を引くのですが、その彼の未練が私にはかなり濃いように思いましたね。まあ隣の花は一際良く見えるってものです。

 この頃でしたか、私もようやく人並みに女性の「肉」に目が向くようになってきました。非常に短い間ではありましたが。




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2002年06月16日(日) 「オフコース女」

 タケダ君は安易にあだ名をつけるのが得意でした。
 クラブ見学で何故か生物部にやってきた女子3人組。タケダ君なんか
「あの子たち入部したらオレも考えちゃうよ〜」とかいって喜んでるし(笑)。
 私は顔の作りそのものには今も昔もほとんど興味はない。人間の魅力は表情があってこそナンボ。なので面食いのタケダ君一押しで一番背の高い「カオリ」ちゃんは確かに綺麗だったが、表情に乏しくあまり印象に無い。
 寄り添うように後ろから着いてきた感じの女の子と3人組のまとめ役である「オフコース女」...。全く活動していない高校の文化部なんてのはまず部員の頭数を揃えるのが先決なのに、それに気付かないで...というより私はこの3人は遠ざけたいと思った。自分が見たこともない先輩目当てで入部したくせに、後輩のそれは許容できなかったという勝手極まりない自分(笑)。意に染まぬ相手ならいない方がマシ、くらいに考えていた頃でした。
 もしかして...いちばん邪魔だったのはタケダ君??? 

 うははは

 見学の時は滴定検査?という実験をやりました。1年生の授業でやることです。入ってもらいたいだけならご機嫌とってバカ話ばかりしていればいい。初対面でこういうクソ真面目な面を見せれば大抵の女性は去ってくれます。
 その後、何でか知りませんが、タケダ君は3人組の一人と話をする機会があったらしく、その子がオフコースを聞いていたこともあって仲間内でその子を「オフコース女」と呼ぶようになってしまいました。まあ彼の本命は「カオリ」ちゃんだったのですが、残念ながら3人は揃って入部してくれませんでした。はは。




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 タケダ君には申し訳ないが、狙い通り!!
 少し寂しい気分になるくらい狙い通り。



2002年06月15日(土) 部長

 1年の項でもふれましたが、3年の先輩が卒業したので部員は私一人。自動的に生物部の部長になりました。といっても完全休部状態なのでやることといえば金魚とニワトリの世話。ニワトリ小屋は南にあるグランドに面したところにあって大きな垣根で区切られているので、世話をしながらよく陸上部のFやNの走りッぷりや中学時代よりますますグラマラスになった例の彼女を垣根の隙間から眺めていましたね。
 人間から見ると垣根で出入りはなさそうなのでよもや逃げることはあるまいと、朝、小屋から出してから教室に行くのですが、体育の授業中とかよくグランドに乱入して体育教師が怒っていたらしい(^^;;

 動物の世話をした人なら分かると思うのですが、小形動物のエサはけっこう値段が高い。私はわざわざいっぱい入っているコイのエサを買って生物室のすり鉢でゴリゴリやって金魚にやっていました。休部状態なので部費なんか無い。ただ、この頃は疑問もなく買いに行っていた。なんだったんだろう? この義務感は。

 新入生が入学して、自分の時もやったであろうクラブ見学。その事を忘れていた。体育館の舞台で自分の部活紹介をやらねばならなくなりました。紹介も何も自分自身活動したことないんだから世話ない。
 結局、日記仕立てで正直に現状の活動を報告。なぜか新入生にウケていた。ただこんな変哲のない紹介でその後の見学期間に新入生が来るとは思ってもいなかった。

放課後、タケダ君とバカ話をしているその教室にやってきた女子3人組...。






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2002年06月14日(金) 休み時間

 先日ふれた通り、1学期の業間休みはほとんど隣のクラスにいっているか本を読んでいるかどちらかでした。最初はNやタケダ君と話していたのですが、徐々に彼らの輪も広くなり、私もどっちのクラスか分からないくらい仲良くなっていったのを憶えています。とはいってもこの頃のクラスでの人間関係は「楽しい」という線で繋がっていれば他はどうでも良いといったレベルだったと思います。それが責められるべきことでもないですし。

 まずこのクラスでは「山」ちゃんという人間を中心にグループがあって、Nもタケダ君も最初はそこの中。休み時間って10分しかないのによくあんなに楽しげに遊んだもんだと思います。1年のときにクラスに馴染めなかった反動か、私がやっと学生らしくなってきたといえるかもしれない。

 とりあえず ウノ。大人数でやれるのが学校の特権。そういえばあそこ以外でウノなんて遊んだ記憶が無い。

...

 でもどこにでもあまりグループに属さずにいる人間はいるものです。

 タケダ君はどちらかといえば気に入った人間がいれば色々なところに顔を出すタイプ。嫌いな人間のところにはテコでも寄り付かない。まあ相変わらず女性におネツでしたが特定者がいないのが彼の面白いところだ。

 Nは一段と本格化した部活のせいか、休み時間しかクラスにいることはないので余り馴染んでいたようには見えなかった。

 Nと同姓の「ラザ」君はこのクラスで出会った一人ですが、1学期はまだ話した事がありませんでした。彼も友人をつくるのは下手クソなタイプだったのか、あまりグループに留まることを好まず自分が楽しいと思えば参加するしそう思わなければ来ないという人。

 今はあまり交流がないのですが、私と同じ真面目一辺倒の「海」くんという学年ではその行動ぶりが有名だった彼もこのクラスで知り合った一人。彼は水泳部だったが、1年の時ある日突然「坊主」にしていったら先輩にウケが良くて1年の男子全員坊主命令が出されて困ったりしてたそうです。いわゆるボケキャラでしたね(^^)

 あと一人、何げに人当たりがよく世渡り上手で見えないところで努力家、私と同姓の「あか」君。

 こうして振り返るとそれぞれ「マジメ」という線で繋がっているようにも思う。私のようにネクラではないんですが(笑)、きっと考え方に共感の持てる人間たちだった。まとめ役が性格からいってタケダ君なんですが、本人が気まぐれなんで(笑)グループという感じではなく、時間が経過するにつれより個人的な繋がりへと発展していきました。

 私の今ある幸福は おそらくこの時すでにはじまっていたんだろうなぁ。





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2002年06月13日(木) 呼び出し

 2年に進級して幼なじみのFは隣の校舎、タケダ君と陸上部のNは隣のクラス。名実共に孤独を気取る環境に相成りました(笑)。担任だけは1年と変わらず芝先生。
 この芝ちゃんにはけっこう目をかけてもらっていたらしい。私の真面目すぎる性格を信頼されてもいた。私が持っていた「反発」は大人だから子供だから、という区別ではなく「人間」という範疇であれば年齢の上下など問題ではなかった。そんな私の中で、この先生は明らかに「味方」になりうる人でした。

 で、学期初めに記入する「進路ノート」みたいなのがあって、生真面目な私は

「生活態度等気に入らない人間ばかりなので、そんな中で友人をつくる気はない」

こんなことを書くものだから芝ちゃんに呼び出しくらいました。
 さあ、困った。思ったことを正直に書いただけでその後のことなど考えてなかったので本気で困った。芝ちゃんにウソをつくのはこの時と修学旅行の時の2回あります。

「いったいどういうつもりなんだぁ」 責めるでもなく声色は穏やか。それが逆に経験値不足の自分には辛い。
「いえ、書いた通りの事なんですが...」
「う〜ん...」先生も本気で困ってる様子。それが申し訳なく思った。
「でも時間が経ってぼくの見方も変わってきました」
ウソです。全然変わってない。ノート提出から呼び出しまで1ヶ月くらいあったその『時間』のギャップに頼った自分。
「そうか〜 誰と仲良くなったか?」間髪いれず探りを入れるあたりさすが老練の教師だ。

 その後私はクラスで声をかけられた何人かの名前を言い、あとはダンマリを決めました。

「大丈夫だな?」 彼のその言葉が痛かった...はず。


 今では全く交流のないクラスメート達でしたが、普段からほとんど口を聞かない私にマメに声をかけてくれるクラスでしたね。その気遣いを封印してしまう自分、そんな自分が次第にイヤになってきましたから。ただ入学してから自分が周囲に対して示してきた「拒絶」に慣れた自分をそう簡単に変えられる訳はないだけで...。




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今私が「友人」と呼べる人間が隣のクラスに3人いました。まあ結果オーライということで許してください、芝ちゃん(^^;;




2002年06月12日(水) 音楽

 タケダ君と私ははっきり言って性格は違うしノリも嗜好も趣味も違う。彼はB型で私はO型だ(かっ関係ない?)。今までの付き合いの中で思考的な影響は多大に受けたかもしれないが嗜好で感化された記憶はない。ひとつ例外を挙げるとすれば、音楽だろうか。
 流行に左右されること、それ自体がバカげていると思っていたその頃、私は中学からよく聴くようになったビートルズを頑なに聴き続けていた。流されっぱなしは主体性のない考えを生むだけだが、「流行」の中にはそれだけで終わらない芸も含まれている訳で、拒絶ではなくそれを選ぶ目を持つべきだったと今では思う。私が高校に上がった頃はバンドブームでBoowyが絶頂の頃だったと思います。それに関心を持つこともなくリアルタイムで聴く機会を逸してしまったことは今でも悔やみますね。

 で、彼の口から出たグループ名が「オフコース」

 ...なんか彼のイメージじゃない そう思ってしまいました、正直(^^;;

 我が家にはまだCDという再生機器がなく、もちろんカセットテープ。たまたまオフコースの「A面コレクション」というテープが家にありました。今ではメディアがCDに変わりましたが、あらためて買って、今でもたまに聴いています。って当時すでに「流行」外だったと思いますがねぇ、オフコース。小田和正がベストを出したのでその中にも私の知っている曲があるというのはなんかうれしいものです。眠っている良い楽曲というのはいっぱいあるものです。「流行」を追わな過ぎるのは私のように停滞を生むだけですがね。要は外圧に左右されることなく判断をもって自分の好きなようにやればいいんですかね。





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 次回から2年生に突入です。

 「彼女」が入学してきます。



2002年06月11日(火) 共学ワンダーランド ??

 続けてタケダ君の話です。

 男子校から転入してきたタケダ君はその風貌や秀才ぶりとは裏腹に、女性には人並み程度の...いや、彼いわく「ここは天国のようなところだよ〜」。

この辺が私とは大いに違うところだった(笑)。

自分も男なので一般的な見解を述べることは出来る。高校生の頃、周囲の人間が抱く恋心というものはけっこう不特定多数のほうへベクトルがいくつも向いているものだった。ようは「恋がしたい」というだけで、その対象は自分が気に入れば取りあえず誰でも良いというものだったかもしれない。大人になってもそういう輩はもちろんいるものだが、そういう恋愛は年頃の年齢ですべきものであってあまりカッコの良いものではない。私といえば、年齢以上に節操の高い子供でした(笑)。
タケダ君はまさに上に書いた「異性そのものに対する興味だけ」という人でした。ただ不思議と周囲に抱く不快感と同等の彼を、私はその両者を結び付けなかった。

 クラスにいる女子を自分の好みからランキング! 
 「○○さんはナンバー1で××さんがナンバー2で...」
 確か9番目くらいいたと思います(笑)。しかも基準がよく分からん。一般的にクラスでも人気があるであろう女子は彼の中では圏外だし。
 「○○さんは髪の毛がきれいだから ぜったいリジョイ(この頃発売されたシャンプー)使ってるよ。触ってみたい輝きだよな〜」
 「××さんはケツがデカイから好きだなぁ〜」
 ってまあどんな理由でもいいんですけど、彼の話はまるで子供の理由付けであきれ半分、聞いていてかなり面白かった。それらの女性に手当たり次第害をふりまくような人間ではないとわかっていたからか? まあ私もツヤツヤしてる髪はさわってみたいし、オシリの大きい女性は嫌いではないですし...(笑)。この頃は全く思考の範疇になかった彼の理由付けの数々は私にとっても害ではなかったんだろう。共学に来たその新鮮さをこれ以上ない形で見せてくれたタケダ君には素直に苦笑したものです。




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2002年06月10日(月) タケダ君

 東北でもけっこう有数の進学校からやってきた彼がなぜこの時期に私の学校に来ることになったのか、正直興味は無かったし、あまり他者の関与は好きではなかった。それでも彼とのコンタクトを拒絶しなかったのは、表だってその理由も無いから。もし大義名分があれば私は迷うことなく彼を切っただろうなぁ。
 
 おそらく、それは自分と同じ匂いがしたから、か。


 彼の秀才ぶりは、地区ではソコソコの進学校と言われているうちの学校の生徒なんて問題ではなかった。転入前は理数科クラスにいたということでもともと数字には強かった彼の伝説その1。
 3学期に入って早々、実力テストがありました。テストの時は名前順に席を移動するのですが、彼は転校生ということで私の後ろでした。で、数学の時間。開始から20分くらいで彼が唐突に「先生、トイレ行って来てもいいですか?」
 足早にトイレに向う彼の後ろ姿はかなり辛そうな感じでした。なんでも腹が下ったそうで、「戻らなかったらこのまま提出しちゃってよ」というセリフを残し、結局時間内に戻ってきませんでした。

 後日張り出された成績上位者の名前にはしっかりとタケダ君の名。しかも数学は学年で2番目か3番目だった。理由が理由なので最初はテストをバックレようとしたそうだが、この学校程度のレベルの問題ならさっさと終わらせてゆっくり(ブツを/笑)出しにいこう!!... と後日聞きました。

 その後、タケダ君はクラスで一目置かれるようにはなりましたが、彼のサバケたというかあまり服装や髪型に気を使わない様子がウケなかったらしく、あまり近づく人間もいなかったし、彼もまた、大勢に身を寄せようとする人間ではなかった。だからこそタケダ君と私は上手くやっていけたのかもしれない。




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私信
「またウン○の話かよ」とかいわないように(^^)
実はもう1つありますから...はは
やってくれます、タケダ君。

 



2002年06月09日(日) 転校生

  高校生活もなんだかんだ3学期に突入。相変わらずクラスでは浮いていました(笑)。それでも幼なじみのFが高校でも同じクラスだったため、それに助けられていた感じはあります。Fよりもその陸上部の友人であるNとはよく学食やら弁当やら、Nはけっこう私のことを構ってくれました。一時期、彼のスタイル(??)である「なぜか顔を近づけて話をする」という面から変な噂が立って、高校3年間、彼をあまり知らない知人クラスの人間はよく「そっち系」だとはやしていたものでした。そのそばにいる私が女っぽいからさらにそれを助長していたかもしれない、とこれを書いていて気付きました。スマン、N。

 3学期に入って転校生がやってきました。
 義務教育時と違ってその登場は前もって知らされるでもなく、かなり唐突でした。彼、ここでは「タケダ」としておきますが、そのタケダ君が座ったのがNの真後ろ。その時の話を今でもタケダ君はよく覚えているそうで
「ぼくNって言うんだ! よろしくね!!」
と顔を近づけて言ったそうだ(笑)。

 図らずもクラスで私が話をする人間がこんな形で一人増えた。もちろんその日の昼弁から一緒。不思議とタケダくんとは最初から普通に話をしていました。とは言ってもまだまだ表面上の探り合いなんですがね。彼とは帰る方角が一緒だったので、その後の高校生活の中で彼が最も近い友人になりました。





まずは一人、私に多大な影響を与えることになる人間が登場しました。ちなみにこの日記ではあと2人ほど登場します。その2人も高校の時出会ったので、なんだかんだ自分の高校生活は充実していたのかもしれない。




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先は長そうで短い。



2002年06月08日(土) 「君に会えてよかったよ」

 嶋さんの手紙は不思議と「処分しよう」という発想は起こりませんでした。彼女は私にとって初めて得た異性の友人でした。この先、これが淡い恋へと変化していくのですが、それはまた先にふれる事にします。

 彼女の手紙を読み返していて気付いたのですが、全体的に私は自分本位で人様の気持ちを察することに疎かった。考え方が画一で偏見もあった。そんな私に新風を運ぶのが彼女だった(と、こう書くと絵になるか/笑)。

「人生に失敗も成功もないと思うよ」

彼女自身が目の前で語ったかのように印象深かった、彼女のその筆跡が懐かしい。

 文通が本格化するのは高2の夏ごろから。それまで彼女の存在は「知り合い」という程度のものでしたので、恋の行方と併せてその時お話します。




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 島さんとの文通を彼女に突っ込まれやしないかと、ちょっぴりあせりました。はは。島さんの記憶は、残念ながら、大切なものではなかったという証明ですかね。



2002年06月07日(金) 文通

 高校1年の頃はこれといった話は特に無いんです。というより憶えてないだけか?

 先日お話したとおり、中学の頃まではよく仲間と夜空を眺める天文少年だった私。高校進学で中学の仲間たちとも疎遠になり興味も薄らいではいたのですが、当時購読していた「スカイウォッチャー」という月刊誌は高校に入ってからも毎月読んでいました。
 どういった内容かは記憶に無いのですが、高1の夏ごろに投稿した葉書が秋口の紙上に載ってしまいました。想像するに、“人間により追い詰められたこの地球環境をどうにかするには?”といった感じの問題提起だったと思われます。というのも今、手元に1枚の葉書がありまして、消印は「昭和63年 10月12日」となっているこの葉書が当時の私を振り返る材料になっています。

 その葉書の差出人は同じ町内に住む同い年の女の子でした。私の投稿を読んで私に葉書をくれたのです。

 その葉書をもらった時、刹那に複雑な気持ちになってしまいました。彼女の文面は非常に真面目なものでしたが、その行間には同性に寄せるであろう連帯感が漂っており、まるで警戒感なく書かれたものでした。実際のところ、女性のような音を持つ名前ももちろんのことながら、私の書く書簡はどうもタッチが女性っぽいらしい。

 正直なところ、うれしい気持ちになりました。同じように色々考えている同世代が存在する事実を提示してもらったことに、非常に満足でした。葉書をもらったお礼に手紙を書きましたが、まさかその後2年余りも続く文通になるとは思いませんでしたし、そんな期待もありませんでした。




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 島さんについては「シリーズ恋 中学編�◆廚鬚翰�ください。

それにしても...
我が町ってほんと 狭いんだなぁ〜と嘆息した自分がいたのは事実です(笑)。



2002年06月06日(木) 変化のない恋

 どうも私は追いかけられるより、見込みのない恋を追うほうが好きなようです。追いかけられて振り向いた経験は無いし、追いかけて玉砕した記憶ばかりが私の恋路の記憶を彩る大半の模様です。しかし、果たしてその全てが苦い想いか? というとそうでもない。「どうでもよかった」という気持ちになった恋ならいっぱいあるんですがねぇ はは。

 自分の気持ちに背を向けることの出来ない私は、「恋」という甘美な誘惑よりも、殻にこもった自分を解放する存在、理解を示してくれる存在、なにより私の言葉を聞いてくれる、その可能性のある人を渇望する心こそ私の「恋」だった気がします。セックスを知らない私には肉欲などを追う必要はありませんでした。

 部長さんに対する恋は「追う」なんていう能動的なものではなく、結局は他力本願。周囲の環境に馴染めずにいる自分が、忌み嫌うその外圧に頼っているのだからちゃんちゃら可笑しいと言うもの。こんな矛盾に気付くのはいったい何時のことやら...先が思いやられます、我ながら(笑)。
 かといって「追いかけられる」というほど明確に態度を示した人間はまことに残念ながら誰一人おりません。要は私の容姿もそれまでのもの?? ってことか(笑)。

 黙して語らず、無表情でいればそうするほど、寄って来る人間は減る。そうすることで私は意図的に、安易に自分に興味を持つ異性や出来の悪い周囲の同性を遠ざけることに成功した。ただ器用な方ではないので本命まで遠ざかってしまった(大笑)というだけだ。





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2002年06月05日(水) どっちが好き?

 私がセックスの意味というかやり方?(笑)を知ったのは恥ずかしながら高校を卒業した後でした。あれはごくごく普通に悟りうるものなのか外からの情報で理解していくものなのか?? 今となってはどっちでもいいんですが、とりあえず同年代の男子の中では極めて異性の肉に興味の薄い人間だったはず。そのくせ自慰は知っており、いったいどんな感じで耽っていたのか想像したくない(笑)。世間様のことはよくは分からないが、性知識のレベルは小学生並みくらいの高校生でしたかね。

 生物部に入って出会った2人の女性。

 部長さんは私と2つしか学年が違わないくせにやけに大人な雰囲気を持った人でした。そう思ったのはきっと話し方や接し方がしっかりしていたからでしょう。「明るい」ということに迷いがなく、得体の知れないであろう私にも気さくに話をしてくれました。そのくせ、アメリカの有名な女優に似せてもらったという髪型が気に入らなくて次の日にもう1回美容院に行って今までの自分が似合うであろう髪形に戻してしまったりと年相応な(失礼か?/笑)彼女の一面を、私はどんな気持ちで眺めていたのだろう? 

 さえさんは部長さんとはまた違ったタイプ。私の容姿に対する興味の眼は今まで遭遇したものと変わり無かったのですが、場数を踏んでいるだけあってか(これも失礼だ/笑)スマートな接し方の出来る人でした。そのせいできっと私は今でも彼女には好感を持っているのでしょう。口数こそ部長さんには及びませんが、そのきれいな声色と相まって彼女の雰囲気は年下の私でも「かわいい」と思うに十分でした。背も小さく表情も柔和で、「この人を好きにならなかったら損をする」と男なら思うかもしれない容姿を持った人でした。

 結局のところこの観察は表面的なものに頼っただけであって、残念ながら彼女らの内面を探る機会は訪れてくれませんでした。この頃には既に私の殻は人を寄せ付けないものに成長していたようです。


 私が興味を持ったのはどっちの女性?




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結局心も体も小学生レベルだから始末が悪い。




2002年06月04日(火) 初対面

 1学期の期末テストが終了する日の休み時間に先輩が私のクラスへ来ました。部員が少ないとはいえ、毎年行っている文化祭への研究発表を打ち切れないのでそれを伝えに来てくれました。

 「うちの部 入ってくれたんだってね!」
 「はっはい...」
 ニコニコした表情で上から下まで私の品定め。
 「今日テスト終わったら生物室来てね。打ち合わせするから 分かるよね?」
 「はい」

ボケッとした対面でした。あまりに唐突でしたので何も考えないで返事していました。

 放課後、生物室に行き文化祭の説明やら金魚のエサやり等の説明、ほとんどは雑談。私は終始うつむき気味で先輩の質問を恥ずかしげに聞いていました。確かこの時、先輩のクラスメートが一緒に来ていました。




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2002年06月03日(月) 殻

 本当は孤立を望んでいた訳じゃない。
 世間が自分の範疇にない発想で動いているからついていけないだけか?
 それとも自分が特異な考え方を持っているから周囲に反発を抱くのか。
 
 嫌いなのは
 「大人」の発する画一な言動。
 周囲の人間が染まる「個性」という名の埋没。
 疑問をさらに深めるためだけに具現している人間たち。
 共に無力化していく自分。

 周囲の環境に馴染めず、学校では滅多に口をきかない日が多くなりましたが、その状況自体には特に苦痛を感じることも無く過ぎていきました。自分の考えていることに自信があったからでしょうか? それともそれが「理想」へのステップだったから? でも自分の「理想」って何? 

 「孤独」というものを自分にはめる人間は、それより過去に得た歓喜と比べて感傷に浸っているだけだ。少なくともそれは自分で悟り得ることではない。「孤独」は別に寂しいものでもないし苦痛なことでもない。そういった一方的な発想の羅列には正直うんざりなんだ。
 
 一人でいるのは楽だがそれは「孤独」じゃない。
 ...。


 上のように思っている人間がなぜ、女性の先輩が一人だけ、っていう部活に入り込もうとするんでしょうねぇ〜(笑)。




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惑わされまい、と思えば思うほど強く幻惑されている自分。
それでも時間だけは確実に進む。



2002年06月02日(日) 中間テスト

 中学の頃は英語と数学で別々に週2回、塾に通っていました。それもあってか勉強をする習慣がいやでも身についていましたが、高校に上がってからは自宅通信教育である「進研ゼミ」だけ。これがまたやる気起こらないんだって(笑)。
 全体的に高校時代は家で勉強した記憶があまり無い。そして一夜漬けでどうにかなるほど高校のテストは私には甘くなかった。特に中学とは比較にならないあの暗記量には今でも閉口していますが、そこが私にとってもっとも苦手とすることで、多少なりにもこの頃に頭使っておけば、仕事の時ももっと頭働いたかもしれないのに...と何度思ったことか〜。
 ようは中学受験の要領で3年から頑張れば何とかなると勘違いしていたのが間違いでしたね。危機感が見えてないというか、現実を直視できてないというか、目の前の情報の多さに閉口して目をそらしていると言えばいいのか。一方ではそれを十分理解している自分も存在するのですがね。

 そんな中で迎えた初めての中間テスト。
 文字通りの惨敗。

 「何も勉強してないわりによく出来た」とか思ったのが今後の勘違いを増幅させる媚薬代わりになってしまうとは...今では笑うしかない。




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周囲の時間はそれとは関係なく進んでいるものなんだよ(笑)。



2002年06月01日(土) 児童館

 まだ生物部に入る前、新しい環境になかなか馴染めないでいた時分、下校時によく寄り道をしていました。もともと中学の頃は天体観測が好きだったのでその延長で高校の近くにあるプラネタリウムに行こうと思ったのですが、そこは図書館に付属しており学校の人間に遭遇するのがイヤで、その隣町にある児童館のプラネタリウムに寄る日が多くなりました。この頃はほとんど能動的に実際の夜空を眺めようなんて思わなかったくせに、過去の趣向や感覚に囚われ過ぎている日々でしたね。
  
 児童館は文字通り地元の子供だらけ。そんな中に制服で割って入るのは多少の勇気が必要でしたし、クラスの人間とすら話が出来ない現状で目の前の環境に溶け込めるわけも無く、ただただ投影をぼんやりとみつめては帰る日々でした。これがまた毎回同じで飽きるんだ(笑)。

 この高台にある児童館周辺で遠い未来に出会うことになる年下の女性と、実はこの時会っていたかもしれませんでした。まだ小学生の彼女と...




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この話はまだまだ遠い未来ですが、じきお目にかけることになります。


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