存在の耐えられない怖さ。 - 2003年03月30日(日) バイト先であるインターネットスポットの受付に座っていると、 実に様々な人が様々なことを言いにやってくる。 YAHOOの画面表示が遅い!と言ってはどーなってんだ!と怒鳴る 「指導員はつらいよ」というバイト関係のことはもちろん、 パソコンがそこにある、というだけで、 「主人が会社を辞めたもんで・・再就職のためにパソコンを覚えさせたい んですけど・・ ここで、教えてもらえますか?」(40代前半女性) 「甥が新品のパソコンを送ってくれたんだけど・・設置してくれるところ 知らない? あっ、あなた家に来てやってくれない?」(たぶん、70代女性) と、寄ってくれちゃったり、挙げ句の果ては 「息子の代わりです。神戸からやって参りました・・転入届けはここですか?」(50代女性) 「おい!そこの機械で住民票取ろうと思って来たのに、入り口のドアが 開かね〜ぞ!」(60代男性) 「ここに・・黒い・・袋・・なかった・・?」(ホームレス) などというまったく”あさって”のことまで、それはそれは多様。 適当にかわせばいいのだろうが、座ってるだけで稼いでいるという 負い目もあってか、私はいちいちそれに答えてしまうのであった。 で、そんな問い合わせの多かった日は、私はかなり疲れた、もしくは、 イライラした雰囲気で家に戻って来るらしく、鞄を置き、一服しようと 台所の換気扇の下で一人座ってタバコを吸っていると、決まって旦那が ソロ〜リソロ〜リと飲み物を取りにやってきて、私をチラチラうかがいながら ひと言・・ 「牛乳いただいて・・いいですか・・・?」 そして、十数分、コーヒを入れて飲んでいると、また同じようにやって来て、 「このコーヒー僕もいただいていいのかなぁ〜」などと 控えめに曲げた人差し指で、コーヒーメーカーを指さしたりする。 オレンジジュースも、アイスティーも、菓子パンに至ってもその調子なので、 ある日私は彼に「なんで、いちいち私に断るのさ〜」と聞いてみたところ。 返ってきた答えは、、 「なんか、勝手に飲んだりすると怒られそうだから」だった。 その時は、いやぁ〜ね、この牛乳も、このコーヒーも、家にある食い物飲み物は、 全部あなたの稼いだ結果!何を遠慮がいるものか!と、彼を諭し、 そんなことで私は怒らないわよ、と私の優しさを説いたのであったが、 今日、バイトから帰りご飯を食べ、2人でテレビを見ていたら、彼がウトウト寝て しまったので「ねえ、ちゃんと寝れば〜、、今布団敷いてあげるから」 と優しく声をかけたところ、堅く閉じられていた目が瞬間パッと開いて・・ 「すっ、、すみません!!」と焦るさま・・・。 その声はハッキリと、しかも素早く身まで起こして、、、、。 そんなに私が怖いのか。 おしまい。 ... 「年をとる」ということ。 - 2003年03月29日(土) 今日は、ベランダの方から聞こえてくる隣の奥さんの子供を叱る声が 私の目覚まし代わりだった。 それは、もの凄いエキサイトぶり。 布団の中で聞いているうち、私まで「いつまで寝てんの!あんたは!」 などと叱られている気になって、「すみません・・・」と モソモソようやく起き出したのが、昼の12時。 テレビをつけると、相変わらずイラクでは戦争をやっていて、 コーヒー入れて、それを見て、メールをチェックして、タバコを吸って、 トイレで力んで、またテレビを見ていたら、あっという間に一時半に なったところで、「ゲッ、、こんなことしている場合じゃない!」と ようやく出かける支度をし始める。 そう、今日3月28日は旦那の誕生日。 だから、ケーキを買いに隣の駅まで行かなければならなかったのである。 駅に着き、「安い!旨い!」のケーキを探すべく、うろうろ徘徊する私。 空はすばらしく青く、風は暖かく、街は人で溢れ、いつもよりザワザワと 賑やかなのは、この街の全ての人々が旦那の誕生日を祝福してくれていて・・・ ・・なんてことはなく、都知事選に出馬した共○党の候補が演説をしていた からなのだった。 結構な人垣ができあがっていたが、そこにいたのは、何故か爺さん婆さんばかり。 それは、一平方メートルに必ず5人はいるだろうと推測され、 「春になりにょきにょき生えたお年寄り」といったような感じで、 高々と選挙カーの上に立った候補者の話に、いちいち「いいぞ〜〜!その通り!」 とか「がんばってぇ〜〜!」と雄叫びを上げているのであった。 通りすがりに聞こえてくる口上は、 「お年寄りをないがしろにする今の都政に反対!」というもの。 それが党の方針らしい。 そういえば・・・・と、 一年ほど前、家のポストに入っていた共○党のチラシに、 「お年寄りへの優遇措置を、都の財政難にかこつけて無くすな!」的なことが 書かれていたのを思い出した。 共○党がじいさんばあさんに人気なのは、そんな「お年寄りを大切にする党!」 というイメージから来てるに違いない。 するとこれから先、共○党の人気はうなぎ上り間違いナシではないか。 医療がますます発達する ↓ みんながどんどん長い生きする ↓ お年寄りの人口がぐんぐん増えるのに、少子化で生まれる者の数が減っていく。 ↓ 猫も杓子も・・てな感じで日本中年寄りだらけになる。 ↓ 若い人がいないから、都の税収が減る。 ↓ 年寄りへのサービスもうなぎ下がり。 ↓ で、共○党は大人気! しばらくブラブラして、駅の近くのケーキ屋に入った。 一つ、また大人になった旦那のため、ケーキと歳の分だけの ローソクを注文しながらふと考える。 「当然のことながら、これから彼はどんどん年をとる・・・。 何十年後かには彼も共○党の候補者を取り巻く群衆の中で、 いいぞ〜!その通り!なんて叫ぶのだろうか・・」と。 「長い年月をかけて年をとる」ということは 共○党がどんどん好きになっていく、ということである。 ホントかよ。 おしまい。 ... 悲しい出会い・・・。 - 2003年03月28日(金) とある駅で電車に乗ろうと、 切符を買い自動改札を抜けて、 階段を上り始めたら、ちょうど電車が到着したのか、 ゾロゾロ人が階段を降りてきて、 なんと・・その中に見知った女が一人。 その女性は、前にこの日記にも書いた、明日のジョーのサイトを見に インターネットスポットにやってくる、明日のジョー好きな、 Of The ジョー ・ジョーの (私はジョーのもの) By The ジョー ・ジョーによって(私はジョーにだけに癒される) For The ジョー ・ジョーのための(私の生活はすべてジョーのため) という、一人の女性としての新しい生き方の「理念」を私に教えてくれた、 30代半ばの例の彼女であった。 午後3時というハンパな時間に・・・ 黒い髪を相変わらずサワァ〜〜〜〜と揺らしながら・・・ 階段を浮遊するかのようにスゥ〜〜〜っと・・・ こんな下町の寂しい、貧相な駅に・・・・ しかも、駅の近くには「明日のジョー」の舞台となった 「泪橋」まで・・・・と、きたもんだ。 ハマリ過ぎて、、悲しくなったジョー。 おしまい。 ... ジャイアント! - 2003年03月27日(木) おとといの深夜1時。 急にアイスクリームが食べたくなった。 冷凍庫には、グリコ・ジャイアントコーンが一個。 家族は2人。 グリコ・ジャイアントコーンは私の大好物。 悩む私であった。 「一人で食ってしまいたい・・」と。 旦那に声をかけるべきか、かけないべきか、、さんざん迷うのだったが、 頭にふと”夫婦愛”という言葉なんて浮かんでしまい、 「ねえ〜、、アイス半分づつ食べよっかぁ〜?」と声をかける。 一旦、彼にも食わせると決めたのだから、まず最初の一口は 旦那だろう、とアイスクリームを差し出す奥ゆかしい私。 インターネットを見ながら、うれしそうにパクリとやる旦那を確認し、 「良いことをした・・」と自分の寛大さに満足しながら 台所の換気扇の下へとタバコを吸いに行き、戻って来た私に 旦那が「ハイ!」と差し出した残りのアイスクリームが、、、、、、 つるっ禿げと化したジャイアントコーン。 おまえはいつから、そんなにあっさりしたヤツになったのだ? チョコはどうした!? 「ねえチョコは・・・・」と聞く私に 「わり〜な〜、パソコン見てたら、ガンガン食っちゃった!」と旦那。 黙って食うこともできたのに、ヘタに「夫婦」という定義にほだされて うかつにもチョコの部分を食い損ねてしまった私。 で、「チョコがない!」ということは、当然振りかけてあるナッツも ないわけで・・。 チョコ・・ナッツ・・チョコ・・ナッツ・・チョコ・・ ナッツとチョコ・・・・・ ナッツのかかったチョコ返せ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! だって、、グリコ・ジャイアントコーンはチョコ、ナッツ、バニラ、 この三つを同時に味わってこそ、ジャイアントの意味を持つ、 そう!アイスクリームの「巨人」なのだから。 また買うことにする。 おしまい。 ... 後悔。 - 2003年03月26日(水) 駅に向かうべく歩いていると、雨でくそ寒いのにも関わらず、 道行く若い娘はGジャンにブラウス、下にTシャツ、 といった薄着であり、サラリーマン達も大半は綿のコートに 衣替えなんてしいて、 「本当に日本人は見栄っ張りだな、あと少しで4月だからって、、 無理するな、寒いゾ!ウールのコートを着ろ!みんな横並びで 生きることはない!」 などと思ったりするが、さらに駅へと進んで行く途中で じいさん、ばあさんまでもがはおりものの上着を 薄手に変えていることに来がついた時にゃ〜、、、、 季節を超越してコートのローンを組んだ浅はかさと、 「ローンのために一日でも長く粘ってやる!」と 厚手の重いコートをわざわざ着て出かけた、自分のさもしさが・・ 悔やまれて・・・悔やまれて・・・・。 春なのに心まで重い。 おしまい。 ... それをせき止めるもの。 - 2003年03月25日(火) 詩人茨木のり子の詩に「自分の感受性くらい」という作品がある。 ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/ みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを/友人のせいにはするな/ しなやかさを失ったのはどちらなのか −中略− 初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな/ そもそもがひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/ わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ これは私が結婚した時に母が送ってくれたもの。 感受性が強く、時として感情で周りが見えなくなって しまう娘への応援歌であった。 自分をしっかり見つめ、自分に責任を持って強く生きて行け!という 願いを込めた・・。 初めてこの詩に触れた時、私はその内容にモーレツに感動すると共に 母の「おまえのことは何でもお見通しさ!」 的な、そう、X線写真のような千里眼に「さすが親・・」と舌を巻き、 これから長い道のりを2人で歩んで行くにあたって、 心の中で意をただし、尻の穴までがきゅんとする思いであった。 そして、この詩を心の拠り所とし、私という人間の核にすえながら、 結婚生活を送りつつ、丸8年1ヶ月めが過ぎた少し前の夕方。 テレビ、金八先生の再放送を見ていたら、 武田鉄矢がこの詩を生徒に聞かせるシーンに出くわした。 「あっ、ハァ〜〜イ!みださぁ〜ん、あっハァ〜イ、、あっ、ちゅうぼく〜〜」 と生徒達に声をかけたあと、瓦に目と鼻と口を急いで掘りました、 とういうような鉄矢が・・ ちゅうきのように小刻みに首を振る鉄矢が・・・ 韓国海苔を2枚、張り付けたような髪型の鉄矢が・・・ 「あっ、ぱさぱさにぃ〜〜、、あっ、乾いてぇ〜、、あっ、ゆくぅ〜、 あっ、心うぉ〜、あっ、人のぉ〜、ぜいにはぁ〜、あっ、ずるなぁ〜〜」 などと、私の大切な詩を「鼻がづまってます」調で読むさま・・。 ずびずびと詩を読み上げる鉄矢を見て、私の心はズブズブと沈んでゆき、 しまいには、この詩の一番大切な言葉である最後の「ばかものよ」までもが、 「バカちんがぁ〜!」に聞こえてしまう始末。 私の体の中で血となり蕩々と流れていた詩に秘められたメッセージが・・・・ 今、鉄矢風なアレンジをもって・・・ ・・・・妙にづまってる。 おしまい。 ... その愛情が目に染みて。 - 2003年03月24日(月) 微熱があるにも関わらず、指導員のバイトに行かねば ならない私のために、旦那が栄養をとるのだゾ!と 遅めのブランチを作ってくれた。 ありがたい。 台所でがちゃがちゃ音を立てる彼に甘えて、そのあいだ私は横になりっぱなし。 そして20分後、 「さあ、これ食べて早く元気にならなくちゃ!」という声とともに 目の前に置かれたメニューは、こんがり色のトーストと、 ネズミがかったオムレツ。 ?・・何故、どす灰色なのか? 一瞬、箸が止まったものの、なぁ〜に、過去にもラー油をオムレツに混ぜて、 その意外なおいしさで、私をうならせた旦那。今度も彼なりの ”おいしさ一工夫”がされているに違いない、とパクリ口に入れてみる。 その瞬間、口から鼻にツンとしたものがこみ上げ、 思わず目頭がジーンと熱くなった。 ヤバイ・・・涙が出そう。 まずくて。 それは、例えるなら、ふわふわの食感を持った、はっか飴。 または、シナモンステイック。 口の中がスカスカする。 せっかく作ってくれたんだもの、まずいとは口が裂けても言えないと、 一旦は腹をくくったものの、ここで言わねば全部食べるハメになることに 3秒で気がついた私の口はあっさりと裂け、いったい何を入れたのか?と できるだけ平常心で訪ねてみる。 「ねえ・・卵・・今まで食べたことない味がすんだけど・・?」 「エッ?そんなに変?」 「ていうか、ハッカというか、シナモンっていうか・・そんな味なんだけど・・」 で、「ふ〜〜ん・・変?」と旦那が台所から持って来たもの。 それは・・・ガラムマサラの小瓶。 「いやぁ〜ちょっとだけ入れたつもりなんだけど」と解せない様子。 (あのどす灰色さはガラムマサラ”過多”の色だったとは・・) ボーゼンと固まる私の横で、その小瓶に書かれた原材料名を 見ていた彼がビックリ顔で続けて言うことには、 「シナモンの味がするって言ったよな〜。あ〜〜そうそう!そうだよ! シナモン入ってる!入ってる 〜〜!へぇ〜、、おまえ、すっげ〜な!」 と、まるで、クイズ番組かなんかに出た私がうっかり優勝し、 それに感心した、ってな具合のリアクション。 旦那の愛情がこもっていると思っていたオムレツに・・・ 実はガラムマサラがたっぷりこもっていたなんて・・・・ 悲しいやら・・・ 残念やら・・・ まずいやらで・・・ 目頭が・・ジーン・・って・・・ 「すげっえな〜」じゃね〜よ! おしまい。 ... お天気 - 2003年03月23日(日) 寒気を伴う微熱がある身の上で、 ホットカーペットの上に横たわり、どんな時も私を暖めてくれる お気に入りの毛布「ふわふわ君(あだ名)」にくるまって、 天気予報を見ていたら、 女のアナウンサーが、日々のあなたの予報に対して、 誰も「や〜い嘘つき〜〜!」なんてはやしたてたわけでも ないだろうに、「明日は本当に暖かくなります!本当に!」と 力を入れて解説していた。 いやいや、お姉さん、、ちょっと待て。 それは困る。ホント〜〜に困る。 できれば、せめてあと1ヶ月ぐらいは寒いままの方がいいと考える私は、 この冬に思いきって買ったコートのローンが残っている女。 そう、ほんの4ヶ月ほど。 ・・・・・・・・頼んでもいないのに、なぜ勝手に暖かくなるのか。 このままコートを着るわけにもいかない。 かといって春色を演出できるような余裕もない。 日本の四季が憎い。 おしまい。 ... ウソ泣き - 2003年03月22日(土) ブラウス以外のセーターとかTシャツといったたぐいの”かぶりモノ”は、 まず、左腕から脱ぐのが私の習性である。 で、おととい、風呂に入るべく婆シャツを脱ごうと 右手でそれをたくし上げるのと同時に、左腕を勢いよく上げると 「ガンッ!」という音と共にものすごい衝撃が左腕に走った。 脱いでいたのは洗面所。 ステンレスでできたタオルハンガーの棒に思いっきり肘上を たたき付けたのであった。 痛かった。 脳味噌が揺れた。 「痛ぁ〜〜〜〜い!!」とその場にへたへたうずくまったものの、 音に驚いた旦那の「大丈夫かぁ〜〜」の声がリビングの方から聞こえたので、 「きっと心配のあまりすぐに駆けつけてくれるハズ・・。 だって愛されているのだもの・・・。」 と気を取り直し、急遽、嘘泣き顔を作りながら 「(バタバタバタバタ)おい!どうしたぁ〜。大丈夫かぁ〜〜〜」 「ふぇ〜〜ん、、すっごく痛い・・・・ぐすん・・」 「気をつけなきゃだめじゃないかぁ〜〜、どれどれホラ立って、よっこいしょ!」 などと私を優しく抱いて立ち起こす絵まで想像したというのに、 あっという間に3分ほどが経過。 音沙汰なし。 そんなバカな、、と、弱々しい作り顔のままさらに数分待ってみるも、 いつまで経っても何の気配もなく、どうしたのか、とこっそりリビングの 方へ行った私が見たもの。 それは、むっちりとパンツ一枚の姿でテレビの真っ正面に立ち、 背筋をピンとはりながら、肘を伸ばした両腕を肩の高さにまで上げ、 何故か片足を思いっきり上げているバレリーナのような旦那のさま。 おまえはいったい何者か・・・? しかも、テレビが面白いとみえ、 その姿勢のままへらへら笑ってもいたようで・・・。 本当に泣きたくなった。 おしまい。 ... 君死にたもうことなかれ - 2003年03月21日(金) 夕方、洗濯屋に旦那のいっちょうらのセーターを取りにゆく。 「今晩は〜!!できてますぅ〜?」 ガラスの引き戸を開け、私がそう挨拶するや否や、 「戦争始まっちゃったね〜〜、、」と仲良しのおばちゃん。 店の中にはさっきつけたばかりだというラジオから、 興奮気味なアナウンサーの声が響いていた。 「アメリカは何考えてんだか・・」なんて私が言うと 「アメリカはね、空襲をうけたことのない国なのよ! イギリスだって、ドイツだって、イタリアだって、 前の戦争でやられたのに・・特に日本なんて・・・ 何が空爆よ!空襲の怖さを知らないからあんなに 気軽にポンポン爆弾落とせんのよ・・・・・ ・・・・本当にどんなに恐ろしいか・・・・・」 おばちゃんは時々声を詰まらせる。 シュークリームを少しだけ崩したような、ふにゃりとした顔が 少しこわばっていた。 彼女は、50歳ちょっと。先の戦争を自らが体験したとは思えない。 物心ついた頃はきっと、その爪痕が彼女の周りにもまだ残っていたのだろう。 そして今、息子を持つ母の身になった彼女の戦争に対する悲しみは、 一層強いものとなった。 ああおとうとよ 君を泣く 君しにたもうことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せと教えしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや 与謝野晶子が日露戦争に出兵した弟を詠んだ詩の一文。 あなたは、人を殺すためにその尊い命を授かったのか。 人が人を殺してゆく・・あなたはそんな愚かな事で死んではいけない・・と。 戦場へゆく人への想い。 戦争を愚かな事だと思う心。 それは人である以上、イラクでもアメリカでも同じはずだ。 おしまい。 ... 改名のすすめ。 - 2003年03月20日(木) 昨日テレビで、 「私達は、タマちゃんの幸せを思ってやっているのです」 みたいなことを言いつつ、「タマちゃんを想う会」のメンバーが タマちゃんが食うだろうという思惑のもとに、 ホタテを川にぽーんぽーんって放り投げている映像をみた。 「おっと危ない!」 と思ったのは、私だけではないハズ。 ホタテは殻つき。 そんな堅いものをランダムに投げ入れて、水中にいるタマちゃんの急所にうっかり 当たり、川面に姿を現したと思ったら、ぷかぁ〜とお腹を見せて、 そのまま、どんぶらこどんぶらこっこと流されて行ってしまったら、 ど〜するのか? その場合、「タマちゃんを想う会」の名前が一瞬にして変わり、 「タマちゃんを送る会」になってしまうということをメンバー、特に 青白い顔をしたあの代表は気がついてもいい。 なんたって、自然界ではホタテが天から降って来るということは あり得ないのだから。 だいたい、その日のタマちゃんは「ホタテ気分」であったのか? もしかして、別のものが食べたかったのではないか? 「いや〜、、今日は骨丸ごと、バリンバリン魚を食いたい感じなんだよね〜」と。 人間と同じだ。 例えば、 う〜〜ぷとたらふく酒を飲んだ後、小腹がすいて茶漬けでもサラサラ〜っと かっこみたいと思いつつ家に帰ってみたら、食卓に揚げたてのカツしか なかったとしたらどうだろう?・・、、受験の朝じゃあるまいし、、。 食いたいものが食いたいときに・・ない。それは不幸である。 実際、私は 「高熱を出して寝込んでいるとき、彼女が看病に来てくれて、 助かった・・と思ったのもつかの間、作ってくれたものがお粥ではなく、 豚の冷やしゃぶだった。百年の恋いも冷めそうだった」という 聞くもゲップ、語るもゲップの物語を知人から聞いたことがある。 タマちゃんが話せないことをいいことに・・・・想いすぎ。 「タマちゃんを想う会」・・名前を改め・・ 「タマちゃんを想いすぎの会」に変えた方がいい。 おしまい。 ... 選択 - 2003年03月19日(水) 「ちょっとすみません・・」 私は外にいると、良く人から声をかけられる人気者の女。 その問い合わせ内容は様々で、 「○○に行くにはどうすればいいですか?」という道順的なものから、 「ばぁ〜〜〜・・」と着ていたコートの前を開け、”ブツ”を「コンニチハ」 させるものまで多岐に渡り、年齢も10歳ぐらいの小学生から、 80歳までのお年寄りと幅広い。 日本人、イラン人、韓国人、中国人、たぶんアメリカ人であろう白人、黒人・・。 例えば、黒人の人の場合、仕事の途中に休憩した森永ラブで声をかけられ、 その後、茶まで飲みに行き、別れる時、次に合う約束までして、 その国際交流ぶりを当時付き合っていた男に言ったら、 ひどくどやしつけられた、といったことまであった。 で、こんな私の「ちょっとすみません人生」に、このたびまた新たな 「ちょっとすみません」が加わった。 それは、少し前、金曜日の夜であった。 友人M美の家でたんまりゴチになり、帰る道すがら。 最寄駅まで旦那さんに車で送ってもらった後、 切符を買ってホームの階段を降りた途端、私の目が周りの様子を捕らえるか 捕らえないかのうちに 「ちょっとすみません・・・」ときた。 「へっ?」と思って、良く見ると、階段の近くにツバの広い、真っ黒な帽子を かぶった、真っ黒なロングコートを着た、背の低い「魔女(小)」といった 感じのおばあさんが、ふふ・・と笑みを浮かべながら私を手招きしている。 頭の先から足元まで黒づくしのせいか、顔だけが白く浮かび上がって、 魔界からきたような不気味さである。 「ヘイヘイ!なんですか〜」という気に私をさせなかったのは、 そのおばあさんの魔力で豚などに変身させられてしまうのを恐れたわけでは、 もちろんなく、何より、臭かったのであった。・・・強烈な臭い。 そう、おばあさんはホームレス。 ゴミをパンパンに詰めたスーパーの袋を6つほど、その他に破れた布製の 買い物バックが2つほど。 彼女は大量なゴミの輪に囲まれていたのである。 話を聞こうにも臭いがバリヤとなってなかなか側に行けない。 で、戸惑っていると、そのおばあさんが ゴショゴショ・・・・ゴショゴショ・・・・と何かを私に話し掛け始めた。 何度か聞きなおして、ようやく把握できた話の内容はこうだ。 「大泉学園駅まで帰るんだけど・・荷物が多すぎて・・電車が来たらこの荷物 一緒に運んでくれません?」というもの。 手を貸しても良い・・そんな気持ちもあった。 が、90%は逃げてしまいたい気持ちでいっぱいであった。 何故かと言うと、私の中には酒が入っていた。 もちろん、夜の澄み切った空気の中を帰るのであれば、何の支障もないほどの いい酔い方であった。 ところが、その臭いに接した途端、 「なんか気持ち悪っ・・・」 それは、おばあさんの姿を確認した段階で早くも危険度「レベル1」に なっていて、おばあさんの話を理解し終わった頃には「レベル4」ぐらいに まで上がっていた。 危険度も「レベル5」になると、恐ろしい結末が待っている・・。 私は学生の頃、渋谷で散々飲んでいて、あっさりとそれをクリヤーし、 途中、代々木駅のゴミ箱へ失礼したという”青い経験”の持ち主。 駅員さんごめんなさい。 あのときは若かったからまあいい。 けれど、もうこんなにも大人。しかも既婚者。 郊外の閑静な駅で・・・・・それは人妻として如何なものか? 結局、ぐるぐる回る胃と頭で考えた言い訳が 「すごい荷物です・・(うっぷ)ね・・。これは私の力では・・(うっぷ) 無理です・・(うっぷ〜)男の方に言って手伝ってもらってください・・・・・ (うっぷ〜うっぷ・・・う〜〜ぷ・・)」 というものであった。 一刻も早くきれいな空気の場所へ行かねばと、そう言い残すとよろよろと 離れた場所へ移動し、何度も大きく深呼吸して、ようやく危険を脱出する。 あの時のことを今でも時々思う。 「なんだか悪かったかなぁ〜」と。 が、臭いに負けて自らの”モノ”で、自ら臭くなってはいけない。 あのときの選択は正しかった・・・。 おしまい。 ... 妹よ。 - 2003年03月18日(火) 土曜日の夕方から日曜日にかけて、旦那と2人、泊まりがけで妹夫婦の 家に遊びに行った。 妹、妹の旦那、私、私の旦那、4人で会うのは久しぶりだ。 その日のメニューは焼肉。 「お姉ちゃんたちってどのくらい食べる〜?」 「う〜〜ん、牛一頭ぐらいかなぁ〜」 と、事前に電話で妹と打ち合わせをしておいたのだが、 近くに牧場があるわけでもなく、また、たとえあったとしても、 そこから盗むわけにもいかず、牛一頭分の肉には及ばなかったものの、 食卓に用意されていたのは、充分すぎる旨そうな肉と、 「野菜もちゃんと食べなきゃだめだぁ〜よ〜」という ”田舎のおっかさん”のような妹の配慮によって用意された ナス、しいたけ、にんじん、たまねぎなど等の盛りだくさんの野菜達であった。 妹の旦那がジュージュー焼いてくれる先から素早い速さで箸を出し、 肉と野菜を平らげた後は、コチジャン入りのピリカラ焼きそばまで作ってもらう。 「ジュージュー焼肉!」というのは本来、共同作業が鉄則であるというのに、 いつの間にか、作るのはすっかり彼にお任せになり、 私も旦那も食べごろ加減のみが気になって、動くのは鉄板の上を 忙しなくキョロキョロする目だけであった。 その間、妹はちっとも腰を落ち着けようとはしない。 私達夫婦が焼肉のたれで口の周りをまだら茶色にしようとも、 口から焼きそばを暖簾のようにダラリと垂らそうとも、かいがいしく動き続け 空いた皿を片付けたり、何か足りないものはないか、と 一生懸命もてなしてくれる。 挙句の果てには、出汁の効いた汁にご飯を入れ、とろろ昆布をふわりとのせた 「とろ茶漬け」なるものまで作ってくれた。 その心遣い・・・ 本当に私の妹なのか!? 彼女が生まれて30年ちょっと。 大きな目をクリクリさせ、座布団の上でちょこんと寝ていた 赤ちゃんだった妹が・・、 プロレスごっこが好きだった私のおかげで、骨を外され 救急に2度ほど担ぎ込まれた妹が・・、 大きい目ゆえに「やぁ〜い、、デメ金!」とめざし目の私に 泣かされっ放しだった妹が・・、 母から頼まれた家の手伝いをすべて彼女にさせ、 終わったあとには私だけの成果にされてしまっていた妹が・・・、 そして・・思春期の私の夜遊びに、アリバイ工作に借り出されて いた当時中学生だった妹が・・・・、 今はもうすっかり大人、いい奥さん。 日曜日、もう帰らなきゃと起きた私に妹が、まだ眠そうな目をこすりながら、 「お姉ちゃん、、帰る前にコーヒー飲んでくぅ?」なんて 優しく声をかけてくれる。 妹よ、こんな姉ちゃんのことを本当に今までありがとネ。 これからもよろしく。 というわけで、今度はあなたのお得意料理の一つ、けんちん汁をお願いします。 おしまい。 ... 金曜日。 - 2003年03月15日(土) その一。 金曜日、夜9時。 フジテレビの「芸能界あの頃みんな若かった」を見る。 そこには、一瞬であったが若い頃の松山千春の姿が。 たぶん21歳か22歳の映像。 伸びやかな歌声が彼の長い髪を揺らす。 サワサワ・・・・・ 私は思う。 「千春は髪があってなんぼの人・・」 その二。 木曜日の夜、次の日の金曜日の予定を旦那に聞く。 「ねえ〜、明日は週末だからさ〜、当然飲みに行くんでしょ?」 すると旦那、 「何言ってんだよ〜、、明日はホワイトデーじゃないか! おまえの好きなバームクーヘン持って、出先から直接帰るよ〜」 「へっ・・?」 私はまたも忘れていた。 ホワイトデーがこの世にあったということを。 結婚記念日を完全に忘れ、 友人の日記サイトを見るまではバレンタインも頭になく、 そしてホワイトデーを旦那の言葉によって思い出す始末。 そんな私は今、2週間後の「3月28日(金)」という日を、 心に刻むように念じる。 3月28日(金)・・・う〜〜ん、、3月28日(金)・・・ え〜〜と、、3月28日(金)・・・・・・・。 あ〜〜緊張する。 3月28日金曜日・・ それは旦那の誕生日。 おしまい。 ... か弱い女 - 2003年03月14日(金) ゴミは旦那と2人で収集日の前日に仲良く出しに行くことにしている。 何故旦那と2人か? 私には、 「一人で行ってしまったばっかりに、とんだ痛い思いをしてしまった」という 経験があるからだ。 一階にあるうちのマンションのダストボックスは、壁備え付け。 鉄のポケットのようになっていて、取っ手を手前に引き、 その中にゴミ袋を入れて捨てる。 ポケットの後ろは駐車場。そこにはゴミ車が待機していて、 ゴミを入れて閉めるとブツがしゅ〜〜っと自動的に荷台に流れていく仕組み。 私がした”痛い思い”とは、ゴミを目一杯つめていたおかげで、 どんなに押しても袋がそこに収まらず、結局、もう一度袋を開け、 ちょうど良い大きさになるまで、素手でゴミを捨てては減らし、 減らしては入れてみる、を繰り返したというもの。 中年の女が・・すっぴんで・・背中を丸めてゴミをすてるさま・・。 私はその途中で遭遇した男性の眼差しを今でも忘れない。 その目は明らかにこう言っていた。 「ま〜ぬ〜け〜〜」 その日を境に私は旦那を誘うことにしたのである。 さすが、男は凄い。押し込む力はハンパじゃなく、 ゴミ達も抵抗することなくするすると収まってくれる。 やっぱりらくちんだ。 これは、次回からも付き合ってもらわねばと、私はすかさず 「ね〜、、やっぱり男だね〜、、すっご〜〜い」 と彼の男としての自尊心をくすぐり、さらには 「やっぱり、私にはあなたが必要だわ〜。」 と愛情心までもあおり、ついでに 「もう、私一人では生きてはゆけない・・」とまで言ってみた。 すると、てっきりその言葉で浮き足立っているハズの旦那が、 私の目を見つめて言うことには、 「大丈夫!おまえは一人でも立派に生きてゆける女だ!だから頑張れ!」 と私のもとを去っていった歴代の男達と同じことをキッパリと、 躊躇いもなく言う。 (チッ!読まれてる・・) 部屋まで帰る道すがら、しおらしく3歩ほど旦那の後ろを歩く。 そして、「いやぁ〜ん、、そんなことないよぉ〜〜」と甘えた声を出しながら、 (フッ・・これは永遠にあなたの仕事です・・)と口元をゆるませる私であった。 おしまい。 ... しおり。 - 2003年03月13日(木) 今日、旦那がまた使い切ったテレカをくれた。 モチーフは真っ白な紀州犬の子犬。 耳をピンと張らせ、ちっちゃい目はキリリとしている。 まだ、幼いというのに、なんと勇敢な面構えなことか。 エライぞ。 いつものようにザクザクと切り抜き、前にこの日記で書いたパソコンの上の 「飛び出す犬ワールド」の一員にしようかとも思ったが、 残念、、、すでにそこには数週間に旦那がくれたソックリな犬がいる。 一緒に飾っては、先に来た犬もおもしろくないだろうし、 今日来た犬も他の犬達から「もう、シロさんがいるのに、何でおまえ来たんだ!」 などと嫌味を言われたりして、居心地の悪い思いをするかもしれない。 だからといって、愛犬家の私、捨てられるわけがない。 何か活かす方法を見つけなければ! さんざん考えた挙げ句、その犬の写真を使って、本のしおりを作ることにした。 「いや〜、、しおりがないから、閉じる前に何ページだったか いちいち暗記してんだよね〜」 と、私が嘆いていた時に、 「そんなんいらないジャン!俺なんかさ〜いつもドッグイヤ〜だぜ! ドッグイヤ〜!!」 などと、新しい英語を覚えたオヤジが盛んにそれを使いたがっている、 というような感じで、旦那がせせら笑ったのを思い出したのである。 「ドッグイヤー」とはページの端を三角にペコリと折ることではないか・・。 笑えばいいさ、あ〜〜、笑えばいいさ。 だが私はそんなふうに本を粗末に扱うようなことはできない。 正しい大人なら・・しおり!である。 深夜2時。製作に取り掛かる。 台紙は紙の黒い手提げ袋を使うことにした。 ザクザクと短冊型に2枚切り、その2枚をのりで張り合わせ、 きれいに切り抜いた紀州犬を貼る。 う〜〜んかわいい・・・、白いその姿が黒い台紙にとっても栄えるでは ないか・・。と思った瞬間、私は気がついてしまった。 出来上がったしおりのたくましさに・・。 どうせ作るんだもの、末永く使えるように丈夫に作ろうと思っていた・・。 で、ややざらついた厚めの紙で出来た袋を台紙に選んだ・・・。 貼りつけた犬はテレカの一部。薄いプラスチックのような素材で出来ていて、 ペラペラとはしているが、なかなか折れない芯のあるヤツ・・・。 以上を総合して張り合わせた結果・・ なんともガッシリと、そしてかなり分厚い物のでっきあがり〜〜〜。 しおりをそっと挟んでみた。 それは、本の間に挟まれているというよりは、 本のページを持ち上げている、といった感じ。 ミミズのような隙間さえ空き、手に取るまでもなく、 「ここまで読みました」が一目瞭然。 ・・そこまで分かりやすくなくていい・・。 「しおりを作る」・・それが正しかったのか、私は答を探しあぐねている。 おしまい。 ... タマちゃん捕獲されそうになる。 - 2003年03月12日(水) そりゃ〜、タマちゃんも驚いたに違いない。 今まで暖かく見守ってくれていた人間のみなさんが、 一部の人達とはいえ、まさか自分を捕獲しようとするだなんて。 朝、いつものように目覚めたタマちゃん。 ネットを持った人間を見つけて、 「あ〜、、魚でも捕るのかな?・・・・」と思い、 そしてネットが自分を取り囲むように張られると、 ようやく「ん?俺?・・・俺かよ〜〜、、」なんて・・。 ・・・その時のタマちゃんの恐怖を思うと、なんとも心が痛む。 人間は、いつもこの地球で自分たちが一番偉と思っている。 他の動物の気持ちなんておかまいナシだ。 「タマちゃんを想う会」という優しそうな名前の団体が、 アメリカの保護団体にわざわざお願いしたことらしいが、 それを企画した人達も良く考えてみるといい。 もし、これが自分のことだったらどーだろう?と。 日曜日住み慣れた家で横になってくつろいでいたとする。 目をつぶっていたら、ついウトウト寝てしまったとする。 小一時間も眠ったところで目が覚める。 ぼんやりとした視界の中になんだか知らないが、 網目のような格子が歪んで見える。 すると、自分を囲うように網が貼られている。 「え?」 で、戸惑ってるうちに網にくるまれ、気に入ってる住まいから 「よいっしょ!こらしょ!」 「お〜〜い、気をつけろよ〜、傷なんかつけるなぁ〜!」 「分かってるって!何年捕獲作業やってると思ってんだい!」 などという男達の声と共に、どこかへトコトコ運ばれてゆくのである。 彼らに言わせると、今の環境はタマちゃんにとって可哀想な環境なのだそうだ。 だが、本当にそうなのか? 私はアザラシを飼ったことがないので良く分からないが、 映像を見る分にはとっても元気そう。 パンパンに太ったずど〜んとしたその姿は、まるで「イカめし」。 可哀想というよりは、美味しそう。 今までタマちゃんのことに関して、たいして興味もなかった私だが、 すがた形が私の大好物「イカめし」となると話は違う。 今後は見守ることにする。 おしまい。 ... 清潔な場所 - 2003年03月11日(火) うちのまわりは非常に不便である。 特に困るのは、ディスカウントのドラッグストアー、例えば マツキヨとかそういった類の店がまったくない、ということ。 ちょっと離れたところにショッピングセンターもどきのような ものがあって、その中に小さなくすりやがあることはあるが、 値段はちっとも安くない「一般小売り価格」なので、余程困った時にしか 私は利用しないことにしている。 仮に”くすりやA”としておく。 そして今日突然、その「余程」がやって来た。 詳しくは書かないが、私的には「余程」のことだった。 起き抜けに自分の「余程」に気が着いた私、 仕方がないので、「余程」のことがないと行かないと決めて いた例のくすりやAに行くハメとなった。 くすりやAは、”ナスに眼鏡”をかけさせたような顔を持つ オヤジが一人でやっている。 14畳ぐらいの店の半分が薬コーナー、残り半分が写真屋という、 彼の商売に対するビジョンがまったく見えない造りになっている。 くすりも売りたきゃ、写真も現像してみたいというオヤジの野望のせいで、 くすりコーナーの通路は驚くほど狭く棚には商品が秩序なくてんこ盛り。 で、やっぱり今日も、お目当ての商品を自力で探しあてる前に、 私という客に気付いたオヤジから、「何かお探しですかぁ〜?」と声を かけられてしまった。 「お探しじゃね〜よ、もうちょっと見やすいようにしておけ!」と経営者としての 彼の意識を問いながら「○○○○ありますかぁ〜?」と聞くとオヤジは 「この店の商品ならどこに何があるか、全部この頭の”ヘタ”の部分に 入ってますぜ〜」 と言わんばかりの自慢顔で案内してくれるのであった。 メーカーを選び、レジに3歩でいき、正規であろうという値段分お金を払う。 「余程」の事態とはいえ、非常に悔しい思いでいた私に、オヤジはレシートを 渡し、そして次ぎの瞬間、商品を袋に入れるべく、 ベ〜〜〜〜っと舌をおもむろに出し、その表面から唾液を指でひとすくい すると、紙袋の口にべちょりとつけた。 「冬場乾燥してる東京だもの・・。 オヤジも年だから指の油分が失われて、カサカサなんだもの・・。」 ・・・・・・分からないわけではない。 だが、くすりやといえば、風邪の菌、水虫の菌など「菌を殺す」ものを 売ってるところ。 いわば、清潔な場所のハズ。 そういう場所に於いて、「唾液べっちゃり」は如何なものか? 清潔なもの得ようとやって来て、それとは遠い何かを受け取る・・みたいな。 商品の入った袋を、手に載せてもらうような形で底の方から受け取り、 オヤジの「ありがとうございました〜〜」という声に見送られつつ 「これからはもっと余程レベルを上げた方がいいな・・」と 自分の甘さを反省せずにはいられない私であった。 おしまい。 ... 貸してください・・。 - 2003年03月08日(土) 友人M美の家に遊びに行く、 男の子2人と夫婦2人の4人家族の家だ。 一ヶ月前にもお邪魔したのだが、その時、私はそこんちの長男、 若干10才とやったトランプ「大富豪」で負けた事が、大人としてどうしても 納得がいかず、リベンジのため、雨にも関わらず遊びに行ったのだ。 家に到着し、彼が塾に行くまでの小一時間ばかり、「彼に勝ってみせる!」 という意気込みでトランプ開始。 ここで私が勝たなければ、この一ヶ月特訓に付き合ってくれた 旦那に顔向けができない。 しかし、彼はなかなか手強いのであった。 私は全戦、勝利することを目指していたのだが、 結果は、「勝つこともあれば負けることもあり!」という 人生訓じみたものであった。 その後 「僕が帰って来るまでいてくれる?」 「そりゃ分からんな〜」 「え〜〜、、いてよ!」 「ふふ・・いても良いよ〜」 という到底大人とは思えないやや高飛車な態度で、彼を見送った。 いや〜、、この雨なのに塾とは・・・。「子供をやるのもこりゃ大変だなぁ〜」 などと思っていると、今度は下の次男坊が公文のかけ算のプリントをやるという。 で、彼が言うことには、 「僕が計算していくから、隣りに座って、僕が間違ってたら 間違ってるっていってね〜公文の先生みたいに〜」 悪いけど、私は応用問題には弱かったが、計算には強かった。 「ふふ・・・ちょろいちょろい・・」 その時、私の頭の中には3×4=12ぐらいな数式が舞っていた。 ところが、「これが今日やらなきゃいけない分なんだ〜」とみせてもらった ものは度肝を抜くものであった。 なんたって 235 というものだったからである。 × 4 −−−−−− しかもそれが100個ある。 次男はまだ7才なのだ。にも関わらず彼は一個一個を5秒かからない速さで 解いていく。 ぜんぜん着いていけない・・・。 私の一桁×一桁の夢ははかなく砕け、もちろん計算してる先から それを「添削していく」なんてこともままならない。 途中で叫びそうであった。 「電卓貸してください!」・・・と。 おしまい。 ... 最後の砦 - 2003年03月07日(金) 旦那が帰ってくる。 カバンをリビングに置き、5畳の洋室に行って背広を脱ぐ。 パンツ一丁になる。 そんな旦那に「ご飯が先?お風呂が先?」なんて聞いてみる。 風呂はなんか湧かしてない。オーダーを取ってみて「風呂!」と言われたら、 すかさず浴槽を洗い湯を溜める戦法である。 で、今日は「あ〜〜、、食事にしようかな〜」と言ったので、台所に行き、 いそいそと肉を焼く仕度に取り掛かった。 そして、チラチラと揺れるガスの炎をみながら私は呟いた。 「君もずいぶん偉くなったものよのぉ〜〜」と。 私達は社内恋愛。 旦那は私より後輩だ。 彼がその小さな翼を震わせて、社会の中でぴーぴーと泣き始めた時、 私はもうすでにいっぱしの社会人であり、育った翼は大き過ぎ、 まさにモスラばりにばっさんばっさんと羽ばたいていたのである。 彼を名字で呼び捨てにし、機嫌がいいときだけ時々「くん」をつけてみたりして、 叱ったり、用事を言いつけたり、やりたい放題であったのだ。 ご飯を食べ、換気扇の下でタバコを吸った後、彼が私に言った。 「じゃあ!俺うんこしてくるぅ〜〜〜」 こりゃ長期戦だ。トイレから出てくるのはいったい何時になるのやら? 咄嗟にそう思った私は、 「うんこするなら、その前に風呂洗ってよ〜〜」とリクエスト。 「え〜〜、、イヤダよ〜〜タイミング逃しちゃうじゃん」 「いいじゃん!風呂洗ってからにしてよ〜。大丈夫だって!きっと出る!」 「・・この家はよ〜・・うんこも好きにしちゃいけないのかよぉ〜〜」 「うんこはしていいけど、その前に今は風呂!風呂洗って!」 私は別に彼に意地悪しているわけではない。 月から金までは会社にべったり、週末は千葉の九十九里にべったりの旦那、 家事へ参加してもらうことによって、彼が”家庭”というものを忘れないように、 と促しているだけなのだ。 「あ〜〜あ・・これで絶対タイミングを逃した・・」 彼はしぶしぶ風呂を洗いに行った。 その背中に向かって私は叫ぶ。 「ちなみに〜、今日の私のはすっごく長いものでしたぁ〜〜!ハハハハ〜」 今、主婦の私が、唯一彼に勝てること。 それは便通。 それが最後の砦。 おしまい。 ... がんばれ日本! - 2003年03月06日(木) それは銀座線であった。 夜10時。週末の金曜日、ほろ酔い気分の人々で賑わう 電車の人混みの中、そのオヤジはシートに座っていた。 泥酔し、目を閉じている。 体から心棒をとってしまったかのようにうなだれ、 だらしなくぐてぇ〜と開かれた足と手は、 重力というものがこの地球にあることを、まったく感じさせない。 不況、倒産、リストラ、減給・・・・新橋、そしてきっと・・巨人ファン・・ 今の日本のすべてを背負ったサラリーマンであった。 オヤジはピクリともしなかった。 とてもおとなしかった。 なのにも関わらず、ある時を境にして、まわりの人達の目は、 彼に釘付けになった。 長い長い鼻水を垂らし始めたからだ。 例えて言うなら、乳白色の千歳飴。 それは「鼻の穴から出てしまいました」というよりは、 「瑞々しい生命が、ゆっくりと誕生してゆく・・」といった感じ。 「鼻水」で片付けてしまうには惜しいぐらいの美しさを持って、 オヤジの膝に今にもつきそうであった。 私達まわりの”観客”はその瞬間を今か今かと待った。 が、鼻水はかなりの粘着力なのか、「あと一歩!」というところで、 びよ〜〜〜んびよ〜〜〜んと微かに揺れはするものの、 決して到達することはなかった。 惜しい・・・。 そんな時間が15分も続いただろうか? 私がその光景に、ある意味感心までし始めた時、 ズッ!と大きな音と共に鼻水が一瞬にして視界から消えた。 ・・吸ったのだ。 泥酔し、ほとんど意識なんかないと思われるオヤジが、力強く、一気に それを吸い上げたのだ。 オヤジの秘められた力、そう、底力を見た。 いや、サラリーマンの、と言った方がいいかもしれない。 日本はまだまだ大丈夫だ。 なんちゃって。 おしまい。 ... 本能 - 2003年03月05日(水) あれほど「買ってくるなよ!」とお願いしていたのに、 先週、旦那がついにスケートボードを我が家に連れてきた。 35000円也。 彼は私と目を合わせようとはせず、しかし口からはするすると高いトーンの 音を出しながら「このボードでサーフィンの体重移動の仕方を練習するんだぁ〜」 などと言う。 私は「年末にウエットスーツを購入したばかりというのに、またこんな物を・・」 と思い、同時に頭の中では無意識に今までサーフイングッズに かかった金額が足されてもゆき、「しめて〜〜円也〜〜!!」という合算が 出た瞬間、彼の明るい声とは裏腹に、さめざめと泣きたい気持ちになって くるのであった。 ふ〜〜・・彼のサーフイン熱は留まることを知らない・・・。 もともとスポーツ好きである。 私はまったくそれをしないので、彼の熱中ぶりは理解できないところもあったが、 「スポーツに対する思いは、きっと私がかつて持っていた絵に 対する情熱と同じであるのだな・・」 と、そんな彼のすべてを呑み込むように、私は努めてきたのだった。 こんなふうに「趣味と金のバランス」が崩れるまでは・・。 しかし、今となってはもう遅い。 文句を言おうにもボードは稲荷町のスポーツ店から、 彼の手によりドナドナ的にこの家に、やって来てしまったのである。 まさか返して来い!と言うわけにも行かず、仕方なく我が家の一員と なってしまった。 その夜、彼は本当にうれしそうであった。 寒い日であったのに、10時頃に夕飯を食べ終わると 「ちょっと滑ってくるね〜〜」といそいそと出掛けて行った。 スケボーのできる場所は近所で限られている。 私は彼が帰ってくる間中、古参の若いスケボー少年達に 「ジジイがこんなとこで若ぶってんじゃねぇ〜よ!」と因縁をつけられ、 ボコボコにされるんではあるまいか?と非常に心配だったが、 一時間後帰ってきた彼は、頬を紅潮させとても愉快そうであった。 そして「すっごく良かったよ〜ありゃ〜練習になるね!」 と、いかに陸上でスケボーをやることがサーフイン技術の向上になるか 私にトクトクと説明してくれ、「こうやってぇ〜・・こうやってぇ〜・・」と フローリングの床の上でポーズまで取ってくれる。 その恰好を見てるうち、彼が急にボードを買ってきてしまったことなど、 なんだかどうでもよくなってしまった。 というか、可笑しささえ感じた。 両腕を広げながら、肩を少しいからせ、腰を落とし、足をたぶんボード の幅であろうと思われる分だけ開いた姿は、まさに類人猿。 食べ物を他の仲間にとられて唖然と固まる、人類の祖先のようであった。 その時、私はようやく分かったのだ。 彼のスポーツ好きは趣味ではない。それは体からむくむくと自然に湧いてくる 例えば性欲とか食欲と同じたぐいのもの。 そう、”本能”なのだと。 おしまい。 ... 相談。 - 2003年03月04日(火) 日曜日の夜からなんとなく具合が悪く、 家にいても、パソコンにちょっと向かっては、ぐてぇ〜と 横になってしまう始末。 そんな時、やはり目に浮かぶのは、愛する旦那。 彫刻刀で丸太を粗彫りしたような力強い彼の顔である。 一目見れば、具合の悪さも吹っ飛ぶに違いなかった。 「きっと、今日も遅いんだろうな・・。早く帰って来ないかなぁ」と いつになくしおらしい私になって、日中を過ごす。 夜も更けた10時半、やっと旦那が帰宅。 赤ん坊と大差のない”パンツ一丁”のくつろぎ姿の旦那に、 換気扇の下でぼんやりしたこの体のだるさを訴えていると、 とりとめのない話に丁寧に耳を傾けていてくれた彼が、私を見つめ そして優しくその手を差しのばし、まくっていたセータからむき出しに なっていた私の腕をそっと撫でながら言うことには、 「取り敢えずさっ!この腕の剛毛、剃ってみよぉ〜〜〜!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 その時、換気扇だけがゴウゴウと音を立てていた・・。 おしまい。 ... 偉い。 - 2003年03月03日(月) 深夜2時。 パソコンに向かう私の背後で「おやすみ〜」と旦那が言うので、 取り敢えず「明日の朝は何時起き?」などと、 この家ではもはやすっかり「社交辞令」となった言葉を返してみて、 隣りの寝室兼和室に入る旦那を背中で見送り10分が経過。 すると、旦那が寝ているはずの部屋から、 何やらガサゴソと音が聞こえてくる。 様子を見に行くと、眠りについているものとばかり思っていた彼が 布団にうつぶせで、指を動かしながら携帯の画面とにらめっこ。 「も〜〜、、ホントダメだなぁ〜、、この深夜にメールなんて 打ってるんじゃないよ〜、、学生じゃぁ〜あるまいし、早く寝な〜〜」 と、自分のことはサテ置き、そのダラダラとした生活態度に文句を垂れつつ 側に寄って画面を覗くと、そこには 3/1ガストランチ480円 缶コーヒー120円・・・・などとある。 この土日で使った金額を、携帯のスケジュール帳につけているのだという。 「いつもさ〜気がつくと、お小遣いがなくなってるからさぁ〜・・。 でも、こうやってつけとけば、何に使ったかわかるし、倹約もできると思って」 彼なりのお小遣い帳であった。 一転して、偉い。 おしまい。 ... 禁じられた遊び - 2003年03月02日(日) 深夜、NNN24ノンストップニュースを煎餅をかじりつつ流し見。 昨日は金曜日。毎週、週の終わりには、 一週間の国会の様子をまとめたものが放送されることになっている。 何カットか目で、大福を2つ重ねたような社○党のオバサン議員が 質問に立つ場面。 で、何を言うのかと思ったら、開口一番 「最近、総理がどんどん私から離れていくのですぅ〜」だとよ。 このオバサン、女性の武器である「おちゃめさ」が、 マジメに議論する場に於いては、「何言ってんだ??」と思われるだけで、 必ずしも女の立場を上げるものではない、ということを知らない。 TPOを気にせず”可愛さ”を乱用する女。 いや〜、、恋愛経験が少ないんだな。 そして、おばさんは突き進む。 内容はアメリカのイラクに対する軍事攻撃。 「総理!総理!今、ここでどちらか選んでください!」 彼女の手元には、小学生の下敷きのような赤と白の2枚のカード。 攻撃に反対ならこっち、賛成ならこっち、というように、 気持ちを赤白カードで示せという。 議長から「ダメです!そういうやり方はダメ!」と荒々しい声が飛ぶ。 「いいえ!やらせてください!だって総理の気持ちがわからないんですものぉ〜」 オバサンは笑っている。 笑いながら赤や白のカードをパタパタと上げ下げしている。 私にはあんたの方が分からない・・・・。 旗揚げゲームを連想した。昔ドリフとかでやってたヤツ。 「赤上げて!白上げて!赤下げないでぇ〜〜〜〜、、白下げない!」 「キャァ〜〜〜〜、、間違っちゃったぁ〜」 同じだ。 いくら、イラクが 今だ大量破壊兵器を持っているかもしれないとはいえ、 テロ組織との関係が指摘されてるとはいえ、 ひとたびイラクが攻撃されれば、軍人はもとより、 非戦闘員である婦女子までもが犠牲になってしまうかもしれない。 人が死んでゆくのである。 そんな時がもうそこまで・・という時に 日本の国会では、笑いながらの「旗揚げゲーム」。 戦争ということ。人が死んでゆくということ。 おばさんの無邪気さは、映画「禁じられた遊び」で お墓ごっこをしてしまう戦争孤児のあの子供達とよく似てる。 おしまい。 ... 春近し・・・・。 - 2003年03月01日(土) 先日、近くのスーパーに行った時のこと。 給料が出たばかりということもあり、調子にのって 買い物かごを食料品でいっぱいにしてレジに行くと、そこに 「私が店長の○○○○です。この度△△店の店長になりました云々カンヌン・・」 という挨拶文と似顔絵が入ったポスターが貼ってあった。 ご丁寧に出身や卒業した大学名まで書いてある。 まあ、私にはどうでも良いこと。誰になろうと、またその人が どんな人生を歩んでこようと、安くて新鮮ならいいのさ。 が、「店長が変わったということは、他も同じように新しくなった ものがあるのかもしれないなぁ〜、、そろそろ春だし移動の時期だもんな・・」 とレジ打ちをしてもらってる間、なんとなく気になり、 「もし、店員の人事にも大幅な変化がもたらされていたらどうしよう」 と瞬間不安にもなった。 私の「どうしよう・・・・・」。 それは、「鼻毛オヤジ」の身の上。 かなり前にこの日記で書いた、必要以上に、 またどうやってそこまで育てたのですか?と聞きたくなるほど たわわに鼻毛を「こんにちは」させていたあの中年男性だ。 そういえば、いない・・。 まさか、彼も鼻毛とともにひらひらと移動させられたのではあるまいか? この広い東京のどこかで、鼻毛を揺らしながら慣れない土地に 気持ちまで揺らしているかも・・・。 そして、その地域の人々も、彼の”こんにちは加減”を見て 「ここで買い物をしてもいいのだろか?」なんて、消費ゴコロを揺らし てる毎日に違いない。 頑張れ・・・鼻毛マン・・・。 春まだ浅い今日この頃。 しかしそれは確実に私のまわりを包もうとしている。 おしまい。 ...
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