昨日近所に住む叔母が救急車で運ばれました
突然、
「歯が痛い、喉がつまる、とにかく辛い」
と訴え近くの総合病院に運ばれましたが
症状が酷く、少し離れた県立病院に・・・
病名は
大動脈解離高血圧が引き金になるようですが
多くのケースは予防不能とあります
転送された病院ですぐに手術
8時間も掛かる大手術でした
終わったのが今朝の午前3時くらいでしょうか
意識は戻ったものの
まだまだ余談を許さない状態です
このところ心配事が続いていて
苦労の多かった叔母ちゃんです
| 2004年01月27日(火) |
ひっかかりつづけること |
::::::::ひっかかりつづけること::::::
養老猛司 著
べつにどうという話ではない
しかし私の仕事の原点は
こうしたさまざまな違和感を
抱え続けたことにあると思っている
たまに
「なぜそんなにいろいろなことを
考えるのですか」
と訊かれることがある
「疑問を忘れないでいると
年中考えるしかないじゃないですか」
そう答える
最近の学生を見ていて思うのは
ひっかかることがあっても
それを頭の中で
「丸めてしまう」
傾向が強いことである
「丸める」とは
疑問に思ったことを
それ以上悩まなくてすむように
とりあえず自分のなかで
なだめてしまうことである
「山の頂上なら
禿げていることも当然あるだろう」
そう答えをだして
納得してしまえば
それ以降疑問は生じない
その疑問に煩わされることがなくなるから
気分が楽になる
社会生活を営むうえでは
疑問を丸めることは重要である
相手のやることに疑問を抱き続け
「それはおかしい」といちいち指摘すれば
人間関係はぎくしゃくし
喧嘩が絶えないことになる
だからむしろ
話を丸める癖をつけるほうが大切である
しかし
自然と向き合うとき
疑問を丸めてしまったら
自然をきちんと知ることができない
疑問を抱き続けること
つまりわかるまでこだわることは
自然を知るときの基本的な態度である
自然を知ることが職業の科学者にとっては
これはあまりにも当然のことだろう
大学の教室で
学生に質問した
「コップの水に
インクを一滴たらしたとする
しばらくすると
インクが消える
何故だと思うか」
学生が答えた
「そういうものだと
思ってました」
「丸める」とは
このことである
「そういうものだ
と思ってしまえば疑問は生じない」
本人は楽だが
楽をすればなにも考えない
何も学ばないという結果になる::::::::::::::::::::::
日々の治療に対する疑問を
「丸めて」いる医師が
多すぎるのではないかな?
「ヘルニアがあると
なぜ痛みが生じるのですか?」「そういうものだと思ってました」そういうものだと思ってしまえば
疑問は生じない
本人は楽だが
楽をすれはなにも考えない
今日の○いっきりテレビをみても
感じたことですが
まるで何十年も前の腰痛本に
出てくることばかりじゃ〜
何も学ばない医師が多すぎる(−。−)
| 2004年01月25日(日) |
医学における分類・整理 |
::::::::からだの見方:::::::
養老猛司 著
― 医学における分類・整理 ―
医学における自然分類の代表は
系統解剖学である
もっとも、これには
かなりいい加減な部分もある
違った見方が混在するからである
たとえば
運動器系、感覚器系、消化器系
等々の分類は
機能的分類である
しかし
筋、骨、眼、耳、神経
といった分け方なら
器官別の分類である
だから
ふつうは両者を混ぜて使っている
「混ぜて使う」
というのが
実用上の分類の妙味である
食物の味みたいなもので
元来が事実の整理の問題だから
混ぜたって差し支えない
ただ
初学者は気をつけないと錯覚を起こす
分類を「真理」の問題
とみなしやすいからである
異なる体系を混ぜてあるのを
矛盾だと考えてしまう
しかし
わかってやる分には
混ぜていいのである
医学はなにはともあれ事実を集めるので
分類がきわめて重要である
分類の仕方によって
正面にでてくる事実が変わる
考え方が変化するにつれて
分類も変わる
そうした中で生き残る分類は何かといえば
それはやはり「自然」分類である
見方があるようで無い
無いようである
対象の性質を案外よく反映している
そういう点が自然分類の長所である
・
・
・
中略
・
・
・
医者は元来分類が得意なはずである
患者さんを見て
すぐに分類する
そもそも診断学とは
疾病の分類学を実地に応用したものであろう
ただし、医者自身は
自分が分類学をやっているとは
思わないかもしれない
もう少し近代的な
立派な科学を学んでいるつもりではないか?
そこにひょっとすると
二つの面から誤解があろう
医学は近代科学である
分類学は古臭い科学である
この二つである
しかし、医学は
近代的な科学よりは
分類学に他ならない面を多くもつ
さらに分類学は
ふつう考えられているよりも
高級な学問である
学問は時代につれて変わるが
事実は変わらない
解剖学はそれを如実に示す
その事実を整理するものが
分類である以上
分類はきわめて重要な科学の作業である
しかも事実の数は絶えず増え続ける
ゆえに分類学に課せられた課題は
やはり永遠だといってもいいのである:::::::::::::::::::
今日は娘の誕生日です

クゥを撫でる娘の手
| 2004年01月24日(土) |
すべてわかろうとするな |
今日も雪・ゆき・ユキ
雪に煙るセンセの医院

写真はまーちゃん提供でしゅm(_ _)m
::::::::::いちばん大事なこと:::::::
養老猛司 著
医学は人体という自然を扱う
ことに私は
体というものが具体的にどうなっているのか
それをつぶさに見てきた
その作業のなかで
つくづく感じたのは
「そうなっているものは仕方がない」
ということである
いかにこちらの倫理に反すること
自分の考えに都合の悪い事であっても
出てきた結果は認めざるをえない
あるとき
実習生の学生が
「腕に行く動脈がありません」
といってきた
腕に行く動脈がなければ
腕に血が通わない
ちょっと見ると
たしかに
「上腕動脈がない」
それじゃあ腕が死んでしまうじゃないか
そうはいっても
ないものはない
解剖を進めて
懸命に探してみたら
別な経路がちゃんと出てきた
側復路といって
ふつうなら細い動脈が太くなり
大きく迂回する経路をとって
上腕動脈の代わりをしていたのである
解剖を進めたからそれがわかったが
人体より大きな自然を扱うときには
解剖のようにすぐに次に進むことが
できるとは限らない
「上腕動脈がない」
「動脈がないと、腕が死ぬ」
どちらも間違っていない
それならしばらく辛抱して
解剖を続けるしかない
この場合は幸いそれで正解が出たが
大きな自然を相手だと
すぐには解答がでない
だから努力・辛抱・根性なのである::::::::::::::
人間のカラダって
私たちが思っている以上に
融通がきいて
自己回復力があるのではないかな?
| 2004年01月23日(金) |
画像よりも臨床が肝心 |
こちらは今日も雪でしゅ

雪景色 雪釣りの威力発揮 ながーーいツララ
さて
今日の新聞
健康のページの記事より
:::::::::ボケないための生活術::::::::
― 画像よりも臨床が肝心 ―
【診断のカン違い】
「家のおばあちゃんの様子がおかしい
ボケたのではないか」
そう思ったとき
あなたはどうしますか
まず医者の診てもらおうと
病院につれていく人が
多いのではないのでしょうか
すると
脳神経科でCTスキャンを撮り
医者がその写真を説明しながら
きっとこう言うでしょう
「脳がかなり萎縮していますね
ボケが進行している可能性が高いです」
と。
たしかにこれまで医学の常識として
人間が高齢になるにしたがって
脳の萎縮が進み
それによってボケの症状が起こると
考えられてきました
ところが
それが最近必ずしも正しくないことが
わかってきたのです
なぜなら
脳に萎縮が起こらなくても
ボケてしまう人がいるからです
つまり
医者による画像診断だけでは
ボケは発見できない
といっていいでしょう
また
計算をさせることによって
ボケているかどうか
知る方法も多用されています
「100引く7は?」
「その数字からさらに7を引いたら?」
などと聞いて答えが出ないと
ボケ初期だなどと
診断されることさえあるようです
とんでもない話です
たしかにボケた人は計算ができませんから
決して間違いではありませんが
白衣の医者の前で
緊張して答えられなかった人まで
ボケの仲間に入れられては
たまらないでしょう
こうしたボケ診断テストの成績が
悪かったけれど
全然ボケていない人だって
たくさんいるの
ですからボケのテストでは
一応の目安にはなりますが
ボケの確実な診断はできない
と言っていいでしょう
ここに、実は
医者の大きなカン違いが潜んでるので
注意してください
ボケの診断はあくまで臨床診断ですべきだ
というのが私の考えです
CTなどの画像やテストなどは
確かに参考になりますが
確実にボケの診断が
できるものではないのです
・
・
・::::::::::::::
母の様子が変だったとき
画像診断で
「年齢よりも少し脳の収縮率が高い」
といわれました
数字のテストもありました
それを聞いてがっくり来た事を
思い出しました
どんな疾病においても
画像診断は
危険な病気を見つけるためには
必要なことですが
やはりそれを扱う人間(医師)の
経験と知識は欠かせませんよね
画像を見るのでなく
画像の向こう側にいる
患者を診てほしいですね
昨夜から降り続いた雪
日中も止まず
夕方には50センチほどに・・・
少し小降りになったところを
ご近所の方たちと雪よけをしました

見よ、この雪のような山
あ、山のような雪か
クゥは猫のクセに雪が大好き
穴を掘り、雪の中を泳ぎます

そして、疲れはてて放心状態(^-^;

ケイしゃんは一時間以上
ママさんダンプで雪よけをしたので
身体が痛くなるかも?
なので、今回も大丈夫でしょう(*^.^*)
今朝の新聞記事
スポーツ欄にオモシロイ記事が載っていました
:::::: ― 勝利の苦しみ ― ::::::
佐久長聖の3人が耐えた
なかでも
高校のエースがそろう5区で
4人抜きの上野
先頭に立った途端の腹痛、腰痛を
両手で振り払った
高校生の受け持ちでは
最高の8,5キロ
昨年暮れの都大路快走(全国高校駅伝)
の後も順調な練習ができて
「長野初優勝の原動力になる
トップと一分差なら追いつく。
(自分が持つ)区間最高タイムを30秒更新」
と自信満々
先頭に立つまでの走りには
腹痛、腰痛のハプニングの予兆は
何もなかった
「自信はあっても
気持ちのどこかに焦りがあり
ひと安心したところで
痛みになったのいでしょうか」
手袋を取り、横腹をさする
痛みが腰に移った時
テレビ観戦の両角・佐久長聖監督の表現では
「何事もプラス思考のあいつらしい悪魔退治」
両手を大きく回して痛みを飛ばした:::::::::::::::::::
焦り
一安心
気が抜ける
痛みの移動
まさにTMSの痛みですよね
この腹痛と腰痛の種類は
違うもとのいう人はいるのでしょうか?
今日は、ふだんは雪の降らない地域が
大雪だったそうですね
そのせいか
こちらは穏やかな一日でした
ダーリンが帰っていたので
午後から二人でスキーを楽しみました
PM1:30 自宅出発
PM2:00 スキー場到着
3本だけ滑る
PM3:00 スキー終了
スキー場隣接の温泉に浸かる
PM3:30 スキー場出発
PM4:00 自宅到着

道中は雪もなく
空いていたので30分で着きました
今日の午前2時くらいに帰ってきたダーリン
帰ってから寝るまでシャベリ通し
車の中でも一人で話をしていました
身体を動かして
カラダは疲れたかもしれませんが
ココロには栄養が行き渡ったようです
目のクマが取れた(^-^)ゞ
昨年はごたごたしていて
2年ぶりだからねぇ
ゆっくり滑ったので
転ばなかった
ダーリン
「気をつけて滑らんと
明らかな損傷のある医師に
診てもらう羽目になるぞ」
| 2004年01月15日(木) |
セルフ・コントロール |
::::::::::『脳の冒険』::::::::
養老猛司 著
― セルフコントロール ―
煙草も止められず
肥満も止められないような人間は
社会人として資格がない
アメリカ人は、そう考える
それをセルフ・コントロール
がきかない人間とみなす
アメリカ人はもともと
人の心理よりも
行動を重視する
だから
禁煙できるか
痩せられるか
そういった表に出る行動が
自然に重視されるのである
アメリカでは
心理学が行動主義になったくらいである
行動主義では
心理は客観的には扱えない
と考える
測定可能なものしか
科学の対象にはならない
行動は測定可能だが
心理は測定不能である
それなら
心理学は行動主義になるほかない
それを心理で片づけようとするのは
日本である
だから「精神一倒」なのであろう
結果はともあれ
「心がけ」である
朝、早起きをして
事務所を掃除する
そういう事務員がいたら褒められる
掃除は
どこまで行っても掃除にすぎない
しかし、その「心がけ」がよろしい
セルフ・コントロールが
日本でアメリカほど言われないのは
「心がけ」の伝統のある国だからであろう
秀吉の草履とりの話なら
日本人はたいてい知っている
草履を懐に入れる行動が重要なのではない
この国では
その「心がけ」がなにより大切なのである
セルフ・コントロールにあたる
日本語はなにか
それはじつは自主規制である
われわれは心の中でなんでも自主規制する
「出る杭は打たれる」のだから
それがいちばん安全ではないか
安全第一
目立たないのがいちばんよろしい
:::::::::::::::::::::::
アメリカ人の考えた行動療法は
日本人には適応しない部分があるのは
当然ですね
やはり日本人にあったプログラムが必要なんだ!
お正月にダーリンの実家に
訪問したとき
猫の話で盛り上がったのですが
ダーリンの田舎(輪島)では
ノラ猫のことを
「ばんそ猫」
と呼ぶそうです
始めて聞いた言葉だったので
インターネットで検索してみたのですが
引っかからなかったです
「ばんそ」
ってどういう意味があるのだろう?
私の地域では「はわし猫」といいます
「這わす」・・・かな?
まてよ
寺井出身だから「はわし猫」か(^-^;

:::::「嫌な記憶消せ」と前頭葉が指令:::::
―嫌な記憶は早く忘れ去りたい―
精神分析学者フロイトが
「抑圧」と呼んだこの心理現象が
脳内で実際に起こり
それがどのような仕組みで
行われているかを
米の研究グループが明らかにした
・
・
・
::::::::::::::::::
こんな記事が今朝の新聞に載ってました
詳細はこちら
読売新聞【サイエンス 最新記事】
嫌な記憶で苦しむ
「心の傷」の治療法開発の
基礎につながる可能性がある
とありますが・・・
自然(脳)はそう簡単には
解明できないでしょうね
私にも記憶が欠落している時期があるんです
掲示板で痛みに変化があった
という報告がありました
私を入れて3,4人
それから
このエンピツで日記を書いている方で
不眠に悩まされていた知人も
よい兆候があると書かれています
痛みって本当に不思議ですね
痛みが始まるのはちょっとしたキッカケ
痛みが治まるのもちょっとしたキッカケ
今でも夕方になると
痛くなることがあるのですが
そんな時は早めにボルさまを使います
すると痛みが強くなることはありません
座薬の効き目は私の場合は4時間くらい
最初は時間がくるとまた痛くなりました
2時間我慢して
もう一回使うこともありました
でも、最近は時間が経っても大丈夫
掲示板にも書きましたが
ピンチの時の特効薬をいつも持っているので
安心感があるのでしょうか?
もちろん基本にある
「危険な病気ではない」
という確信が大きいのだ!!!
| 2004年01月06日(火) |
「ああすれば、こうなる」 |
:::::::::『いちばん大事なこと』::::::::
養老猛司 著
身体を自然の一部だと認めることは
ふつうに難しいことらしい
結核が治せるようになったのは
ストレプトマイシンなどの
抗生物質が開発され
それがよく効いたからだとされる
薬を開発したのは意識だから
薬はつまり人口である
しかし、イギリスに
疫学的なデータを
ていねいにとった研究者がいて
それによると
抗生物質が開発されるより前から
結核患者数はどんどん減っていたという
このデータに従えば
結核患者の減少には
抗生物質よりも
社会経済構造が変化し
生活状態が向上した効果が
大きく効いたことになる
まだ有効な薬がない時代
日本でも結核の治療は
大気、安静、栄養
だといわれていた
ではなぜ
「抗生物質で結核が治った」
と説明されるのか
そこには
都会人の価値観がよく表れている
積極的に薬を投与したら
結核が治った
その考え方のほうを
近代人は好む
身体を取り巻く状況をよくしてやったら
病気が
「ひとりでによくなった」
という話は
あまり好かれない
自分のおかげでよくなったと
意識が威張れない
そう思うせいかもしれない
なにかをしたから
おかげでこういう結果になった
こう考えたがる人間の性向を
私は「ああすれば、こうなる」型思考と呼ぶ
じつはこれが
脳下社会の基本思想である
―― 中略 ――
「ああすれば、こうなる」
とは、なんのことだろうか
これをシュミレーションというのである
頭のなかで
こうすればああなる
ああすればこうなると
現実のシュミレーションをする
結果が都合よければ
それをとる
つまり「ああする」のである
都合が悪ければ、別なふうに
つまり「こうする」
コンピューターができてからは
これを機械にやらせるようになった
そこから発見されたのが
「カオス」である
カオスでは
「ああすれば、こうなる」
ことが理論的にはすべてがわかるのだが
実際におこることが
そのうちのどれになるか
それが決められない
大筋を決める初期条件が
微妙すぎるからである
「最初の条件がこうであれば
結果はこうなります
その計算なら
こうきちんとできています
しかし最初の条件が百万分の一でも違うと
まったく違うほうの結果になります」
そういう予想をされたら
予想できないのと似たことになる
初期条件をそこまで詳細に決めることは
不可能だからである
生きものにはカオスが含まれているし
脳のなかにすら
カオスがあることはわかっている
つまり「ああすれば、こうなる」は
つねに部分的にしか成り立たないのである
::::::::::::::::::::::
っていわれてもよくわかんないよね
興味がある人は
「カオス」で検索してみてね
「ああすれば、こうなる」型思考の人間
が多すぎるよね
患者にも治療者にも(←。←)
○【ヘルニアを取ればヘルニアがなくなる】
のであって
×【ヘルニアを取れば痛みがなくなる】
のではないのだ!!!
| 2004年01月05日(月) |
「そんなことは知っている」 |
:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著
私の大学の学生たちに
昨年あるテレビを見せた
イギリス人の若夫婦が
子供を作ろうと思い
妊娠し、出産するまでを記録した
BBC作品である
50分なので
一時間半の授業では余りが出る
その時間を使ってビデオの感想を
レポートに書いてもらった
薬学部なので女の子のほうが多かった
レポートの中身はよく似ていて
ほとんどの女子学生が
あれも知らなかった
これもはじめて気がついたと
妊娠と出産について
さまざまな新知識を得たと
書いてくれた
驚いたのは
男子学生のレポートである
一割足らずの学生が
母親がどんな思いで
自分を産んでくれたか
はじめてしみじみ考えたと書いた
残り学生はどうだったか
似たようなビデオを
高校の保健の時間に見た
とくに新しいこともなく
あんなことならもうすでに知っている
9割がそう書いたのである
それなら知ってる
テロなら「知っている」
アフガンが爆破されたことは
「知っている」
男子は子どもを産むことはない
夫婦の思わぬ離間は
結婚以来すで始まっているのである
厚生労働省の研究所の調査で
わかっていることだが
日本の普通の家庭では
結婚後15年まで
夫から妻への愛情は横ばいだが
妻から夫への愛情は
ひたすら右肩下がりなのである
統計的な解析で
その理由までわかっている
「夫が子育てに協力しなかった」
それが理由でいる
右肩下がりで
最後は定年離婚に至る
その遠因は子育てにある
それに対して
すでに結婚前の若者たちが
「そんなことは知っている」
という
:::::::::::::::::::::::::
「痛みには不安やストレスが
大きくかかわっている?
そんなことは知っています」
ちゃんと理解してる?
治療者の皆さん(←。←)
12月31日
掃除とお料理で忙しく過ごす
お尻と足が痛く
立っているのが辛いので午前中に
ボルさまを使う
1月1日
あけましておめでとう
朝からのんびり
特に労働?はしていないのに
やっぱりお尻が痛い
我慢しないでボルさまを使う
30分で楽になりましたよ〜
夕方からマチャ一家が来て
楽しく過ごしました
1月2日
初バイトでした
4時半頃、店に入るときに
ボルさま(^-^;
5時開店時には既に満席状態
目が回るほどの忙しさでした
9時くらいには
痛みが強くなってきたので
もう一回ボルさま(^-^;
店を出たのは11時を過ぎていました
さすがに疲れました
夜も調子はまあまあ
1月3日
痛みはほとんどなし
ダーリンの実家に出かけるため
朝から準備

おせちとサンドイッチ
娘のバイト先のお寿司持参で訪問
娘はバイトのため代わり?に
クゥちゃんを連れて行く(^-^)ゞ
車の中はなきっぱなしのクゥ
あちらの家族も猫が好きなので
いっぱい遊んでもらう

飲み疲れのダーリンと遊び疲れのクゥ
今日は腰もお尻も脚も
ほとんど痛みなし
今まで痛み止め(飲み薬も座薬も)は
まったく効かなかったのですが
効くようになりました
ピンチの時に使うと有効(*^.^*)