■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

□■初日から日付順で見てくださる方はこちらへ■□

■ケイしゃん■■TMS JAPAN■■加茂センセ■■AGIさま■■エバちゃん■

→ ▽▲ 腰痛掲示板 ▲▽ ←
▽▲ 新・痛みを手放そう(ブログ) ▲▽
 < 過去  目次  未来 >

2004年01月31日(土) 腰 痛 体 験 記 (3)

患者でもあり治療者でもある番長

幼いころからのカラダとココロの不調を
赤裸々に書いてくださいました




当時が思い出され?↑(投票ボタン)
My追加

私も読んでグッときてしまいました(;-;)


:::::安心が与える治癒力 ::::::


とにかく幼い頃から、とても不安の強い子供だったように思う。小学校高学年の頃は、よく深夜に両足の激痛で何度も目が覚めた記憶がある。

そういう事もあり、中学の部活を選ぶ時に母親に「運動部に入部なんてしたらまた足が痛くなる」そう言われて入部したいのを辞めさせられました。悲しい思い出です。

自分では大人になる事への不安、責任を負わねばならない不安、出来れば逃げ出したい欲望。
いつも、リーダー役などを任されるハメになるのだが、そう言う強い自分を装う事で、本来の弱い部分を隠していたのだと思う。

不定愁訴は20歳頃から、段々とキツクなる一方でこれが更なる不安を呼び、悪循環を作りあげて行ったように思える。

20歳の時友人が運転していた車が、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに、中央分離帯を乗り越え、車が反転して天井から地面に叩きつけられ、病院に1週間入院するハメになった。その日は40度近くの熱が出ただけで痛みは無かった。

しかし周りから「ムチウチは後から出るから怖い怖い」と呪いをかけられた。

事故から3月くらいしてからか?左の首のうなじ辺りになんとも言えない嫌な感覚が起こり始めた。
父や知り合いに連れられ、病院や色々な民間療法に行きました。医者や治療者に色々な事を言われて、随分通ったように思う。

頻繁に起こる寝違い。それも自分で自分の頭が支えられない感覚。痛みでまともに眠れないなんて何度経験したかわかりません。

その頃、目が開けていられない程の眼精疲労で多くの医院や病院も受診しました。
結局診断は遠視と言う事でした。テレビを見たりなんてとても出来ませんでしたが、3月程度で楽になったと思います。

そして、確か22歳の時、両目が突然飛蚊症になりました。
今もこの状態は治る事なく続いていますが、過去何度も検査しても異常はありません。

左首の不快感は、相変わらずの状態が続きました。

24歳の時、後輩を乗せ新御堂筋を運転中に、突然激しい動悸と眩暈両手の痺れに襲われ、このまま死ぬのではないかと言うような状態になりました。

いわゆるパニック発作です。当時はまだ心療内科などなく、近くの内科で自律神経失調症と診断されました。

その時「これは必ず再発します」と言われた嫌な思い出があります。
しかし、幸か不幸か鍼灸整骨院への就職が国家試験後に内定していたので、長期間休養することが出来ませんでした。結果的に、これでひきこもりにならなくて済んだのかもしれません。

しかし、電車は各駅停車を好んで利用車の運転はいつも手に脂汗と動悸の状態でパニックの恐怖と隣あわせでした。僕が勤務した鍼灸整骨院は、当時まだ景気が良かった大阪のオフィス街にありました。

そこで僕が見たものは、鍼灸主体の治療所だったのか、何度も腰や首を手術した人、不定愁訴を抱え日常生活が満足に過ごせない人。

いわゆる西洋医学でサジを投げられたと言う患者さんと、接する事になります。
これもまた、自分がこのような状態になったらどうしようと言うように、どんどん不安を大きくする原因になったと思います。

当時はインターネットなど当然無く、情報はごく限られたもので自分の置かれた環境や収入では、勉強すると言っても限界があり、勉強すればする程自信よりも不安が大きくなっていきました。


そんな中で当時付き合っていた女性と結婚することになりました。子供もすぐに出来ました。
そろそろまわりから開業したら、と言うことをしきりに言われ始めましたが、僕はもう自分自身が一杯いっぱいでした。しかし、父が定年してから退職金の殆どを僕の大学資金と鍼灸、柔道整復の学校資金に使わせたのでギブアップは出来ませんでした。
また家内も開業を強く希望しました。

そこで、子供が小学校に入学または低学年の間に、家内の実家の家業を継ぐと言う条件で開業に踏み切りました。なるべく借金を抑え立地が悪くても、家賃の安さを優先させたのですが、それでも実家を担保に僕にとっては大金。

開業後はいつも焦る気持ちばかりが優先していました。同時期に開業した仲間がいて絶対に負けたく無い気持ちで一杯でした。開業して3ケ月が経過した頃でしょうか。夜に、しばらく身を潜めていたパニックが顔を出すようになりました。

その内に全く眠れず、食事も喉を通らない、凄い倦怠感が襲うようになり始めました。当時来てもらっていた受付さんが鬱の経験があり、強く精神神経科を受診するように勧めてくれようやく受診しました。病名は聞きませんでしたが鬱だったと思います。

とにかく、自分が倒れたら、働けなくなったら、親の家が取られてしまう。働いていた時そのような人を数多くみてきた嫌な記憶がいつも頭の中にありました。
鬱の症状は波がありましたが薬を飲みながら、ましだまし仕事を続けている状態でした。時には、起きていられないような倦怠感に襲われて仕事を休んだ時もありました。

開業3年経過して次男が生まれました
2ケ月早産で、10点満点の4〜5点いわゆる仮死状態、障害が残る可能性が大きいと言われました。
毎日のように病院からかかる電話で病院へ出向き、色んな障害の可能性とリスクを伴う治療の同意書へのサインを求められました。

本当にこの時期は不定愁訴と絶望感から何度死を考えたか分かりません。

死を選べなかったのは、まだあどけない長男、必死で生きようとしている次男、残された者にかかる迷惑を考えると思い切れませんでした。

今から6年前だと思います。突然両手の力が抜ける感じがしました。ちょうどその頃、身内のちょっとした(大きな?)トラブルがありました。詳しくは割愛しますが、これほど、人間の醜さ汚さ裏切りを間近に感じた事はありませんし、一生忘れられませし、忘れてはいけないと思っています。

この時からちらほらTMSが出現していたように思います。
5年前の秋3ケ月程寝違いが持続的に頻発するようになりました。それに伴い足の脱力感や痺れが出始めました。我慢できる程度の腰痛、同じ姿勢で立っていると1分ももたない。

近くの整形で検査しましたが異常無し、MRIで首のヘルニアが見つかりました。
通院中の神経科では、詳しい説明が無いまま薬のみが処方され続けていました。

症状はキツクなるばかりで、○○大学付属病院の神経内科を受診しました。

脳のCT.筋電図等の検査で僕が危惧していた難病は除外されましたが「ストレスですね」と言う答えの他は、何も示されませんでした。一時期は症状はほぼ完治していました

ただ、またもや身内に罵声を浴びせられたのを境に症状が現れました。それからは、鍼灸、カイロ、アメリカから最新のサプリメントを個人輸入したり、噛み合わせをあわせる為親知らずを3本抜いたりしました。一体いくらのお金や時間を注ぎ込んだか・・・


でもそれだけしても、症状は変化ありませんでした。それどころか両手の指先が思うように動かなくなってきました。それまで通院していた神経科を辞めて、思い切って近所の心療内科に受診しました。
やっと納得行く説明と、安心する言葉を掛けて貰う事ができました。
答えは脳の過緊張で、心配しなくても必ず治ると言うものでした。

それでも症状は一進一退でした。最後は本当に霊が原因では無いかと思ったりもしました。
そうして、はっきり記憶にはありませんでしたが、おおざる先生のHPの呪いと言うところに目が留まりました。
中を読んですぐに、呪いの意味を理解して赤本をとりよせました。
一筋の明かりが、暗い心の中に差し込んで来た感じがしました。

掲示板に書き込み、アドバイスを貰い実践しました。
それまで腰が何度鍼をしても板のような感じがしていたのが、3日車を運転しながら、叫んだだけで嘘のように収まりました。

大阪のメソッドに参加して、色んな仲間と知り合え随分安心できました。苦しんでいるのは自分だけじゃ無いんだと!今も症状はたまに顔だします。
でも、以前のような不安はありませんし、それはそれで、受け止められるようになりました。

そしてなんとなく、気楽に構えられるようになりました。なにより長年に渡って僕の前に立ち塞がっていた大きな扉が、ようやく開き始めた気がします。



― 追記 ―

ストレスは常に自覚していたから「ストレスですね」と言われすぐに納得出来た。
ただどのように対処したら良いかわからなかったし教えて貰えなかった。

今まで数多くの医者や治療家に出会ったが、一人のドクターを除いては、不安を煽られはしたが、患者を安心させる言葉をかけたのは、皆無だった。
自分も治療する上で、また自分の身分を守る為、患者教育と言う名のもとに、どれだけ多くの呪いや不安を与えた事か。

今は安心を与えるのが治癒にどれだけ大きな力を貸すのかが良くわかる。

ただ病気をあらゆる面から、推理、洞察する力、安心させる為の、医学的、生理学的、科学的裏づけの勉強が必要になって来たと感じています。



2004年01月30日(金) 腰 痛 体 験 記 (2)

今回はダン吉くんの体験記です
彼も腰痛歴はとっても長いので

投稿文も、とーーーーっても
長〜〜〜いものになりました

あ、ダンちゃんだからね(^-^;




そのまたまたの名を?↑(投票ボタン)
My追加

:::::『あきらめないでください』:::::


腰痛体験記(1999〜現在)



1. これまでの経過

高校、大学、社会人とバレーボールをやっていた。
ポジションは、エース。全力ジャンプの回数は、すさまじく、21万回にもなる。腰がおかしいと感じだしたのは、大学生の頃だ。
座って、腰を揺すると、お尻からごきごきと音がしていた。ひどく腰を痛めたのは、20台後半だ(14年前)。当時考えられた理由は

�.献礇鵐廚両弖發砲茲蝓�背骨(椎間板)が弱っていた
�⊂�し腰が痛かったが、無理して走ったため
�2饉劼妊好肇譽垢�激しかった
�そ鼎ぜ存柿�置を一人で動かした
�ゥ丱譟璽棔璽襪慮縮鬚魄�退後数ヶ月後なので、たぶん筋肉も落ち始めていたのだろう
�Ε▲鵐丱薀鵐垢蔽辰�方で、腰椎の前湾が小さくなっていた。

等の理由と思っていた(後に、この理由でない事がわかるが・・・)
当時は、腰痛の後、脚も痛くなってきた。後半は脚の痛みが主体だった。正常(?)に戻るまで、数ヶ月ほどかかった。

その後、ほとんど毎日の腰痛体操と、週1回のトレーニングは、続けていた。
バレーボールも、たまにやり、普通にスポーツもしていた。
しかし、腰痛(ぎっくり腰)は、年に1から2回ぐらい発生していた。

1999年4月くらいから、エアロビクスに、はまり出す。エアロビクスに、はまり出して、腰痛も結構起こっていた。
5月、 7月、 8月と 短い期間に3回も、腰痛を起こしている。
8月ぐらいから、右太股裏側に変な痛みを感じる(特に朝)。
また、筋肉トレーニングの座って膝を伸ばすレッグエクステンションは、腰が痛むため、できなかった。

10月に、入ってから、ストレスを感じる事が多く、その反動で、ますます エアロビクスに、はまっていく。
この頃は、ジャザサイズに はまり、週に3回も 通っていた(それプラス1日は、筋トレもしていた)(疲労も、あったのでは? あまり疲れを、感じなかったが、自立神経の異常か?)



2.痛みの再発

1999年10/20
朝の体操で、腰を痛める。上半身を回していると、体を反った時、左腰にぎくっときた。やってしまった…あーーあ、やってしもた !!

10/22
朝から、左太腿裏側、お尻に激痛が 走る。会社は 休んだ。夕方、○○整形外科の治療を受ける。好転しない。

☆ 腰痛と脚の痛みがさらに激化 ☆
10/25 〜10/31
毎朝目覚めると、左脚のスネ外側がピリピリ痛む。少しでも動くと、ピリピリと痛む。まるで、ナイフで、フクラハギを刺されて、ぐりぐりするような感じだ。
朝の1時間ぐらいは、地獄だった。体が少し温まると、かなり痛みは和らぐので、30分くらい激痛に耐え半べそかきながら、部屋の中を歩きまわった。不思議と30分くらいで痛みはかなり減った。朝のトイレでも、体が左に傾いたままだ。真っ直ぐにすると、痛い。(正確には、まっすぐ できない)

この痛み方は、かなり、やばいと感じていた。(腰から脚へ痛みが移動する)
毎朝、起きた時に強烈な痛みを味わうため、朝 起きるのが、恐怖だった。
○○整形外科(AKA)で治療を受けるが、全然好転しない。


☆ 椎間板ヘルニアと診断される…ショック ☆
11/5
○○病院で、MRI撮影を受ける。腰椎の4番、5番間の椎間板が黒く変色し、痛んでいる。4番5番間は椎間板が 後ろに出ていた。

ヘルニアだ。ショック、ショック、ショック !!

又、3番、4番間と5番、仙骨間の椎間板も、黒く変色し、痛んでいた。○○先生の診察で、保存療法でいく。さらに、痛みが悪化した時のみ、手術をするそうだ。

この頃は、治るのか、悪化するのか わからず、毎日 すごく不安だった。
N式ストレッチも、方法が、よく わからない。前屈すると、激痛が走るけど、やっていいのかな ? どれくらい、やれば いいのかな ? かえって、悪くなれへんかな ?

11/15
今日から、駅から歩くのをやめた。朝は、左フクラハギが、痛む。今日ぐらいから、会社で、座っていても、左太腿の裏に鈍痛がある。体が温まっても、歩くと 左太腿に鈍痛がある。やばいかな。先輩の場合も、フクラハギ、太腿、腰に痛みが来たそうだ。

但し、先輩の場合、フクラハギの痛みが慢性化、激痛化してる。僕の場合、フクラハギの痛みは、少し減っている。もう少し様子を見よう。薬は、晩だけにした。なるべく薬を減らすつもり。
駅からの帰り道に、左脚がかなり痛い。まともに、歩けない。歩くのが、大変。やっぱり手術かな? 電車で立ってたのが、悪いのかな ? そんなに大した疲労じゃないけどな。晩飯後、即寝る。明日、
大丈夫かな ?
   

☆この頃から、N式ストレッチのコツに気がつき前屈を始め、症状が好転しだした。一時的に痛みはなくなった(結局、プラシーボでした)☆

前屈で、激痛は、あるが、時間をかけて、じわーと 伸ばしだした。じわーと伸ばすと、激痛が、すこしマシになってくる。

11/16
朝の痛みは少し引いた。バスに乗って会社には、来れた。薬は飲んだ。
ここまでは、昨日と同じ。昨日は夕方から 脚の痛みが出てきた。
N式ストレッチで、気づいたことがある。体前屈をすごく、やっていることだ。
風呂上りに、体前屈を熱心にする。かなり 曲がりだした。その後、フクラハギが痛い。

11/17
朝、4時に起きた。風呂に入ってから、体操、バラコン運動、ストレッチをする。
体が温まっていると、体前屈が、結構曲がる。
フクラハギの痛みも、減った。腰の調子も いい。何より、普通に歩け出した。すごく、うれしい。調子がいいので、駅から、会社まで 歩いた。(歩行速度は、遅
い。おばちゃんに抜かれる)少し、フクラハギに鈍痛があるが、大丈夫そうだ。午前中、立ち仕事をする。
帰りに、少し脚が、痛かったが、大丈夫そうだ。薬は、完全に止めた。

11/20 〜11/23 連休
朝の脚の痛みは、かなり小さくなっている。朝、5分ぐらいで、ほとんどなくなる。連休中は、朝 ゆっくり体を温めて、バラコン体操、ストレッチをやる。朝から、前屈で、地面に指先が着いた。昼間は、なるべく正しい姿勢で座るように、心がけた。

晩には、ストレッチ。ヘルニア治療のストレッチは、なんとか全部できるようになった。

11/30
朝の痛みが、相当減っている。朝のトイレで立っても、脚が痛くない。いままで、
朝のトイレでは、体が左に少し傾いていた。いまは、傾かなくなった。また、真向法の第1体操が、朝から できた。堺東から歩く。

最近、晩のストレッチ後、左足の指先が、やけに冷えることがある。これも、ヘルニアのためか ?

12/28〜2000年1/5
正月休み。ほとんど毎日の朝晩のストレッチとバラコン体操を行う。朝のバラコン体操では、ほとんど痛みもなく、腰回しが、できるようになった。
歩く距離、時間は、かなり伸びてきた。元日には、2時間近く歩いた。歩く速度も、成人男子並みになったようだ。体前屈は、全部の指が、畳に着く。このレベルから、中々伸びない。この頃から、朝、真向法の第1体操をすると、右足、フクラハギに鈍痛がある。この鈍痛は、風呂で暖まると、なくなった。
ほんとに、良くなっているのかな ? 少し不安 ? 治療の初期からみると、良くなっている。良くなる傾向の中で、上下があるのかな ?それとも 良くなる前に反動で、悪くなるのかな ?

2000年 1/6
初出勤の日。通常生活では、朝の脚の痛みは、ほとんどない。ただし、朝に、ストレッチをすると、脚が痛い。フクラハギの凝りは、ほとんど ない。バラコン体操の腰回しも、痛みなく、回せる。

朝は、駅から会社まで普通の速度で、歩く。歩いている時、鈍痛が、あちこちに、移動する。右腰、左腰、左足と移動した。昼ぐらいまで、右脚フクラハギに鈍痛があった。夕方ぐらいから、左足フクラハギに鈍痛がある。帰りは、普通の速度で、歩けた。たまにズキとするが、大丈夫のようだ。

1/8,9,10
腰の調子は、かなり いい。自宅から実家まで、歩いていても、特に 痛みは、ない。また、足の裏が、ほかほかと暖まってくる。血の循環が、かなり いいようだ。
10日の朝、歩くと、汗が噴き出してきた。かなり、良くなっているようだ。
(腰痛発生後、こんなに足の裏が、暖まることは、なかった。また、汗がでる程、暖まることもなかった)

2/1
○○病院で、椎間板ヘルニアのMRI撮影をしてもらう。ヘルニアは、少し小さくなったらしい。そして、黒く変色していたのが、やや白くなってきたらしい(僕の目からは、ほとんど同じに見えた)。しかし、まだヘルニア根は、あるので要注意だそううだ。○○先生の診断では、軽いスポーツは始めて良いそうだ。
半年間ぐらいは、水中歩行、水泳、筋肉トレーニング、ストレッチで 体を作っていこう。

まず、今年の5月くらいまでは、このスケジュールで進む。ヘルニアが完治するには、どれくらい時間が、かかるのかな ?半年、1年ぐらいのスパンで、考えるべきだろう。

2/4
○○理学診療所(AKAの本家)へ行く。仙腸関節が腰痛の原因とする考え方。腰のあたりを押したりする。特に痛みは、ない。普通の整体から比べると、物足りない気がする。僕の腰の調子は、変らない。むしろ、少し悪くなった気がした。
先生 曰く、ヘルニアが出ても、気にしなくていい。みんな(確か7割ぐらい)出ている。放散痛は、関節から発しているそうだ。(この辺は、信じられなかった)

また、一週間、様子を見て、大丈夫なら、どんなスポーツをしても、いいよと 言われた。(これも、信じられなかった)
自分の感覚からは、まだ無理は、できない。疲労のため、左脚太股の裏に、鈍痛がある。地道にストレッチとトレーニングを続けよう。
2000年の4月で半年、10月で1年になる。体が、柔軟になるまでは、ストレッチと水中方向と筋肉トレーニングで、進もう。完全に柔軟になってからエアロビクスをやろう。


3.その後 ぎっくり腰の再発 ・・・ TMS理論との出会い

その後もストレッッチを続け、2001年の春には、通常生活への支障は、ほとんどなくなりました。大好きなエアロビクスも、できるようになりました。
ところが、2001年春頃からぎっくり腰がポツポツと出だし、しだいにひどくなり、月1回が週1回となってきました。もちろん、ストレッチ等の治療は 続けてるのにです。また、「姿勢に気をつける」「重い物をもたない」等の制約も ありました。座ってる時も姿勢を気にしていました。

「なんで腰痛になるんや!!」というモヤモヤした疑問が噴出し始めました。また、「腰痛におびえる生活はいやや!!」とか「もっと自由にスポーツがしたい!!」という気持ちも ムクムクと沸き上がってきました。

この頃、出会った本が「腰痛は怒りである」(春秋社、長谷川淳史著)です。内容は、TMS理論です。簡単に言えば、腰痛は筋骨格系の歪みから生じているのではない。痛みは、筋肉、血管、神経そのものに起きている。その原因は、精神的なものである。というものです(詳細は、TMS理論のホームページを見てください)。

もちろん最初は、こんな考え方、信じられません。それが、通常の反応と思います。ところが、本を読み進むにつれて、腰痛へのいろんな疑問がすっかり解けてしまいました。

僕が持っていた主な疑問は、次の通りです。

1.僕のヘルニアは左側にあり、脚も左脚が痛むのですが、たまに右脚に痛みが移るのは、なぜ ?
2. 世の中のは、姿勢が悪くても、まったく腰痛知らずの人がいるのは、なぜ ?
3. 1度、ひどい腰痛を経験すると、ずーっと(少なくとも10数年以上)腰痛持ちな のは、なぜ ?

1は、痛みの原因が左側のヘルニアじゃなく、筋肉、血管、神経に痛みが発生するので、血流が悪い部分が痛むんからなんです。原因がヘルニアなら、右にヘルニアが移動したことになります。一晩で、ヘルニアが移動するくらいなら、ヘルニアによる痛みなんてたいしたことない訳ですけどね(痛みは一晩で移動しました)。

2は、筋骨格系の原因じゃないからです。世の中には、姿勢が悪くても、腰痛のない人ってたくさんいます。ヘルニア持ちで痛みのない人、ヘルニアがないのに 痛みのある人、もいますね。

3は、条件反射と言われています。パブロフの犬の実験と同じようなものです。一度、ひどい腰痛を体験すると、その時の行動と痛みとを結び付ける記憶ができあがるそうです。同じ事を繰り返すことや 世間の腰痛の常識によって、記憶は、より明確になる訳です。僕の場合は、腰痛歴14年になります。

これらの疑問が解けてから、TMS理論は ほんものと直感しました。
2001年春から、真の健康人となるためにTMSプログラムを、本格的に始めました。
僕が主に行ったことは、本の再読、ストレスリストの作成、アファーメイションです。
本の再読は、その通り、「腰痛は怒りである」の再再読です。ちなみに、今では本は、ぼろぼろです。
ストレスリストは、日々の怒り、不安等をノートに書く作業です。この作業を始めてから、わかったんですが、自分が毎日、怒ってる事に気ずいてなかったことです。これには、驚きました。これが、精神的な原因かと初めて合点がいきましたね。

プログラム始めてから、4ヶ月くらいして、ぎっくり腰の頻度が減ってることに気がつきました。週1回が月1回になり、3ヶ月に1回になってました。
ぎっくり腰の頻度よりも、ぎっくり腰に対する恐怖が全くなくなりました。痛みの原因は、精神的なものなんですから、当然ですよね。今じゃ、ぎっくり腰が起こっても普通に会社に行きますよ。2日から3日ほどたてば、ほとんど治りますね。

あまり、進められない方法ですが、一度ぎっくり腰になった翌日に、無理してエアロに行った事があります。やはり2〜3日で治りました。スポーツは、な〜〜にも悪くなかった ・・・



4.腰痛知らずになっちゃった ・・・

今では、大好きなエアロもガンガンにやってます。「ジャンプして大丈夫かな?」とかの不安がないので、思い切り、激しいエアロを楽しんでますよ。

車の運転も、大丈夫ですね。往復2時間くらい 運転したことありますが、腰は、なんともありません。
会社でも 座りっぱなしの仕事です。1日10時間以上は、座りっぱなしですが、腰は、大丈夫です。回りの一般人の方が、腰が痛いと ボヤいてます(苦笑)。
自宅でもソファーで、あぐら組んで、テレビ見てますよ。

2002年の2月初めには、スキーに行きました。3年ぶりでした。思い切り楽しめましたし、思い切り こけました(かなり下手になってました・・・)。もちろん、腰は、なんとも ありません。

TMS理論は、既存の概念と異なるため、すんなり受け入れる人は少ないようです。どうしようもなくなって、受け入れる人が 多いかもしれません。そういう人達が、治ってます。

僕は、TMS理論を行って、ほんとに完璧に治ったんです。これは、真実です。
おかげで、今では、自由になんでもできる体です。北海道スキーにも行きましたし、全く普通の人に戻れたんです。

少しでも腰痛で苦しんでる方の、励みになればと 投稿しました。
腰痛におびえず、自由になんでもできる生活に 戻れます !!

あきらめないでください 腰痛は治ります!!



2004年01月29日(木) 腰 痛 体 験 記 (1)


年代も子供の年も同じkobyちゃんとは
悩みも不安も共通するところが多いの

昨年の夏にあった北陸オフ会では
二人で朝まで語り合いました




彼女とは裸の付き合いでしゅ↑(投票ボタン)
My追加


こんなメールをくださったのも彼女です
【コンニャクゼリー】

そしてお願いを快く受けてくださり
最初に届いたのがこの体験記です


:::::『 焦らず、くさらず、あきらめず 』:::::

[ 1 ]

2002年9月『腰痛の広場』の掲示板への投稿をきっかけに私はTMS理論と出会うことになりました。その書き込みで私は「31歳の時初めてぎっくり腰になり・・・」と書いています。

今思うとすでに20年以上前にぎっくり腰になってるし、さらにそれより前に長男を産んでから、よく腰が痛くなっていたんです。

でも自分で「腰痛患者」と言う認識はありませんでした。その頃は痛みを恐がっていなかったし、痛みにとらわれることがなかったから。。。

今から17年前、私は夫の転勤で大阪から石川県小松市に引越ししました。
その翌年。結婚後初めてスーパーにパートに出たんです。勤めだして1ヶ月仕事に慣れてきた頃にぎっくり腰になりました。
(かがんだ瞬間にビビビ〜〜電気が走ったような衝撃でまさに魔女の一撃でした)

「ぎっくり腰はクセになるよ。」に始まって、他にも諸々の呪いの言葉(一般的に腰に対する常識と思われている間違った情報)を聞くうちに、私の頭には『腰』の文字が常にあり(腰に対するこだわり)急性患者からりっぱな慢性腰痛患者になっていきました(^_^;)

翌年またぎっくり腰になり、その数日後には出産時よりも凄まじい泣き叫ばずにはいられないような、激痛に見舞われ、その時のことはしっかり私の脳にインプットされてしまったのです

小松市にいた間は、整形外科→整骨院→鍼灸院→カイロプラクティック に通いました。

奈良に引っ越してきてからは、小松で診てもらっていたカイロの先生が月2回寝屋川市(大阪府)で診察しておられたので、片道2時間ぐらいかけて通っていた時期もありました。

その後 整体→整体+カイロ→無痛バランス療法 というように治療方法を変えました。

腹筋・背筋が弱いから、身体が硬いから腰痛になるんだ。。。と言う思い込みからトレーニングにも通いましたし毎日かかさずストレッチもしていました。(今は健康の為に続けています)

腰にとって良くない事はせず、仕方なくする時はコルセットを巻いて・・・

日常の痛みは、まだ我慢できる範囲のものだったのでぎっくり腰にならないように『上手く腰と付き合っていこう』とまるで爆弾を抱えているかのようにこわごわ生活していました



[ 2 ]

今から7年ぐらい前に、無痛バランス療法の治療者の方から「一日中家に居てると腰のことばかり考えるしかえって良くないよ。パートにでも出てみたら?」と言われたのをきっかけに今のお米屋さんにパートに出ることになりました。

「エッ、腰痛持ちの人がお米屋さんなの?」ってよく言われますが、自身の体験から『ぎっくり腰』と『重いものを持つこと』は私の中では無関係だったのです。

しかし、40歳を過ぎた頃から何度かぎっくり腰を繰り返すようになり、その度に条件付けは増えていき、ますます快適ゾーンは狭くなっていきました。

私の場合、一度ぎっくり腰になると、一週間は寝たきり同然で(トイレは這っていき2,3日は食事も寝たまま)

その後の一週間も、布団は敷いたままで、炊事をしたら横になり、洗濯をしたら横になり・・・と言う状態。

仕事に復帰するのは発症してから1ヶ月ぐらい経ってからでした(>_<)

2002年8月実家に行く車の中でぎっくり腰発症!

それまで3月や11月頃の季節の変わり目にばかりにやっていて夏は比較的安心できる時期だったのに・・・ショックでした!

「なんて、私の腰は弱いのか・・・」
「こんなに気をつけて暮らしているのになんで?」
「このまま年老いていくと私はぎっくりをきっかけに一生寝たきりになるのでは・・・」

すっかり精神的に参ってしまって仕事を辞めることも考えました。

でも「このままでは本当にダメになってしまう・・・なんとかしなくちゃ」と思い直し、以前見たことのある『腰痛の広場』の掲示板に投稿したのです




[ 3 ]

広場への書き込みにはいろんな方からアドバイスを頂いたのですが、その中で「僕は『サーノ博士のヒーリングバックペイン』を読んだけで治りました」と言ってTMS理論を勧めてくださった方がいたのです

TMS理論の名は、以前広場で見て知っていたのですが、その当時は大して関心もなく、その内容を詳しく知ろうとしなかったのです(^_^;)

でも、この時は数ある中からなぜかその方のアドバイスに魅かれてTMS理論のHPを見てすぐに本屋さんに行きました。

『ヒーリングバックペイン』(白本)は取り寄せし『腰痛は怒りである』(赤本)
を買って帰りすぐに読み始めました。

読み始めてすぐに「まさに私の腰痛はTMSに違いない!」と確信し、本文中の「必ず治ります」と言う言葉にハゲまされ読み終えたときには、目の前がパァーと明るくなり、傍にいた息子に「私は治るんや!」って興奮して話したのを覚えています。

それからTMSの掲示板をROMしてしばらく迷った挙句に、思いきって投稿しアドバイスを求めました。

多くの方が私を理解しハゲましアドバイスを下さいました。

皆さん同じ痛みを経験した人たちばかりなので、本当に心から理解してもらえたと実感できて嬉しかったですねえ〜 涙が出ました(;-;)

私が行ったプログラムは

・赤本・白本の読書療法
・ストレスリスト
・赤本のCDを聞く
・アファーメーション

等です

そして目標を設定し、掲示板でハゲましてもらいながらチャレンジ、達成したら報告し誉めてもらうことを繰り返すうちに、徐々に腰に自信を持つことが出来るようになりました。

いつまでも恐怖心が消えずついつい焦っていた時には
「焦らず、くさらず、あきらめず」
の言葉にハゲまされケイしゃんの日記で加茂先生の話2002年8月4日日記参照を読んだ時は、自分がいかに『完治』にこだわっていたか、気づかせてもらいました。

他にも多くの『気づき』を得る言葉にふれ、お陰様で腰を気にせずいろんな事を楽しめるようになりました。

そうそう、MSジャパンのセミナーを受講したのも大きなきっかけでした。
今でも時々痛くなることはありますが『恐い』と感じません。
腰を理由に何かをあきらめる事はもうないのです!

TMS理論のお陰で自身の心と真正面から向き合ううちに『痛み』だけでなく、生き方そのものについても教わったように思えます。

また、痛友とも呼べる素敵な仲間たちとも知り合う事ができて、今では「腰痛になって良かったかも。。。」って思えるのです。

今痛みのある方も決してあきらめないで下さい!
TMSなら必ず治ります!!
まずは数あるプログラムの中から、自分にあったものを選んで何か始めてみませんか?

小学生の頃から作文が大の苦手で文才もないために、ダラダラと長い文章になってしまいました(^^ゞ
最後まで読んでくださってありがとうございますm(__)m

この体験記が少しでも誰かのお役に立てば幸いです。



2004年01月28日(水) 大動脈解離

昨日近所に住む叔母が救急車で運ばれました

突然、
「歯が痛い、喉がつまる、とにかく辛い」
と訴え近くの総合病院に運ばれましたが
症状が酷く、少し離れた県立病院に・・・

病名は
大動脈解離

高血圧が引き金になるようですが
多くのケースは予防不能とあります

転送された病院ですぐに手術
8時間も掛かる大手術でした

終わったのが今朝の午前3時くらいでしょうか

意識は戻ったものの
まだまだ余談を許さない状態です

このところ心配事が続いていて
苦労の多かった叔母ちゃんです




祈りをこめて↑(投票ボタン)
My追加



2004年01月27日(火) ひっかかりつづけること

::::::::ひっかかりつづけること::::::
養老猛司 著

べつにどうという話ではない
しかし私の仕事の原点は
こうしたさまざまな違和感を
抱え続けたことにあると思っている

たまに
「なぜそんなにいろいろなことを
考えるのですか」

と訊かれることがある

「疑問を忘れないでいると
年中考えるしかないじゃないですか」

そう答える

最近の学生を見ていて思うのは
ひっかかることがあっても
それを頭の中で
「丸めてしまう」
傾向が強いことである

「丸める」とは

疑問に思ったことを
それ以上悩まなくてすむように
とりあえず自分のなかで
なだめてしまうことである

「山の頂上なら
禿げていることも当然あるだろう」

そう答えをだして
納得してしまえば
それ以降疑問は生じない

その疑問に煩わされることがなくなるから
気分が楽になる

社会生活を営むうえでは
疑問を丸めることは重要である

相手のやることに疑問を抱き続け
「それはおかしい」といちいち指摘すれば
人間関係はぎくしゃくし
喧嘩が絶えないことになる

だからむしろ
話を丸める癖をつけるほうが大切である

しかし
自然と向き合うとき
疑問を丸めてしまったら
自然をきちんと知ることができない
疑問を抱き続けること
つまりわかるまでこだわることは

自然を知るときの基本的な態度である

自然を知ることが職業の科学者にとっては
これはあまりにも当然のことだろう

大学の教室で
学生に質問した

「コップの水に
インクを一滴たらしたとする
しばらくすると
インクが消える
何故だと思うか」

学生が答えた

「そういうものだと
思ってました」

「丸める」とは
このことである

「そういうものだ
と思ってしまえば疑問は生じない」

本人は楽だが
楽をすればなにも考えない

何も学ばないという結果になる


::::::::::::::::::::::

日々の治療に対する疑問を
「丸めて」いる医師が
多すぎるのではないかな?




ぷんぷんと押してね↑(投票ボタン)
My追加

「ヘルニアがあると
なぜ痛みが生じるのですか?」


「そういうものだと思ってました」

そういうものだと思ってしまえば
疑問は生じない

本人は楽だが
楽をすれはなにも考えない

今日の○いっきりテレビをみても
感じたことですが

まるで何十年も前の腰痛本に
出てくることばかりじゃ〜

何も学ばない医師が多すぎる(−。−)



2004年01月25日(日) 医学における分類・整理

::::::::からだの見方:::::::
養老猛司 著

― 医学における分類・整理 ―

医学における自然分類の代表は
系統解剖学である

もっとも、これには
かなりいい加減な部分もある

違った見方が混在するからである

たとえば
運動器系、感覚器系、消化器系
等々の分類は

機能的分類である

しかし
筋、骨、眼、耳、神経
といった分け方なら
器官別の分類である

だから
ふつうは両者を混ぜて使っている

「混ぜて使う」
というのが

実用上の分類の妙味である

食物の味みたいなもので
元来が事実の整理の問題だから

混ぜたって差し支えない

ただ
初学者は気をつけないと錯覚を起こす
分類を「真理」の問題
とみなしやすいからである

異なる体系を混ぜてあるのを
矛盾だと考えてしまう

しかし
わかってやる分には
混ぜていいのである

医学はなにはともあれ事実を集めるので
分類がきわめて重要である

分類の仕方によって
正面にでてくる事実が変わる

考え方が変化するにつれて
分類も変わる

そうした中で生き残る分類は何かといえば
それはやはり「自然」分類である

見方があるようで無い
無いようである

対象の性質を案外よく反映している

そういう点が自然分類の長所である

・
・
・
中略
・
・
・

医者は元来分類が得意なはずである
患者さんを見て
すぐに分類する

そもそも診断学とは
疾病の分類学を実地に応用したものであろう

ただし、医者自身は
自分が分類学をやっているとは
思わないかもしれない
もう少し近代的な
立派な科学を学んでいるつもりではないか?

そこにひょっとすると
二つの面から誤解があろう

医学は近代科学である
分類学は古臭い科学である

この二つである

しかし、医学は
近代的な科学よりは
分類学に他ならない面を多くもつ

さらに分類学は
ふつう考えられているよりも
高級な学問である

学問は時代につれて変わるが
事実は変わらない

解剖学はそれを如実に示す

その事実を整理するものが
分類である以上
分類はきわめて重要な科学の作業である

しかも事実の数は絶えず増え続ける

ゆえに分類学に課せられた課題は
やはり永遠だといってもいいのである


:::::::::::::::::::

今日は娘の誕生日です


クゥを撫でる娘の手




なんか不思議な気持ち↑(投票ボタン)
My追加



2004年01月24日(土) すべてわかろうとするな

今日も雪・ゆき・ユキ

雪に煙るセンセの医院

写真はまーちゃん提供でしゅm(_ _)m


::::::::::いちばん大事なこと:::::::
 養老猛司 著

医学は人体という自然を扱う

ことに私は
体というものが具体的にどうなっているのか
それをつぶさに見てきた

その作業のなかで
つくづく感じたのは

「そうなっているものは仕方がない」

ということである

いかにこちらの倫理に反すること
自分の考えに都合の悪い事であっても
出てきた結果は認めざるをえない

あるとき
実習生の学生が
「腕に行く動脈がありません」
といってきた

腕に行く動脈がなければ
腕に血が通わない

ちょっと見ると
たしかに
「上腕動脈がない」

それじゃあ腕が死んでしまうじゃないか

そうはいっても
ないものはない

解剖を進めて
懸命に探してみたら
別な経路がちゃんと出てきた

側復路といって
ふつうなら細い動脈が太くなり
大きく迂回する経路をとって

上腕動脈の代わりをしていたのである

解剖を進めたからそれがわかったが
人体より大きな自然を扱うときには
解剖のようにすぐに次に進むことが
できるとは限らない

「上腕動脈がない」
「動脈がないと、腕が死ぬ」
どちらも間違っていない

それならしばらく辛抱して
解剖を続けるしかない

この場合は幸いそれで正解が出たが
大きな自然を相手だと
すぐには解答がでない

だから努力・辛抱・根性なのである


::::::::::::::


人間のカラダって
私たちが思っている以上に
融通がきいて
自己回復力があるのではないかな?




この本に書かれた一節です↑(投票ボタン)
My追加



2004年01月23日(金) 画像よりも臨床が肝心


こちらは今日も雪でしゅ
  
雪景色  雪釣りの威力発揮  ながーーいツララ


さて
今日の新聞
健康のページの記事より

:::::::::ボケないための生活術::::::::

― 画像よりも臨床が肝心 ―
【診断のカン違い】

「家のおばあちゃんの様子がおかしい
ボケたのではないか」

そう思ったとき
あなたはどうしますか

まず医者の診てもらおうと
病院につれていく人が
多いのではないのでしょうか

すると
脳神経科でCTスキャンを撮り
医者がその写真を説明しながら
きっとこう言うでしょう

「脳がかなり萎縮していますね
ボケが進行している可能性が高いです」
と。

たしかにこれまで医学の常識として
人間が高齢になるにしたがって
脳の萎縮が進み
それによってボケの症状が起こると
考えられてきました

ところが
それが最近必ずしも正しくないことが
わかってきたのです

なぜなら
脳に萎縮が起こらなくても
ボケてしまう人がいるからです

つまり
医者による画像診断だけでは
ボケは発見できない
といっていいでしょう

また
計算をさせることによって
ボケているかどうか
知る方法も多用されています

「100引く7は?」
「その数字からさらに7を引いたら?」

などと聞いて答えが出ないと
ボケ初期だなどと
診断されることさえあるようです

とんでもない話です

たしかにボケた人は計算ができませんから
決して間違いではありませんが

白衣の医者の前で
緊張して答えられなかった人まで
ボケの仲間に入れられては
たまらないでしょう

こうしたボケ診断テストの成績が
悪かったけれど
全然ボケていない人だって
たくさんいるの

ですからボケのテストでは
一応の目安にはなりますが
ボケの確実な診断はできない
と言っていいでしょう

ここに、実は
医者の大きなカン違いが潜んでるので
注意してください

ボケの診断はあくまで臨床診断ですべきだ
というのが私の考えです

CTなどの画像やテストなどは
確かに参考になりますが
確実にボケの診断が
できるものではないのです

・
・
・

::::::::::::::




どこかで聞いたような↑(投票ボタン)
My追加

母の様子が変だったとき
画像診断で
「年齢よりも少し脳の収縮率が高い」
といわれました

数字のテストもありました

それを聞いてがっくり来た事を
思い出しました

どんな疾病においても

画像診断は
危険な病気を見つけるためには
必要なことですが

やはりそれを扱う人間(医師)の
経験と知識は欠かせませんよね

画像を見るのでなく

画像の向こう側にいる
患者を診てほしいですね



2004年01月22日(木) 大雪だー!

昨夜から降り続いた雪
日中も止まず
夕方には50センチほどに・・・

少し小降りになったところを
ご近所の方たちと雪よけをしました



見よ、この雪のような山
あ、山のような雪か

クゥは猫のクセに雪が大好き
穴を掘り、雪の中を泳ぎます

 

そして、疲れはてて放心状態(^-^;

 

ケイしゃんは一時間以上
ママさんダンプで雪よけをしたので
身体が痛くなるかも?





そういえば↑(投票ボタン)
My追加

なので、今回も大丈夫でしょう(*^.^*)



2004年01月19日(月) 勝利の苦しみ

今朝の新聞記事

スポーツ欄にオモシロイ記事が載っていました

:::::: ― 勝利の苦しみ ― ::::::

佐久長聖の3人が耐えた
なかでも
高校のエースがそろう5区で
4人抜きの上野
先頭に立った途端の腹痛、腰痛を
両手で振り払った

高校生の受け持ちでは
最高の8,5キロ
昨年暮れの都大路快走(全国高校駅伝)
の後も順調な練習ができて

「長野初優勝の原動力になる
トップと一分差なら追いつく。
(自分が持つ)区間最高タイムを30秒更新」

と自信満々

先頭に立つまでの走りには
腹痛、腰痛のハプニングの予兆は
何もなかった

「自信はあっても
気持ちのどこかに焦りがあり
ひと安心したところで
痛みになったのいでしょうか」

手袋を取り、横腹をさする

痛みが腰に移った時
テレビ観戦の両角・佐久長聖監督の表現では

「何事もプラス思考のあいつらしい悪魔退治」

両手を大きく回して痛みを飛ばした


:::::::::::::::::::




痛みの種類で言うと↑(投票ボタン)
My追加

焦り

一安心

気が抜ける

痛みの移動

まさにTMSの痛みですよね

この腹痛と腰痛の種類は
違うもとのいう人はいるのでしょうか?



2004年01月17日(土) スキー


今日は、ふだんは雪の降らない地域が
大雪だったそうですね

そのせいか
こちらは穏やかな一日でした

ダーリンが帰っていたので
午後から二人でスキーを楽しみました

PM1:30 自宅出発

PM2:00 スキー場到着

3本だけ滑る

PM3:00 スキー終了

スキー場隣接の温泉に浸かる

PM3:30 スキー場出発

PM4:00 自宅到着



道中は雪もなく
空いていたので30分で着きました 

今日の午前2時くらいに帰ってきたダーリン
帰ってから寝るまでシャベリ通し

車の中でも一人で話をしていました

身体を動かして
カラダは疲れたかもしれませんが
ココロには栄養が行き渡ったようです

目のクマが取れた(^-^)ゞ




2,3日後に訪れるであろう↑(投票ボタン)
My追加

昨年はごたごたしていて
2年ぶりだからねぇ

ゆっくり滑ったので
転ばなかった

ダーリン
「気をつけて滑らんと
明らかな損傷のある医師に
診てもらう羽目になるぞ」



2004年01月15日(木) セルフ・コントロール


::::::::::『脳の冒険』::::::::
養老猛司 著


― セルフコントロール ―

煙草も止められず
肥満も止められないような人間は
社会人として資格がない

アメリカ人は、そう考える

それをセルフ・コントロール
がきかない人間とみなす

アメリカ人はもともと
人の心理よりも
行動を重視する

だから
禁煙できるか
痩せられるか
そういった表に出る行動が
自然に重視されるのである

アメリカでは
心理学が行動主義になったくらいである

行動主義では
心理は客観的には扱えない
と考える

測定可能なものしか
科学の対象にはならない

行動は測定可能だが
心理は測定不能である

それなら
心理学は行動主義になるほかない

それを心理で片づけようとするのは
日本である

だから「精神一倒」なのであろう

結果はともあれ
「心がけ」である

朝、早起きをして
事務所を掃除する
そういう事務員がいたら褒められる

掃除は
どこまで行っても掃除にすぎない

しかし、その「心がけ」がよろしい

セルフ・コントロールが
日本でアメリカほど言われないのは
「心がけ」の伝統のある国だからであろう

秀吉の草履とりの話なら
日本人はたいてい知っている

草履を懐に入れる行動が重要なのではない

この国では
その「心がけ」がなにより大切なのである

セルフ・コントロールにあたる
日本語はなにか

それはじつは自主規制である

われわれは心の中でなんでも自主規制する
「出る杭は打たれる」のだから

それがいちばん安全ではないか

安全第一
目立たないのがいちばんよろしい


:::::::::::::::::::::::


アメリカ人の考えた行動療法は
日本人には適応しない部分があるのは
当然ですね

やはり日本人にあったプログラムが必要なんだ!




のを怖がっているのだろうか?↑(投票ボタン)
My追加



2004年01月10日(土) ばんそ猫

お正月にダーリンの実家に
訪問したとき
猫の話で盛り上がったのですが

ダーリンの田舎(輪島)では
ノラ猫のことを
「ばんそ猫」
と呼ぶそうです

始めて聞いた言葉だったので
インターネットで検索してみたのですが
引っかからなかったです

「ばんそ」
ってどういう意味があるのだろう?

私の地域では「はわし猫」といいます
「這わす」・・・かな?




ボクは↑(投票ボタン)
My追加

まてよ
寺井出身だから「はわし猫」か(^-^;




2004年01月09日(金) 嫌な記憶消せ


:::::「嫌な記憶消せ」と前頭葉が指令:::::

―嫌な記憶は早く忘れ去りたい―

精神分析学者フロイトが
「抑圧」と呼んだこの心理現象が
脳内で実際に起こり
それがどのような仕組みで
行われているかを
米の研究グループが明らかにした
・
・
・


::::::::::::::::::

こんな記事が今朝の新聞に載ってました
詳細はこちら

読売新聞【サイエンス 最新記事】

嫌な記憶で苦しむ
「心の傷」の治療法開発の
基礎につながる可能性がある


とありますが・・・
自然(脳)はそう簡単には
解明できないでしょうね

私にも記憶が欠落している時期があるんです




それって?↑(投票ボタン)
My追加



2004年01月08日(木) 痛みの変化


掲示板で痛みに変化があった
という報告がありました

私を入れて3,4人

それから
このエンピツで日記を書いている方で
不眠に悩まされていた知人も
よい兆候があると書かれています




誰かさんも言ってたね↑(投票ボタン)
My追加

痛みって本当に不思議ですね
痛みが始まるのはちょっとしたキッカケ
痛みが治まるのもちょっとしたキッカケ

今でも夕方になると
痛くなることがあるのですが

そんな時は早めにボルさまを使います
すると痛みが強くなることはありません

座薬の効き目は私の場合は4時間くらい
最初は時間がくるとまた痛くなりました
2時間我慢して
もう一回使うこともありました

でも、最近は時間が経っても大丈夫

掲示板にも書きましたが
ピンチの時の特効薬をいつも持っているので
安心感があるのでしょうか?

もちろん基本にある
「危険な病気ではない」
という確信が大きいのだ!!!



2004年01月06日(火) 「ああすれば、こうなる」

:::::::::『いちばん大事なこと』::::::::
養老猛司 著


身体を自然の一部だと認めることは
ふつうに難しいことらしい

結核が治せるようになったのは
ストレプトマイシンなどの
抗生物質が開発され
それがよく効いたからだとされる

薬を開発したのは意識だから
薬はつまり人口である

しかし、イギリスに
疫学的なデータを
ていねいにとった研究者がいて
それによると
抗生物質が開発されるより前から
結核患者数はどんどん減っていたという

このデータに従えば
結核患者の減少には
抗生物質よりも
社会経済構造が変化し
生活状態が向上した効果が
大きく効いたことになる

まだ有効な薬がない時代
日本でも結核の治療は
大気、安静、栄養
だといわれていた

ではなぜ
「抗生物質で結核が治った」
と説明されるのか

そこには
都会人の価値観がよく表れている

積極的に薬を投与したら
結核が治った

その考え方のほうを
近代人は好む

身体を取り巻く状況をよくしてやったら
病気が
「ひとりでによくなった」
という話は
あまり好かれない

自分のおかげでよくなったと
意識が威張れない
そう思うせいかもしれない

なにかをしたから
おかげでこういう結果になった

こう考えたがる人間の性向を
私は「ああすれば、こうなる」型思考と呼ぶ

じつはこれが
脳下社会の基本思想である

―― 中略 ――

「ああすれば、こうなる」
とは、なんのことだろうか

これをシュミレーションというのである

頭のなかで
こうすればああなる

ああすればこうなると
現実のシュミレーションをする

結果が都合よければ
それをとる

つまり「ああする」のである

都合が悪ければ、別なふうに
つまり「こうする」

コンピューターができてからは
これを機械にやらせるようになった

そこから発見されたのが
「カオス」である

カオスでは
「ああすれば、こうなる」
ことが理論的にはすべてがわかるのだが

実際におこることが

そのうちのどれになるか
それが決められない

大筋を決める初期条件が
微妙すぎるからである

「最初の条件がこうであれば
結果はこうなります
その計算なら
こうきちんとできています
しかし最初の条件が百万分の一でも違うと
まったく違うほうの結果になります」

そういう予想をされたら
予想できないのと似たことになる

初期条件をそこまで詳細に決めることは
不可能だからである

生きものにはカオスが含まれているし
脳のなかにすら
カオスがあることはわかっている

つまり「ああすれば、こうなる」は
つねに部分的にしか成り立たないのである


::::::::::::::::::::::




その現象をカオスという↑(投票ボタン)
My追加

っていわれてもよくわかんないよね
興味がある人は
「カオス」で検索してみてね

「ああすれば、こうなる」型思考の人間

が多すぎるよね
患者にも治療者にも(←。←)

○【ヘルニアを取ればヘルニアがなくなる】

のであって

×【ヘルニアを取れば痛みがなくなる】

のではないのだ!!!



2004年01月05日(月) 「そんなことは知っている」

:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著


私の大学の学生たちに
昨年あるテレビを見せた

イギリス人の若夫婦が
子供を作ろうと思い

妊娠し、出産するまでを記録した
BBC作品である

50分なので
一時間半の授業では余りが出る

その時間を使ってビデオの感想を
レポートに書いてもらった

薬学部なので女の子のほうが多かった

レポートの中身はよく似ていて
ほとんどの女子学生が
あれも知らなかった
これもはじめて気がついたと
妊娠と出産について
さまざまな新知識を得たと
書いてくれた

驚いたのは
男子学生のレポートである

一割足らずの学生が
母親がどんな思いで
自分を産んでくれたか
はじめてしみじみ考えたと書いた

残り学生はどうだったか

似たようなビデオを
高校の保健の時間に見た

とくに新しいこともなく
あんなことならもうすでに知っている

9割がそう書いたのである

それなら知ってる
テロなら「知っている」

アフガンが爆破されたことは
「知っている」

男子は子どもを産むことはない

夫婦の思わぬ離間は
結婚以来すで始まっているのである

厚生労働省の研究所の調査で
わかっていることだが
日本の普通の家庭では
結婚後15年まで
夫から妻への愛情は横ばいだが
妻から夫への愛情は
ひたすら右肩下がりなのである

統計的な解析で
その理由までわかっている

「夫が子育てに協力しなかった」

それが理由でいる

右肩下がりで
最後は定年離婚に至る

その遠因は子育てにある




子育てへの協力とは↑(投票ボタン)
My追加

それに対して
すでに結婚前の若者たちが
「そんなことは知っている」
という

:::::::::::::::::::::::::

「痛みには不安やストレスが
大きくかかわっている?
そんなことは知っています」

ちゃんと理解してる?
治療者の皆さん(←。←)



2004年01月04日(日) 痛みの法則


12月31日

掃除とお料理で忙しく過ごす
お尻と足が痛く
立っているのが辛いので午前中に
ボルさまを使う



1月1日

あけましておめでとう
朝からのんびり
特に労働?はしていないのに
やっぱりお尻が痛い

我慢しないでボルさまを使う
30分で楽になりましたよ〜

夕方からマチャ一家が来て
楽しく過ごしました



1月2日

初バイトでした
4時半頃、店に入るときに
ボルさま(^-^;

5時開店時には既に満席状態
目が回るほどの忙しさでした

9時くらいには
痛みが強くなってきたので
もう一回ボルさま(^-^;

店を出たのは11時を過ぎていました
さすがに疲れました

夜も調子はまあまあ




1月3日

痛みはほとんどなし
ダーリンの実家に出かけるため
朝から準備

 

おせちとサンドイッチ
娘のバイト先のお寿司持参で訪問

娘はバイトのため代わり?に
クゥちゃんを連れて行く(^-^)ゞ

車の中はなきっぱなしのクゥ
あちらの家族も猫が好きなので
いっぱい遊んでもらう



飲み疲れのダーリンと遊び疲れのクゥ

今日は腰もお尻も脚も
ほとんど痛みなし




ような気がする↑(投票ボタン)
My追加

今まで痛み止め(飲み薬も座薬も)は
まったく効かなかったのですが

効くようになりました
ピンチの時に使うと有効(*^.^*)


 < 過去  目次  未来 >

→ □■痛みを手放そう■□ ←