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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」

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2003年03月31日(月) 「クリックで救える命がある。」のアイコンをつけてみた

2ちゃんねるで「クリックで救える命がある。」というアイコンを良く見かける。
僕はつい最近まで、このアイコンはいんちき系のサイトにでもリンクが張られているのだと思っていた。
でも、よく見てみると実はちゃんとしたボランティアサイトのようである。
ちゃんとしているかどうかは「デザインのセンス」で判断したのだけれど。

====================DFFより引用====================


四角い「募金ボタン」をクリックすると、スポンサー企業があなたに代わってNPO団体へ寄付をします。
あなたには、一切、お金がかかりません。

====================引用ここまで====================


アイコンをクリックすると「クリックで救える命がある。」のサイトにジャンプする。
そこに行くと、「募金ボタン」や「募金リンク」のアイコンがある。
で、それをクリックすると、募金完了。

上記の引用の通り、クリックしてもクリックした側にお金はかからない。
募金ボタンや募金アイコンは企業スポンサーの広告アイコンにもなっていて、募金のお金は企業側が支払うのだ。
クリック保証広告の応用版と言える。
スポンサー企業にしてみれば、俺たちは立派な社会貢献企業だぜ、って事をアピールできる。
クリック回数はクッキーで管理されていて、一日一回しかクリックはできないようになっている。
企業はクリック数に従って、ボランティア活動を行なうNPOに寄付をする。

とても良く考えられた、すばらしいビジネスモデルだと思う。
企業のスポンサーがもっとつくと良いのにね。
たいした金額ではないし、企業ももっと協賛すれば良いのに、と思う。

と、いう事で僕もトップページに「クリックで救える命がある。」のリンク用アイコンを置いてみることにした。
まあ、このくらいの善行だったら、悪魔に魂を売った僕でも許されるだろう。

でも、なんだかLove & Peaceなサイトになりつつあるな。
どうせだったら、いっそのことLove & Peaceなポップでキッチュでサイケでフラワーでジャンボリーなサイトにしてしまおうかな。

■クリックで救える命がある。
http://www.dff.jp/


2003年03月30日(日) くちどけ生茶のCMからキックシーンが消えた

くちどけ生茶のCMの初期バージョンはインパクトがあった。
松嶋奈々子が滑り台から勢い良く滑り降りてきて、中学生の背中をキックしてぶっ飛ばすバージョンだ。
僕は一回くらいしか見ることができなかった。

僕はロングバージョンだけにキックシーンがあるのかと思っていたら、自粛されてカットされたようである。
現在放送されているバージョンでは、キックのシーンはカットされ、キックの音だけになっている。
生茶のサイトも見てみたが、キックシーンのカットされたバージョンのCMしか見ることができなかった。

誰かが、イジメを彷彿させる、とか言ってクレームをつけたのだろう。
久々に良く出来た面白いCMだったのに残念である。
あのキックシーンがなくなったせいで、CMの面白さがなくなってしまった。
CMはモノを売るための広告であって、芸術でも表現でもないのでしかたがないのだけれど、残念だ。

僕も宣伝部に所属していたことがあるからわかるのだけれど、CMに対してはほんの少しでもクレームがつけば、すぐに打ち切りになる。
生茶の場合は、シーンのカット程度で済んだようだけれど。

しばらく流れていれば、いくつかの広告賞も取れる出来だったと思う。
クリエイターはくやしいだろうなあ。

■生茶のキックシーンのカット版のCMが見れるサイト
http://www.beverage.co.jp/namacya/index.html


2003年03月29日(土) 遠くなった高校野球

選抜高校野球をやっているせいで、NHKのイラク報道の時間が減った。
やはり、日本人にとっては高校野球は特別なのか。

子供の頃の僕にとって高校野球は身近な存在だった。
小学生の頃、夏休みになるとお弁当を持って、甲子園に通った。
高校野球の試合は甲子園の外野席は無料だ。
阪神間の子供にとって、甲子園は夏休みのいい遊び場だ。

僕の父は高校の野球部の顧問をしていた事があるせいか、春と夏の高校野球シーズンはTVで高校野球ばかりを見ていた。
幼馴染が甲子園に出るというので、バスを仕立ててみんなで応援に行った事もある。

僕が通っていた高校の野球部は地区予選の1回戦ですら何年も負けつづけているような弱小野球部だった。
それでも、学校で野球部の扱いは別格だった。
試合のある日は、授業が休みになって応援にいったし、野球部の生徒は授業への出席を免除されて、練習をしていた。

高校野球は日本人にとって特別な何かがあるのだ。

高校野球には、今は無き日本がある。
丸坊主の頭。
汗と努力と根性。
故郷ナショナリズム。
ノスタルジックな日本。
僕達が完全に忘れ去ってしまった何かがある。

きっと高校野球の選手達の素顔はイマドキの高校生なのだろうけれど、少なくともメディアを通じて見る高校野球選手は昔ながらの、高校野球選手だ。

今の僕にとっては高校野球はとても遠い存在だ。


2003年03月28日(金) メディア地獄

最近、購読契約をしていない雑誌が良く届く。

最近届いた「未」契約の雑誌は、「日経コンピュータ」、「週刊東洋経済」、「ダイヤモンドLOOP」、「日経アソシエ」である。
このうち「日経コンピュータ」と「ダイヤモンドLOOP」はなぜか2冊ずつ届いた。
これらは未契約なので、当然お金は払っていない。

正確に言えば、「ダイヤモンドLOOP」は定期購読契約をしているのだけれど、契約している以外にもう一冊届いた。

あちこちの展示会等で名前を登録しまくっているからだろうか。
無料で雑誌が送られてくるのはたいへんありがたいのだけれど、上記以外にも定期購読誌が何冊かあるので、最近は読むほうが全く追いつかない。

どんどんと、未読雑誌が溜まっていく。
雑誌以外にも時々、書籍も送られてくるので自宅は未読本の山である。
僕は貧乏性なので、本や雑誌はきちんと読み終わらないと捨てられない。

自分で読みたい本も買うと、もう収拾がつかなくなる。
時間があるときは、ひたすら本を読み続けているのだけれど、全然追いつかない。

そのうえ僕は、メールニュースは50種類くらい購読している。
毎日3−40本はメールニュースも届く。
こちらは仕事中に全部読む。

更に僕はTV番組もチャンネルサーバーにどんどん録画している。
録画して見ている番組は週に50本くらいある。
こちらも、きちんと全部見る。
ドラマの話題にも、ワイドショーの話題にも完全についていける。
もちろんCMは飛ばすけれど。

更に更に、合間を縫ってFF-X2もやらなければならないのである。
FF-X2は進捗率30%で止まっているけど。

WEBLOGも毎日書いてるし。
飲みに行ったりもしてるし。
僕の帰宅時間はだいたい午前0時前後だし。

「一体そんな時間がどこにあるのですか?」と良くたずねられる。

答えは・・・。



















寝てないだけです。


2003年03月27日(木) 統一地方選にマイナス投票を認めよ

統一地方選が始まった。

しかし、今回は期待の羽柴秀吉の名前がない。
羽柴秀吉のいない都知事選なんて・・・。

と、思っていたら、羽柴秀吉の本命は大阪府知事選らしい。
羽柴秀吉は大阪府知事選が本命なので、今回の東京都知事選は見送り、との事。
大阪は横山ノックが知事を務めた地方自治体だ。
羽柴秀吉が当選する可能性は全国の自治体のなかでは最も高いかも知れない。

今回の東京都知事選の期待はドクター中松くらいしかいない。
石原慎太郎とドクター中松の一騎打ち。
ドクター中松にはがんばって欲しいものだ。

一方で僕の住む神奈川県知事選には僕の大ーーーーーー嫌いな田嶋陽子が立候補。
選挙の一票にマイナス票を認めて欲しい。
僕は別に誰に投票したいとも思わないが、田嶋陽子が神奈川県知事になることだけは何としてでも阻止したい。
マイナス票が認められるのであれば、田嶋陽子にマイナス票を投じたい。
マイナス票が認められないのであれば、田嶋陽子の神奈川県知事就任を最も阻止可能であろう候補者に投票する。
僕の一票はあくまでも田嶋陽子阻止票でしかない。

不信任というか、マイナス票を選挙の時点から導入して欲しいものだ。


2003年03月26日(水) コンサルティングファームの謎 ��コンサルタントはマシーンのように働く

初めてコンサルタントを使うクライアントにプロポーザルを提出して、プレゼンをすると必ず訊ねられる質問がある。

「業界や業務内容、自社の事情については自分たちのほうが圧倒的に経験も知識もあります。たった1−2ヶ月でどうやってそれを超えられるんですか?」

「何年にも渡って私たちが答えを出せなかった問題になぜ、たった1−2ヶ月で答えを出せる、と言い切れるんですか?」

僕たちとしては「そりゃあ、あんたたちがマジメに仕事してないからだよ」と言いたいところだけれど、そうは言えない。

先日、同じような質問を実際にされたときの答え。


「我々はマシーンのように働きます」


コンサルタントは実際にマシーンのように働く。
とても、頭を使って考えるような仕事をしているようには見えない。
一日中、朝から「朝」まで鬼のような速度でキーボードをたたき続けている。
通常、考える仕事は非定型業務なので、本来の仕事の成果は時間とは関係ないはずなのだけれど、コンサルタントは長時間労働者である。

僕たちは本来は「非定型業務」である、考える、という行為を「定型化」している。
「うーむ、うーむ」、と悩んで答えを探してはならない。

コンサルタントの仕事には必ず締め切りがある。
締め切りまでに意地でも答えを見つけなければならない。
悩んで答えが必ず見つかるのであれば、クライアントはただ単に悩み足りないだけである。
悩めば必ず答えが見つかる、などという保障などどこにもない。

僕たちは考える、という行為を定型化、とまではいかないまでも極力定型化する。
考える、という行為をできる限り、頭を使わない作業レベルに落とし込むのだ。

いわゆる、仮説思考というやつだ。
コンサルタントにとっては、当たり前とも言える、基本中の基本だ。
新人コンサルタントは「で、仮説は何なんだよ」とか「仮説も立てずに分析をやるとは何事だ」と毎日怒鳴られつづけているはずである。

仮説を作ってしまえば、あとは検証するだけである。
検証は単なる作業である。
たぶん○○だ、という仮説を立て、それを検証するためのデータ収集やインタビューを行なう。
検証作業をやっていくうちに、仮説が間違っていたとしても、その作業の過程で正しい答えが見つかることが多い。
仮に完全に仮説が間違っていれば、もういちど仮説を立て直して検証しなおせば良いのだ。
繰り返せば短時間に答えは見つかる。

コンサルタントにとっては、仮説→検証の繰り返しは当たり前の事として、既に肉体化されているので、意識することは少ない。

ブレストをして仮説を立てる。
そしてマシーンのように検証作業を行なう。
またブレストをする。
そしてまたマシーンのように働く。

コンサルタントの優位性って実はこれだけのような気がする。

あとは・・・・・・・・・。












寝なくても平気な体力。


2003年03月25日(火) Give Peace a Chance

僕は去年の正月、米国の同時多発テロに哀悼の意を示すつもりで、このポストカードを年賀状として友人達に送った。


"Give Peace a Chance"





米国はあのときの気持ちを忘れてしまったらしい。
子供の頃、「自分がされて嫌なことは他の人にしちゃだめ」って、親から教わらなかったのかな。

世の中では、サイトのトップページを書き換える「サイバーデモ」と呼ばれる「サイバーテロ」が流行しているらしい。
僕は攻撃を受ける前に自分で書き換えておく事にした。

オクノ総研トップページ


2003年03月24日(月) 日本のメディアは少しでもいいから良心を持ってくれ

いい加減、日本のマスメディア、特にテレビ報道が許せなくなってきた。
少し前までは金正日の「全てが悪」、みたいな面白おかしい北朝鮮報道が続いていたが、今度はフセインの「全てが悪」報道である。
正直言って、僕も戦闘がはじまるまではイラク、北朝鮮に関する面白おかしい報道を笑いながら見ていた。

フセインには影武者が3人いる、子供の頃に教師を銃で撃った、奥さんが何人もいる、二重人格だ、云々。
極めつけは「フセインは顔は笑っていても、目が決して笑わない。だから残虐に違いない」。
目が笑っていないなんて、単なる印象だろう。
フセインは悪なのかもしれないけれど、いい加減な煽り報道(こんなものは報道とは言えないが)は勘弁して欲しい。
日本人は米国人と同様、単純でバカなんだから、そのまま信じてしまう。
確かに僕ら視聴者はバカだが、行き過ぎたバカ報道は止めて欲しい。
今は本当の戦争なのだ。

放送局は日本政府から圧力がかかっているわけじゃない。
報道管制を受けているわけではないはずだ。
戦争報道が偏るのは常だが、今の日本のテレビ報道は目に余る。
戦争を面白おかしくバラエティーに仕立てあげて放送するのは止めて欲しい。
ただ単に視聴率が欲しくて、煽っているだけだ。
日本のテレビは自分達の意志で、面白おかしく戦争を煽っているだけだ。

テレビ局は営利企業である一方で、公共の電波を与えられている企業であることを忘れているのか?
視聴率のために、いつまで偏向報道を続けるつもりだ。
僕が怒りを覚えるのは、戦争をバラエティーのように面白おかしく煽る行為だ。

日本のメディアは少しでいいから良識を持った報道をして欲しい。
戦争はバラエティーじゃないんだから。
一応はジャーナリストのつもりなんでしょ?


2003年03月23日(日) コンサルティングファームの謎 ��コンサルティングファームはどこへ向かうのか

全てのコンサルティングファームは「戦略から実行まで」を掲げている。
実際に戦略から実行までを本当にサポートできるケイパビリティーを持ったコンサルティングファームなど皆無に近いが、少なくとも目指す方向は「戦略から実行まで」である。

ここで言う「実行」とはシステム開発のことを指していると考えてよい。
戦略主体のコンサルティングファームはシステム開発を強化したいと考えるし、システム開発主体のコンサルティングファームは戦略を強化しようとする。

少なくとも、つい最近までのコンサルティングファームの目標は「戦略から実行まで」の一括請け負いであった。
一括請け負いによる囲い込みビジネスである。
一括請け負いビジネスはうまみが多い。

だが、今は「戦略から実行」に加えて「実現」である。
クライアントの目標が実現されるまで、面倒を見させていただきますよ、運命共同体ですよ、一蓮托生ですよ、と言ったところだ。

ネットバブルの際には株式による報酬受け取り型のコンサルティングが流行した。
コンサルティングファームのフィーを支払えるほどの規模ではない、草創期のベンチャー企業に対して、フィーではなく株式で報酬を受け取るようなビジネスである。
ベンチャー企業が成功することにより、株式公開することを前提に現金に代わって株式でフィーを受け取った。
もちろん、このビジネスモデルはネットバブルの崩壊により消え去った。

そして、現在のコンサルティング業界の流行はアウトソーシングビジネスである。
「お任せください、成功するまで全て面倒見ます」という完全成功請け負いビジネスである。
このアウトソーシングの概念は通常イメージするアウトソーシングとは別物であると考えたほうが良い。
長期のコンサルティング契約みたいなものだと考えたほうがわかり易い。

アウトソーシングとして企業の特定部門の業務を数年間に渡って請け負う。
数年かけて継続的に業務改善を行う。
決められた契約金額のなかで業務改善を行いコストを削減する。
そして今度はそのコスト削減によって得られた原資をもとに、更なる業務改善に再投資する。
また業務改善により原資が得られれば、更に次の業務改善に再投資をする。
これを数年間に渡って繰り返す。
数年後には劇的に業務が改善されているでしょ、というビジネスモデルだ。

コンサルティングファームにとってのアウトソーシングビジネスとは、すなわち長期的なコンサルティング契約である。
コンサルティングファームにとってはアウトソーシング契約によって長期的に安定した収益が得られる。

コンサルティングファームはビジネスモデルを変革すべく、様々な挑戦を重ねてきた。
人月によるフィービジネスのモデルでは成長に限界があるからである。
コンサルティングファームは、もはやコンサルティングファームではないのだ。


2003年03月22日(土) コンサルティングファームの謎 ��業界再編

ここ、1−2年の間で多くのコンサルティングファームが合併や社名変更を行った。
特に会計系のコンサルティングファームは再編に巻き込まれなかったほうが珍しいくらいだ。
これらの再編の引き金となったのはエンロン事件である。
アンダーセンによるエンロンの不正会計疑惑だ。

会計監査とコンサルティングを同時に行う事による不正。
コンサルティングの仕事を得たいがために、会計監査を甘くする。

会計系のコンサルティングファームは会計系と呼ばれるだけあって、もともとは会計事務所である。
だが、いつの頃からか会計事務所でありながら、会計監査業務よりコンサルティグ業務の比率が増していった。
会計監査業務よりもコンサルティング業務のほうが遥かに儲かるからである。
よって、会計系コンサルティングファームは会計監査業務よりもコンサルティング業務に力を入れてきた。
会計監査業務で企業に入り込み、そのままその企業のコンサルティング業務を行う。
コンサルティング業務を得るためには、会計監査に手心を加える。

監査業務とコンサルティング業務を同時に行う事が不正の温床になる事は、エンロン事件が起きるよりずっと前からわかっていたことだった。
会計監査業務とコンサルティング業務を同時に行う事は本来許されないのだ。
エンロン事件が起きる前から、会計監査業務とコンサルティング業務は分離の方向に向かっていた。
まさに分離の方向に向かおうとしていたその時にエンロン事件が起きたのである。
会計監査業務とコンサルティング業務を同時に行う事による、不正が生じるリスクが表面化した。
エンロン事件により、会計監査業務とコンサルティング業務の分離が一気に加速した。
これが、今回の再編劇のはじまりだ。

そして、会計事務所とコンサルティングファームとの分離を外部対してに明確にアピールするため、社名変更を行った。

そのうえで、企業が二分割され、企業規模が縮小したため、もともとの規模になるため、いくつかの企業は合併をすることとなった。

これが、現在のコンサルティングファームの再編劇のはじまりである。
だが、この再編劇はまだはじまったに過ぎない。
これまでの再編劇は多分に制度的な理由によるものであり、ビジネス的な理由によるものではなかった。
だが、これからはじまる再編はコンサルティングファームのビジネスモデルの変更によるものである。

明日につづく。


2003年03月21日(金) コンサルティングファームの謎 ��コンサルタントに向きの人材とは

コンサルタントには向き不向きがある。
ビジネスマンとして優秀だからといって、コンサルタントとして適性があるというわけではない。
コンサルタントとしての優秀さとビジネスマンとしての優秀さは必ずしも一致しない。

大企業のなかで、優秀だった人間は社費でMBA留学をする。
そして、MBA取得者の多くは、元々所属していた大企業を見捨て、投資銀行か戦略コンサルティングを目指す。
だが、MBA取得者の多くは戦略コンサルタントになっても、一年もせずに脱落する。
戦略コンサルタントとしての適正は、ビジネススキルとはまた別物なのだ。
極端な話、社会人としては最悪でも、優秀な戦略コンサルタントと呼べる人物は多数存在する。
もちろん、社会人として、ビジネスマンとして立派であるほうが良いに決まっているのだけれど、現実には人格的には最悪だけどコンサルタントとしては優秀、と呼べる困った人が多数存在する。
逆に人格的にもビジネスマンとしても非の打ち所ないほど立派だけど、コンサルタントとしては全然ダメ、とう人間も多い。

新卒コンサルタントの場合、学業成績とコンサルタントとしての仕事のパフォーマンスには相関関係が高い。
学業が優秀であったり、受験エリートであることはコンサルタントの初期段階では重要である。
新米コンサルタントの仕事は、調査や分析が主な仕事だ。
そこでは、ビジネスマンとしての能力よりも、お勉強スキルが生きる。
吸収力の速さと、バカ正直に何も疑わず、マネージャーの言うことに従うほうが新米コンサルタントは良い結果が得られる。
学校で先生の言う事に何ら疑問を抱かず、いい成績を収めてきたような人間のほうが、コンサルティングファームの新卒アナリストとしては優秀なのだ。
普通に考えるととんでもない事だけど。

だが、中途採用者や、ある程度のクラスになってくると求められるものが異なってくる。新卒コンサルタントが脱落するのはこの段階だ。
新卒コンサルタントはコンサルタントやアソシエイトに昇進するあたりで、最初のスクリーニングが行われる。
受験エリートとしてのスキルだけでは通用しなくなる。
コンサルタントやアソシエイトレベルになると、もはやお勉強スキルだけでは生きていけない。

コンサルタントとして優秀かどうかは、ロジカルに原理原則に即して物事を考えられるか、これに尽きる。
戦略コンサルタントに必要な能力は「知識」でも「経験」でもない。
「ロジカルな思考力」だけである。
クライアントのなかにはコンサルタントに知識を求める企業もあるが、それは戦略コンサルタントの使い方を間違っている。

コンサルタントもビジネスマンとしての成功体験が強いとどうしても「知識」や「経験」経験に頼ってしまう。
僕も特定分野においては「知識」や「経験」では誰にも絶対に負けない自信があるけれど、そこに陥ってしまっては戦略コンサルタントである意味はないのだ。
「知識」や「経験」であればクライアントのほうが圧倒的だからだ。
クライアントも戦略コンサルタントには「知識」や「経験」も求めてはいけない。
戦略コンサルタントの価値は「ロジカルな思考力」なのだ。

コンサルタント向きの人材とはあくまでも「ロジカルな思考力」ができるか否か。
「知識」も「経験」もあるに超した事はないけれど、そこに陥ってはいけない。
不思議な職業だ。

ただし、僕は例外。


2003年03月20日(木) とりあえずイラク大使館を見学してきた

僕のオフィスの裏はイラク大使館である。
僕の席からイラク大使館は50メートルも離れていない。
僕の会社はイラク大使館から最も近い米国資本100%企業。
お昼休みにタイ人のお店でグリーンカレーを食べた後、イラク大使館の様子を見に行ってきた。

イラク大使館の前には、むさくるしいマスメディアが3-40人くらい陣取っていた。
報道の人達ってスーツを着ていてもなぜか貧乏くさい。
イラク大使館の玄関に向けて十数台のカメラが回っている。
僕の会社の前は中継車の路上駐車で埋め尽くされていた。
いいなあ、マスメディアは。
駐禁取られなくて。
僕が路駐しようとすると、速攻で警官が走ってくるぞ。
道路は中継用のケーブルだらけ。
ケーブルに足をひっかけないように養生までしてある。
ちゃんと道路使用許可を取ったのかなあ。

イラク大使館は路地裏の小汚いビルに入っている。
入り口のドアには「本日は閉店しました」的な貼り紙がしてあった。
こんなところで、見張っていても何もネタなんて出てこないと思うんだけど。

イラク大使館の前ではどこの局だか知らないけれど、レポーターがカメラに向かって、叫びまくっていた。
勝手に通行人やクルマを止めるなよ。
厨房の僕はカメラに向かって、とりあえずピースをしておいた。

今回の戦争のお楽しみのひとつは、大アメリカ帝国のプロパガンダがどこまで通用するか、である。
湾岸戦争の時にはCNNが、大アメリカ帝国の大本営からのインチキ映像を流しまくった。
今回は湾岸戦争のときにはまだ普及していなかったインターネットがある。
大アメリカ帝国のプロパガンダがどの程度通用するかは見ものである。
CNNの映像とインターネットで伝わるであろう情報は、どの程度食い違うか。
きっと恐ろしく違うはずだ。
僕はもともとマスメディアは全く信用していないので、今回はどんなおバカ報道をしてくれるのか、見ものである。

そして、今回の戦争の歴史的意義は、大アメリカ帝国が地球で唯一のスーパーパワーであり、暴走をはじめたら誰にも止められないことを証明したことだ。
安保理も全く機能しない。
安保理が何と言おうと、世論がどうだろうと、大アメリカ帝国のカウボーイには知った事ではない。
大アメリカ帝国は自分の単独意志で地球をどうにでもできる事を証明した。
もうこの世界は大アメリカ帝国に征服されてしまったのだ。

戦争は非当事者にとっては最高のエンターテイメントだと思うのだけれど、今回の戦争はエンターテイメントとしては全然面白くない。
大アメリカ帝国が「もしかしたら危険かもしれない」潜在的な脅威に対して、バカスカと一方的にミサイルを撃ち込んでいるだけだからだ。
ここには何のドラマもない。
自称マッチョのカウボーイが嫌いなやつを苛めているだけだ。
ケンカというよりイジメ。
もう少し複雑な人間関係とか、国家間の衝突する利害関係とか、ドラマとして盛り上がる要素が欲しかった。
イラクが大量破壊兵器を廃棄しなかったからだ、っていったって、もともとの原因を作ったのは大アメリカ帝国だ。
ヒゲマリオは大アメリカ帝国の脅威に対して備えていただけだ。
テロリストだって、大アメリカ帝国にガチンコで戦っても勝てるわけがないのでやむなくテロ行為を行っているに過ぎない。
世界の平和を乱している根本原因は大アメリカ帝国ジャイアニズムなのだ。

軍事力とその軍隊を維持するための経済力。
戦争は経済力の強いものが勝つ。
とてもわかりやすい資本主義の原則だ。
正義が勝つわけではない。
金持ちが勝つ。
日本も再軍備すれば、世界で二番めに強い軍事国家になれるだろう。

国連も安保理も国際法も関係ない時代がやってきた。
これから世界はどうなるんだろうね。

とりあえず、GOVドメインのサイトに「田代砲」でも撃ち込むか。


2003年03月19日(水) コンサルティングファームの謎 ��報告書1ページあたり100万円は本当なのか?

都市伝説として、戦略コンサルタントの報告書は1ページあたり100万円以上する、といわれている。
それは本当なのか?

はい、本当です。

僕らがコンサルティングの結果を報告書にまとめるときには、本編とエグゼクティブサマリーの両方を用意する。
本編はクライアントの担当者向け、エグゼクティブサマリーはその名の通り、社長および役員向けの資料である。
本編は結構な量があったりもするのだけれど、エグゼクティブサマリーはせいぜい30枚程度のパワーポイントである。

都市伝説で言われるところの、「戦略コンサルタントは30枚ほどの簡単な報告書で数千万円を請求する」は、このエグゼクティブサマリーを指している。
エグゼクティブサマリーだけ見れば、確かに1ページあたり100万円のドキュメントかもしれない。

エグゼクティブサマリーを作っている時の僕の発言。

「難しい言葉使っちゃ駄目じゃん。もっとバカでもガキでもわかるような言葉に直して」
「ここの漢字はひらかなにして。カタカナ、漢字は最小限」
「もっと、字を大きくしてよ」
「文字が多すぎ、一言で短く明快に表現して」
「もっと枚数を減らせない?」
「絵をたくさん入れてマンガっぽくして」
「かわいい色を使ってよ」
「数字はポイントだけ、どどーんとでかく」
「ページはすかすかにして、詰め込んじゃ駄目」
「基本はどんな大バカが見ても3秒でわかるように、だからね」

このような指示をすれば、当然、誰にでも理解できる難しいことを全く言っていないシンプルでファンシーな資料ができあがる。
もちろんこれは、エグゼクティブは忙しいので、短時間で要点を正確に理解できるように、という狙いなのけれど。

でも「大バカでもわかるように」を本気で言っている場合もある。
欧米企業のエグゼクティブは経営のプロなのだけれど、日本企業のエグゼクティブは従業員のアガリポジションなので、専門的な経営用語はわからない人が多い。
財務諸表すらロクに読めないような役員も多い。
日本企業のエグゼクティブは専門的な経営のスキルや知識がなくても務まる。
よって、ややこしい専門用語など、もっての他である。
偉い人(予算を持っている人)に恥をかかせてはならない。

エグゼクティブサマリーは、「バカでも3秒でわかるように」作ってあるので、結果的にお勉強好きの人が見ると、どうしてこんなものが数千万もするのか、という気がするのだろう。

エグゼクティブサマリーは確かに30枚なのだけれど、そのエグゼクティブサマリーの裏にはダンボール数箱分のドキュメントが隠れている。
簡単なグラフに見えても、数千行のEXCELの式が隠れていたり、一言のコメントが何十件ものインタビューのなかからの一言だったり。

とんでもなく難しいことや、ややこしいことを、アホでもわかるように示すのがコンサルタントの役目なのだ。
戦略コンサルタントは、お勉強資料や学術論文を作るのが仕事ではない。
経営者の判断材料を提供する事が仕事なのだ。

戦略コンサルタントが作ったエグゼクティブサマリーを目にする機会があったら、真似して同じようなものを作ってみるといい。
絶対、同じようには作れないよ。

もし、戦略コンサルタントの報告書を見て、このくらい自分でも作れる、と思ったら、同じようなものを作ってみる事をおすすめする。
外見は似たようなものが出来上がると思うけれど、クオリティーは全然違うはず。
本当に同じクオリティーのものが一般企業の社員が作れてしまったら、僕らはプロとしてメシが食えない。
でも、真似してみればいろんな発見があると思う。


2003年03月18日(火) コンサルティングファームの謎 �╂鑪�コンサルタントは大物への最短距離

戦略コンサルタントは急速な成長が約束されている。
僕の周りにいる人達も例外なく、全員が大物になりつつある。

戦略コンサルタントになることは、大物への最短距離だと心から思う。
誰もが戦略コンサルタントになった当初から大物だったというわけではない。
入社当時は、みんなごく普通のどこにでもいるような若者だった。
でも、入社して一年もたてばかなり見かけが変わってくる。
入社当時に撮影された社員証の写真と実物を見比べただけでも、全く顔付きが違う。

まるで別人。

僕はたまにしか見かけない人に会うと、その成長ぶりに驚くことが多い。
たった1年でも見違えるほど、大きくなる人間は多い。

逆に途中で退職してしまった人間は、大物からただの普通の人に戻っていることが多い。
やはり、戦略コンサルタントを辞めて普通の生活に戻ってしまうと、大物ではいられなくなるのだろうか。

戦略コンサルタントの成長スピードは、とてつもなく早い。
しかも例外なく成長する。

もし、とてつもないスピードで成長したければ、戦略コンサルタントになるべきだ。
どんな人間でも、必ず成長する。

戦略コンサルタントでありながら、成長しない人間がいたとすれば、その人間は敢えて成長を拒絶しているはずだ。








僕を含めてみんな、ぶくぶくと・・・。






「でぶ」に・・・。






相撲部屋みたいに・・・。






みるみるうちに巨大化・・・。






そんなにガツガツ食うんじゃないっ!






僕の周囲を見渡す限り、戦略コンサルタントは例外なく誰もが太る。






成長、大物というのはあくまでも肉体的な話だったりする。





これこそ「コンサルティングファームの謎」である。


2003年03月17日(月) コンサルティングファームの謎 �Э融�制度は軍隊と同じ

コンサルティングファームの人事制度というか、階級制度は軍隊と基本的に同じである。
戦略コンサルティングそのものが、軍事戦略が起源であるからかも知れない。
たぶん関係ないと思うけど。

コンサルティングファームでは軍隊と同じく、コンサルタントがプールされており、戦闘の替わりにジョブが始まると、仕事の内容に応じて適切なメンバーを集めてチームを編成する。
いわゆるタスクフォース型の組織。
一般企業のように○○部とか○○課が存在し、社員がどこかの部門に所属しているわけではない。
個々のコンサルタントはスキルセットの種類と業界、クラスが定義されているされているだけである。
ジョブごとに異なるメンバーでチーム編成を行うため、所属はない。
戦略コンサルティングの場合、ひとつのプロジェクト期間は2−3ヶ月と短いので、2−3ヶ月ごとに人事異動と転勤を繰り返しているようなものである。

クラスは軍隊での階級と同じしくみ。
ニ等兵から将軍まで。
新卒アナリストの二等兵から、下士官であるコンサルタント、マネージャー、マネージングパートナーという将軍まで。

ここ を参考にするとこんな感じか。

アナリスト       → 士
コンサルタント    → 曹
マネージャー     → 尉
シニアマネージャー → 佐官
パートナー      → 将官

ジョブが始まると、メンバーが召集される。
初顔合わせのメンバーも多い。

「キミの所属とクラスは?」
「はっ、戦略グループ、コンサルタント2でありますっ」
「業界は?」
「はっ、通信業でありますっ」
「この間まで参画していたプロジェクトは?」
「はっ、固定網のIPv6化に伴う音声通信の事業再編戦略策定に参画しておりましたっ」
「んじゃ、まずは、特盛のつゆ抜きとドクターペッパー買ってきてくれや。あ、七味は多めに貰ってきてな」
「はっ、了解しましたっ」

最初の会話はこんな感じ。

はじめて出会うメンバーでも、数時間でチームとして機能しなければならない。
仕事の進め方や思考回路が人によって異なっていては、短時間でチームを立ち上げられない。
各コンサルティングファームにはそれぞれ「メソッド」として、仕事の進め方を定義してている。
メソッドはグローバル単位で統一されている。
国境を超えたメンバーでチーム編成をすることも多いので、国籍が違っても、仕事の進め方は基本的に変わらない。

自衛隊や軍隊との大きな違いは、常に戦闘状態にあることだ。
クライアント企業は、自分達単独では無理だ、と判断した仕事しかコンサルティングファームには依頼しないので、難易度の低い仕事は存在しない。
戦略コンサルタントは毎日、「プロジェクトX」状態が続く。
修羅場は戦略コンサルタントである限り、毎日、延々と、際限なく、ひたすら、退職するまで続く。
クソ高い金を払うんだから、とクライアントはあれもこれもと要求する。
営業スマイルで何でもかんでも受けてしまうパートナーを、僕らマネージャーはクライアントのご機嫌を損ねずに牽制しなければならない。
下手に受けてしまうと、今度はスタッフに後ろからぶすっと刺される。

僕らは倒れようが死のうが、骨を拾うものなし、という点では軍隊というよりも傭兵部隊といったほうが近いのかも。


2003年03月16日(日) コンサルティングファームの謎 �Ε�ャリアとしてのコンサルタント

戦略コンサルティングファームはものの見事に凋落中。
戦略だけで、実行フェーズまでの面倒を見ることができないコンサルティングファームは総じて経営状況が悪化している。
全てのコンサルティングファームは「戦略から実行まで」を標榜しているが、ほとんどは大嘘である。
戦略系は実行フェーズ、特にIT関連が弱すぎるし、会計系の戦略は実際は戦略ではなく、プロセスであることが多い。

学生の就職人気ランキングでもコンサルティングファームは大きく順位を落とした。
2−3年前のコンサルティングブームは何だったのだ、というくらい。
まあ、採用する側としては中途半端な記念受験の学生が減り、余計な仕事が少なくなって助かるのだけれど。

バカ学生は就職においても、偏差値にこだわる。
2ちゃんねるの就職版でも就職偏差値ランキングが人気を呼んでいる。
これはこれで面白いのだけれど、偏差値で会社を選んでどうすんだよ。
給与ランキングみたいなものもあるのだけれど、初任給を比較しても無意味だろ。

■コンサルティングファーム就職人気凋落の理由

�ゞ罰�再編
PWCのIBMによる吸収合併、アンダーセンとKPMGの合併、会計監査とコンサルティング業務の分離に伴うコンサルティングファームの再編、デロイト、アンダーセンコンサルティングの社名変更。

��破綻が相次いだ
アンダーセンのエンロン問題による破綻。
ネットバブルの崩壊に伴い、戦略系コンサルティングファームの経営が一気に悪化。

��アップ・オア・アウト
昇進できない者はファームを去れ、というアップ・オア・アウトが安定志向の学生に敬遠された。

�ぞ�来性
上記の�´↓�の理由により、将来の安定性を危惧する学生からはコンサルティングファームへの就職は敬遠された。

コンサルティングファームには新卒で入るべきか、中途で入るべきか、という議論がある。
ベストパターンはこんな感じだと思う。


新卒で大企業に就職
↓
就職3-4年めから2年間MBA留学
↓
20代後半でコンサルティングファームにコンサルタント/アソシエイトクラスで転職
↓
2年間勤めて、マネージャーに昇進したら退職


ずる賢くキャリアアップだけを考えるなら、これがベストだと思われる。

新卒でコンサルティングファームに入ったならば、パートナーに昇進するまで、ずっと辞めずにコンサルティングファームに居座ったほうが得だ。
サバイバルは大変だが、しぶとく生きるべきだ。
最悪なのは、新卒入社後2−3年で退職することだ。

中途で入社した場合、新卒と比較するとクラスに関しては不利である。
中途入社の場合、社会人経験年数は半分程度に換算される。
よって、なるべく若いうちにコンサルティングファームに入ったほうが良い。
あまりに若いと、今度は第二新卒扱いになるので、20代後半くらいがベスト。
そして、スキルを身に付けたら、キャリアアップのために別の道を探ったほうが得だ。
ファームはキャリアのための踏み台であって、ゴールではない。
中途採用の場合は、前職のキャリアとコンサルタントとしてのスキルをレバレッジして、一般企業に戻ったほうが能力をより生かせる。

コンサルタントはあくまでもプロフェッショナルであり、「就社」という感覚は持たないほうが良い。
コンサルティングファーム側もコンサルタント側もお互いに、常に緊張関係を持ち続けるべきだ。
コンサルタントはファームに対しては仕事内容、待遇に関してきちんと要求すべきだし、コンサルタントはファームからの期待を超える結果を出しつづけなければならない。

僕自身は「人生いきあたりばったり」で、金にもキャリアにも興味がないので、どうでもいいのだけれど。


2003年03月15日(土) コンサルティングファームの謎 �ダ覆�ない

コンサルティングファームには自分の席がない、という伝説がある。
これは伝説ではなく本当である。

基本的にコンサルタントはクライアント先に常駐して仕事をすることが多いため、固定席を用意しておいても、あまり意味がないのだ。

個々のクライアントの課題を解決する、という仕事である以上、クライアント先に常駐しなければ仕事は進まない。
一般的な調査、分析系の仕事であれば、クライアント先に常駐しなくても可能だが、クライアントの個別具体的な課題を解決するためにはクライアント先に常駐したほうがやりやすい。

ただ、クライアント内でも機密度が高いとされる仕事の場合、クライアントの一般社員の目につかないようにクライアント先では仕事をしない。
リストラでどの工場を売り飛ばすかの検討や人事制度改革の仕事など、クライアントの一般社員の目に触れてはならない。

また、インタビューや調査であちこちを飛び回ることが多いので、自分の所属オフィスにいる時間はとても少ない。

と、いう事でコンサルタントは基本的に自社オフィスでは仕事をしないことになっているので、固定席がない。

オフィスの座席は事前にインターネット経由で予約するようになっている。
世界中のどこのオフィスでも同じサイトから予約ができる。
去年の春、僕はサンフランシスコやシリコンバレー、ヨーロッパのオフィスを転々としながら仕事をしていたのだけれど、いつもと同じシステムを使い、インターネットで自分のオフィスを予約して作業場所を確保していた。

コンサルタントは自分のオフィスにいなくても、仕事が滞りなく進まなくてはならないので、社内のシステムにはほとんどウェブベースでどこからでもアクセス可能になっている。
交通費の精算のような単純な事務作業から始まって、社内のナレッジマネジメントシステムへのアクセス、人事管理や予算管理、契約業務等もどこからでもアクセスして遂行できなくてはならない。

地球上のどこにいても、同じように仕事ができなくてはならないのだ。
僕がリアルモバイラーとして、どこでもオフィス環境を実現できるようなほど重装備なのはこのためである。

ま、実際には僕は自分の席を長期予約しているので、半固定席状態なのだけれど。


2003年03月14日(金) コンサルティングファームの謎 �ぅ灰鵐汽襯謄�ングファームのブランド戦略

コンサルティングファームは具体的な製品を持たない。
店舗もない。
無形のコンサルティングサービスしか提供していない。

目に見える製品・サービスを提供していないコンサルティングファームにとってブランド戦略は重要である。
特に戦略コンサルティングはプレミアムサービスなので、ブランド力がコンサルティングファームの営業力と直結する。

ロゴ、名刺、ウェブ、会社案内のデザインに力点がおかれているのは当然。
僕のファームの名刺も銀インクを立体的に載せた、通常の倍以上のコストがかかる凝った名刺である。
唯一の製品とも言える、報告書を作成する際のデザインコントロールも大切。
報告書の内容のクオリティーは当然だが、見た目もブランドとしては重要なポイントである。

その他、オフィスも重要。
オフィス、特にクライアントやメディアの人の目に付く部分は格好良くなくてはならない。
オフィスの住所も重要だ。
戦略コンサルティングファームは、港区以外に存在してはならない。
譲っても、千代田区、中央区までが限界だろう。
たとえ、港区内であっても、麻布、六本木、赤坂、青山以外はダメ。
浜松町や新橋では頂けない。

だが、コンサルティングファームが人で成り立っている以上、最も重要なブランド戦略は人である。
戦略コンサルティングは人が提供するため、コンサルタント自身がブランドである必要がある。

一番手っ取り早いのはコンサルタントの「スター化」。
スターコンサルタントを祭り上げる事によって、コンサルティングファームのブランドを確立する。
「スターコンサルタント候補」をファーム内で選び、集中的に雑誌やメディア、書籍、セミナー、講演等により多く露出する。
これはあくまでも企業としてのブランド戦略の一環なので、その「スターコンサルタント」が必ずしも卓越した能力を持っているが必要はない。
雑誌や書籍の原稿など、いくらでもスタッフにゴーストライトさせれば良いからだ。
セミナー資料や講演用のスクリプトもスタッフが用意する。
メディアに数多く登場する「スターコンサルタント」のうち、一体何人が本当に自分で執筆をしているのか、はなはだ疑わしい。
要するにスターコンサルタントを「顔」として擁立するのである。

コンサルティングファームのブランド戦略にとって、僕のようにブランドに直結した商品であるくせに、堂々とバカを世間に晒す人間は迷惑千万な存在なのである。


2003年03月13日(木) コンサルティングファームの謎 ��プロフェッショナルファーム

コンサルティングファームはプロフェッショナルファームと呼ばれる。
プロと呼ばれる人が集まる事務所、である。

コンサルティングファームがプロフェッショナルファームであるならば、そこに所属するコンサルタントはプロフェッショナルなのである。

では、プロフェッショナルとは何なのか?
弁護士や会計士とコンサルタントは似ているようで大きく異なる。
弁護士も会計士もきちんとした国家資格を持っているのに対し、コンサルタントは何の国家資格も必要としない。
公的資格によってコンサルタントの身分は保証されるわけではない。

コンサルタントっぽい資格として中小企業診断士があるが、中小企業診断士の資格を保有している戦略系コンサルタントを僕は一人も見た事がない。
コンサルタントが保有する資格らしい資格といえばMBAくらいだろう。
中途採用者などはMBA比率が非常に高いので、まあ資格といっても良いかもしれない。
基本的には必須の資格など何もない。
何の資格もいらない。

逆に言えば、誰でも名刺にコンサルタントと刷っても問題はない。
新聞の三面記事を見ても、詐欺事件の犯人の職業が「自称コンサルタント」となっていることが多い。

と、なると資格によって身分が保証されないのであれば、何を持ってプロフェッショナルと呼べるのか?

答えは・・・・。








ない・・・。


僕はプロフェッショナルとは「企業ではなくスキルにコミットした人種」だと思っている。
僕達はコンサルタントとしてのスキルを保有しているからコンサルタントというプロフェッショナルなのであって、コンサルティングファームに所属しているからコンサルタントなのではない。
コンサルタントであるためには、高度なコンサルティングサービスを提供できるスキルが必須であり、スキルのない人間はコンサルティングファームに所属することではない。
これは、コンサルタントにとって実はとても重要なことなのである。

プロフェッショナルとしてスキルにコミットしている以上、どこのコンサルティングファームに所属していようと構わない、所属ファームがどこになろうと同じである、という前提が必要なのだ。
所属ファームにコミットした時点で、僕らはプロフェッショナルではなく、サラリーマンなのである。
逆に一般企業に所属するサラリーマンであっても、経理、人事、研究、営業等々、スキルで生きている人間は全てプロフェッショナルだ。

ちなみに僕は「プロフェッショナルサラリーマン」。


2003年03月12日(水) コンサルティングファームの謎 ��企業としてのコンサルティングファーム

コンサルティングファームはコンサルティングサービスを提供しているのだけれど、基本的な収益モデルは、コンサルタントの時間貸し。
コンサルタントはクラスによって時間あたりのフィーが細かく設定されている。
クライアントが支払う料金は「プロジェクトに参画する個々のコンサルタントの単価」×「人数」×「期間」。

コンサルタントという「人」が商品であり在庫。
人月単位で人を貸し出して商売をしている。
システムインテグレーションを行うSI会社と同じだ。

コンサルティングファームが収益を上げるためには、僕らがプロジェクトに参画している時間を最大化する事が第一の命題となる。
在庫である僕らコンサルタントが、売れずに倉庫(オフィス)で在庫のまま眠らないように着実に、売らなければならない。

在庫が商品ではなく、人であるため、在庫調整ができない。
商品であるコンサルタントは正社員として抱えてしまっているので、仕事の量の変動に対して、社員数を変動させるわけにはいかない。
全く売れないコンサルタントは不良在庫としてあぼーんされるけれど、頻繁に社員数を変えることはできない。

企業とは「人」「物」「金」で成り立っている、と中学校の社会科の授業で習った記憶があるのだけれど、コンサルティング会社には「人」しか資産がない。
コンサルティングファームは「人」のみで成立しているので、企業として立ち上げるコストは極端に安い。
人さえ集まれば、あとは何もいらない。
工場も倉庫も営業所も原料も商品の仕入れも、何もない。

コンサルティングファームのビジネスのリスクは在庫である人の回転率というか、フィーを得ていないアイドル時間のみである。
コンサルティングファームとしては一定の社員数のなかでいかにして収益を最大化させるかが、経営課題となる。

仕事が増えても、社員数は一定なので、受注可能な仕事の量も一定。
売上高を増やすためにはそのぶん、社員も同じように増やさなければならない。
ビジネスモデル的には利益幅も一定。

収益率を上げるためには、在庫である僕らコンサルタントの回転率を上げる事、経費を削減することの2点のみ。
コンサルティングファームの極端な成長モデルを描く事はビジネスモデル的には難しい。
成長イコール社員の増加。
社員数を増やさない限り、成長しない。
資産である「人」もコンサルタントであり、高度なスキルレベルの人が必要であるため、急激に大量採用する事は難しい。

原状のビジネスモデルのままでは地道に社員の回転率を上げるしかない。
よって次世代のコンサルティングファームは新たな成長モデルを求めてビジネスモデルそのものを変革すべく、試行錯誤を繰り返している最中である。


2003年03月11日(火) コンサルティングファームの謎 �.灰鵐汽襯謄�ングファームとは

今日から「コンサルティングファームの謎シリーズ」をはじめることにする。
コンサルティングファームは謎の組織で、あまり実状が知られていないようなので、僕が書くことにした。
たぶん、これから数日に渡って書くことになる。

コンサルティングファームは、基本的に事務所であって会社ではない。
「ファーム」と言ってるだけあって、商法上は株式会社であってもあくまでも「事務所」。
日本の法制度上、パートナーシップの事務所だと何かと不都合なので便宜上、株式会社の形式を取っている場合が多いけれど。
基本的な成り立ちは、弁護士事務所と同じ。
コンサルタントがお金を出し合って集まり、パートナーとして共同で事務所を立ち上げ運営する。
いわゆるパートナーシップである。
世界中で数万人もの社員がいるのに事務所。
コンサルティングファームは巨大企業であっても経営の基本的形態は、個人のコンサルタントの寄り合い事務所なのである。

僕が「会社は誰のもの?」とか「誰の利益のために働くのか?」と、質問する。
一般的な正しい答えは「会社は株主のもの」であり、「株主の利益のために働く」である。
ところがパートナーシップのコンサルティングファームでは「会社はパートナーのもの」であり、「パートナーの利益のために働く」が正しい。
コンサルティングファームが出資者であるパートナーの所有物なのであれば、コンサルティングファームはパートナーのものであり、パートナーの利益のために存在するのである。
パートナーシップのコンサルティングファーム所属のコンサルタントはパートナーにお仕えし、せっせとパートナーの利益のために働く奴隷階級。

僕の所属するコンサルティングファームは現在はNYSEに上場している完全な株式会社であってパートナーシップではないのだけれど、精神的には未だにパートナーシップ時代からあまり変わっていない。

コンサルタントの寄り合い事務所なので、組織とは無縁。
名刺には所属組織がない。
コンサルティングファームは個人のコンサルタントの集団であって、社内のどこかの組織に所属しているわけではない。
僕の名刺にも組織名はなく、会社名の下に「マネジャー」とだけ書いてある。
本当の僕の所属は「コミュニケーション・ハイテク産業事業部 戦略グループ マネージャ」なのだけれど、形式を重んじるコンサルティングファームとしては所属を名刺では明かさないのである。

コンサルティングファームはコンサルタントの集団ということになっているので、社長もコンサルタント。
社長もフィーをもらってコンサルティングをしなければならない。
社長であっても、社長としての経営以外にコンサルティング業務を義務付けられている。
経営と執行の分離どころか、恐ろしい事に社長まで全員が現役コンサルタントなのである。
社長であってもプロジェクトメンバーとして何らかのプロジェクトにアサインされている。
僕としては社長は中途半端にプロジェクトにちょっかい出したりせずに、きちんと経営に専念して欲しいのだけれど。
それに、社長にプロジェクトに参加されてクソ高いフィーを請求されたら、プロジェクトの予算コントロールがめちゃくちゃになるんだよっ。

と、まあコンサルティングファームは会社であって会社でない、謎の組織なのである。


たぶん明日に謎は続く


2003年03月10日(月) ROIに頼りすぎる事は縮小均衡しかもたらさない

ROI。
ウザい言葉である。
ROI(Return On Investment)とは言うまでもなく、投下資本利益率のことである。
突っ込んだお金に対していくらのリターンがあるかを求める際に使う。
ROIという言葉そのものが一般化してしまったので、最近では日常生活にもROIが指標として使われるようになった。

今週末はホワイトデーだけれど、バレンタインデーのお返しをどの程度弾むべきかについて、頭を悩ませている男子諸君は多いはずである。
下心と投資金額のROI。
女子諸君もバレンタインデーの際には、ROIを考えてチョコレートを選んだはずだ。
女子の場合、義理だか本命だかわからないギリギリの微妙な最低額のチョコレートが最もROIが高い。
相手が勘違いしてくれる確率が高いからだ。
どうせ、そういうことを狙ってチョコレートを選んでいるに違いない。
心当たりがあるだろう。

不景気のせいか、どこに行ってもROIである。
投資案件や新規事業の企画の際だけではなく、何でもかんでもROI。
効果を計りづらく、かつ投資金額の大きい分野については専門的なROIの評価手法も作られつつある。
特にシステム投資を行う際に、投資効果と投資金額のバランスを事前に確認したり、広告やマーケティング費用といった今まで効果が計りづらいとされていた分野に対しての投資効果をROIとして見極ようとする動きが顕著だ。

僕は主張したい。

「ROIばかりに囚われるな」

僕の主張は、ROIをベースに企業経営をしろ、などということではない。
「たまにはROIを無視しろ」と言いたいのである。
確かにかつての日本企業はROIを無視した無謀な経営がまかり通っていた。
だけど、ここに来てあまりにもROIに囚われすぎのような気がする。

ROIは一見リーズナブルなのだけれど、ROIに頼りすぎる事は企業および経済の成長を止める事を意味する。
ROIをベースに投資を決める、ということは「確実に儲かる事しかやらない」ということなのだ。
そこには、リスク覚悟の挑戦的なビジネス展開、という発想がない。
確実に儲かることしかやらない、ということ。

ROIをベースに投資を決める事は重要なことだ。
無意味な投資や過剰な投資は避けるべきだ。
でも、たまにはババーンと。
なのである。

何でもかんでも、確実なことばっかりをやっていたら、そこには期待を超える成果も成長もない。
損はしないかもしれないけれど、大儲けはできない。

かつての日本企業は、海のものとも山のものともわからない段階での投資を行ってきたからこそ、世界的大企業になれたのだ。
二番煎じではなく、一番乗りを目指していたはずだ。
先んずれば人を制す。
短期的な成果やROIばかりを気にして挑戦を怠ってきた欧米企業を先見で制してきたはずだ。
だけど不況の今、日本企業はROIばかりを気にするあまり、挑戦的な投資に対してしり込みをし過ぎてしている。

ROIをベースに経営を語ることは一見クレバーに見えるけれど、過ぎたるROI重視は愚かな行為だ。
全てにROIを適用する事は縮小均衡にしかなり得ない。
ROI重視によって確実に収益は得られるかもしれないが。ビジネスとしては小さくなるだけだ。
ROIに頼りすぎた経営は、結局のところ縮小均衡に陥り、収益性は低下するだけ。

ROIばかりを気にしてはいけない。

もちろん、根拠のない無謀な投資は避け、クレバーな投資をすべきだ。
だけど、挑戦することも忘れないで欲しい。
経営者は数字だけはなく、もっと自分を信じて欲しい。
中間管理職は、中途半端な経営知識を振りかざしてはいけない。
部下の挑戦に余計な横槍を入れて邪魔をすべきではない。

でも、絶対止めて欲しいのはコンサルティングROI。
それだけは勘弁してください・・・。


2003年03月09日(日) サービスビジネスへの一方的な転換は無意味

通信・ハイテク業界はこぞって「サービスビジネスへの転換」を戦略として掲げている。

ようはIBMのモノマネ。
IBMがハードウエア中心のビジネスからサービスビジネスにシフトすることによって、、収益を回復したことからサービスビジネスブームが起きた。
だが、サービスビジネスはそう簡単ではない。
サービスビジネスは本業のハードウエアビジネスや通信事業がきちんとできて、そのうえで展開すべきものだ。
正しくはサービスモデルへの「転換」ではなく、「進出」、あるいは「強化」である。

ビジネスにはそれぞれのビジネスモデル、ビジネス特性というものがある。
少し例をあげてみる。

■ハードウエア事業
売上が増えれば増えた分だけ、部品、材料のコストもほぼ比例して増えていく。
ただし、規模が大きくなれば製造コストは下がり、コスト効率も上がるため、ある程度の規模が必要。
高付加価値の製品を作らなければ収益性は高くない。
収益機会は製品を売った時点の一回のみ。

■通信事業
初期の通信インフラ構築コスト、投資コストは膨大。
ただし、インフラさえ構築してしまえば、後は保守、運用のみで食っていける。
通信サービスは一度契約してしまえば、しばらくはそのまま契約が継続されるため、安定した収益を得られる。
投資回収期間は長い。

■ソフトウエアパッケージビジネス
最初のソフトウエア開発には多少の投資コストがかかるが、それほど大きくはない。
一発当たれば後はマスターをコピーするだけなので収益性は高い。
当たる、当たらないの違いで大きく収益性は変動する。
コンテンツビジネス(映画、音楽、ゲーム、出版)も同様のモデル。

■SI事業
人月単位の人貸しビジネスであるため、初期の参入コストは限りなくゼロ。
人を商品(在庫)として抱えているため、抱えている人数と売上高は比例関係。
人の稼働率(在庫回転率)の向上が課題となる。
ビジネス規模を大きくしようとすれば、その分だけ多くの人間を雇う必要がある。
人を多く抱えすぎればそのぶんだけ、不況時等のリスクも増す。

これらのビジネスモデルは同じ通信・ハイテク業界でありながらも、収益構造が全く異なる。
見てわかるように、どのビジネスモデルが最も有利、などという事はない。
どのビジネスモデルにも一長一短がある。
ビジネスとしてのリスクヘッジのためにはこれらのモデルをうまく組み合わせる事が重要。

IBMはサービスビジネスに「転換」したのではない。
ハードウエア、ソフトウエア、サービスといったビジネスのポートフォリオの組替えを行ったのだ。
既存のハードウエアビジネスを放り出して、サービスビジネスに転換したのではない。
ハードウエアビジネスはハードウエアビジネスで強化しつつ、そのうえでサービスビジネスを強化していったのだ。
ハードウエアビジネスの「販売時の一回しか収益を上げられないという特性」をカバーすべく長期的に収益を得ること、ハードウエアの利益率低下に対してハードウエアの付加価値を向上させること、をめざしてサービスビジネスを強化した。

日本企業は通信事業者もコンピューターメーカーもこぞって、SI事業への転換を進めている。
だが、SI事業とは基本的に人月ビジネスなのだ。
好不況にかかわらず、常に人を抱えつづけなければならない。
不況になれば人を首にしてしまえば簡単に問題は解決するが、下手に解雇すれば今度は好況時に人材の確保ができなくなる。
常に抱えている人材が収益を規定する。
サービスビジネスへの極端なシフトは、却って企業の可能性を阻害する。
抱えている人材の人月以上の売上は絶対に望めない。

SI事業者は常に「在庫としての人材」の回転率、稼働率が問題となる。
僕らのようなコンサルタントもビジネスモデル的にはこのSI事業者と同じだ。
コンサルティング会社は、この人の稼働率に左右されるビジネスモデルから脱却するため、アウトソーシングビジネスのような安定して収益を上げられるビジネスモデルへの転換を急いでいる。

長期的に収益を安定させたいのであれば、これらのビジネスモデルの組み合わせ、ポートフォリオの組みかたが大切。
特定のビジネスモデルにシフトすることではない。
それぞれのモデルのバランスの取りかたが重要。

サービスビジネスモデルに転換したところで、何の解決にもならない。
そこは決して万能の世界ではない。
まずは自分達のビジネスモデルをきちんと見直すことが大切。
そして、それぞれのビジネスモデルの特性を理解したうえで、ビジネスポートフォリオの組替えを行うこと。

これって基本中の基本なのだけれど、このような当たり前のことすら実行できていない日本企業は多い。


2003年03月08日(土) 「スマイルカーブ」は未だに健在

ハイテク業界のビジネスを語る上で、古来より語り継がれている伝説がある。

「スマイルカーブ」

「スマイルカーブ」とは、バリューチェーンの両端のビジネス規模が大きく、バリューチェーンの真ん中はビジネス規模が小さいことを表す。
バリューチェーン上にビジネス規模を折れ線グラフにしてマップすると、スマイルマークの口のような形になるので、これをスマイルカーブと呼ぶ。

バリューチェーンとは、ビジネス価値の付加のついていく様を、下流から上流へとビジネスの流れに沿って表現したものだ。
例えば、携帯電話業界にあてはめると下記のようになる。

通信インフラ → ISP機能 → サービスプラットフォーム → コンテンツ → 携帯電話機器

このうえに売上高の規模のグラフをマップすると左右両端が高くなり、真ん中が低くなる。
携帯電話ビジネスの場合、通信インフラと携帯電話機器の製造がビジネス規模としては大きい。
逆に、ISP機能としてのi-mode接続や課金システムのようなサービスプラットフォーム、コンテンツのビジネス規模はそれほど大きくない。
ちょうど、スマイルマークの口のような形になる。
これが「スマイルカーブ」である。
スマイルカーブそのものは冒頭にも述べたように、最近発見されたわけではなく、いわば常識と化している概念である。

ところが、最近はこのスマイルカーブが忘れ去られつつあるようだ。
携帯電話事業者はスマイルカーブの低い部分の強化を図りつつある。
確かに、ビジネス規模で言えばスマイルカーブの通りなのだけれど、ビジネスの付加価値や収益性という意味では「逆スマイルカーブ」になる。
収益が頭打ちの通信業界は通信料金に依拠したビジネスモデルから、景気の良さそうな上流工程であるサービスやコンテンツ分野に進出したいと考えるのである。

通信業界は苦戦している。
通信料金に依拠したビジネスでは今後、大きな成長は見込めないだろう。
それに対して、コンテンツやサービスプラットフォームビジネスはいかにも景気が良さそうに見える。
もともと日本の携帯電話事業はバリューチェーンの下流から上流までの全てを押さえた「垂直統合モデル」だ。
携帯電話事業者は既に垂直統合済のバリューチェーンを更に強く押さえようとしている。
携帯電話事業者が垂直統合モデルを更に一層強化しようとする気持ちはわからなくもない。

だけど、上流へのシフトは収益の低下を補うほどの効果はもたらさない。
サービスプラットフォームやコンテンツにシフトしたくらいでは通信業界の収益を回復させることはできない。
上流にシフトさせたところで、ビジネス規模が全く違う。
通信業として通信料金で「兆」の単位で売り上げていても、サービスプラットフォームは寡占的な地位を占めることができても「百億」の単位の世界なのだ。

しかも、コンテンツやサービスは「規模」が効かない。
規模の経済が働きにくい。
数社による寡占状態に持っていくことは難しい。

それに加えて、通信事業者にサービスビジネスやコンテンツビジネスを行う能力が存在するのか?
もちろん、そのようなケイパビリティーはない。

インフラビジネスでの今後の成長が見込めない以上、バリューチェーンの他の領域を強化するのは、当然の戦略。
戦略そのものは正しい。
だけど、そこでの成功は非常に難しい。

更に追い討ちをかければ、i-modeの開放やSIMカード、ナンバーポータビリティー等、世の流れはバリューチェーンの統合の強化ではなく、アンバンドル化と呼ばれる、バリューチェーンの解体なのだ。
携帯電話事業者の他領域でのビジネス展開を一層困難にしている。

携帯電話事業者は通信料金に依拠したビジネスモデルからの脱却をめざすことは、もちろん大切だけれど、直接の収益のインパクトをもたらす、本業の通信事業のスリム化、低コストオペレーション化の努力を怠ってはならない。

投資家は投資家で、ハイテク業界の企業がこぞって提唱する「サービスビジネスへの転換」をバカ正直に歓迎して受け取ってはいけない。
サービスビジネスはそもそも高収益を望めない。
現在のビジネスはきちんとやりつつ、サービスビジネスも強化します、という立場であれば歓迎すべきだけれど。

スマイルカーブは未だに健在。
スマイルカーブは今も有効であることを忘れてはいけない。


2003年03月07日(金) ブッシュの暴走を止めるのは米国民の良識しかない

世界が米国というスーパーパワーによって征服されてしまった今、米国の暴走を止めることができるのは米国の国民だけだ。
暴走を止めるために期待できるのは、米国民の良識しかない。

ブッシュは戦争に突っ走る。
自分達への直接的な脅威だけではなく、潜在的な脅威も含めて排除しようとしている。
自分達を脅かす「かもしれない」力も含めて。
戦争はそれぞれの真じる正義のために行うものだけれど、イラク攻撃には正義はない。
それぞれの戦争当事者が信じる正義も第三者にとっては理解しがたいものだけれど、今回のイラク攻撃にはタテマエの正義すら存在しない。

だけど、米国の外部からこの暴走を止める事はもはや不可能。
外交でブッシュの暴走を止める事はできない。
国連にも止める事はできない。

米国が地球で唯一のスーパーパワーである以上、米国の外部からの圧力によって米国を変えることはできない。
暴走を止めることができるのは、米国自身だけだ。
米国民の良識に期待するしかない。

米国は世界一フェアで良識的だと僕は信じている。
あれほどまでにお人良しの国民性は他に例を見ない。

米国民の平均的知的レベルには疑問を持つ事も多いけれど、彼らの良識、フェアネスは世界一だ。
ただの田舎モノ集団国家、とも言えるのだけれど。
でも、米国人には田舎モノ特有の人の良さがある。

ブッシュはアホだ。
これに異論を挟むものはあまりいない。
でも米国民まで一緒にアホだと思われて、米国民はくやしくないのか?
ブッシュと一緒にされて、まとめて世界中からアホ国民だと思われて、それでいいのか?

ブッシュの暴走を止めるのは米国民の良識しかないのだ。


2003年03月06日(木) 現実の興味とWEBLOGのギャップ(たとえばRFIDのコード体系)

このWEBLOGには、僕の興味のあることについての備忘録、という役割を持たせているつもりなのだけれど、やはり多少のギャップがある。
僕が興味のあることは何でもかんでも書く、というわけにはいかない。
読み手が誰も興味を示さないであろうネタは書けない。

たとえば今、僕が興味を持っているのは、「RFIDタグのIDのコード体系のヘッダー部分は何バイトあれば良いのか」である。

たぶん、そんなことに興味がある人はほとんどいないだろう。

RFIDタグというのはバーコードの進化版のこと。
無線でやりとり可能なバーコード。
CDショップの入り口で万引き防止用のゲートを見かける。
CDのケースにはアンテナつきの値札シールがついていて、購入処理せずにゲートを越えて商品を持ち帰ろうとすると、ピーピーと警報が鳴る。
RFIDタグとはそのアンテナつき値札シールがもう少し進化したものである。

RFIDタグを物体に貼り付けると、コンピュータはリアルの物体を個体識別できるようになる。
RFIDタグそのものには単純なIDしか振られていないのだけれど、コンピューターはそのIDを元にサーバーにそのIDを問い合わせ、その物体が何であるのかを理解する。
バーコードと同じように、コンピューターが物体を識別可能になる。

ただし、RFIDタグのメモリ容量は既存のバーコードと比較すると桁違いに多い。
桁違いといっても、たかだか96ビットから128ビットくらいのものなのだけれど。
でもこの程度のビット数でも地球上の全ての原子に取り付けても問題ないくらいのIDを発行できるのだ。
仮にこの世の全ての物体にRFIDタグを取り付けることができれば、コンピュータは物体が何かを完全に識別できるようになる。

コンピュータの「ビット」の世界とリアルの「アトム」の世界の融合。
コンピュータがリアルの世界を認識しはじめるのだ。
RFIDの応用範囲はとてつもなく広い。

しかし、ここで問題になるのがRFIDのコード体系の標準化。
バーコードと同様にコード体系のルールが必要なのだ。
世界中でコード体系を完全に標準化して一箇所で管理すれば良いのだけれど、それは面倒。
世界中のIDを完全に管理するとなると、標準化の作業やIDの発行業務やら、なにかと面倒なのである。

僕は現実にはいくつもの標準や勝手なコード体系が乱立しても問題ないと考えている。
RFIDタグのIDのコード体系の「ヘッダー部分にこのIDの種類は何かを識別可能な領域を用意しておけばよい」のだ。
ヘッダ情報のみを世界的に標準化して規定しておけば良い。

ヘッダー情報を読んだときに、その後に続く数字が何に関するIDなのか、という事だけを識別可能なコード体系を規定して置けば良い。
たとえば、識別IDの後に続くコードが「JANコード」なのか「書籍のISBNナンバー」なのか、といったことを識別可能なコードをヘッダー部分につけておけば良いのだ。

個人で勝手にプライベートIDを生成する場合も、ヘッダーのところにプライベートIDであることを識別可能なコードをつければよい。
ヘッダーで標準化されたコード体系ではない、プライベートIDだということさえ認識されれば、自由にコードを生成しても問題は起こらない。
個人単位でも企業単位でも好きなようにIDコードを発行できる。

ヘッダーの識別コードだけを標準化しておけば、RFIDは互換性を保ちつつ自由度も確保できる。
ヘッダーしか規定されていないので、IDの桁数やビット数を変更しても問題はない。
逆に言えば、ヘッダーのコード体系だけは厳密に定義しなければならない。
将来を見越して、何ビット程度領域を用意しておけば良いのか、これは今後50年くらいの未来を決める重要なことなのである。

と、いうことで僕は「RFIDタグのIDのコード体系のヘッダー部分の情報は何ビットあれば良いのか」というテーマに興味があるのである。
非常に興味があるのだけれど、さすが誰も読んでくれそうもないのでここには書けない。
僕としては、このような誰も興味を持たないようなネタが日々気になってしょうがないのである。
実はこのようなボツネタがどんどんと累積しているのであった。

とか、言いつつ書いてるけど。


2003年03月05日(水) IPドメインSEARCHとアノニマイザー

最近の僕はセキュリティーの話題を書いていることが多い。
セキュリティーについて書き始めたきっかけは、先週末にTVで「エネミー・オブ・アメリカ」を見たからである。
「エネミー・オブ・アメリカ」を最初に見たのは確か、国際線の飛行機のなかだった。
どこに行ったときだったかは憶えていないけれど。
JFKかNJかSFかLAXか定かではないけれど、米国便であったことは間違いない。
ヨーロッパ便だったら、ワインでヘロヘロなので映画なんて見ていない。

現実の世界はあそこまですごくない、と思いたいけれど、現実の世界でもあのようなストーカー的トラッキングはある程度は可能。
NSAはトム・クランシーやディーン・クーンツの小説でお馴染みではあるけれど、やっぱり謎の組織である。

プライバシーに関しては、もはやどうしようもないレベルまで侵害されているのだけれど、最低限の抵抗は試みたい。
僕もこことかここあたりのドメインからアクセスがあったら、気をつけなければいけない。

自分のプライバシーは自分で守ろう。
まずは攻撃されたら、敵を探る。

ルーターやサーバーのアクセスログを見ていると、あちこち外部からガンガンやられているのがわかる。
想像以上に、ワケのわからないアクセスは多い。

このWEBLOGのアクセスも上記のような、あまり好ましくない機関からアクセスされていないか、気をつける必要がある。
僕の場合、個人ドメインなので、WHOISで検索すれば住所までモロバレ。
自分の身を守るためには、アクセスログをきちんと把握しておく必要がある。
突然、怖い人に深夜に自宅に押しかけられて拉致されたりしたくない。

そういう目に遭わないようにと、僕はヤバそうなドメインからのアクセスがないかについてアクセスログをチェックしなければならない。
困るのはドメイン名ではなく、IPアドレスしかログが残っていない場合。
数字のみのIPアドレス。
この場合、ドメイン名を別途調べる必要がある。

こういうときは「IPドメインSEARCH」を使用して、IPアドレスからドメインを逆引きする。
これで、敵のドメインは調べられる。
でも、これは無料では1日5回までしか使えないので、調べまくりたいときにはお金を払いましょう。

更に、イヤなアクセスがあった場合は、アクセスのルートもトレースする。
DOS窓を開いて、「tracert XXX.XXX.XXX.XXX」と入力すればよい。

これらを組み合わせれば、自分にケンカを売ってる奴がどこのどいつだかがある程度は把握できる。
どこの会社や学校からのアクセスか、どこのISPか、おおまかな住所(アクセスポイント)くらいまではトレースできる。
ここまでわかったら、次はそこのISPや会社のサーバーの管理者に文句を言って怒鳴り込み、自分のサイトに攻撃を仕掛けた時間帯にアクセスしていた野郎のログをつきあわせてもらえば良いのである。

自分のサイトにBBSを設置し、そこのアクセスログを取っておくのも良いかもしれない。
「釣り師」として、BBSにネタを提供し、敵に何かを書かせる。
敵が釣られて書き込んだら、IPをチェック。
アクセスログの書き込み時間と書き込んだ内容をつきあわせる。
あちこちに餌をまいて上手に釣り上げよう。
これで敵のIPがわかったので、次にまたやってきらアクセスしてきただけでもアクセスログから敵の特定し、行動を把握できる。

逆に、自分の行動をサイト側に知られたくないのであれば、踏み台用のプロキシをみつけてきてプロキシ経由でアクセスする。
ログを取っていないプロキシを経由すれば、敵からはプロキシまでしか見えず、ログがないので、そこから先は追跡できない。
最近はログを取っていないプロキシ探しは難しくなりつつあるけれど。

最も簡単な方法はアノニマイザー経由でアクセスすること。
アノニマイザーを経由すれば、簡単に自分の姿をくらませる。

自分の身を守るための話なのに、限りなく攻撃にも利用可能な話になってしまった。
セキュリティー対策って、もともとは自分の身を守るためにはじめたつもりでも、気がつくとなぜか攻撃側のスキルがついてしまう。
セキュリティー対策はやりすぎると、ただの危ない人になるので、そこそこにしましょう。

■IPドメインSEARCH
http://www.mse.co.jp/ip_domain/
■アノニマイザー
http://www.anonymizer.com/


2003年03月04日(火) 「捨てクレカ」のすすめ

最近必要かな、と思うもの。

「捨てクレカ」。

誰でも「捨てメアド」は持っていると思う。
今やネット上で素直に自分の会社のメールアドレスや自分が契約しているプロバイダのメールアドレスを入力する人はいない。
フリーメールのアドレスを入力する。
その割にクレジットカード番号は不安を感じつつも、ばしばし入力していたりする。

これからの時代に必要なのは「捨てクレカ」。
インターネット上で使用するための、どうなっても良いクレジットカード。
ヤバそうなECサイトでの買物に使用するための専用クレジットカード。
日本のサイトであれば大体マトモなサイトかどうかの見分けはつくけれど、海外のサイトはマトモかヤバ系かの見分けがつきづらい。
デザインが綺麗とかSSL対応とかはサイトの信用度とは全く関係がない。

普段使用しているVISAやAMEXはネット上では使いたくないので、ネット用の人柱となってくれるクレジットカードがそろそろ必要かと思う。
最初からトラブルが起きても良いように準備するクレジットカードだ。
事故前提の踏み台クレジットカード。
ネット上だけではなく、インチキくさい国に海外旅行に行く際にも活用できる。
そろそろ僕も作ろうかと思っている。

年会費無料のクレジットカードはいくつかある。
セ○ンカードとか。
オンラインで簡単に申し込める。

口座引き落とし用の銀行口座もどうでも良い銀行で作っておく。
み○ほとか。
引き落とし用の口座にはトラブルに備え、必要最低限の金額しか入金しない。
たぶんポケットティッシュも貰える。

「捨てクレカ」を作っておけば、クレジットカード事故に巻き込まれたとき、被害を最小化できる。
トラブルの大半はクレジットカードの保険でカバーされる。
日常使っているカードではないので、仮にクレジットカードが使用できなくなろうと、何が起ころうと知った事ではない。
勝手にお金を銀行口座から引き落とそうにも、銀行口座にはお金がない。

インターネット上で完全に信用できるサイトなど存在しない。
大手サイトだってクレジットカードの処理を外注先やバイトにさせているに違いない。
インターネット上のECサイトは信用できないのである。
そのうえ、消費者を守るようなセキュリティー対策はゼロに等しい。
だったら自分の身は自分で守るしかない。

踏み台にされるクレジットカード会社はかわいそうかな、と思ったけど、踏み台カードとして認知されたほうが利用が増えて実は儲かるかもしれない。

以下、某セ○ンカードのQAより

========引用ここから========


Q.不正利用と思われる請求がある。

A.状況によって異なりますが、明らかに他者による不正利用の場合は紛失・盗難等と同様に、お届けいただいてから溯って 61日間の利用分については補償いたします(ただし、規約違反があった場合、この限りではございません)。

Q.インターネットの海外利用分で、覚えのないものが請求されてきた。

A.海外有料サイトのサービスご利用代金は、アクセスした際にカード番号を打ち込んで、ご請求される仕組となっております。もう一度、お客様側でご利用をご確認ください。

========引用ここまで========


結構逃げてるね。


2003年03月03日(月) 日本人であることのハンディキャップ

日本映画は駄目なのか?
日本人の小説家は世界で通用しないのか?
日本のジャーナリズムはCNNに勝てないのか?
日本のミュージシャンの世界デビューは無理なのか?

駄目です。
通用しません。
勝てません。
無理です。

理由は簡単。
僕らは日本人だから。
僕達は日本人で日本語で考え、日本語を話す民族だから。
僕達が日本人で日本語ネイティブである限り、世界市場で受け入れられる事はない。

日本映画でも黒澤は・・・。
日本のミュージシャンでも坂本九は・・・。
これらはあくまでも、例外。
特殊例として海外で受け入れられたものであって、日本映画、日本の文学、日本の音楽が世界市場でコモディティーとして受け入れられているわけではない。
僕達が日本語で思考する限り、日本人クリエイターの作品が世界市場で一般的に受け入れられることはない。

英語圏のアーティストは狂ったほどに金持ちだ。
それに対して日本人アーティストはたいした金持ちではない。
日本の長者番付にランクされる程度の金持ちではあっても、英語圏のアーティストとはスケールが違う。
それは、そもそものマーケットサイズが違うからだ。
英語圏のミュージシャンや作家、俳優、映画監督は数十億人の世界市場をターゲットにできるが、日本人は日本のたった1億人弱のマーケットをターゲットにせざるを得ない。
日本人アーティストが日本語で作品を作りつづける限り、マーケットは日本語圏に限られる。

これは、日本の英語教育の問題ではない。
いくら英語の勉強をしようとも、僕達が日本人である限り、英語の小説は書けない。
英語の詩を書くことはできない。
僕達が日本語のネイティブである限り、努力するだけ無駄。
僕らは英語圏のネイティブではないのだから。

僕も戦略コンサルティングの仕事で海外のクライアントの仕事をする機会は多い。
当然、成果物は英語で作る。
戦略コンサルティングは、言語能力を強く求められる。
正確で論理的な言葉で成果物を仕上げなければならない。
僕は英語モノの仕事をする際には必ず、英語ネイティブのスタッフをメンバーに入れてもらう事にしている。
英語が得意な日本人ではなく、あくまでもネイティブの英語圏のスタッフをリクエストする。
MBAの英語小僧をスタッフにつけてもらっても、僕は満足しない。
正しくロジカルな英語であることに加えて、こなれた表現を使いたいからだ。
こればっかりはネイティブのガイジンさんに書いてもらわないと難しい。
僕の清書要員として使われるガイジンさんはたまったものじゃないけれど。

僕らは日本語ネイティブである限り、英語で英語圏の人間には太刀打ちできない。
ノンネイティブとして英語でのコミュニケーションは努力によって獲得できるが、しょせん日本人はノンネイティブ。
日本人である僕達には英語の小説も詩も書けない。

日本人は言葉の関係ない分野で勝負するしかない。
映画であれば、アニメ。
音楽であれば、インストゥルメンタル。
服飾デザイン。
カーデザイン。
建築。
ゲーム。
そしてスポーツ。

日本人の海外での評価は低いわけではない。
アニメ、インストゥルメンタルミュージック、服飾デザイン、カーデザイン、建築、スポーツ、ゲームの世界では日本人の評価は高い。
日本人の能力は世界的に見ても全く劣っていない。
英語がからまない限りは。

どうしようもないのは小説と映画。
日本の小説が海外で通用するためには翻訳しかない。
だが、英語に翻訳される日本語の小説の数などたかが知れている。
そして、映画。
日本語の映画など、しょせんはエスニックに過ぎない。
海外では字幕など許されない。
英語でなきゃ駄目なのである。
日本人が日本語で演技する映画など、いくら海外で高い評価を得られたとしても、それらはニッチでしかない。

でも、日本人として、英語ネイティブに生まれてこなかった事を恨んでもしかたがない。
僕らは英語で英語圏の人間にはかなわないのだ。

って事で、とてつもない金持ちを目指す若者は、日本語のハンディキャップのない分野を選択するしかない。
日本人としてのニッチを目指すなら、日本語で勝手に勝負すれば良いけれど。
アニメ、インストゥルメンタルミュージック、デザイン、スポーツ、ゲーム。
世界を目指すなら日本人としてのハンディキャップのない分野で世界を目指せ。


2003年03月02日(日) ゲームで戦争を代替できないのか

そろそろ戦争、である。
僕は反戦主義者ではない。
戦争は人類にとって必要な行為だと思っている。
勝手にやればいい。
殺し合いもよし、虐殺もよし。
ミサイルが買えなければ、生物化学兵器、爆弾テロ。
気が済むまで、殺しあえ。
どちらかが完全に崩壊するまで、徹底的に破壊すればいい。
お互いに自分の信じる正義のために、殺戮せよ。

まあ、しかたがないわな。
戦争は人類の性だから。

いくら人間が進化しようとも、戦争はなくならない。
戦争がなくなるとすれば、それは完全な独裁体制が確立されたときだ。
地球がたったひとつのスーパーパワーによって支配される日。
それが、戦争のない世界。
戦争をしようにも、誰も逆らえない状態。
米国による世界征服の完遂が目前の今、戦争のない世界はすぐそこにあるのかも知れない。
戦争のない完全に平和な世界というのは、逆説的に見れば決して、幸福な世界ではない。
様々な文化、思想、民族、人種が存在しているからこそ、人類なのだ。
マルチカルチャーの許容こそ真の幸福な世界だ。
モノカルチャーの平和な世界になど、僕は暮らしたくない。

もうひとつの戦争のない世界とは、各勢力のパワーバランスが均衡して、ギリギリのところで戦争を回避できているだけのケース。
この場合は、均衡が崩れれば、簡単に戦争に突入する。
完全な平和にはほど遠い。
だが、現実の戦争のない理想的な世界とは、このギリギリの均衡のなかにしか存在しない。

戦争が完全になくなることはない、と思うのだけれど、一方でリアルにヒトを殺す必要があるのか、と思う。
殺戮が戦争の目的ではない。
武器を持って戦うのは戦争の手段であって目的ではない。

戦争とは「武力という手段によって相手を服従される政治的行為」だと僕は認識している。
でも、ヒトを服従させることに必要な要素は本当に「武力」だけなのだろうか?
ヒトにとって一番大切なものは「命」だから、とは言えると思うけれど、次に大切な「お金」でも代替可能ではないのか、と僕は思う。
「お金」など大切ではない、という意見は無視して話を進める。

かつての戦争は「領土」、「資源」、「宗教」、「イデオロギー」をめぐって行われてきた。
米国のイラク攻撃も、アラブ周辺の石油資源、石油産出国をイラクに牛耳られたくない、というわかり易い理由による。
石油の「米国」への安定供給と石油の価格をイラクが勝手に決めたりすることのないよう、イラクを攻撃するのである。
イラクが軍事力でアラブの石油産出国を牛耳ってしまったら、米国の受けるインパクトは大きい。
俺様の世界制服の邪魔をする「可能性のある奴」は、さっさと潰せ。

現代の戦争の目的は「経済」だ。
「領土」、「資源」、「宗教」、「イデオロギー」といった過去からの遺産も残っているが、本質的には経済問題である。
現代戦争は経済問題の発展系だ。
「領土」、「資源」、「宗教」、「イデオロギー」の問題など、カネで解決できるのである。
だったら、戦争はカネで解決すべきだ。

僕は戦争を経済行為によって代替できないのか、と子供の頃からずっと思っていた。
ようするに、本当に殺戮を行わなくても、「おカネを賭けてゲームをやればいいじゃん」ということである。
命を奪わなくとも、経済的に国家が再生不能なくらいのダメージを与えられればそれで良いのではないのか?
戦争を殺戮大会と認識せず、一種の経済行為としてみなせば、賭けゲームによる戦争でも良いのではないのか。

世の中には戦争シミュレーションゲームはたくさんある。
お金をかけて国家が戦争シミュレーションゲームで対戦。
そのゲームのなかで、武器を買ったりする際にはリアルのお金を国連にデポジットする。
ゲームのなかで兵を雇う際にも補給の際にもリアルのお金を使う。
で、ゲームに負けたら賠償金として1,000兆円を支払う、とか。
○○半島を割譲する、とか。

でも、それでは貧乏国は戦争に勝てないではないか、という意見もあるだろう。
その通り。
戦争は金持ちが勝つのである。
リアルの戦争だって同じ事だ。

経済的インパクトを与えることが戦争の目的なのであれば、別に本物のミサイル打ち込まなくたって、いいじゃん。
ゲームでじゅうぶん。
最近のゲームは3Dだし、リアルだぞ。
ま、実際の戦争も、実のところは情報戦だから、ゲームとほとんど変わらなかったりするのだけれど。

「Franky Goes to Hollywood」の「WAR」のビデオクリップみたいにプロレスで勝負するのも一興かと。


2003年03月01日(土) Digital Decade

僕はコンサルタントになってからの約3年間のうち、ほとんどの時間を通信・ハイテク業界の数年先のビジネス戦略作りに費やしてきた。
2010年のビジネス。
僕はこれからの10年の世界の変革はテクノロジーによってもたらされると信じている。
ユーザーの嗜好の変化だとか、世界経済の変化だとか、少子化や高齢化だとか、もちろんそういった要素を無視することはできないけれど、最も大きな変革要素はテクノロジーだ。
未来を読み解くうえで、時代の変化の変数を要素分解していく際も、ルートにテクノロジーを据えると最も的確な結果が得られる。
テクノロジーが進化し、それに伴ってビジネスが変化し、ライフスタイルが変わっていく。

将来を見通す上で、消費者のライフスタイル、嗜好、ニーズの変化を軸に据えることは危険だ。
うつろいがちな消費者の動向は、どうにでも変化する可能性があり、予測不可能。
確実に変化しないものを軸に据えなければ、将来の予測、ビジネス戦略の策定はできない。
確実に進化する唯一のものがテクノロジーなのだ。
テクノロジーは、ユーザーニーズの影響をうけつつも、確実に進化していく。
ムーアの法則に見られるように、そこは不動の要素が大きい。

今の時代は、消費者のニーズの変化→ビジネスの変化→新テクノロジーの開発、といった順序での変化はあまり見られない。
僕達のクライアント企業は「ユーザードリブン」とか「顧客ニーズの理解」という言葉を連発して、「プロダクトアウト」を嫌う。
世の中的には顧客第一、が一応言葉のうえでは浸透している。
でもね、それは今、現在のビジネスをどうしようか、と検討しているときのお話。
将来のまだ芽さえも生まれていないような、製品、サービスについて考える場合には、現在のユーザーのニーズはほとんど当てにならない。

数年先のビジネスに対しての消費者のニーズを統計数値から読み解くことなど不可能。
同様に消費者アンケートも役に立たない。
「2010年頃にこのような製品を発売する予定です。どのような機能が欲しいですか?いくらだったら買いますか?どのように利用しますか?」
聞くだけ無駄だ。
未来について考えるときに消費者の意見など、聞くことにあまり意味はない。
消費者は、商品やサービスを与えられて初めて評価するのだ。
消費統計資料を無視するわけではないけれど、将来を見通すうえでは、統計資料は単に過去の話に過ぎないことが多い。
ただ、消費行動は突然変化するわけではなく、ある程度の時間をかけて変化していくので、消費者が新しいテクノロジーや商品を受け入れるのに、どの程度の抵抗があるかを見る事はできる。

テクノロジードリブンな未来を読み解くうえで必要なのは「プロダクトアウト的発想」。
そして、そのプロダクトをベースにユーザーや社会がどのように変化していくかのシナリオを描き、繰り返し、シミュレーションする。

一方で、テクノロジストは概してビジネスやマーケティングに弱い。
自分達の持つテクノロジーに対しては絶対の自信を持っていても、それがどのようなビジネスモデルで販売されるのか、消費者にどのような影響をもたらすのかを正確に認識してはいない。
儲かるはずだ、という根拠のない信念をもっていても、どのように儲かるのか、儲けるためのビジネスモデルは何か。
そういったことをエンジニア達は恐ろしいほど理解していない。

素晴らしいテクノロジーであっても、ビジネス展開を誤ったがために、競争に負けていくもの、消えていくもの、が後を絶たない。
この世の中は「いいものは必ず売れる」ような甘い世界ではない。
同じ「いいもの」であっても、売り方やパッケージングによって、いかようにも価値は変動する。
素材としていいテクノロジーであっても、製品としていいものになるとは限らないし、マーケティングや流通で失敗する例も多い。

テクノロジーとビジネスをきちんと結びつけて、考えられる企業は非常に少ない。
テクノロジーがビジネスを、経済を、世界のルールをどのように変えていくかを認識している人間は更に少ない。

少なくとも2010年に向かっての変革の多くはテクノロジーが起爆剤となって起こる。
変革はライフスタイルやビジネスだけでなく、経済モデルや社会モデルまでを変えていく。
Digital Decade。
エンジニアはビジネスや経済を学ぶべきだし、ビジネスマンはテクノロジーを学ぶべきだ。
政治家や経営者も、これまでの数年間に起きてきた事とこれからの数年間に起こるであろう「変革のドライバーとなっているテクノロジー」に対して理解を深めるべきだ。

ネットバブルは崩壊したかもしれないけれど、ネットバブルで崩壊した企業はもともとクズ企業だったのだ。
ネットバブルのおかげで、本来なら生まれてさえこれなかった企業が、たまたま生まれてしまった。
そして、当然のごとく消えていった。
テクノロジーやインターネットによる変革は、まだはじまったばかり。
ネットバブルの崩壊など何の関係もない。
進化は続いている。

テクノロジーとビジネス、経済を結びつけて、戦略を策定、実行できる企業が、今後の10年を制する。




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孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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