斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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香田君は物見遊山でイラクに向かい、予想通り斬首された。 世間は自己責任論を唱え、バッシングに必死である。 香田君は、所持金100ドルで短パンをはき、イスラエル経由でイラクにビザなしで入国した。 アホと言われてもしかたがないだろう。 情報収集を怠っていたのか、単なるお気楽なのか、今となってはよく分からない。 だけど、僕は好奇心だけでイラクに行ったという事に関しては、それはそれで有りかな、と思う。 僕だってイラクに行きたい。 ボランティアをしたいわけでもなく、平和のために貢献したいわけでもなく、この目に戦場の悲惨さを焼き付けたい、というわけでもない。 そこにあるのは、好奇心だけである。 僕は戦場に物見遊山に出かけたい。 非日常としての戦場を見てみたいのだ。 僕はそこでザルカウイに捕まってしまってもしかたがないかな、と思う。 本望ではないものの自分のミスを受け入れるだろう。 斬首されるのはさすがに嫌だけれど、流れ弾に当たって負傷するくらいならかまわない。 緩慢な自殺願望、消極的な自殺でもない。 世間は非難するだろう。 非難されてしかるべきである。 観光や物見遊山で戦場に向かってはいけないのか? もちろんいけない。 だけど、好奇心が勝ってしまう事だってある。 僕がイラクに向かわないのは、たまたまその好奇心が抑制可能なレベルにあったからに過ぎない。 だけど、もし好奇心が抑えられていなかったとしたら、友人から「ねえ、イラクに行かない?」と誘われたとしたら、僕はイラクに向かっていたかもしれない。 そこには、正義感も何もない。 ただただ、好奇心があるだけである。 香田君にどこまでの好奇心があったのかは、よく分からない。 でも、好奇心で戦場に向かったのであれば、それはそれで理解できなくもない。
僕はAmazonのヘビーユーザーである。 週に2、3回は何らかの買い物をする。 CDは全てAmazonで購入しているし、専門書籍や新作ゲームもほとんどはAmazon。 最近はPCの周辺機器類もAmazonで購入するようになった。 Amazonは1500円以上の注文は送料が無料。 マニアックなCDや書籍購入には大変便利だ。 レビューの記事も読めるのでハズレを掴まされることも少ない。 専門書籍やCDは、店頭で苦労して探すよりも楽である。 時間の節約にもなる。 僕は、何かの調べ物をしている際、ブックマークに登録する感覚でAmazonの1-Clickボタンを押す。 ポンポンと1-Clickボタンを押す。 が、しかし。 最近Amazon地獄に陥っている。 Amazonのギフト券制度のせいである。 Amazonでは書籍、CD以外の商品を購入すると、キャッシュバック的なギフト券がもらえる。 商品によって還元率は異なるが、商品価格の10〜15パーセント程度のギフト券がもらえる。 ギフト券といってもリアルの券ではなく、メールでギフトIDが送られてくる。 このギフト券はカメラ系量販店のポイント還元に似ているのだが、異なる。 ギフト券は買い物をするたびにもらえる。 一ヶ月の買い物に対し、月末にまとめていくつものギフト券がメールで送られてくるようになっている。 僕は数千円程度の細かい買い物をちょこちょこと行うので、それぞれの還元金額は1000円〜1500円程度である。 買い物の回数が多いので、1000円〜1500円の細かいギフト券がいくつも溜まる。 そして、このギフト券は一回の買い物に対して一枚しか使えない。 しかも書籍には使えない。 再販制度のせいだろうからしかたがないのかも知れない。 書籍に適用するには、送料などに適用してください、との事のようだ。 最近は書籍以外の買い物もAmazonで行うようになったが、購入する商品の大半は書籍である。 だが、書籍にはギフト券は適用できない。 一方的にギフトポイントが溜まっていく。 1000円程度のしょぼいギフト券なのだけれど、買い物の回数が多いので1ヶ月に貰えるギフト券は数千円から1万円になってしまう。 ギフト券1枚はしょぼいが溜まると結構な額である。 もったいないので、いらんモノを買いまくっている。 Amazonの狙いは、1回の買い物につきギフト券を発行し、それを使うには更にもう一回買い物をせざるを得ないので、蟻地獄に陥らせることなのだろう。 毎月毎月何らかのものを延々と買い続けなくてはならない。 まさにAmazon地獄。 僕は当初は安いPCの周辺機器等を買ったりしていたが、買い物にも限界がある。 周辺機器は既にあり余っている。 無理矢理に何かを見つけて買い物をし続けたが、すぐに必要なものはなくなった。 ついにネタが切れ、意味なく浄水器を買た。 うーむ。 微妙。 せめてギフト券を複数利用できるようにならないのかなあ。 でも、この浄水器は結構いいぞ。 ギフト券じゃなきゃ買わないけど。 ■Amazonギフト券還元プログラムhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/3569801/250-7868214-9370603 ■浄水器 Brita クール 1.25Lhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001ZN358/wwwjunokunoco-22
2004年10月29日(金)
知りすぎると却って買えないインサイダー株
僕が購読している株式投資関連のメールマガジンに「100万ドルとインサイダー情報があったら、数年で破産する」というバフェットの言葉が載っていた。 確かにそうだ、と思う。 僕は現在、株式投資には消極的なのだけれど、そこそこの株式を保有している。 面倒なのでほとんどチェックすらしていないのだけれど、株を売り飛ばせば、新車のフェラーリが買える。 以下、そのメルマガに出ていた記事を引用する ■インサイダー情報で株売買する危険性 �‐霾鵑�もし本当だとして、事前にそうした重大な情報が漏れてくる会社はロクでもない会社です。ロクでもない会社なので、真剣に株を買う対象にはなりません。また、ロクでもない会社の場合には仕手筋のターゲットにされることが多いので、下手な空売りも危険です。ポジティブなインサイダー情報であれ、ネガティブなインサイダー情報であれ、それで売り買いするのは危険です。 �⊂霾鵑魯Ε修任△襪海箸�多いです。いかにも本当そうに流されてきた情報でも、裏で流れている情報にはウソも多いです。 ��情報がもし本当だとしても、情報が漏れたことでその話そのものがダメになってしまうことがあります。 �い發靴修力辰�買い材料となるようなインサイダー情報だとした場合、自分の耳に入る前に既に多くの人が耳にして株が買われて株価が高くなっており、実際に情報が正式発表された後には株価が下落していく、というケースも多いです。 僕は戦略コンサルタントという仕事柄、インサイダー情報には事欠かない。 大企業の戦略そのものを作っているので、企業の実態、将来の戦略、業績の予測までが事細かにわかる。 M&Aに関しても、企業買収用のショッピングリストの作成を行ったり、企業の値踏みまで行うので、事前にかなり細かい情報を入手可能である。 そして、上記のメルマガの引用にるあような漏洩した情報でもウソの情報でもない。 僕が得るインサイダー情報は、本物であり、厳重に管理されているものである。 だが、僕は一度たりともインサイダー取引を行ったことはない。 これからもやらない。 インサイダー取引を行わない理由は、モラルからではない。 職務上、インサイダー取引は厳しく制限されているけれど、職務上の制限を持ち出すまでもなく、僕はインサイダー取引を行わない。 理由は2つある。 �ヾ覿箸亮他陝憤塗堯砲�目について株を買う気がなくなる ��株式市場の実際の株価と企業実体の乖離から理論株価の正当性が説明しきれなくなる �ヾ覿箸亮他陝憤塗堯砲�目について株を買う気がなくなる コンサルタントの職業病である。。 コンサルタントは企業の病気を治す医者みたいな職業なので、どうしても病気の部分に目がいきがちである。 企業の病気の治療を行おうとするのだけれど、その際には、いくつもの壁にブチ当たる。 企業の病気治療がすんなりと進む事はまずない。 企業の改革は簡単ではない。 遅々として進まない。 そうすると、どうしても自分のクライアント企業がダメ企業に見えてくる。 優良企業を担当していても、優良企業のダメな部分、病気の部分を直すために雇われているので、悪い部分が目についてしまい、結果的に株を買いたいとは思わなくなってしまう。 ��株式市場の実際の株価と企業実体の乖離から理論株価の正当性が説明しきれなくなる 企業価値評価、という仕事がある。 企業業績の予測や市場動向、保有資産から企業に値段をつける作業であり、企業の合併比率を算出する際やM&Aで企業買収を行う際に行う。 本来、企業の価値は株式市場における株式時価総額と一致するはずなのだけれど、現実にはそうはいかない。 往々にしてズレがある。 長期的な株式市場では、「神の見えざる手」により、企業価値は恐るべき正確さで評価されるのだけれど、短期的な市場ではブレが出る。 株価は純粋な企業価値だけではなく、需給や仕手筋、市場の思惑などの要素が複雑に絡み合う。 理論的に計算しきれないことはないけれど、株式市場は生き物であって常に変動しているので、現実には計算しきれない。 株式の需給状況は、信用残高と信用期日の関係を丹念に見ていけば、予測がつかない事もないけれど、信用期日に投資家が果たして株を投げるだろうか、それとも買い増すだろうか、といった点については別の判断が必要になってくる。 また、株価変動の上限と下限を見極めることは事実上不可能である。 そうすると、現実の株価と理論株価の狭間にいる僕は心理的に怖くて株が買えなくなるのである。 僕は典型的な貧乏人パターンだと思う。 センチメンタルなのだろう。 でも、知りすぎると却って怖くなる事ってあるのではないか、と思う。
2004年10月28日(木)
プロ野球参入はくじびきで決めるのが妥当な気がする
台風、地震、香田君事件により、隅に置かれている感もなきにしもあらずな楽天、ライブドアのプロ野球参入問題。 プロ野球ファンではない僕にとっては正直言ってどうでも良いことなので、外野席からおもしろおかしく観戦している。 以前にも書いたのだけれど、僕の立場から見るとどう見ても楽天優勢。 客観的にも主観的にも楽天優位。 だが、世間レベルではそうでもないらしい。 僕の両親などは、楽天の三木谷氏は全く眼中になく、ライブドアの堀江氏を応援している。 テレビを見ていても新聞、雑誌、インターネットといった各種メディアを見ていても圧倒的に堀江氏の露出度が高い。 ポジティブなメッセージだけではないので、一概に堀江氏のほうが世間的には支持されている、とは言い難いものの三木谷氏よりも堀江氏のほうが人気者なのは間違いない。 きっと世間的には、大人社会に対する反逆者的なイメージがある堀江氏に軍配があがるのだろう。 僕は、プロ野球問題は、楽天だろうとライブドアだろうと立派に運営していけると思う。 大問題のように扱われているが、プロ野球の球団経営は中小企業の経営であり、それほど大騒ぎするほどの事か?と、思う。 もちろん一般企業の経営とは異なるノウハウがあるのだろう。 だけど、完璧な財務内容、完璧な人格が求められる必要があるのか?と思う。 プロ野球球団の経営は堀江氏でも三木谷氏でも十分やっていけるだろうと思う。 だが、プロ野球への参入企業は一社にしか認められないようなので、三木谷氏、堀江氏のどちらかが選ばれ、どちらかが落選することになる。 普通に考えれば、楽天の三木谷氏が選ばれるだろう。 堀江氏は、一般大衆の支持を得たが、同時に墓穴もたくさん掘った。 やはり大企業勤務経験のない人は、企業相手の交渉、大人社会で生き残る事は難しいな、と感じる。 堀江氏はしょせんは成り上がりのベンチャーだな、常識を逸脱しているな、と思ってしまう。 残念な事に堀江氏には自分がお調子者であることに対する自覚がない。 テレビに出たり、本を出したり、調子に乗り過ぎ。 世間知らずのお子ちゃま学生達に、「稼ぐが勝ち」的なアホな電波をとばしてしまい、悪影響を与えてしまった罪も大きい。 本人は、成功した反逆者のつもりなのだろうけれど、大人社会から見れば単なる失礼な奴、常識を知らないガキ、である。 企業社会、大人社会への反逆は、好きにしてもらって一向にかまわない。 だけど、堀江氏はナメた態度に見え隠れする。 社会をバカにしている態度が明からさまだ。 そして、彼は株式市場、株主を裏切り続けてきてもいる。 テレビに映った表面的な姿しか見ない大衆からは支持されているかも知れないけれど、企業社会、市場からは見放されている。 来週、楽天かライブドアのどちらがプロ野球参入が決定するかが決まる。 企業社会、大人社会の楽天か、大衆を味方につけたライブドアか? 楽天が優位だとは思うけれど、プロ野球球団経営はどちらがやっても、問題はないと思う。 いや、問題はあるだろうけれど、それはそれで良いのではないか、と思う。 審査ではなく、くじびきで決めるのが妥当な気がする。 ■2004年09月17日(金) 楽天(三木谷氏)とライブドア(ほりえもん) http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99799&pg=20040917
2004年10月27日(水)
iPod Photo(60GB)とPSP
物欲番長の僕にとっては2つの大きな発表があった。 iPod Photo(60GB)とPSP。 当然だが、両方買う。 iPod Photo(60GB)は買い増しである。 僕は現在、iPod 30GBを持っている。 が、iPod 30GBは7000曲しか入らないのに対し、僕は12000曲のMP3ファイルを保有している。 手持ちのiPod 30GBではどうしようもないので、ここ半年くらいはCD購入を自粛していた。 聴きたいCDはたくさんあるのに、我慢していた。 どうしても聴きたいCDは購入するが、その場合はiPodに入れてあるMP3ファイルを削除しなくてはならない。 なので、iPod Photo(60GB)版は15000曲入るので、ずっと発表を待っていたのである。 7万円オーバーは高い気もするが、iPodのない生活はもはや考えられない。 よって、速攻で注文。 PSPは正直、どうでも良い。 でも買う。 予想よりも低価格なので、使う予定はないけれど、とりあえず買っとけ、である。 敢えて言えば、無線LANで何ができるのかに興味がある。 人柱。 リリースを見る限り、無線LANは対戦ゲームやネットワークゲームに使用するようであるが、ブラウザ、メーラー、2ちゃんねるブラウザは欲しいところである。 PSPは12月12日が発売日。 この時期は、11月27日にはドラクエ8が発売され、12月3日にはグランツーリスモ4が発売される。 ゲーマーの僕は多忙が予想される。 ドラクエ8が終了しない段階で、グランツーリスモ4をはじめなくてはならないので、多忙を極めているはずだ。 僕はもはや時間が取れないので優先順位から落としたが、12月16日にはメタルギアソリッドも発売される。 PSPのゲームなんぞをやっている暇はない。 でも買う。 アホだからである。 物欲の秋だなあ。
2004年10月26日(火)
市場との対話で生まれるブランド価値
ブランド価値の持つ意味が様変わりしてきたな、と思う。 バブルの頃、ブランドは「記号」だった。 その商品がモノとして本来の価値を持つかどうかではなく、記号的付加価値を持っているかどうかがブランド価値だった。 ブランド価値とは、商品が持つ実質的な価値ではなく、記号に過ぎなかった。 広告、マーケティング戦略によって創り上げられた記号が付加価値を生んでいた。 ブランドロゴが強い価値を持っていた時代だった。 消費者はロゴの持つ付加価値に貨幣を支払っていた。 バブル以前のブランドは「神話」で成立していた。 メルセデスの安全神話、オメガの宇宙旅行、ロレックスのドーバー海峡遠泳。 ブランドは神話によって、価値を生み出していた。 消費者は商品価値だけではなく、神話に、物語にお金を支払った。 だが、バブルが崩壊し、ブランドは記号的価値を失った。 DCブランドと呼ばれるデザイナースブランドは真っ先に崩壊した。 保守の時代であった90年代、過剰なデザインが施された衣服は、恥ずかしいものとなった。 差別化、差異化のためのエネルギーが、オフィスやビジネスの場にそぐわない過剰なデザインへと向かった結果、デザイナースブランドのスーツはホストのスーツとなった。 今、ダブルのイタリアンスーツを着ているようなオフィスワーカーはいない。 過剰な差別化、差異化はブランド価値を損なっていった。 世紀が変わり、ブランドは神話でも記号でもない、実質的な機能なりの「価値を保証するもの」となった。 現代においては、品質や価値を保証するものがブランドである。 ユニクロやGAPのブランド価値は高級品としての付加価値ではなく、低価格であり、その低価格に見合ったクオリティーを保証する服としてのブランドである。 ユニクロもGAPも高付加価値商品の提供は行っていない。 記号的な付加価値を持つブランドではない。 記号的付加価値によって、高価格を維持することが目的ではない。 ユニクロは心斎橋にユニクロ+(プラス)をオープンし、脱低価格宣言を行った。 僕は、疑問に思った。 常道をはずしているからである。 通常、低価格ブランドが高級品に商材を広げる場合、ブランドを分ける。 ブランドはユーザーが抱くブランドイメージに混乱が生じないように、低価格ラインと高価格ラインを分ける。 GAPにとってのバナナリパブリックであり、ロレックスにとってのチュードルであり、アウディにとってのフォルクスワーゲンである。 ユニクロは「+」をつけることをしているものの、同じユニクロブランドで高価格帯への展開を行うようだ。 ユニクロ=安物のブランドイメージが消費者のなかで、固定化されているなかで、高価格品をどうやって売っていくのだろう? ユニクロはこのブランド戦略を失敗すれば、従来の低価格、価格の割には高品質、というせっかく築き上げたブランド価値も喪失する。 ユニクロの脱低価格宣言後の商品ラインを見てみると、答えがわかった。 ユニクロの脱低価格宣言は、高級品へシフトを意味するのではなく、単に高価格帯の商品も商品ラインナップに加えますよ、というものだった。 ユニクロはブランドを高付加価値商品にシフトしているのではなく、レザージャケットやカシミアといった高価格帯の商品も取り扱います、と言っているだけなのだ。 脱低価格宣言は、高価格帯の商品も今まで通り、価格の割に高品質で提供します、という宣言なのだ。 僕もきちんと商品ラインナップを見るまではわからなかった。 消費者はユニクロのメッセージに混乱しているだろう。 ユニクロの脱低価格宣言に対して消費者は、ユニクロが今まで築いてきた低価格、その割には高品質、というブランド価値を捨て、高価格高付加価値にシフトするのか、というメッセージとして受け取りかねない。 現代のブランド価値は記号でも神話だけでもない。 実質的な価値を保証するために存在している。 消費者に対してわかりやすいブランド価値、実質的な価値の訴求をしないと、消費者の混乱を招く。 ブランドとは企業の消費者に対するメッセージである。 そのメッセージは、広告、マーケティング戦略ではなく、商品や店舗、従業員から企業姿勢そのものからも発せられる。 現代においてブランドは企業と市場の対話を体現するためのものである。 企業は、市場との対話のため、広告、マーケティング、商品、企業姿勢と企業全般に渡ったブランド価値創造のためのわかりやすいメッセージの発信が求められる。
2004年10月25日(月)
マトモな日本語を書けない僕を支援するATOK
最近の悩ましいことのひとつは、マトモな日本語が書けなくなってきた事である。 書けなくなってきた、などと書くと、以前は書けていたかのようだけれど、少なくとも学生時代は、国語の授業もあったので、今よりはずっとマシな日本語を書いていたのだろうと思う。 まず、漢字がまるで書けない。 ここ10年くらい、手書きの文字をほとんど書いていない。 手書きの文字を書くのは自分の名前と住所くらいのものだろう。 手書きで文字を書く機会がまるでないので、漢字が書けなくなっている。 現状の僕の漢字力は小学生レベルだろうな、と思う。 漢字が書けないのは僕に限ったことではなく、現代の社会人全般に言えることだと思う。 僕はブレストをする際、ホワイトボードを使用する。 ホワイトボードにガシガシとアイディアを書いていくのだけれど、漢字の部分をひらかなで書く。 僕以外の出席者も僕と同様、漢字が書けない。 薔薇とか醤油とか憂鬱といった難しい漢字ではなく、ごくごく普通の漢字でも詰まってしまう。 逆にパソコンを使った文章だと、勝手に変換されてしまうので、あまり使わないような難しい漢字を使ってしまったりする。 必要以上に漢字が多い文章は、悪文に繋がるのでやっかいである。 僕が人の書いた文章を修正する場合の多くは、漢字表記をひらがな表記に修正することである。 漢字が多すぎる文章は良い文章ではない。 僕自身も気をつけてはいるものの、常駐させた秀丸でガシガシと高速で文章を書くと、ついつい本来はひらかなで表記すべきところを漢字に変換してしまったりもする。 手書きでは漢字が書けないのに、パソコンで書くと漢字だらけの読みにくい文章になってしまう。 漢字が書けなくなり、それに伴って文章力も落ちてきた僕は、文章を書く際には「共同通信社 記者ハンドブック」を使用してきた。 パソコンの横には記者ハンドブックと電子辞書を常に置いている。 でも、書籍版の記者ハンドブックと電子辞書は何かと面倒。 いくら手許にあったとしても、いちいち調べる気はしない。 と、思っていたらATOK17に「明鏡国語辞典」、「ジーニアス英和/和英辞典」、「共同通信記者ハンドブック」がバンドルされたバージョンが発売された。 限定3000本の発売のようなので、速攻で注文。 インストールした。 インストールしてから何週間かが経過した。 う〜む。 文章表記はマトモになるのかも知れないけれど、文章自体のクオリティーが向上するものではないのだな、と当たり前の事に気づく。 時間を置いて、自分の文章を読み返してみると改めて、ひどいな、と思う。 もうちょっとマトモな文章は書けないのか、とWEBLOGのバックナンバーを読み返しつつ思う。 とりあえず、ツールでカバー可能なところはツールでカバー。 ■ATOK 17 for Windows Professionalhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002S2GP2/wwwjunokunoco-22 ■スタパトロニクスモバイル 拙者はこんなソフトで原稿書いてます http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/stapa/19071.html ■シャープ電子辞書 SHARP PW-A8100http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001HOWUG/wwwjunokunoco-22
2004年10月24日(日)
スルー力(するーりょく)
情報過多の時代を生き抜くために必要なスキルは「スルー力(するーりょく)」である。 スルー力とは、脳内で余計な情報をスクリーニングし、必要な情報だけを得る力のことである。 僕は、メールニュース、インターネット、新聞、雑誌、テレビと溢れる情報ノイズの洪水のなかで生活をしている。 毎日数十通のメールニュース。 無節操にHDDに取り溜めたテレビ番組。 読み終わる前に次号が届く定期購読の雑誌。 暇があったら携帯経由ででも目を通す2ちゃんねる。 僕は、摂取している情報の絶対量が一般の人に比べて多いぶん、ノイズも圧倒的に多い。 質より量の情報のなかで生きている僕にとって、スルー力は重要である。 僕にとっては、溢れるノイズをいかに効率よくスルーするか、が重要になる。 質より量の情報に接するので、脳内スルー力は必須スキル。 僕は新聞を読むのがとてつもなく早い。 メールニュースやウェブサイトの記事を読んでいる速度も、本当に読んでいるのかよ、というくらいの高速スクロール。 もちろん全ての文字をきちんと読んでいるのではない。 不必要な文字を脳内でスルーしているのである。 僕は新入社員時代、メーカーの広報宣伝部に所属していた。 広報宣伝部の新入社員の仕事は、クリッピングである。 クリッピングとは、早朝に出社し、大量に届く新聞雑誌の全てに目を通し、自社や競合企業に関する記事を素早く見つけ出し、切り抜きをする作業である。 クリッピング当番は、午前9時までに役員に切り抜きのコピーを届けなくてはならない。 時間のないなかで、新聞や雑誌から関連する記事を素早く見つけ出さなくてはならない。 記事をマトモに読んでいては間に合わない。 新聞の紙面全体を絵として捉え、関係のある文字をすばやく浮かび上がらせなくてはならない。 速読法に似ているかもしれない。 クリッピングの仕事をしばらく続けていると、必要な文字が紙面のなかから、見事に浮かび上がって見えるようになってくる。 僕は、当時鍛えられた脳内スルー力が今も生きているので、今でも新聞を読むのが異様に早いのである。 人間には生来的にスルー力が備わっている。 日常的に目で見たり、耳で聴いたりする場合にもスルー力を使っている。 目でモノを見ても意識的に見る事をしなければ、見えない。 耳で音を聴いても同じく意識しなければ、音は聞こえない。 意識して見たり聞いたりすることにより、脳で認識される。 意識により、認識力はコントロールされている。 人間は全ての情報を均等に認識するようにはできていない。 人間は目に映った全ての映像、耳に聞こえる全ての音を認識しているのではない。 意識することによって、はじめて認識する。 必要な情報のみを認識している。 そして同時に、僕らは渋谷の雑踏のなかで、待ち合わせた友人を瞬時に見つけ出す能力を持っている。 脳は入力された情報のなかから、必要な情報だけを認識し、理解するようにできている。 今の時代は、このスルー力を最大限に活用しなくてはならない。 スルー力が大切なのは、摂取する情報ソースそのものを減らしてはならないからだ。 情報が洪水のごとく溢れているからといって、ノイズのないスクリーニングされた情報だけを摂取していて良いというわけではない。 ノイズのなかにこそ、重要なヒントが隠されていたりする。 ノイズがなければ、情報の幅が生まれない。 情報は情報として、ノイズも含めて脳内に入力し、スルー力によって、必要な情報のみを認識する能力が必要なのだ。 情報をスルーする力を磨き、大量のノイズのなかから何かを見つけ出すスキルが重要なのではないかと思う。
2004年10月23日(土)
極私的デジタルデバイド解消と放置プレイ
実家のインターネットインフラがあまりにも貧弱なので、無理矢理気味にADSLと無線LAN環境を導入した。 僕の実家は両親と妹がいる。 僕は帰省する度にPCを持ち帰り、家族全員にPCを一台ずつあげた。 父と妹はVAIO、母はThinkPad。 妹は大体使えるが、両親はほとんどPCが使えない。 父親は仕事で使わない事もないらしいのだけれど、基本的に使えない、と言って良い。 母親はPCに触れたこともない。 僕は全くPCに触れたことのない母親にPCの使い方を教えることにした。 母親専用のThinkPadに無線LANと環境はそろっている。 極私的デジタルデバイド解消のためにも、母親にはPC操作を覚えてもらわなくてはならない。 母親は携帯でメールを打つことはできるが、PCはおろかワープロすらも触ったことがないので、キーボードも打てないし、マウスも使えない。 僕はまず、ブラウザの使い方を教えることにした。 メールは携帯を使っているので、必要ない。 PCの起動と終了、クリックの仕方を教える。 ダブルクリックとシングルクリックの使い分けが、なかなかわからないようだ。 何度もソフトの起動ができない、と文句を言う。 次にブラウザの使い方。 事前に母親が使いそうなブックマークは設定しておいたので、とりあえずクリックすれば情報が得られることを教える。 簡単なことだけ教えて、放置する。 天気予報やらショッピング情報、旅行情報などをおたおたしながらも調べることができるようになる。 次にサーチエンジンの使い方を教える。 検索キーワードを入力するためには、キーボードを使わなければならない。 ワープロすら打ったことのない母親にとっては、ハードルである。 ここでまたもや放置プレイ。 少しだけ教えて、悩んでもらう。 僕の教え方は基本的に放置プレイである。 10の知識が必要な場合にも、まずは3くらいしか教えない。 実際に必要な知識の3割程度の情報だけを与え、悩んでもらう。 スキルというものは考えて、手を動かさないと身に付かないので、悩んで試行錯誤してもらう。 そして、そろそろ教えた方が良いかな、というタイミングで助け船を出す。 案の定、母親はおたおたとPCを操作している。 これは、仕事中でも変わらない。 全てを教えず、敢えて悩んでもらう。 自分のアタマで考え、手を動かしてもらう。 そして、そろそろかな、というタイミングで助け船を出す。 悩んでいないようだったら、そのまま放置する。 ちょっと迷っているだけの場合も放置する。 常に注意深く様子を見つつ、見ていないフリをする。 たぶん、僕と仕事をしたことのあるスタッフであれば、このような僕の放置プレイを体験していることだろう。 放置プレイで教えるためには、教える相手からは常につかず離れずの距離にいる必要がある。 悩んでいる様子を常に確かめ、教えるタイミングを見計らっているので、離れる訳にはいかない。 常に近くにいるけれど、タイミングが来ないと教えない。 学校のように、手取足取り細かく教えたりはしない。 考えて、手を動かし、悩んで学べ! 細かく丁寧に教えたり、事細かに指示する人も多いけれど、僕はそれは良くないのではないかと思う。 プロセスまで細かく答えを与えてしまっては、その人は決められたことしか覚えない。 知識としては覚えるかもしれないけれど、応用が効かなくなる。 放置プレイは教える側も教わる側も面倒だけれど、結果的には多くを得られる。 小さなことからこつこつとデジタルデバイド解消活動にいそしむ僕なのであった。
2004年10月22日(金)
外部記憶依存症とポスト知識社会
僕は外部記憶依存症である。 単体の生物としての僕の記憶力は高いとは言えない。 僕はネットワーク上に存在する記憶で脳を補完することによって、何とか存在している。 僕はもともと記憶力というものに大した重きを置かずに生きてきた。 学生時代にも記憶力を鍛えることをしてこなかった。 おかげで学歴社会の落ちこぼれである。 僕は、自宅にいる際にはPCの電源は入れっぱなし。 いつでもGoogleで検索可能な状態にしてある。 テレビを見ながらでも疑問があれば、Googleで検索を行う。 外に出かける際にも基本的にPCを持って行く。 何か疑問があれば、即座にVAIO Extremeを起動し、AirH"でネットワークに接続し、検索する。 VAIO Extremeはシャットダウンせず、休止状態で持ち歩くので、起動は早い。 クライアントとのディスカッションの際でもPCはネットに接続した状態で行っている。 ディスカッションの際に出てきた疑問に対しても、その場で検索し、答えを探る。 学生がテストでカンニングをすることは、罪だけれど、本当にそうか?と思う。 Googleに接続したPC持ち込み可の試験があっても良いはずだ。 知識よりも、思考力や知識を統合する能力をトレーニングするほうが良いと思う。 断片化した知識を無意味に詰め込むことに価値があるとは思えない。 これからの人間にとって重要なのは、フラグメントした記憶、知識を統合する能力である。 フラグメントした知識は無限に存在し、いつでもどこでも容易に入手可能なのだ。 フラグメントした知識を統合し、意味をもたらし、何かを生み出すことがこれからの脳に求められる機能である。 ポスト知識社会と言っても良い。 もちろん記憶力が強いことは大切だ。 記憶力は重要だし、否定するものではない。 記憶力を鍛える教育は必要である。 だけど、記憶力や知識は外部記憶によって補うことができる。 外部記憶によって記憶力や知識の補完が可能なのであれば、外部記憶をうまく活用することも考える必要があると思う。 ネットワークによる外部記憶が当たり前になった世界においては、記憶力そのものよりも、記憶や知識に意味を持たせることが、人間の生体としての脳の主たる役割になるのだと思う。 たぶん僕は外部記憶依存症だ。 だけど、脳はメモリとしての記憶デバイスではなく、CPUとして記憶や知識を統合し、何かを生み出すことが求められているのだと思う。 人間の脳はフラッシュメモリ程度の記憶領域を持てば、外部記憶の補完によって、じゅうぶんに力を発揮することができる。 テクノロジーの進化により、人間の脳の記憶力の補完が可能になったことにより、人間の脳の使いかた、教育のありかたも変化するべきなのではないか、と思う。 小学校、中学校、大学、社会人と教育レベルが上がるにしたがって、記憶力主体の学習から、知識や記憶力の統合化、外部記憶の活用に重点を置くべきだ。 今はまだ外部記憶に過度に頼ることは難しいのかも知れない。 だけど、記憶力主体の脳力では生きていけないポスト知識社会に変化しつつある。
2004年10月21日(木)
ユビキタス世界はある意味、神話の世界なのかもしれない(下)
上 から続く 僕たちの住む世界の構造のベースはヒエラルキーである。 僕たち自身もそのヒエラルキーのなかに組み込まれている。 僕の身体はいくつかの臓器で成り立っている。 心臓、胃、腸、脳、etc、etc。 そして、各臓器は、細胞によって構成されている。 それぞれの細胞はまた、原子のような下位構造物で構成されている。 僕たちの身体、世界はヒエラルキー構造でできている。 そして、僕という人間としての統合環境もまた、家族、会社、国といった社会構造に組み込まれ、生物学的にも人間、ほ乳類といったヒエラルキー構造のなかに取り込まれている。 ヒエラルキー構造はひとつではない。 僕たちは同時に複数のヒエラルキー構造に所属し、分類される。 また、それぞれのヒエラルキーは単独では存在せず、ほかのヒエラルキーと連携を取り、関係性を持つことで成立している。 僕の臓器は単独で機能しているのではなく、他の臓器と連携して、僕の人間としての統合環境を実現している。 社会的存在としての僕も同様である。 そして、このヒエラルキーの「構造」というか、「場」というか、エネルギーのようなものを称して「神」と呼ぶのかもしれない。 だが、このヒエラルキーには頂点は存在しない。 クラインの壺のように、メンガースポンジのようにそれらは、循環系であり、部分が全体を含有している。 IPアドレスやDNSのように明確にヒエラルキー構造を持っているものもあるが、それぞれのヒエラルキーは相互に作用することによって成立している。 ヒエラルキー構造は外部のヒエラルキー構造、世界との連携によって構成されている。 攻殻機動隊の世界では、人は電脳により世界と繋がる。 人は外部世界と電脳を通じて繋がることにより、外部世界との融合を試みる。 そこに「中心」、「頂点」といった概念はない。 中心は同時に辺境であり、頂点は同時に底辺である。 ヒエラルキーは無数に存在し、相互のヒエラルキーが無限に相互作用している。 神道の「八百万の神」は、原初の世界、人間の根源にある神の概念を表現するために、好都合だ。 キリスト教的な唯一神的世界観は、BIOSやOSレベルの話ではなくアプリケーションレベルを説明するための概念であり、「八百万の神」的概念の上位層に位置するものであり、決して対抗する考え方ではない。 「八百万の神」、「分散する神々」を統御するベクトルのようなものが、唯一神と捉えられている思うからだ。 ユビキタス世界はある意味、神話の世界なのかもしれない。 ■攻殻機動隊(2)士郎正宗 (いきなり読むと戸惑う)
2004年10月20日(水)
ユビキタス世界はある意味、神話の世界なのかもしれない(上)
攻殻機動隊の描く世界観は、主人公の名前「草薙素子」を見ればわかる通り、「神道」的価値観がベースである。 「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」。 「剣」が「素子(デバイス)」になっている。 士郎正宗がどこまでこだわったのかはよく分からないけれど。 神道と言えば、「八百万(やおろず)の神」。 キリスト教やイスラム教が唯一神であるのに対し、神道は「八百万(やおろず)の神」。 草木にも神は存在する。 神はどこにでも存在する。 分散された万物のそれぞれが神であり、世界そのものが神である。 僕たちは神道の国に生まれ育っておきながら、キリスト教的価値観に支配されている。 神道的価値観はエキゾチックである。 アニミズムは、意外に新しいのかもしれない。 「八百万の神」は、ユビキタス的に通じる。 世界に端末が散らばり、センサーやタグがネットワークでつながり、パケットが光の速度で飛び交う地球。 情報はそれぞれの末端でも処理され、処理された情報がまたほかの末端と交信する。 それぞれの端末がそれぞれのヒエラルキーにおいて、情報のやりとりを行う。 世界には、「中央」という概念はない。 ヒエラルキーは存在するが、「中心点」は存在しない。 世界中に分散された端末がヒエラルキーに従って、連携する世界。 中心は存在せず、部分が全体であり、全体が部分である世界。 分散された端末、「意識」を神とするならば、「八百万の神」である。 ユビキタス世界においては、神はどこにでも存在する。 「唯一神」の概念を持ち出すのであれば、そのユビキタス世界のヒエラルキーの頂点が「神」であろう。下 に続く
2004年10月19日(火)
混同される「成果主義」と「能力主義」
いつの間にやら年功序列は衰退し、「成果主義」、「能力主義」が当たり前の時代となっていた。 だけど、どうも「成果主義」と「能力主義」が混同されているような気がする。 「成果主義」と「能力主義」の定義は異なる。 「成果主義」とは「成果」に対して報いるものであり、「能力主義」とは「能力」に対して報いるものである。 「成果主義」は、ボーナス等の報償によって社員に報いるべきであるし、「能力主義」は昇進や配置転換によって社員に報いるべき性質のものである。 もちろん「成果」と「能力」には強い相関関係があると思う。 だが、たまたま「成果」が上がっただけかもしれないし、「能力」があるからと言って必ずしも成果があがるわけでもない。 特に、「成果」を持って、ご褒美的に配置転換や昇進が実施されることはおかしい。 本来「能力」が必要とされる職能に対して、「成果」で報いることには矛盾がある。 成果が出ているからといって、その人の能力を考慮せずに昇進させたり、その人の能力に見合わない配置転換を行ってはならない。 成果に報いるのは、ボーナスのような報償である。 地位や昇進ではない。 昇進や配置転換はあくまでも「能力」に基づいて行われるべきだ。 成果と能力を混同してはならない。 「成果」と「能力」に相関関係があることがほとんどだとしても、これらは切り分けて考えるべきである。 そして、成果に関しては、一時的なボーナスで報いるのが適切である。 成果主義の効果を上げるためにはボーナスを高額にすることが最も理に適っていると思う。 結果として、ヒラ社員でも年収が高い者や、地位が高くても給与の低い者が出てくるだろう。 だが、これは何ら変ではない。 スポーツ選手は、監督よりも選手の年俸のほうが高い事はごく当たり前の事である。 それと何ら変わらない。 部下のほうが、上司よりも年俸が高くてもおかしくない。 成果主義とはそういうものだと思う。 「成果主義」と「能力主義」は組み合わせて導入すべきものだ。 「成果」には報償を持って報い、「能力」には人事を持って報う。 その両面がうまく組み合わさってこそ「成果主義」、「能力主義」はうまく機能する。 どうも「成果主義」と「能力主義」は混同して利用されているような気がしてならない。
2004年10月18日(月)
テクノロジーにおける「法則」とノンリニアな変化
テクノロジーの将来予測には、「ムーアの法則」、「ギルダーの法則」、「メトカーフの法則」がよく引用される。 ■ムーアの法則 ゴードンムーアによる「CPUの性能(集積度)は1年半ごとに2倍になる」という法則。 ■ギルダーの法則 ジョージ・ギルダーによる「ネットワークの速度は、半年で2倍、9ヶ月で2倍、1年で10倍、10年で1000倍くらい」になり、「プロセッサの進化の速度よりも、いずれはネットワークの速度の方が上回る」という法則。 ■メトカーフの法則 Ethernetの発明者、ボブ・メトカーフの「ネットワークの価値は、ユーザ数の二乗に比例する」という法則。いわゆるネットワーク効果 いずれも単純な法則だけど、あながち間違ってもいない。 そして、これらの法則は、「経験曲線」によって実証可能である。 経験曲線とは、「累積生産量と単位コストの関係を表した曲線で、累積生産量が増加すると単位コストが減少する経験法則をグラフ化したもの」である。 過去の統計値を経験曲線上にマップすることにより、定量的な将来予測が可能になる。 また、経験曲線は「曲線」なのだけれど、横軸を対数軸にすれば、直線で表現することができる。 対数軸を用いることにより、将来予測は更に容易になる。 ただし、経験曲線は、単純な製造業における将来のコスト予測のために作られたものなので、技術革新の多いテクノロジー関連の将来像を描くには、少々無理がある。 だが、単純に「将来のHDDはいつ、どの程度の容量になり、コストはどの程度になるのか?」、「ネットワークのコストと通信速度はどうなるのか?」といった単純な予測であれば応用可能である。 将来予測を行うとき、この経験曲線のような単純なモデルをベースとして使用するのだけれど、当然ながらそれだけでは不十分。 経験曲線はあくまでも、時間とともに経験値が上がり、それに伴ってコストが下がる、という「リニア」な発想からきている。 だが、現在、僕たちが直面しているのは単純なリニアな変化ではない。 テクノロジーの常識が根底から覆されるような変革の時代だ。 これまでのテクノロジーのリニアな変化の延長線上で将来像を語ることが困難な時代が到来した。 僕は、変革には3つのスタイルがあるように思う。 �〃亳涯弊�的にリニアに変化するもの 通信速度の向上、HDDの容量憎、CPUの速度向上、各種テクノロジーのコスト低下、インフラの普及率等 �▲螢縫△癖儔修留篦浩�上で生じた革新 通信速度、HDDの容量増による放送形態、視聴スタイルの変化 ��従来とは異なるノンリニアに生じる革新 RFIDタグ、センサーネットワーク、ナノテクノロジーによる「アトムとビット」の融合 これらの3つの変革はそれぞれが個別に生じるのではなく、組み合わさった形で表出する。 特に現在は、ノンリニアな変化の兆しが見られる。 そうしたノンリニアな変化は、予測が難しい。 既にテクノロジーが存在するのであれば、そのテクノロジーがどの程度の速度で進化するか、どの程度ユーザーに受け入れられるのかについて検討を行えば良い。 ユーザーが受け入れるかどうかのパラメーターは、コスト、利便性、普及率、マーケティング等、不可視な要素も多いけれど、シミュレーションやシナリオプランニング、ゲーム理論の応用により、ある程度予測がつく。 だが、まだ芽もないテクノロジーによるノンリニアな変化を見つけ出すことは難しい。 今、起ころうとしている変革はこのノンリニアな変化である。 モノにRFIDタグがつき、センサーネットワークが張り巡らされた世界。 センサー情報のようなダイナミック情報と個人情報や履歴情報のようなスタティックな情報が結びついたとき、そこには新たなコンテキストが生まれる。 僕という特定のスタティック情報を持った個人が、ある状態、ダイナミックな状態にいる。 「僕というスタティックな情報とダイナミックな情報の複合体」は、同じくスタティック情報とダイナミック情報の複合体である世界と接点を持つことにより、何らかのコンテキストが生じる。 そのコンテキストを適切にマネージすることにより、あらたな世界が生じる。 だけど、そこにあるものは何なのだろう。 僕が世界を覆うネットワーク世界の端末のひとつになったとき、そこに何が起こるのだろう。 きっとそこにあるのは、テクノロジーや統計学アプローチでは予測し得ない世界が存在する。 テクノロジーや統計学、ビジネス理論に加えて、宗教や哲学、生物学等の検証が必要となる。 今起ころうとしている、ノンリニアな変革に対する「法則」は存在するのだろうか? ■経験曲線 Experience Curvehttp://www.nri.co.jp/opinion/r_report/m_word/keiken.html
2004年10月17日(日)
Google Desktop Search
Googleが、Google Desktop Searchのベータ版をリリースしたので、インストールしてみた。 僕はGoogle信者なので、Googleが発表するソフトウエアはとりあえず使ってみることにしている。 Google Desktop Searchは自分のパソコン内にあるWord、Excel、PowerPointのようなMSオフィス文書や過去に参照したウェブのキャッシュを検索してくれる。 スパイウエアでも仕込まれていたら、とんでもないことになるのだけれど、Googleを信用してインストールしてみる。 僕のように自分のローカルHDDに数十GB単位で資料を保存している人間にとっては大変ありがたいツールである。 PowerPoint内のテキストの検索ができるだけで、どれだけありがたいことか。 僕は、PowerPointの資料は、プリントアウトし、8cmバインダーに綴じて、ポストイットを貼り付けて管理していた。 当然ながら、検索性は良くないし、紙媒体なので可搬性も良くない。 Google Desktop Searchはインストールすると、検索用のインデックスを生成する。 そのインデックスファイルに対して検索をかけるようになっている。 PC内の資料を検索してみると、0.02秒で検索結果が出た。 ローカルのインデックスファイルを参照しているだけなので、速いのは当然なのだけれど、ウィンドウズのファイル検索に慣れている僕にとってはほとんど冗談のような速度。 Google Desktop Searchは、僕が「布教」する必要もなく、爆発的に普及するだろう。 特に僕らのようなコンサルタントにとっては、なくてはならないツールだ。 一度、インストールしてしまえば、二度と過去には戻れない。 やはりGoogleはすごいなあ、と。 盲目的なGoogle信者である僕はついつい感じてしまう。 でも、便利なものは便利なのである。 一度体験してしまうと、ないと困る。 でも、PDFに対応していないのは少し残念。 まあ、ベータ版だし、しかたがないかな。 PDFに対応してくれれば最高なのに。 あと、Googleツールバーとも統合して欲しいな。 そうすれば、無敵のローカルファイル検索ツールになるだろう。 あとは、アマゾンのSearch Inside the Book、Google Printといった書籍の全項検索ツールが日本語書籍に対応してくれるとありがたい。 書籍の全項検索ができるようになれば、資料用の書籍購入が便利になる。 既に購入してしまった後の書籍も検索エンジンと融合することにより、有効利用が可能になる。 Google Desktop Searchは、まだベータ版ではあるけれど、一度インストールしてしまえば、二度と元にはもどれないツールだ。 検索ツールは僕の脳の拡張として、僕とインターネットを繋ぐインターフェイスとしてどこまでも進化して欲しい。 ■Google Desktop Searchhttp://desktop.google.com/ ■Google、デスクトップ検索に一番乗り――Google Desktop Searchを公開http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0410/15/news021.html ■米アマゾンに宣戦布告か--米グーグル、書籍検索「Google Print」をテストhttp://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20062963,00.htm ■米アマゾン、書籍の全頁検索サービス「Search Inside the Book」を開始http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20061594,00.htm
アーサー・ケストラーによると、戦争行為は「過剰な献身」によって生まれるのだそうだ。 人間はどの動物よりも生まれてから長期間、無力である。 成人するまで親や社会からの庇護を必要とする。 人間は出生から幼児期、成人するまでの間、全面的に外部に頼らざるを得ない。 こうした人間の持つ外部に対する依存性が、個人や集団によって統御された権威や教義、道徳規範に服従、盲従、洗脳に近い状態をもたらす。 洗脳された個人は自分の属する国家、集団に「過剰な献身」を行うこととなる。 僕は希望して日本人に生まれてきたわけではない。 両親を選んで生まれてきたわけでもない。 戦争行為は、外部に対する闘争本能や攻撃性から生まれるのではない。 部族的信条や神聖なる戒律、政治スローガンに対する「過剰な献身」、「忠誠心」から生まれる。 旧日本軍は「鬼畜米英」に対して、憎しみから戦ったのではない。 「天皇陛下万歳!」と叫んで、戦い、死んでいった。 北朝鮮の人民は、もともと日本に対して悪意を持って生まれたというわけではない。 金正日という個人、主体思想に対して「過剰な献身」、「忠誠心」を見せているだけである。 そこには個人的な恨みや、闘争本能、攻撃性は見られない。 偶然生まれた国に対する忠誠心などもともとはなかったはずだ。 地理的にたまたま生まれた国だ。 誰かが勝手に引いた国境線だ。 宗教や戒律だって、その地理的、気候的、地政学条件によって生まれた偶然の産物だ。 偶然生まれた国や集団に対する「過剰な献身」、「忠誠心」。 戦争行為は、フロイト的な抑圧された闘争本能の発露ではない。 自分が所属する集団、族に対する「過剰な献身」「忠誠心」から生まれる。 外部からではなく、内部から外部に向けて闘争、戦争は生まれる。 人間は自分の所属する共同体、集団、集合に盲目的に従う。 それは、人間の性である。 そして、その「過剰な献身」、「忠誠心」を利用した命令は「言語」を通じて行われる。 教義であったり、政治スローガンであったり。 「言語」を通じて共同体、集団、集合の戦闘に向けたメッセージが個人に伝達される。 戦争を消滅させる最も手っ取り早い方法は、言語をなくすか、言語を共通化することである。 言語が共通化され、外部の族とのコミュニケーションが密になれば、おのずと外部共同体との戦争行為は消滅する。 インターネットによる地球規模のコミュニケーション形態の変化は、今後の戦争に何をもたらすのだろう。 きっと、コミュニケーションが密になることにより、言語を通じた「過剰な献身」、「忠誠心」は、立ち行かなくなる。 英語を共通言語とし、コミュニケーションがN対Nで、個人間で自由に行えるようになったとき、戦争行為は消滅するもかもしれない。 個人間、N対N、P2Pコミュニケーションは従来の共同体、集団を破壊する。 洗脳された個人であっても外部との接続を密にすることにより、自己の破壊と脱洗脳が可能になるのかも知れない。 戦争行為をなくすためには、人間が生来的に備えている「過剰な献身」、「忠誠心」を破壊することが必要なのかも知れない。
2004年10月15日(金)
自律した部分であり、無意識のなかでは全体である僕
本日は移動日。 自宅のある横浜からクルマで関西の実家へと移動。 距離は約600キロ。 自宅も実家も高速道路のインターチェンジに近いので、行程のほとんどは高速道路。 帰省時はほとんど深夜に移動するので、昼間の高速道路を長距離に渡って走行するのは久しぶり。 昼間の高速道路はねずみ捕りも多いので、「なるべく」流れにのって走る。 120キロ程度で巡航し、ダレてきたら160キロ程度まで加速。 流れに乗って高速道路を走行していると、妙な感覚に襲われる。 高速道路や走行している他のクルマとの一体感である。 渡り鳥や魚の群れは、個別の鳥や魚で構成されているのに、群れになると集合体として意識を持っているかのごとき動きを見せる。 あたかも、群れそのものが意識を持っているかのごとき動き。 高速道路を走る僕も同じような感覚を感じる。 僕自身は独立したクルマを運転している。 マニュアル6速、といった極めてアナログなインターフェイスを持ったクルマを運転している。 視覚を中心としたインプットを得て、アクセル、ブレーキ、ミッション、ステアリングを通して、運転というアウトプットを出力する。 クルマの運転は、「無意識」によるところが大きい。 ほとんど「無意識」にステアリングを切り、アクセル、ブレーキを操作し、適切なギアチェンジを行う。 インプットからアウトプットまで、全く無意識、というわけではないけれど、ほとんどの運転操作はほんの少しの意識で完了する。 だが、僕のクルマは時速120キロで西へと着実に進む。 周囲のクルマの動きと連携を取りながら、交通の流れを乱すことなく、移動を続ける。 僕は、自分のクルマだけではなく、他のクルマ、高速道路インフラと一体化する。 僕のクルマには、GPSやVICS、カーコンピュータが搭載されている。 GPSにより現在位置を知り、目的地までの所要時間を知る。 VICSにより、渋滞情報、規制情報、サービスエリアの駐車スペースの混雑状況を知る。 カーコンピュータにより、ガソリンの残量や燃費状態を知る。 VICSの情報で、名神高速の京都東から大山崎までが工事のため、通行止めと知る。 カーナビゲーションシステムは走行コースのナビゲーションを、京都東から大山崎を迂回した京滋バイパスを利用したコースに切り替える。 僕という身体、クルマという外骨格、高速道路のVICSやGPS衛星からのアシストを得ながら、僕は、高速道路を走行する他のクルマと協調を取りながら走行する。 僕は、自分の身体が様々なインターフェイスを通じて、高速道路と一体化しているような感覚を得る。 身体とテクノロジー、そして他者。 ほとんど意識することなく、僕は一体化して高速移動する。 自律した自己であり、部分である僕は、テクノロジーと集合意識によって構成された全体意識のなかに無意識に取り込まれ、協調する。 僕は自律した部分であって、無意識のなかでは全体である。 高速移動しながら、なんだか不思議な感覚を得た。
2004年10月14日(木)
戦略コンサルティングRPG
■登場キャラクター □パートナー LV:78 HP:99 MP:58 しょじきん:5000G 技:です、あっぷ、あうと、すてい、うばう 特徴:攻撃力はそれほど強くないが、守備力がとてつもなく強い。敵のゴールドを奪う。敵がゴールドを見せると、「こんらん」→「すこーぷのかくだい」や「こんらん」→味方に向かって「です」を使うことがある。 □マネージャー LV:58 HP:78 MP:72 しょじきん:1500G 技:ぷれぜん、よさん、めいれい 特徴:「ぷれぜん」を使って戦う。コンサルタント、アナリストに対して「めいれい」することができる。攻撃力、守備力ともに強いが、敵からの攻撃をマトモに受けるため、HPが下がりやすい。回避力が強いため、倒れにくいが、HPが下がると「がいしけい」に「てんしょく」してしまう。 □コンサルタント LV:35 HP:50 MP:43 しょじきん:800G 技:ほうこく、しらべる、てつや 特徴:敵の「かちょう」から情報を引き出し、アナリストの情報をまとめて、ボスキャラとの戦いに備えて「てつや」で「ほうこくしょ」の準備をする。攻撃力、守備力ともにまずまず。回避力が弱く、敵からの不意な攻撃に対して「ちんもく」、「せきか」状態に陥りやすい。「ちんもく」、「せきか」状態が長く続くと、「うつ」になる。「きゃばくら」を使うことにより、一時的にHPを回復させることができる。 □アナリスト LV:18 HP:28 MP:15 しょじきん:500G 技:ぎじろく、しらべる、さがす 特徴:「でーたべーす」や「いんたびゅー」によって、情報収集をする。攻撃力、守備力ともに弱いが、敵からの攻撃を受けにくい。「やきにく」を使うことにより、HPを回復させることができる。 ■戦闘シーン マネジャーが「ほうこくしょ」をつかって「ぷれぜん」をおこなった。 ぶちょうが「つっこみ」をおこなった。 マネージャーはひらりとみをかわした。 かちょうが「しつもん」をおこなった。 マネージャーはコンサルタントに「めいれい」した。 コンサルタントは「ちんもく」している。 アナリストは「ぎじろく」をかいている。 パートナーはねむっている。 とりしまりやくが「ゴールド」をみせた。 パートナーはめをさました。 とりしまりやくは「すこーぷのかくだい」をつかった。 パートナーは「こんらん」している。 パートナーはマネージャーにむかって「です」をつかった。 マネージャーのHPが1になってしまった。 コンサルタントは「せきか」している。 アナリストは「ぎじろく」をかいている。 とりしまりやくは「ゴールド」をつかった。 パートナーは「こんらん」している。 パートナーは「すこーぷのかくだい」をマネージャーにつかった。 マネージャーの「よさん」が0になってしまった。 コンサルタントは「せきか」している。 マネージャーはコンサルタントに「きゃばくら」をつかった。 「よさん」がたりない。 コンサルタントは「うつ」でたおれてしまった。 アナリストは「ぎじろく」をかいている。 パートナーはとりしまりやくから「ゴールド」をうばった。 パートナーは「にげる」をつかった。 パートナーは「ゴールド」をもってにげてしまった。 アナリストは「ぎじろく」をかいている。 かちょうは、アナリストに「しつもん」した。 アナリストは「ちんもく」している。 マネージャーはアナリストに「やきにく」をつかった。 「よさん」がたりない。 ぶちょうはマネージャーに「つっこみ」をおこなった。 マネージャーは「がいしけい」に「てんしょく」してしまった。 かちょうがアナリストに「しつもん」をおこなった。 アナリストはたおれてしまった。 ぜんめつしてしまった・・・。
2004年10月13日(水)
Skypeのiアプリ版を作れば億万長者
僕は仕事柄、海外との電話会議が多い。 毎週、定時に行っている早朝電話会議もある。 グローバルの電話会議は、米国とヨーロッパ、アジアの三域で行うので、時差の関係で無茶苦茶な時間に設定されていることも多い。 米国との電話会議であれば、だいたい午前8時とか午後6時ごろに設定されているのだけれど、グローバルでの電話会議になると、午前1時とかに設定されてしまう。 クソ高い国際電話をかけることになるので、自宅からは参加したくない。 必然的に、電話会議参加のために早朝出勤や深夜残業が必要になる。 IP電話を使ってくれれば、自宅からでもクソ高い国際電話なんてかけなくても良いのに、と思う。 社内ではMSNメッセンジャーは普及している。 離れた場所にいるチームメンバーとMSNメッセンジャーを使ってテキストで「会話」することは多い。 オンラインかどうかもわかるので、誰がPCにログオンしているかもわかるので、便利。 MSNメッセンジャーは、携帯電話と異なり、複数の人間と気軽にメッセージのやり取りが行えるので、多用している。 でも、MSNメッセンジャーを使っていても、IP電話機能(音声チャット)を使っている人はほとんどいない。 MSNメッセンジャーの音声チャット機能を活用すれば良いのに、と思う。 で、Skype。 SkypeはP2PのIP電話である。 完全なフリーウエア。 通話料も無料。 ファイアーウォールも気にしなくても良い。 インターネット回線のみを使うので、無料なのは当然。 プロバイダのIP電話網も使わないので異なるプロバイダ間でも通話無料。 MSNメッセンジャーと比較して、音声に特化しているだけあって、機能、音質ともに優れている。 USB接続可能なPC用のコードレスフォンと一緒に使えば、ほとんど電話感覚で使えるようになる。 Skypeのiアプリ版があれば、便利だろうな、と思う。 Fomaにはパケット定額コースがあるので、Skypeのiアプリ/BREW版が出れば、どこでも気軽に国際電話をかけることができるようになる。 深夜早朝の電話会議もベッドに寝転がっていても参加できる。 国内の通話でもパケット定額であれば、通話時間を気にすることもない。 Yahooメッセンジャーは音声には対応していないけれど、iアプリ版が既にある。 Yahooメッセンジャーのiアプリ版が音声にも対応すると、キラーアプリになるはずだ。 iアプリの容量では音声のエンコード/デコードまでできない、というのであれば、クライアントサーバー的にサーバー連動型のアプリになっても良い。 MSNメッセンジャーやSkypeは日本主導ではないので、iアプリ版はなかなか作れないのかもしれない。 でも、Skypeがiアプリ版を展開することができたならば、日本の携帯電話事情は一変する。 固定料金での音声通話が現状のインフラだけで実現してしまうのだ。 今のところ、僕の周辺ではテキスト系のメッセンジャーとしては、MSNメッセンジャーが最も普及している。 IP電話系ではSkypeが普及するのではないか、と思う。 でも、メッセンジャーソフトは相互通信ができない。 まずは、各メッセンジャーソフトの相互通信を可能にするべきだ。 次に、IP電話機能の相互接続。 最後は、IP電話機能のiアプリ等を使った携帯電話への搭載。 携帯電話へのメッセンジャーソフトのIP電話機能の搭載はまだ誰も手をつけていない。 P2Pであれば、インフラ投資もほとんどない。 Skypeを初めとするメッセンジャーソフトは全てフリーウエアだけど、携帯電話版は有料で提供すれば良い。 月額数百円であれば、問題ない。 パケット定額を利用すれば、音声通話が固定料金になるのだ。 DoCoMoにとっては、パケット定額のうえで音声通話をやられてしまっては、収益にとてつもない悪影響を与えるので、公式コンテンツとして認めるとは思えない。 でも、公式コンテンツになる必要などない。 Skypeの日本法人設立の企画を出して、そのうえでiアプリ/BREW版を作れば、間違いなく大もうけだと思う。 iアプリ/BREWの容量増大、定額性の普及、といった環境のうえで、P2P技術を使ったiアプリ/BREW版のIP電話が登場することは間違いない。 このキラーアプリは早いもの勝ちだ。 最初に発表して、デファクトを取ってしまえば、とんでもない金脈になる。 ネットワーク効果がモノを言うアプリケーションなので、早期に一気に立ち上げて、デファクトを取る必要がある。 デファクトさえ取ってしまえば、参入障壁が高くなるので、勝ちである。 僕は、日本の携帯電話会社とのしがらみがほとんどないSkypeがiアプリ/BREW版を作ればおもしろいのにな、と思う。 ■Skypehttp://web.skype.com/home.ja.html ■Yahoo!メッセンジャー iアプリ版 http://messenger.yahoo.co.jp/messenger/i/index.html ■PC用コードレス電話機(USB接続)パイオニア「TF-FS22M-R」http://pioneer-pcc.jp/press/press040120_2.html ■無線LAN携帯電話にSkypeをプリインストール(2005/02/14追加)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/12/news006.html
2004年10月12日(火)
ユビキタス時代に向けた日本のインターネットインフラ改革
僕は日米欧のインターネットトラフィックの動きを米国、ヨーロッパの外人と組んで、調査分析したことがある。 日米欧のインターネットインフラ、インターネット上のトラフィックがどこをどのように辿っているかをトレースして分析した。 実際にトラフィックを流し、トレースしていった。 IPアドレスをトレースしていけば、トラフィックの流れは簡単につかめる。 IPアドレスがわかれば、アドレスの保有者、住所まで特定できる。 どこのデータセンターに各サイトのサーバーが置かれているか、もわかる。 トレースデータを集計、分析、マッピングすることによって、日米欧トラフィックが明らかになった。 そこでわかったのは日本のインターネットインフラの特殊性である。 日本のインターネットトラフィックの大半はいちいち東京を経由しているのである。 インターネットのトラフィックは、IX(Internet eXchange)と呼ばれる結節点を経由して流れる。 IXは、インターネットインフラにおけるハブである。 欧米のIXは地理的に分散して置かれている。 それに対し、日本の場合、IXは一部地域に集中して置かれている。 日本のインターネットトラフィックの大半は一旦東京のIXを経由する。 イメージ的には東京を中心としたスター型のネットワーク構造に近い。 東京の場合、IXが置かれているのは、都内の3地域(公知情報ではありますが、3地域がどこなのかは書きません)である。 日本のインターネットインフラの中心のほとんどはこの3地域に集中している。 この3地域が地震やテロで崩壊した場合、日本のインターネットは壊滅する。 各プロバイダ間の接続は特定のビルのなかで行われている。 3地域の特定のビル内に全てのプロバイダがサーバーを置いている。 各プロバイダ間は同じビルの中でギガビットイーサで接続されている。 日本の場合、たった3つのビル内にインターネットインフラの大半が集中している。 これは、有事を考えた場合、とても安全だとは言えない。 この3つのビルがどこを指すのかは、通信業界に詳しい人であれば、すぐにピンとくるだろう。 現在のデータセンターのサーバーに置かれているコンテンツにアクセスする「放送型」に近いインターネットの利用法であれば、AkamaiのようなCDS(Contents Delivery Service)で対応することができる。 CDSとはコンテンツのコピーを世界中に点在するコンテンツデリバリーサーバーに分散させることにより、無用なトラフィックを増やさないようにするサービスである。 ダイナミックに生成されるコンテンツには対応できないが、スタティックなコンテンツであれば、効果が大きい。 コンテンツの各デリバリーサーバーへのコピーには衛星回線を使う。 IP電話は、IP電話事業者がインターネットとは別に独自回線を確保することにより、帯域が保証されている。 各プロバイダのVOD(Video On Demand)サービスはインターネット経由ではなく、プロバイダのクローズドネットワーク内(Walled Garden)で提供されている。 インターネットのトラフィックを無駄に使わないため、帯域を保証するためである。 だが、これからはユビキタス化に伴い、ユーザー間のP2P接続のトラフィックが増えていく。 トラフィック増大に拍車をかけている、と問題になっているWinnyのようなP2P接続だけではない。 自宅サーバー経由での放送視聴、ネット家電のコントロール。 RFIDタグやセンサーネットワークの普及による小さなパケットの増大。 ユビキタス環境下においては、RFIDタグやセンサーからのアクセスが累増していく。 パケットそのものは、RFIDのID情報であったり、センサーからのセンシング情報なので、小さいが、頻繁にパケットが流れるようになるので、パケットの総量はとてつもなく多くなる。 これらのP2P、及びユビキタス関連のパケットは、中央のサーバーを経由する必要がない。 東京のIXを経由する必然性もない。 今後は、コンテンツサーバーを必要としないP2P接続がインターネットトラフィックの多くを占めるようになる。 P2P接続はコンテンツサーバーを経由しないので、分散型のネットワークインフラが必要となる。 IXを地方に分散させたネットワークインフラである。 今の日本の中央集権的なインターネットインフラはユビキタスネットワーク環境には適さない。 IXを地方に分散させる事が急務である。 地理的にIXを分散させる事が必要。 全国都道府県ごと、主要都市レベルにはミニIXを設置する必要がある。 ■IX【インターネット・エクスチェンジ】http://e-words.jp/w/IX.html http://e-words.jp/w/IX.html ■CDS【コンテンツデリバリサービス】http://e-words.jp/w/CDS.html http://e-words.jp/w/CDS.html ■インターネット基盤の高度化(総務省)(今回書いた内容が詳しく書かれています)http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/joho_bukai/010719_1-3-1.pdf
2004年10月11日(月)
くたばれコピーワンス
放送の世界での完全デジタル化は目前である。 2011年7月には現行のアナログ放送は廃止され、放送はデジタルに完全に置き換わる。 現実にそのスケジュールでアナログ放送の廃止が可能かどうかについては疑問があるが、いずれ放送が完全にデジタルに移行することは間違いない。 放送のデジタル化そのものは喜ばしいことだ。 デジタル化により、コンテンツの扱いは容易になり、そこには無限の可能性を秘めている。 だけど、放送局は、2004年4月にコピーワンスを導入した。 コピーワンスとは、文字通り一回しかコピーできない、という規格である。 HDDレコーダーからDVDに移す場合はムーブを行う。 「ムーブ」であり、「コピー」ではできない。 コピーワンスにより、デジタル化のメリットは大きく損なわれる。 コピーワンスは、視聴者個人の自由を制限する。 僕のテレビ視聴スタイルはいずれ、自宅サーバー蓄積型に移行させるつもりだ。 放送を自宅サーバーに蓄積し、ネットワーク経由で視聴することになる。 自宅内においては無線LANを通じてPC経由で視聴する。 そのために自宅の無線LAN環境は既に802.11g/54Mbpsに移行済だ。 ネットワークにはHDDもぶら下がっている。 自宅サーバーには宅内視聴用にはMPEG2、モバイル視聴用にはMPEG4で蓄積する。 あとは、DDNS(DynamicDNS)環境を導入し、外部から自宅システムへのアクセス環境を構築するだけである。 外部アクセスを可能にすれば、海外からでも自宅に蓄積されたテレビコンテンツの視聴が可能になる。 電波は光ファイバーさえ引いていけば無限に増やすことのできる固定回線に対し、「有限の資源」であり、「公共財」である。 公共財である以上、視聴者の権利は保障されるべきだ。 だが、放送局は、放送は「リアルタイムで見るもの」という悪しき立場を崩さない。 収益源がCMである放送局にとって、ユーザーがいつでもどこでも放送を見れる、となると都合が悪くなる。 DVD/HDDレコーダーの普及により、放送局が定めたタイムテーブルに沿って、既定の放送時間に放送を視聴するスタイルは通用しなくなった。 リアルタイム放送にこだわらない僕にとって、「24」が深夜帯に放送されようが、どう考えても勤務時間中である「ゴールデンタイム」にドラマが放送されようが影響はない。 ニュースでさえも、NHKの7時のニュースとWBSを毎日録画して、見たいニュースのみを見ている。 時間が足りない僕にとって、興味のないニュースやCMを見ているような暇はない。 リニアな放送は僕にとって最大の資産である時間を無駄に奪う。 コピーワンスは既に決定され、2004年4月に導入されてしまった。 視聴者は、個人として対抗せざるを得ない。 音楽の世界では、CCCD(Copy Control CD)はiPodの普及により、MP3によるリスニングスタイルが普及したおかげで、事実上絶滅した(というかCCCDのプロテクト破りはあまりにも簡単だったので、そもそも存在価値もなかった)。 放送の世界においても、CPRM(Content Protection for Recordable Media)、コピーワンスを崩壊させなくてはならない。 放送は公共財である電波を使用しているため、音楽業界以上に視聴者は強い意志を持って対抗すべきだ。 コピーワンスには逃げ道がある。 コピーワンスの信号をキャンセルすれば良い。 CPRMの信号を除去してしまえば良い。 いわゆる「コピーガードキャンセラー」は違法化してしまったが、「画像安定装置」と名前を変え、逆に堂々と売られている。 「画像安定装置」が合法かどうか、と言えば、明らかに違法だ。 法的には、デジタル放送は私的複製であってもコピーガードをはずせば違法である。 だが、CPRM破りは、官民業の癒着体質が色濃く反映された、放送業界に対する僕たちが個人として対抗できる手段である。 電波を使った放送業は、NHK、民放にかかわらず、公共放送であり、電波は国民の財産である。 総務省から電波を割り当てられている独占事業である。 コピーワンスはCCCDよりも、ずっとたちが悪い。 CCCDがユーザー主導で崩壊していったのだから、放送業界に対しても個人レベルで対抗すべきだと僕は思う。 僕はコピーワンスは許容できない。 視聴者は「個人として楽しむ限りにおいて」、コンテンツを自由に視聴する権利がある。 コピーガードキャンセラーが法的に禁止された本来の目的は、DVDやビデオのような公共財ではないメディアの無制限なコピーに制限をかけることだ。 コピーワンスは公共財である電波に対して、制限をかけているので、根本的に問題が異なる。 CPRMキャンセルが法的に違法であるのならば、それは法律が間違っている。 いつでもどこでも視聴する。 時間、場所の制約のないなかでの視聴。 コピーワンスに対し、視聴者は「画像安定装置」で対抗すべきである。 そして、放送局のコピーワンスを有名無実なものとし、コピーワンスをあきらめさせるべきだ。 これからの放送のデジタル化の進展に伴い、「画像安定装置」は必需品となるだろう。 公共財である電波を使った放送に制限をかける事、視聴者の自由を奪う事は、間違っている。 ■よくわかる! 図解!コピーワンス放送 結局録画できるの? コピワン放送http://allabout.co.jp/computer/av/closeup/CU20040415A/ ■2004年9月現在、入手可能なコピーガード回避系機器http://www2.wbs.ne.jp/~cp-guard/web_1.htm ■VAIO type Xhttp://www.vaio.sony.co.jp/Products/VGX-X90P/ ■IT用語辞典 DDNS【ダイナミックDNS】http://e-words.jp/w/DDNS.html ■DynamicDNS Client Dicehttp://www.hi-ho.ne.jp/yoshihiro_e/dice/
2004年10月10日(日)
sonarsound tokyo2004
10月9日、10日の2日間に渡って開催された「sonarsound tokyo2004」を見に行った。 初日は台風22号の影響で開催も危ぶまれたが、ぎりぎりのところで何とか開催。 初日は開演22時、終演6時。2日めは開演17時、終演23時半という体力勝負のイベントである。 散開したYMOが再結集したHuman Audio Spongeも出演者リストにある。 細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の「YMO」の三人が揃う最後かも知れないライブ。 音楽史に残るライブとなるハズである。 Human Audio Spongeの出演は2日めのトリ。 初日は、ラップトップ(PowerBook)のHDDに記録された音源を再生しているだけのライブばかり。 四つ打ちのドラムンベースにノイズ。 どのバンドも同じ音に聴こえる。 実際、同じ音だ。 ラップトップのスタートボタンを押した後、演奏者は、何をやっているのだろう? チャットでもやっているのかな? どう見ても、演奏しているようには見えない。 正直言って、つまらない。 テイトウワの演奏?を観て、午前5時に退散した。 二日めは、生楽器やラップも入っているバンドが中心だった。 やっぱり、HDDから音楽を再生しているだけのライブじゃつまらない。 ライブで見る意味がない。 やっぱり肉体がないとね。 事実上の「YMO」であるHuman Audio Spongeのライブはすし詰め状態のなかで行われた。 オールスタンディングで満員電車状態。 身動き取れず。 ステージ前面では将棋倒し。 主催者が無制限に近い状態でチケットを売りさばいた結果。 運営最悪。 消防法違反。 会場では、中西俊夫(元プラスチックス、メロン)やクリス・ペプラーの姿を目撃。 他にも有名人、ミュージシャンは多数いたと思われる。 細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏が登場。 さすがにオーラがある。 三人が揃って立っているだけで、奇跡。 ゲストのギターは小山田圭吾。 ほとんどの曲はSketch Showのもの。 Sketch Show+Ryuichi Sakamoto=Human Audio Spongeなので、当然かもしれない。 危惧していたラップトップの再生のみ、の「演奏」は避けられた。 ラップトップ中心ではあるけれど、高橋幸宏は生ドラムも叩いていたし、細野春臣はきちんとベースを弾いていた(ドラムンベースにかき消され、細野春臣のベースの音は聴こえず。PAはアホか?)。 先日のニュース23で放送されたWar & Peaceも英語版が「演奏」された。 日本語版は最低の出来だったので、英語版で良かった。 テレビで見たときは、こんなもの「演奏」ではない、と思ったが、ほとんどの曲はきちんと「演奏」されていた。 Riot in Lagosのイントロが響いた時は、不覚にも感動モノだった。 アンコールでも二曲演奏。 10月10日の体育の日なので、「Taiso」を期待していたが、さすがに演奏されなかった。 アンコールを聴いていたら、終電を取り逃してしまった。 でも、伝説となるライブなのだ、タクシー代など惜しくはない。 HDDレコーディングは楽器が弾けないミュージシャンに対する音楽表現の敷居を劇的に下げた。 センスさえあれば、誰でも音楽制作ができる。 コピペで音楽制作ができる時代になった。 ハードウエアもソフトウエアも安価だし、操作も簡単である。 でも、ワンパターンだなあ。 音楽制作の敷居が低くなったのは良いことだけど、その影響でプロのミュージシャンの表現力まで落ちているのは良くない。 純粋に音楽として見た場合のレベル低下は大きい。 センスまでコピペしてどうする。 僕は「たまたま」鍵盤楽器でも弦楽器でも演奏できるし、3歳からピアノを習っていたおかげで絶対音感もある。 挫折したものの、高校2年までは音大を目指していたので、音楽理論もわかる。 楽譜も読めず、楽器も弾けないミュージシャン。 従来の音楽表現につきものの長期に渡る訓練がなくなり、センスだけで音楽表現ができるようになったことは大変素晴らしいことだ。 でも、コピペだけで音楽が制作できるようになった結果、同質の音しか存在しなくなった。 楽器の演奏ができないミュージシャンの作品は概してつまらない。 たぶん今は音楽にとって、過渡期なのだろう。 HDDレコーディングが主流になり、成熟すれば、新たな変化が起きるのかもしれない。 僕にとっては、ライブやっぱり生楽器が入ったほうが、見ていて、聴いていて楽しい。 生演奏のスリル感がないと、聴いていて面白くない。 HDDから再生しているだけでは、会場の雰囲気に合わせたノリも出ない。 やっぱり音楽は肉体がないとダメ。 テクノとは言え、テクノロジーだけではなく、テクノロジーと肉体が融合してはじめて音楽として、ライブとして成立する。 そろそろ僕もバンドを再開したいな。 ■sonarsound tokyo2004http://www.sonarsound.jp/
2004年10月09日(土)
人類は「種」として今後どのような「進化」を見せるのだろう?
人類が「種」としての「進化」をしていくためには、「ダーウィニズム」を持ち出すまでもなく、突然変異が必要である。 人類のなかに、「異常」なもの、「異質」なものが一定程度、必要なのだ。 ここ1万年ほど、人類は生物学的には進化していない。 寿命が延びたり、体格が良くなったり、といった変化は起きているが、これらは医学や食料事情の変化によるもの。 遺伝子レベルでの変化はない。 仮にタイムマシンが存在したとして、縄文時代から赤ん坊を現代に連れてくる。 現代に連れてこられ、通常の現代人と同じ環境で育てられた縄文人の赤ん坊は、現代の環境に適応し、ごくごく普通の現代人の大人に成長するだろう。 人類は今後も、生物学的、遺伝子レベルでは大きく進化しないだろう。 医療技術の発展により、進化に必要とされる「異常」な人間が生まれる可能性がどんどん下がっていくからだ。 だが、異常な子供の発生を認めるわけにはいかない。 超長期的に人類を見た場合、数万年、数十万年の単位で考えた場合も、人類が生物学的に進化する可能性は低下している。 何かが進化する場合、ある程度の異質なものの存在は不可欠である。 異質なものを排除する環境においては、生物だけではなく、社会学的にも進化を停止する。 そして、最終的には絶滅する。 ダーウィニズムはリスクマネージメント機能でもある。 社会主義、共産主義国家群は、1917年のロシア革命から100年にも満たず、ほぼ崩壊してしまった。 社会主義、共産主義は「異質」を認めない。 結果的に進化を止め、絶滅へと向かう。 競争原理が働かない社会、「異常/異質」を認めない社会は、進化しない。 異常値がある一定程度の確率で存在するからこそ、人類は進化するのだ。 最初は、異常、異変であったものが、いつしか力となる。 力となり、強いものが生き残る。 競争原理が常に働き、異常なものが常に生まれ、競争のなかで強いものが生き残っていく資本主義は、理にかなっている。 社会主義、共産主義そのものはほぼ崩壊してしまったけれど、人類の社会的進化のなかでの「異常値」としての役割は果たした。 100年にも及ばない時間で役割を終え、崩壊した。 企業、組織は大きくなるにつれ、自己保存に突き進む。 進化することよりも、現状をいかに守るかに邁進するようになる。 異常を許さず、変化を恐れ始める。 異常、変化を恐れ、自己保存に陥った企業、組織は例外なく崩壊に向かう。 企業の寿命30年説はここから来ている。 未来永劫に渡って変わらないビジネスモデルで存在し続けることのできる、完璧な企業など存在しない。 変化し続けるからこそ、企業、組織は生き延びられる。 GEは電気会社から金融、メディア企業へと変化した。 IBMは計算機屋からコンピュータハードウエア企業へ、そしてサービス企業へと変化した。 京セラはセラミック製造会社からテクノロジー企業、通信企業へと変化した。 長期に渡って存在し続けている企業は、企業の「ガワ」は同じでも中身は全く異質なものへと変化し続けている。 生物としての人類に目を戻した場合、人類の進化は、テクノロジーが寄与するところが大きくなるだろう。 医学的に異常な子供の発生率が低下した現代、人類の生物学的、遺伝子的な進化は起こりにくくなりつつある。 生物学的、遺伝子的なヒトの進化が起きないのであれば、人類はテクノロジーによる人工的な進化に向かう。 人類はテクノロジーにより、「身体の拡張」を行ってきた。 足の拡張であるクルマ、バイク、鉄道。 耳の拡張である電話。 目の拡張である放送。 脳の拡張であるコンピュータテクノロジー、ネットワーク。 人類は、テクノロジーによる外部拡張により、空だって飛べる。 通信技術により、どこにでも存在できる。 時間さえも飛び越えることができる。 人類の種としての進化は身体の外部環境であるテクノロジーによる進化が中心だった。 人類は生物学的にナチュラルな状態では進化を見せないし、いずれは絶滅を迎える。 同質な遺伝子が増殖すれば、疫病や環境の突然変異に対する人類の適応力は低下する。 生物学的にナチュラルであるのならば、外部環境によるテクノロジー、および社会としてみた場合の変化、異常、変革が常に起こり続けなくてはならない。 これからの何十年かのテクノロジーの進化は、コンピューティング/ネットワークテクノロジーの進化に加えて、ナノテクノロジーと遺伝子テクノロジーが中心的な役割を果たす。 人類は「人工的に」突然変異体を作り始めることになる。 「人工的」な変化も自然の一部である人類が行っている以上、ある種の「自然」である。 「人類の人工的な進化」は人類の免疫反応である。 人類、地球、宇宙は「神」によって進化のプログラミングがほどこされている。 だが、このような「人工的な進化」論はひとつ間違えれば危険思想に結びつく。 千年単位、万年単位で人類を見た場合、今後どのような変化を見せるのだろう? 数十年、数百年単位で人類を見た場合、どのような変化を見せるのだろう? そして、「進化」のプロセスはどのようになるのだろう?
2004年10月08日(金)
国民よ、資本主義革命に向け、蜂起せよ!
僕は、たまに「オクノさんは右ですか、左ですか?」と尋ねられる。 僕は、そのような場合、「右でも左でもない」と答える。 右翼は、保守でもなんでもなく、ヤクザ経由で仕事の依頼を受け、街宣車を使って、嫌がらせをするのが仕事。 左翼は、爆弾とかロケット弾を使って、テロ活動を行うのが仕事。 どちらにも加担したくない。 左翼系の社民、共産は与党の政策に反対するのが仕事であり、与党の暴走に対する抑止力としての役割は認めるが、政策は無茶苦茶なので永久に与党にはなれない。 そして、僕は答える。 「僕は『資本主義者』だ」 僕は、民主主義そのものを信用していない。 共産主義、社会主義にも同調しかねる。 民主主義は、多数決の論理である。 多数決では、正しい結論が導き出されるとは限らない。 多数決で正しい結論を得るためには、主義主張の異なる立場の人たちが議論に議論を重ね、激論をかわし、議論が出尽くしたうえで、採決を行う必要がある。 意見が出尽くし、双方の議論が収束したうえで、多数決を行う場合にのみ成立する。 最初から、お互いの立場があり、そのうえで、多数決を行う現状の民主主義は信用できない。 社会主義、共産主義は、チャンスの平等ではなく、結果の平等をめざすものなので、そもそも共感できない。 僕は、日本は世界で唯一の成功した社会主義国家だと常々言い続けている。 結果の平等を保証した日本の国家政策。 努力しようが、才能があろうが、運が良かろうが、結果はそれほど変わらない。 累進課税制度により、収入が増えれば増えるほど、税率が上がる。 起業でもして、株式公開でもすれば話は別だが、サラリーマンでいる限り、税引き前収入は増えても、実質収入は増えない。 僕は、既に年収を増やすことに全く興味がない。 年収が増えても、累進課税により、税金が増えるだけ。 手取りは大きく変わらない。 仕事の責任と負担が増えるだけ。 累進課税は仕事に対する意欲さえも奪う。 僕は、「資本主義者」だ。 日本を変えるのであれば、「資本主義革命」を起こしたい。 資本主義革命とは、国家を株式会社化することである。 僕は、「株式会社のしくみ」は国家にも適用できるのではないか、と思っている。 ・累進課税の撤廃 税率は一定とし、累進課税は完全撤廃。消費税率をあげることにより課税を行う。金を使えば、課税されるのだから、平等である。収入が増えれば、税金の絶対額は増えるのだから、それでじゅうぶなはずである。税率が上がることはおかしい。法人税は一律なのに、個人としての国民の税率にだけ、累進課税が適用されている現状には矛盾がある。ただ、消費税を上げると消費動向が悪くなり、景気が悪くなる危険がある。消費税率は公定歩合、長期金利の動向に連動させる。 ・納税額による選挙権の投票数の加重 納税額により、選挙権の投票数の権利に差をつけるべきである。株式会社の場合、株式の保有数により、議決権が変わる。最終的には、重要な政策決定に対し、株主総会的な国民直接参加型の国会運用が必要だが、とりあえずは、納税額による選挙の投票数に加重をつける。 ・法人にも選挙権を認める 法人は、法人税を支払っている。法人にも納税額に応じて加重をつけた選挙権を認めるべきである。政治献金は一切禁止とする。取締役である国会議員は、活動資金を別途受け取る。法人に選挙権を与えることにより、法人の納税意識も高まるだろう。 ・国会議員は国家の「取締役」として扱う 資本主義国家では、国会議員は取締役である。国会とは、取締役会である。総理大臣はCEO。国民(納税者/株主)の代表である国会議員は取締役、として扱う。取締役は、加重をつけた納税者の代表。また、株主総会的な国民の政治参画のしくみも必要。 ・各省庁のB/S、P/L、キャッシュフロー計算書の報告 既に、ある程度実行されてはいるが、株主である国民に国家の財務データを公表するのは当然である。地方自治体も同様。連結、個別で報告を行うべき。株主である国民は財務情報にアクセス可能にすべきである。 ・納税者を株主として扱う 納税者は株主である。日本の場合、日本の「国としての株価」は、円相場、国債利率という形で表に出ている。ただ、円相場は、外国相場との「相対値」なので、純粋に株価、とは言えない。日本国民は納税に加えて、国債を買う。株主として、納税額、国債保有率に応じて、議決権を持ち、収益が出た場合は還元を受ける。現状のような予算は全て使い切る、という行政ではなく、予算が余った場合、収益が出た場合、納税者(株主)である国民に還元を行う。国民は、日本国民であることに収益的なメリットが見出せなければ、他国に国籍を移す。 ・ネットによる投票を認める 国民には、全員e-mailアドレスを付与すべきである。個人でアドレスを保有することももちろん保証するが、国民としてのe-mailアドレスがあっても良い。携帯電話がここまで普及しているのだから、いい加減ネット経由での投票が認められても良いはずだ。ネット経由での投票が実現すれば、投票行為自体が容易になるので、国民投票も頻繁に行えるようになる。もちろんデジタルデバイドの問題があるので、現状の投票制度との併用。 思いつきで書いたが、これが僕の考える真の資本主義国家である。 地方自治体レベルで実験を行ってはどうか、と思う。 もしくは、国会議員選挙の一部に法人選挙権を加えた加重選挙を実施しても良い。 国民よ、資本主義革命に向け、蜂起せよ! すいません、少々デムパ入ってました・・・。 ■国の貸借対照表 平成14年度版(財務省)http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/bs/bs1609.pdf
2004年10月07日(木)
世界を変えるのは意外と簡単なのかも知れない
世界を変えるのは意外と簡単なのかも知れない、と思う。 僕は昨年、政府関係の仕事を中心にしていた。 通常、戦略コンサルタントは自分の関わっているプロジェクト、クライアントを明らかにしてはならない。 だけど、僕の場合、政府の研究会での議事録や僕の作った報告書が某省のサイトからダウンロードでき、誰でも閲覧可能になっているので、既に公知情報である。 でも、プロジェクトやクライアントを直接明らかにするのは、少し憚られる気もするので、一応、某省という事にしておく。 最初は、某省からユビキタス関連のネタについての調査依頼だった。 政策立案のための調査、分析、そして、提言を行うというもの。 僕にとっては、クライアントが政府、というのは初めてだったけれど、仕事の内容そのものは通常のプロジェクトと何ら変わらなかった。 対象が企業ではなく、国単位であり、コンペティターは海外の国家、というだけで、調査単位が異なるだけで作業内容そのものは大きく変わらなかった。 いつもと変わりなく、調査、分析を行い、提言を書いて分厚いレポートを作成した。 プロジェクトの途中で、某省からこのテーマについて研究会を作るつもりなので協力して欲しい、という依頼があった。 研究会に参加しても、お金にはならない。 コンサルティングファームは業界団体にも属していない。 完全な受注産業なので、政策立案にかかわってもほとんどメリットはない。 ボランティア活動。 でも、政府の研究会に参加することにより、研究会参画企業とのパイプができる。 政府の研究会の参加者は大企業の役員、大学教授。 いわゆる識者の方々が数十名参加している。 研究会に参加することで仕事の負担がそれほど増える、とも考えられなかったので、研究会に参加することにした。 僕には政府の研究会がどのようなものなのか、どのようにして政策が立案されていくのか、についてのプロセスに対する好奇心もあった。 研究会の第一回からいきなりプレゼンテーションを依頼された。 G7をやっている会議場でのプレゼンテーションである。 僕は、ただのマネージャーなので、パートナーがプレゼンテーションを行うことになった。 プレゼンテーション資料は僕が作り、パートナーを会議室に缶詰にし、プレゼン内容のレクチャーを行った。 一回めのプレゼンテーションとディスカッションは無事に終わった。 某省は、続けて第二回でもプレゼンテーションを行って欲しい、という。 僕らは、成り行き上、続けてプレゼンテーションを行った。 すると、第三回めでもプレゼンテーションを行って欲しい、という。 気がつくと、僕たちは研究会で中心人物となり、僕たちが研究会の報告書を作る役割を担ってしまっていた。 数十人の参加者がいて、研究会では2-3人程度にしかプレゼンテーションの機会が与えられないのに、僕たちは毎回、プレゼンテーションをしている。 プレゼンテーションを行っている都合上、ディスカッションでも中心となる。 結果的に、僕たちのプレゼンテーション、報告書が採択され、財務省への予算請求を行うこととなってしまった。 そうこうしていると、次は、研究会の実行部隊として政府主導の任意団体が設立されることになった。 そこで、僕は全体の取りまとめを行うサブワーキンググループのリーダーに任命されてしまった。 実行部隊なので、財務省への予算請求とともに、法制度の立案までも行う。 僕たちの報告を実行するためには予算だけではなく、法制度の変更も必要だった。 そして、1年間活動をした結果、予算が割り当てられ、法制度の変更も行うことになった。 法制度の変更は、省庁からの立案として、法制度の変更案が公にされ、パブリックコメント募集、という形で国民の意見を募集する。 そして、そのパブリックコメントをもとに、調整を行い、実際に法制度が変更されたり、新たな法律が作られる。 現在は、既に法制度の変更はほぼ確実となっている。 僕は、野望も何もなかったのだけれど、気がつくと、法制度の変更まで踏み入ってしまっていた。 中学生の頃、三権分立を学んだ僕は、立法は国会議員が行うものだと思っていたのだけれど、行政からも立法はできてしまう。 行政指導や条例ではない。 法律そのものが変わってしまった。 あらら、僕の報告書と活動で法律が変わっちゃったよ・・・。 僕は、無私無欲で仕事をしていたのだけれど、結果的には、法律まで変わり、行政は巨額の予算をつけてしまった。 僕は政治には興味がない。 ただ、僕が考える世界を実現するためには、法制度の修正変更が必要だっただけ。 しかも、僕は仕事として依頼されただけで、自分や会社としての野望があったという訳でもない。 会社からは、僕の活動は「部活」程度にしか見てもらっていないのだけれど、世の中に対する影響は大きい。 会社は、あくまでも売上重視なので、僕の政府との関わりに対し、「無駄な時間を使うな」とまで言った。 でも、政府を動かしてもお金にはならないけれど、そこで得た業界の重鎮の皆様とのコネクションで仕事は取れてるぞ。 世の中を変えたければ、国会議員にでもならなければならないと思っていたのだけれど、世の中は意外と簡単に変えられる。 ロビー活動が必要なわけでもない。 僕の場合、会社のために法律を変える必要があったわけでもなく、単に僕の考える世界の実現に、法制度の変更が必要だったから、そう提言しただけだった。 今度は、野望を持って政府と接してみようかな。 でも、僕には野望なんて何もないなあ。
2004年10月06日(水)
ニュース23の「WAR & PEACE」
先日、ニュース23で「WAR & PEACE」という15周年記念企画でHuman Audio Spongeとして細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3名が集結する、というので録画して見た。 僕としては、Human Audio Spongeが出演する今週末のsonarsound tokyo 2004のチケットを取っているので、「予習」として見ておきたかった。 見た感想。 ひどい・・・・・・・・・・・・。 坂本龍一制作の「WAR & PEACE」はただのやっつけ仕事。 2200人の一般公募から集められた戦争と平和に対する詩をサンプリングして編集しているのだけれど、「作品」としてみれば素人レベル。 とてもプロの仕事、坂本龍一の作品とは思えない出来栄え。 2200通の作品から選んだ、と言っても99%は使い物にならない作品だっただろうから、素材そのものがロクでもなかったのだろう、という事情はわかる。 僕も1500通の応募作品があった某モノ書き賞で、「20分で書いた文章」で、大賞を受賞したことがあるが、選者によるとダントツ一位の大賞受賞だったそうだ。 素人の作品はほとんどは選考対象にすらならないほどレベルが低い。 詩を一般公募にした時点で既に企画倒れなのだけれど、それにしてもひどかった。 戦争と平和がテーマなのだけれど、戦争体験も何もない一般人の作品なので、心に全く響かない。 そのうえ、ニュース23及び、坂本龍一はこのどうしようもない詩を何とかおもしろくするために、日本人の大半を占める一般人である「サラリーマン」を一人も登場させることはなく、「きこり」などの意表を突いた人選で逃げようとした。 作品である詩がどうしようもなかったので、職業で意表を突こうとしているのがミエミエ。 戦争とも平和とも関係のないただのマスターベーション。 素人の「作品」とはとても言えない詩が続く。 公共の電波で特集を組み、時間延長までして放映するようなレベルじゃない。 少なくとも僕には音楽としてもメッセージとしても響かなかった。 戦争と平和について考えたいのならガンダムでも見てろ。 今週末から新シリーズが始まるのでタイミングもいいぞ。 筑紫哲也も坂本龍一も思想的には偏向しているけれど、それは別にどうでも良い。 筑紫哲也は「ひとつの視点」として意見を述べれば良いし、坂本龍一はミュージシャンから文化人になりたいのだから、メッセージを発信すれば良い。 メディアリテラシーのない国民はひっかかるかも知れないけれど、それは偏向した視点を見破れない国民が悪い。 「多事争論」は「多事」だし「争論」だ。 筑紫哲也の視点はあくまでも「ひとつの視点」であって、正しい視点ではない。 そこは筑紫哲也もわきまえている。 筑紫哲也は自分の偏向した視点を自認していて、それに対して「争論」したい、と言っているのだ。 でも今回は、その偏向した視点すら見えなかった。 戦争反対、平和推進。 唱えていれば実現するようなものじゃない。 念仏仏教じゃないのだから。 かつてYMOはスネークマンショーで戦争を茶化すことによって、逆に戦争反対のメッセージをうまく表現できていたではないか? 僕の本命であるHuman Audio Spongeのライブも放送されたが、予想通り、坂本龍一はラップトップをいじっているだけ。 ラップトップはエンターキーを押したら、終わりだろっ! エンターキーを押したら、あとは生ピアノを弾くくらいのことはしてくれ、いや、してください、お願いします。 sonarsound tokyo 2004でHuman Audio Spongeはどのような「演奏」をするのだろう。 できれば、ラップトップのエンターキーを押すだけではなく、少しでもいいから「演奏」して欲しいなあ。 ■ニュース23 15周年企画 坂本龍一 WAR & PEACEhttp://www.tbs.co.jp/news23/kokuchi/041004kokuchi.html
2004年10月05日(火)
変態性欲推進エコノミスト
日本のエコノミストは変態および変態推進者ばかりなのか? ミラーマン植草は変態行為で逮捕されてしまったが、年収300万円生活の伝道師である森永卓郎氏もアブない。 森永卓郎氏は年収300万円生活を提唱している。 その年収300万円生活とは、生活レベルを300万円に抑え、余ったお金を趣味に使い、年収300万円時代に備えよ、というものである。 正しい。 同感。 僕も、同じような生活をしている。 290円ののり弁を食べつつ、生活費よりも多い金額を趣味に使っている。 森永卓郎氏は当然ながら数千万円の年収があるだろう。 余った数千万円を趣味に使っている、という事になる。 では、その余ったお金の使い途とは・・・。 森永氏の連載やテレビでの発言を見る限り、森永氏の趣味とは食玩収集やメイド喫茶に行くなどのオタク行為である。 「萌え系」が大好きらしい。 森永氏は経済界での萌え文化の提唱者でもある。 僕は、萌え文化反対論者だ。 萌えはエロ直結である。 ロリコン、ひいてはペド。 幼女性愛。 秋葉原を歩いてみる限り、萌えの店は幼女陵辱系の変態アニメやエロゲーが大半を占めている。 「メガネっ子萌え〜」とか「ランドセル萌え〜」とか「スクール水着萌え〜」とか。 ただの変態性欲。 いわゆるアキバ系の人たちに混じって、スーツのオヤジもエロゲーを買い求めにやってくる。 秋葉原は変態性欲のオタクの妄想が作り上げた街として脚光を浴びている。 妄想が街そのものを変えてしまうという世界でも稀有の例だ。 エコノミストにとっては面白い研究対象だろう。 でも、その妄想のベースは幼女陵辱。 世界中のどこの文化圏でも忌み嫌われるペド。 日本は世界一エロが進化している国であり、世界一変態に寛容な国である。 「萌えるアキバが日本を変える」などというクサレ論を唱えるのは止めて欲しい。 萌え文化はただの変態性欲。 「萌えるアキバが日本を『変えない』」ように努力すべきだ。 宮崎駿のアニメを見ても少しアタマが左巻きになるだけだし、押井守のアニメを見ても頭痛がするだけなので、あまり害はない。 でも、萌えアニメは変態性欲者を生み出す。 変態性欲の対象は幼女、小学生。 犯罪直結。 僕は、SMもホモも赤ちゃんプレイも好きにすれば良いと思う。 でも、性欲対象が幼女なのはマズいだろう。 変態性欲エコノミストはどうしてそこまでオタク文化を煽る? ミラーマン植草の出身企業である野村総研は会社を上げて、萌え推進。 UFJの森永氏も日経グループと組んで萌えの伝道。 エコノミストってアホ? それともお勉強のしすぎで、大人の女性に相手にされなくなっただけなの? ■「オタク」市場、規模は2600億円 野村総研が推計 http://www.asahi.com/tech/asahinews/TKY200408230488.html ■ミラーマン植草 フラッシュhttp://planetj.web.infoseek.co.jp/taku/mirrorman.swf ■森永卓郎のコレクションhttp://www.rivo.mediatti.net/~morinaga/collect.html ■萌えるアキバが日本を変える 森永卓郎��http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_morinaga73 ■萌えるアキバが日本を変える 森永卓郎��http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_morinaga74 ■萌えるアキバが日本を変える 森永卓郎��http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_morinaga75 ■萌える秋葉原(オクノ総研)http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99799&pg=20040924
2004年10月04日(月)
パラリンピックがオリンピックを抜く日
昨日、オリンピックの遺伝子ドーピングによる「コーディネイター化」について書いた。 次は、パラリンピックである。 パラリンピックは将来、サイボーグ化が問題となるかもしれない。 攻殻機動隊でも義体化技術の進展はパラリンピックとナノテクノロジーの進化によるもの、という設定になっている。 今後のオリンピックが遺伝子ドーピングによるコーディネイター化が問題になるとすれば、パラリンピックはサイボーグ化が問題になる。 僕は、パラリンピックの義手や義足に関するレギュレーションがどうなっているのかは知らない。 テレビで見る限り、競技専用の義手や義足を使用しているようである。 だが、モーターを使ったような部分義体的な義手、義足は見当たらない。 レギュレーションがあるのだろうか? もし、パラリンピックの義手、義足のサイボーグ化がレギュレーション上許されるのならば、パラリンピックに出場する選手のサイボーグ化が進むだろう。 ロボットテクノロジーを活用したパワースーツ。 ナノテクノロジーを活用した生体と一体化したパワード義手、義体。 パラリンピックは障害者のスポーツに加えて、サイボーグテクノロジーの大会になる。 遺伝子治療をほどこした生体のオリンピックと機械と生体の融合を試みるパラリンピック。 パラリンピックは肉体とテクノロジーを競う大会になる。 人間の能力とテクノロジーの限界に挑むスポーツという点ではモータースポーツと同じだ。 F1やMOTO GPに代表されるモータースポーツは人間の能力とテクノロジーが融合したスポーツだ。 そして、レースの成果は市販車の開発にフィードバックされる。 パラリンピックでサイボーグ化を認めることは、障害者を実験台にする、という点で、不謹慎、倫理に反する、ということになるのだろう。 障害者が健常者よりも強くなる事に対しては、倫理的に問題になる。 おかしい。 パラリンピックがサイボーグ技術の実験場になれば、サイボーグ技術の進化が加速するのは間違いない。 そして、サイボーグ技術の大会となったパラリンピックで得られた成果は、確実に障害者が通常生活を行うための義体化技術にフィードバックされる。 既に神経系と義体をつなぐための技術は芽を見せている。 障害者が障害者でなくなる可能性を秘めている。 僕は、オリンピック、パラリンピックを人間の肉体の限界に挑戦する大会にとどまらず、テクノロジーの限界に挑戦する大会にしていくことも考えても良いのではないか、と思う。 クルマだって、バイクだってレースで進化してきた。 人間だって、オリンピック、パラリンピックで進化しても良いではないか。 オリンピック、パラリンピックが見て楽しむスポーツから、人類の生活をより良くするための大会、と変化していくことも検討してもよいのではないか? オリンピック、パラリンピックは、オリンピック精神に基づく生身の人間の大会だ、と言うのであれば、遺伝子ドーピングをほどこしたオリンピック、サイボーグ技術を活用したパラリンピックが別大会として存在しても良いのではないか? オリンピック、パラリンピックは僕らノンアスリートにとっては、見て楽しみ、感動し、涙することはあっても、実生活の改善には何ら貢献していない。 近い将来、パラリンピックの記録がオリンピックの記録を抜くことになるかもしれない。 僕は、それはそれで良いのではないか、と思う。 こういう考え方って、やっぱり「倫理的」に問題なのかな。 ■ロボットスーツ HAL(Hybrid Assistive Limb) http://sanlab.kz.tsukuba.ac.jp/HAL/index.html ■議論呼ぶ、生体組織と無機物を合体させたマイクロマシン研究(上)http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040226301.html ■議論呼ぶ、生体組織と無機物を合体させたマイクロマシン研究(下)http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040227304.html
2004年10月03日(日)
「アンチ」アンチドーピングと人類の人工的な進化
アテネオリンピックが終了してもアンチドーピング活動は終わっていないらしい。 今回のアテネオリンピックでは、オリンピック終了後も選手に対してドーピング検査を行う事ができるのだそうだ。 ドーピングはレギュレーション違反なので、アンチドーピングは推進すべきだ。 スポーツにはレギュレーションがなければならない。 僕個人としては、レギュレーション「なし」の何でもありのオリンピックも見てみたい気もする。 ドーピングを完全に認めた超人オリンピック。 薬物の副作用があるからドーピングは禁止すべきなのだけれど、仮に副作用がないのであれば、ドーピングをやってもいいのではないか、と僕は思う。 JOCのサイトにはなぜアンチドーピングなのか?についての説明がある。 �.好檗璽弔離侫Д▲廛譟爾寮鎖世鉾燭垢� 薬物を使用することは公正な競争を損ね、フェアプレーの精神に反します。また、スポーツが薬物に汚染されることは、スポーツの社会的価値を損ねることになります。 �▲鼻璽團鵐阿麓匆餔�になる ドーピングで勝利を得ることができるとしたら、それはルール違反を認めることになります。スポーツ、特に多くの人が見るオリンピックなどの大きな舞台ではそれがまかりとおるようなことがあれば、社会にもたらす影響ははかりしれないものになります。スポーツの価値自体もおとしめられ、スポーツをやろう、見ようという人もいなくなるかもしれません。また社会への悪影響ということでは、ドーピングのために使われるくすりの乱用にもつながります。実際に、欧米ではスポーツを目的にしないでも、有名選手のようなカッコイイからだになりたいとくすりをのむ青少年の問題があげられています。薬物乱用自体が違法行為であるだけでなく、場合によっては、くすりほしさに罪を犯すということもあるでしょう。ドーピングが社会悪につながるというのはそういうことなのです。 ��ドーピングは選手の健康を害する ドーピングの代表的な方法は「くすり」をのむことです(その他、禁止されている「方法や操作」もあります。) アンチドーピングの禁止薬物リストを見てみると、カフェインやエフェドリンも禁止薬物とされている。 僕が日常的に摂取している薬物?である。 朝や徹夜時にはカフェインの錠剤を摂取するし、ダイエット食品にはエフェドリン(現在はFDAにより禁止されている)が含まれている。 厳しいなあ、と思いつつもレギュレーションは必要なので、アンチドーピングは必要だ。 これからのドーピングは薬物だけではなく、遺伝子治療が問題になる。 2008年の北京オリンピックでは、遺伝子ドーピングが議論されることになると考えられる。 遺伝子ドーピングは尿検査では検出できない。 遺伝子ドーピングはガンダムに例えて言うと、「コーディネイター」である。 遺伝子ドーピングは、薬物のドーピングと同じく安全性が確認されていないので、禁止となるはずだ。 2012年、2016年のオリンピックでは、アンチドーピングに加えて遺伝子ドーピングの問題が大きくなるだろう。 アンチドーピングは、健康上の安全性とレギュレーションが問題なのである。 健康上の安全性が問題なのであれば、健康上の問題が認められない薬物、遺伝子ドーピングは認められるべきである。 レギュレーションに関しては、時代に合わせて、健康上の問題がない、と認められた時点でドーピング禁止項目から削除していくべきだ。 アンチドーピングのレギュレーションを科学の進歩にあわせて変えていくのであれば、技術は恐るべき速度で進化するだろう。 オリンピックで科学技術の進化を評価可能になれば、技術の急速な進化に寄与する。 オリンピックで証明された技術は一般にもフィードバックされる。 病気の人に対する遺伝子治療、臓器移植、人工臓器は問題ないのに、健常者がより強く、人間を超える事に対しては、「倫理的に」問題になる。 僕は、人間が人工的に人間を超えた存在に「進化」することも、「自然の進化」のひとつだと思う。 人工的な人類の進化が倫理的に認められない、というのは単なる宗教的発想だ。 ドーピングを単に「悪」と決めつけずに、健康上の課題がなくなれば、アンチドーピング対象からはずす、という決定がなされれば、人類が種として進化するのではないのか、と思う。 ■JOCのアンチドーピングページhttp://www.joc.or.jp/anti_doping/index.html ■オリンピック選手になるのも遺伝子次第?http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20030827304.html ■筋力回復の遺伝子治療、ドーピングに悪用される懸念http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040218302.html
2004年10月02日(土)
VAIO Extremeが届いた
ソニースタイルに注文していおいたVAIO Extremeが届いた。 VAIO Extreme重量785グラム、最薄部9.7ミリという超軽量ノートパソコンである。 ここまで軽く、薄くなると本当に「ノート」だ。 ほとんど冗談のようなパソコン。 ソニーが小型化技術とデザイン力にこだわりまくり、コスト度外視で作ったPC。 モバイルにこだわりまくっているので、万人向けではない。 僕のように、モバイル専用と割り切って使う人専用機。 薄いだけで、大きさは通常のB5サイズなので、ディスプレイ、キーボードともに普通サイズ。 実用に十分耐える。 CPUもペンティアムM 1GHzだし、メモリも512MBある。 僕の大好きなポインティングデバイスもついている。 モバイル専用機、としてはじゅうぶん。 まるでアップル製品のようなゴージャスな化粧箱に入って届く。 Preminiも豪華化粧箱入りだったけれど、化粧箱なんていらないのに。 資源とコストの無駄遣い。 専用のマウスもついていたのだけれど、僕はトラックポイント主義者であり、モバイルノートにはケーブルを挿したら「負け」だと思っているので、専用マウスを使うことはないだろう。 VAIO Extremeを豪華化粧箱から取り出すと、やたらとピカピカカーボン仕様。 カーボン模様ではなく、本物のカーボン製である。 僕はカーボン好きなので、バイクもカーボン仕様。 ぴかぴかのカーボン筐体には保護用のビニールが貼られているが、即はがす。 僕にとってPCは道具。 扱いがハードなので、どうせすぐに傷だらけになる。 ぴかぴかを保つ事はほとんど無理。 使い込まれたボロボロ仕様のほうが良い。 VAIO Extremeはデザインにもこだわりがあるらしく、裏面までつるつるぴかぴかのフラット。 プロダクトデザイナーに敬意を表して、筐体に貼られている、WindowsXP、Pentium、SonyStyleのシールもすべてはがす。 ここまでデザインをシンプルにしてあるのだから余計なシールははがす。 次はプリインストールソフトのアンインストールである。 毎度、面倒くさい。 既成品のパソコンは僕にとって必要ではない余計なソフトが大量にプリインストールされているので、アンインストールの必要がある。 VAIO Extremeはプリインストールソフトは少ないほうだと思うけれど、それでも余計なソフトがいくつも入っている。 VAIO ExtremeはHDDが20GBしかないので、HDDは節約しなくてはならない。 試用版や単なる広告としか思えないソフトも多くインストールされている。 せっせとアンインストール。 僕にとってVAIO Extremeは完全にモバイルに特化したPCなので、マルチメディア関連のソフトも必要ない。 マルチメディア系のソフトもアンインストール。 VAIO Extremeでビデオ編集なんてしない。 Sonic StageのようなATRAC3関連のソフトもいらないので、アンインストール。 iTunesを使うのでいらない。 専用のユーティリティー関連はいじってみると意外と便利そうだったので、残す。 Windowsそのものも余計な画面効果はすべてはずす。 ひたすらとアンインストールを行い、ほぼ素のWindowsXPの状態に戻した。 アンインストールが終わったら、ネットワークの設定。 VAIO Extremeのソニースタイルモデルには802.11gの専用PCカードがついている。 自宅の802.11gネットワークにはカードを挿しただけで、接続できた。 設定不要。 AirH"のカードもつなげるようにする。 ネットワーク設定は一瞬で完了。 次はWindowsのパッチあて。 WindowsXP SP2をネットワーク経由でインストールする。 世間ではいろいろ言われているが、僕のほかのPCでもWindowsXP SP2は問題なく作動している。 ただし、セキュリティー関連、特にファイアーウォールが強化されているため、デフォルト状態では、セキュリティーレベルが中途半端に高すぎて何かと面倒。 ブラウザからソフトウエアのダウンロードができなかったりするので、必要なファイアーウォールのポートをいくつか開ける。 そこからやっと、アプリケーションのインストール。 僕は、アプリケーションはすべて自宅サーバーにCD-ROMイメージをのまま入れてあるので、作業は早い。 せっせとアプリケーションをインストール。 VAIO Extremeは僕にとっては、あくまでもモバイルマシンなので、Strata3DやPremireのような3D制作や映像編集ソフトはインストールしない。 PhotoShopは必要なのでインストール。 面白マシンとは程遠い実用本位の設定を行う。 数時間かけてVAIO Extremeの設定を完了。 超実用本位のモバイルマシンとしてセットアップした。 あとは、人に見せびらかすだけ。
2004年10月01日(金)
ヒトとインターネットの融合
生体認証、バイオメトリクス認証が普及することはほぼ確実になっている。 最終的な個人認証はバイオメトリクス認証になる。 と、すると人間はネットの端末の一部と成り得るのではないか、と思う。 生体としての人間がネットと融合する。 簡単に言ってしまえば、人間にIPアドレスを割り当ててしまえば良い。 人間にMACアドレスを付与する。 住基カードなんていらない。 生体認証とMACアドレスをリンクさせる。 そのうえで、IPアドレスを生体にリンクさせる。 固定のIPアドレスを生体に付与してしまえば、人間はネットワークの一部となる。 世界の人口なんて限られているので、IPv6にする必要もないのだけれど、せっかくなので、IPv6アドレスを付与する。 ヒトのインターネット接続の前に、モノのインターネットとの融合に触れておく。 モノのインターネット接続を可能にするのはRFIDタグ、センサーである。 RFIDタグのシステムはインターネットのメタファーであると言える。 RFIDタグはインターネットをバーチャルの世界からリアルの世界に拡張する。 RFIDタグにはEPC(Electronic Product Code)と呼ばれる個別のIDが割り当ててある。 EPCそのものには何の情報もない。 ただのIDである。 そのIDをONS(Object Naming Services)と呼ばれるインターネットのDNS的なサービスに問い合わせる事より、そのモノが何であるかを特定する。 そのモノに付随する情報は、PML(Physical Markup Language)で記述される。 PMLはXMLの拡張仕様である。 RFIDはインターネットというバーチャル空間をリアル世界と結びつける役割を担っている。 ビットとアトムの融合である。 僕は、次に来るのが、「ヒトとインターネットの融合」だと思っている。 バイオメトリクス認証の普及により、ヒトがRFIDと同じくEPCコード的なもの、仮にここでは「EHC(Electronic Human Code)」と呼ぶことにするIDと、HNS(Human Naming Services)、HML(Human Markup Language)により、ヒトがインターネットの一部となり、ネットと融合することが可能になる。 技術的には既存のモノですべて対応可能である。 だが、このようなヒトとインターネットの融合に関する問題は、まだ議論が始まっていない。 上記はすべて僕の妄想である。 だけど、既存技術だけで既に対応可能なのだ。 RFIDを普及させるよりも、課題は少ない。 場合によっては、RFIDタグの普及を追い越すことになるかもしれない。 どうして議論されていないのだろう? 技術的に容易に導入可能である以上、実用化されれば普及の速度は速くなるはずだ。 だが、ここにはプライバシーやセキュリティーの問題が多々存在する。 IDの標準化の問題もある。 個別国家レベルでは、IDの標準化の問題は起きない。 日本だと、住基ID、免許証番号、パスポート番号がある。 米国だと社会保険番号(Social Security Number)がある。 インターネットとの融合のためにはグローバルレベルでの標準化が必要だ。 ヒトがインターネットに接続された場合のプライバシー、セキュリティーの問題はRFIDの比ではない。 早急な議論が必要である。 今はヒトとインターネットの融合に関しては、全く議論されていない。 だが、実用化は容易なのだ。 ヒトのインターネットへの融合に関して、早急に議論を開始すべきだ。
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