今日は穏やかに晴れました。寒さも一段落。 家の中にとり込んでいた鉢の植物たちも、今日は外に出て太陽をいっぱいに浴びています。気持ちよさそう。 ミニバラたちは部屋にいる間に小さな新芽がでだしたので、夜にはまた、中に入れようと思います。
早朝はそれでも冷え込んでいて、猫たちを「点検」にいくとピピは布団の中。キキは元気いっぱいに駆けてきてスリスリしてます。さて、ルルがいません。 部屋を見渡すと電気カーペットに不自然なふくらみが。 「これ、ルル」といってカーペットをめくると「つちのこ」みたいに猫の「開き」になってルルが暖房部分にへばりついています。ぷっ!!! スイッチは切れているし、はがれないのでそのままにしておきました。すると、キキがそーっとやって来て、ぺしぺしぺしと上から叩くんです。 しかし、ルル動かず。「猫はここにいません」をするのです。
朝から、大笑い。猫もかわいい!! うーん、たまりません。
今日も寒いです。だけど昨日ほどじゃありません。 風もないですし。
京都は雪は降るけど積もりません。大原や山の向こうの周山、美山といった丹波の方は積もっているそうです。
ここのところ家の修理やら手直しに忙しいです。 それでも昨日は詩の投稿ができました。
原稿用紙に向かっていると、ほかのこともいろいろ考えられるんです。 何も書かなくても、集中力の副産物のように。 自分が何にこだわっていくか、方向が見えました。 自分の行くべき所が少しずれていたようです。その修正をアタマの中でしてました。
野菜のプランターの用意もしなきゃいけません。 今年の庭の計画もできてきました。 今年はおもいきり花いっぱいにします。
これからは犬と猫と植物の話ばかりになるかもしれません。 ときどき、本とかCDの話もできればいいな。 だけど、今までだってそうだったかな。
雪が舞ったり、晴れたりです。 明日はどうかな。
やはりきました「冬の底」。これだけ温度が下がるのは久しぶりです。 夕方の五時で氷点下3℃。明日の朝は氷点下6℃ぐらいになるそうです。 さっき外猫用の水を見に行ったんですが、見事に凍ってました。入れ替え入れ替え。
昔はこんな寒い日はしょっちゅうで、歯の根が合わないとか震えが止まらない日というのがありました。それに比べるとずーっと暖冬傾向だったんですね。 ちびの頃、父の転勤で長野の松本や北海道の稚内に住んだこともあるので、寒さそのものには驚きません。ただアタマの芯がきーーんとなるようなのは、ほんとに久しぶりです。
犬たち…、ジャンは風上にむけて顔を上げてしばし瞑想状態。彼は寒さが大好き。風も大好き。そうそう今日は風もすごかったです。ハナはきりきり歩いていたけど、ジャンほど寒さに強くはないです。 猫は布団の中から出てこないし、外猫たちは大型の小屋の中でみんなで一つに固まっています。
明後日には緩んでくるでしょう。それにしても今日は私立中学の入試。入試の日には雪が降ったり、とんでもなく寒くなったりします。不思議。
さて、今日考えたこと。本居宣長の次の言葉をどう解釈するか、です。 『姿ハ似セガタク 意ハ似セヤスシ』 普通、逆ですよね。カタチは真似できても中味は難しいぞ、という考え方。 意味が大切でカタチなんかどうでもいい、という考え方が目立ちます。当然のように。 そうじゃないんだ ということでしょう。その「姿」をこそ疑え、ということ。
これはですね、京都造形大助教授 山河 全さんの「アマノジャクのススメ」というコラムに書かれていて、氏のこの指摘自体、小林秀雄の援用なのですが、しばし、黙考。
全ての意味は「姿」にこめられている。
たぶん、これはしっかり理解しないと誤解する考えだと思います。 だから懸命に「姿」にこだわれ、ということでしょう。意味や内容を裏切らない「姿」を。あるいは日本語というのは「姿」に出てしまうからなおのこと。 ぼくはそう理解しました。
山河さんはだから「アマノジャク」という言葉を使われる。注意しなければいけないのはどちらが素直か、ということ。「アマノジャク」=なんでも逆らいたがる性格。ではないとぼくは思うんです。 逆からの発想ですね。同じ「姿」でないと阻害するような傾向はないでしょうか。 おんなじものばかりだとまったくつまんない、ということはないでしょうか。 みすからの「姿」を獲得しなければ、全然面白くないよ、ということは。
簡単に言えばそういうことだとおもうんです。 だから「姿」です。 「姿」とは「言葉の姿」です。
| 2003年01月28日(火) |
いよいよ来る、「冬の底」。 |
今晩から大変な寒さがやってくるらしい。 天気予報で「ここ数年来ない寒さがやってきます」というものだから、表の植物たちに大きくビニールをかけたり、鉢物で家に入れられるものは入れ、入らないものも軒先まで移動。 外猫たちは晩御飯のあと、たぶんみんなで一つに固まっている模様。 この冬いちばんの寒さは、幸い、あと一日か二日で済むようです。
ところで、今日は素敵な朗読を聴きました。幸田露伴、幸田文夫妻の作品をその娘青木玉さん、さらにその娘、青木奈緒さんのお話を交えながら、それぞれの作品を中村梅雀、原田美枝子のお二人が朗読。 綺麗な日本語。幸田露伴の「愛」、よかったです。
さて、薔薇と犬の様子を見て…。
おやすみなさい。
| 2003年01月27日(月) |
遠くから響くベース。 |
今日は一日中雨でした。うっとおしいぐらいに降りました。 低気圧に向かって南風が吹きこんだので、そんなに寒くはなく、和歌山の潮岬ではなんと17℃まで気温が上がったそうです。明日からは一転、この冬いちばんの寒気がやってくるとか。たぶん「底」でしょうね。
エリカ・バドゥもそうだけどジャヒームのセカンドアルバムも、ベース音がとても強調されています。ベースラインがとても綺麗。声が聞こえて、後ろからピアノ。そして、みぞおちにズンとベースの音が響いてきます。 いい感じ。
今日も一日が終了。そんな音を聴きながら書いてます。 「ありのままでいい」…ジャヒームはそう歌っています。
そういえばおもしろい町名を見つけました。「天使突抜町」につづいて、ですね。 「安楽小路町」といいます。もちろん正式名称。「天使突抜」が秀吉の頃からですが、「安楽小路」のほうは藤原氏から説き起こさないといけないみたいです。
まぁ、おもしろいです。そのうち誰かがそんな作品を作るかもしれません。 「天使突抜」は作品を作った方がいました。
ジャヒームのセカンドはテンポもゆっくり。耳を澄ますと小さな音がちりばめてあって、それが成功して歌の世界がとてもひろがって聞こえます。 一つ間違ったらうるさいだけなんだけど。
さて、詩を書かねば。三つ書いたんだけど全然気に入らない。 もう一度全部やりなおし。
メロディとキック。フックとヴァース。 もっともっと流れ出るものを。 ぼくのベースを響かせなければ。 もっともっと。
近所を犬たちと散歩する時の、コースの終わり近く、そこに来るといつも不思議な感覚になる場所があるのです。古い家が並ぶ露地。垣根はいつもていねいに刈りこまれていて、黒の板塀もきれい。道は狭くてゆったりとくねっています。
最初気づかなくて、磁気のいいパワースポットかな?などと思っていたんですけど、どうやらそれは漂ってくる「香り」のおかげではないかな、と思うようになってきました。
たしかにパワースポットでもあるとおもいます。古い寺があって、とても静で。 だけどいくらそうであっても、ごみが散らかり、車やバイクがうるさく走っていたら、不思議な感覚にはならないだろうな、と思います。 毎日、ていねいに道を掃除したり、緑の手入れをされているからこその、洗われたような気持ちになれる通りだと思うのです。
その通りの真中ぐらいに、舞いのお師匠さんのおうちがあるんですが、そこからなんとも言えず素晴らしい香りが流れてくるのです。もちろん、時間が合えばです。一日の内、一、二回ではないでしょうか。おもに白檀系が流れてくるんですが、香りというのは人間の精神状態を変えますね。たぶん、身体にも影響が出ているのではないでしょうか。それほど気持ちいいんです。
アロマ・テラピーというほどではないんですが、うちにもけつこうお香は置いてあるんです。だけど、たいてい西洋系。ラベンダーやローズ、サンダルウッドなど。和のものがあまりありません。京都には香道のお店が結構あるので、探して見ようかな。 和の香り、というと線香くさいイメージがありますが、それだけではないはず。(別に線香も嫌いじゃないですけどね)。 今も室戸のしそ茶を呑んでますが、いい香りがします。
ときどき、表を掃かれているお師匠さんの奥さんに、伺ってみようか、とおもっています。ほんとに素晴らしい香りなんですよ。 ひそかに「香り露地」とよんでいます。詩に書けないかな。
人の力でも心地よい空間は作ることができるんだから、いろいろと工夫の余地、大であります。我が身のまわり、ですけれど。
音楽は今日もハワイ。時々、渋い声が聴きたくなってソウルのジャヒームを聴いてます。 サイトで長らく更新していなかった、ミュージック・レヴュー。近々、たぶんジャヒームを紹介すると思います。
ではでは。
| 2003年01月25日(土) |
アイスバーグという薔薇。 |
今日もハワイ音楽を聞きながらPCに向かっています。 晴れたり雪が舞ったりです。
薔薇栽培に興味を持ってから、大きなグラフ雑誌(画報系)に紹介される、ガーデニング特集や庭園の紹介などで気に入ったのを、本からはずしてファイルしています。 昨日、引っ張り出してきたのは詩人の高橋睦郎さんの庭の写真。高橋さんは18年前に湘南に引っ越されました。谷戸内というんでしょうか、場所はちょっとぼくにはよくわからないんですが。 このお庭が素敵なんです。英国式なんだけど、そんなカチンとした庭ではなくて、のびのびとした印象。基本の色は「グリーン」。グリーンガーデンです。で、アクセントのように花が。 色は白。小さな花にピンクが選ばれる程度です。その白い花が薔薇なんですね。
種類も多いのですが、ひとつ「つる薔薇」が選ばれていて、それが小さなアーチを作っています。そのつる薔薇は「アイスバーグ」という種類。この種類はわざわざ特注しなくてもホームセンターでも手に入るもの。写真では見事に咲いています。
スタンダードタイプの薔薇は全部、人の名のついたもので、白を基準に選ばれています。うちでも白バラはいつも植付けの候補になるんですが、難しくていつもやめてます。白は背景で変わりますからね。背景に自信がないんです。
グラフ誌で、この庭を見ながら過ごされて、書く詩にも影響を及ぼすようになったとおっしゃっておられます。そして、ほんとに久しぶりの詩集「小枝を持って」を去年、出されました。 昨日から味わっています。
だけど写真を見てるだけで、緑をいじるものとして、なんだか頬が緩みます。うちの薔薇は、黄、赤、薄いピンク、です。徐々に白が映えるようになっているかな。 いつか、アイスバーグを植える日も来るかもしれません。
| 2003年01月24日(金) |
冬のハワイアン・ミュージック |
ハワイといえば夏!のイメージだけどハワイアン・ミュージックは1年中よいですよ。 ぼくは古いトラディショナルの知識が皆無に近くて、ポップな味わいもある最近のハワイ音楽を聞いています。それでもいいですよぉ。風と海。それが音に結晶している気がします。
お気にいりはケアリイ・レイシェル、テレサ・ブライト、ハパといったところ。寒い空に透明な音楽がとても合います。 古いフラ音楽も聞いてみたいんですが、何から聞いていいものやらさっぱり。シンクロ待ちであります。
テレサ・ブライトの声。これが深く、コクがあり、澄んでいて、特に好きです。でも、上に挙げたアーティストたちはみな、素晴らしい。 自分の精神状態が自然に調整されていきます。
ウクレレつながりでもあるのですが、「つじあやの」さんにも注目しています。 新しいシングル「雨音」。ジャケットだけ見ましたけど「お!」という感じでした。早く聞いてみたいです。
雨が降ったり止んだりの神経質な寒空です。 風邪にきをつけよう。 みなさまも。
ではでは。
今、ヒゲを伸ばしております。10代後半から20代にかけては、どんなにはやそうとしてもしょぼっとしか生えなかったのですが、もう今はすぐ生えます。 もう歳ですからね。あごなんかは白い感じ。頬も。鼻の下が少しまばらかな。歳のわりには白いものが多いんじゃないかな。感じでいくとショーン・コネリーみたいになれば良いんだけど、家のものは髪をもう少し短くするように、と。
もう少し短くすると、うーーん6ミリぐらいとかになるのかな。30代に伸ばしたときは一面黒で、むさくるしいというか「汚い」とまで言われたんですが、白くなるとほとんど文句が出ませんな。
それに、今回は伸ばしても刈っているので、短いひげであります。昔はねー、クラプトンみたいなヒゲとかいいな、と思ったけれど。今はそうでもないです。どうやったって自分風だもんね。
こうなると次は大型ニ輪だァとなる。(何故っ??)ハーレー・ダヴィッドソンがオジサンたちに幅広く支持されて、売上の記録を更新しているんですよね。 ハーレータイプの国産だとカワサキからでてたなぁ。レーサーレプリカはもう乗れないだろうし。乗ったら即、事故りそう。どっかとアメリカンバイクといきたいところだけど、犬が乗れない!!
やっぱりぼくは「散歩主義」なのかな。 そろそろウォーキング用の靴が磨り減ってきたんで、買い換えなきゃいけない。 LLBeanでも覗いて見ますです。はい。
ではでは。
| 2003年01月22日(水) |
彼は御蔵島へ行くという。 |
今日は、後輩というか年下の友人の訪問を受けた。引越しと転職の挨拶だった。なんと御蔵島へ行くという。驚いた。 御蔵島とは伊豆の三宅島と八丈島の間の島。周囲16キロ。島民300余名であるという。
とにかく都会以外に住んだ事のない男が、である。仕事が本当にないのだそうだ。こんなご時世、一般の就職だといつ潰れるかわからない。そうではない仕事が、たまたま御蔵島にあったのだという。
それにしても、と思う。優秀な男である。某国立大学を卒業して、順風満帆と思われた男は、硬直し、異常とも思える人間関係のなかに耐えられず、精神的な疾患を得てしまっていた。今日は抗鬱剤をのんでますから、といって、昔の快活明瞭な受け答えをしていたけれど、彼をしてそこまで苦しめるシステムというのがわからない。
聞けば、各部署に一人ないし二人、心の壊れた人がいるという。かれらはいまだにその部署にとどまっているか、やはり職を辞したか。 暗然としてしまった。 まぁ、プラスに考えるしかない。海と空はそれはきれいだという。バンドウイルカの群もよくくるという。そういう環境の中でゆっくりと癒し、元気になってほしいと思う。間違っても島でこもることのないように。それはないと思うけど。
なんだか祈るような気持ちになってしまった。 なぁ、胸を張っていこうぜ。きっと素晴らしく眼が輝くようになるよ。
だけど、他人事じゃない。この国の古いシステムはくずれる寸前の腐臭を放っているようだ。もちろん、新しい息吹きもある。 が、しかし……。
彼の健闘をただただ祈る夕暮れでありました。
一日の終わりに書いてます。
年明けからのさまざまな情報を総合すると、今年はどちらにしろ、激越な年になるな、と今日感じました。 いろんな状況の全てがクライシスを指しています。戦争・経済・自然災害、それぞれの絶望的な予報に満ちています。
だけども生きていかねば。なんのためにか。やはり問い詰めていけば命のため、魂の尊厳のためです。状況は厳しく、国民の誰もがいつホームレスになってもおかしくない状況といえなくもない。 そんななかの文学、音楽、美術、演劇などの文化、芸術。そういう視点から考えてみることが必要だと今日、思いました。
今、「本棚の三番目にあった本」というテーマの文章を少しづつ書き始めています。締めきりは27日。 抜き出したその本は久しぶりに開いた本でした。だけど開けてよかった。そんなシンクロに感謝しています。
背後ではラジカセにセットしてあるベイビーフェイスとヘッドフォーンが待っています。これも久しぶり。 恋の唄ばかり。彼女の心によりそう唄ばかり。
今日読んだ星占いの一節。 鏡の前で自問自答すること。
たぶん寝る前には、日本語の歌を聴いてるだろうな。桑田氏か、スピッツか、はたまた田島さんか…。 ではでは。
今朝は雲の荒れた朝でした。乱雑に南へ駆けて行く雲。 姿はないけれど日の出はもうすぐ。 光の線はないけれど、薄ぼんやりとした空気。空を見上げると、それでも明星が輝いていて。西の空の際には満月が薄い雲を透かして浮かんでいました。
あかりの在りか…。
なんだか一瞬、犬たちから心が離れてしまって茫然と見てました。気がつくとハナがじっとぼくを見上げていました。散歩を続行。 冬の底、です。
それでも、右京の梅宮大社では梅が咲きだしたそうです。蝋梅ではなく寒梅、ですね。 寒さの底で咲く梅にはなんだか力をもらえます。我が家の梅の蕾もだいぶ膨らんできました。大分でもらった梅です。やっと去年、初めて花が咲きました。今年は去年より花の数が多そうです。
「バラ花摘み」という短い作品を書きました。花の香りには力があります。 もう、街の中には蝋梅の匂いがたちこめています。梅の匂いはどんな力があるのかな。そんなことも想像したり…。
「匂いおこせよ梅の花」。
あと、一月ほどですね。
| 2003年01月19日(日) |
静かな日曜日。(改) |
犬も猫もみんな寝てます。さっきまでサイトのほうの更新や、ゴザンスへのアップをしてました。それから一人起きてたキキをお腹の上に乗せてずっと撫ぜてました。
静かな日曜日です。空は曇り。午後から雨の様ですね。 さてと、薔薇は寒肥の時期です。肥料をやろう。 外猫たちも、みんな元気。寒さをしのいでます。ときどきぼろぼろになった元・飼い猫のような首輪をつけた老猫がふらっと来ては去っていきます。「通い」とはいえうちの外猫たちは強いから、はやく逃げたほうがいいのに、飼い猫だったためか、人から全然逃げようとしないんですよね。 外猫のリーダー、トラが顔でも出したら逃げ出すんだろうけれど。はらはらしてます。
音楽が終わったら、外の様子を見に行きます。 音楽はモーツァルトの「レクイエム」。この音楽でも犬たちはとてもリラックスします。
芥川賞受賞された大道さんのお話を新聞で読みました。年の離れたカップルの、彼らだけの生活のお話。「道行」として書いた、と。 「道行」=「心中」、と短絡的に捉えがちだけど、「ふたりだけ」で生きていく、というのも「道行」だなと思いました。「緩やかな自死」があるように「緩やかな道行」というのもある。決して言葉に出さない暗黙の了解のある二人がいて、それは実は不特定多数の「ふたり」の多くが抱えている、けっして暗くない「穏やかな宝石」のような約束に思えました。
死を見据えることは美しいことだと思います。
今日はダイアリーを一日の最後に書きます。 いろいろとバタバタしてました。ますます作品を書く時の居ずまいを考えた1日でもありましたけれど。
ゴザンスの1月の第2テーマが発表されました。「モノカキ」仲間たちは、素早く反応して「切れ」のいい作品をアップしています。800字小説は、今回から三つの言葉を必ず織り込んだもの、という条件がつきました。今回は「初めてだった」「鏡」「大人」の三つです。こういう条件下の制作は初めてだと思います。
時間の空いた昼の2時間、待ち構えていた猫3匹に昼ご飯をやリ、猫の昼寝に挟まって、やっと集中できました。ぼくの場合ほとんど瞑目に近いんですが。なんとか「見えた」ものを書き出し、今、字数と内容のチェック中です。 猫たちのいる所はオーディオもテレビもないところなので、まったくの静寂。どうもそこで書いたものと、テレビ、オーデイオ、PC、のいるところで書いたものとは内容が違うような気がしてきました。
猫のところに行く時はノートとペンを持っていきます。はっきりあそこで書いたものとして今、挙げれるのは「猫を読む」「猫と南風」「胡麻屋の辻」の構想、など。 強迫観念でもないんだけれど、いつも書く時、気に入ったCDをかけっぱなしにしています。だけど、「最初の一言」あるいは「1枚の絵」が見えてくるのは静けさの中のような気がしてきました。
ちなみに、今はPCに向かっていますから、ジャンたちと一緒です。オーディオからは笹岡敏幸さんの「レクイエム」が流れています。静かな音楽です。 札幌の方で、自主制作の作品を出されています。これは試聴したその場で注文したものでした。とても気に入ってます。ウォンウィンツァンさんのサイトとも相互リンクされていますし、田口ランディーさんのメルマガにも友人としてよく出てこられます。 ジャンの寝息が聞こえてきました。ハナはもう寝てます。
動物たち、とくに犬たちは音楽に対する反応が顕著で、彼らの好きなのはウォンさん、笹岡さん、斎藤忠光さんのそれぞれピアノやシンセです。ロックやジャズでもお気に入りはあるんですけど、上の3人が目立っています。
今日は雨のち晴れでした。あすは晴れのち雨らしいです。原稿をなんとかアップさせます。内容のよし悪しとは別に、今回はものすごく楽しんで書けました。
ではでは。
| 2003年01月17日(金) |
よく晴れた1月17日 |
今日も早起き。 8年前の地震のおきた日も、犬たちと外へいこうとしていました。 あの日も、よく晴れていました。最初、震源地は京都だと思いました。こんな激しい地震は初めてだったので。 つけたテレビの神戸の震度だけが空白になっていて、おや、と思って。 しばらくしてテレビに映った神戸の街を見て、息を呑みました。 「これは空襲だ」…。そう思いました。 あれから8年。小学生はハタチになりました。亡くなった大勢の方。被災者の皆さん。…忘れられません。時間とともに風化する記憶ではありますが、あの衝撃は消せません。
あまり伝えられていないこととしては、淡路島、神戸、西宮、芦屋、伊丹、宝塚、池田、と続いた被害の「線」。断層の最終地点、京都の樫原が壊滅的な状況になったこと。ほとんど知られていませんが事実です。当時、何故報道しないんだという怒りの声を聴きました。
それと、震災後、多くの被災者が自ら命を絶ったこと。これも忘れてはいけないことだと思います。
亡くなられた全ての方の冥福を祈ります。
一昨年、集中的に読んだ須賀敦子さんの本。昨日、思わぬところでその「言葉」とであいました。京都新聞の夕刊「現代のことば」です。この、書き手日替わりのコラムは欠かさず読んでいます。昨日は国際日本文化研究センターの猪木武徳教授。
簡単に説明すれば、氏が友人の年賀状の言葉にいたく刺激され、覚醒をおぼえた、という内容。その「言葉」が須賀さんのものでした。 最近の「もうひとつの抱負」という日記で、井坂洋子さんの言葉を紹介しましたが、今回の須賀さんの言葉にも共通している言葉があります。 「想像力」です。
では須賀さんの言葉とは
「なにかひとりよがりの匂いのぬけきらない『やさしさ』や『思いやり』よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする『想像力』のほうにわたしは魅力をおぼえる」
ぼくの捉え方としては「理解」がキーワードです。 猪木さんはこう続けます。 <理解することより理解されることのみを求めがちな世にあって、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする『想像力』を持ちつづけることは難しい>
『理解することより理解されることのみ求めがち』、これはまさにそう思います。 想像力の欠如は、決して届かずとも人を理解しようとする努力のないところから徐々に来るのではないか。そんな思いもします。 そういうところから発せられる「言葉」がいかにむなしいか。そうも思います。
人に理解されないことを嘆く前に、人を理解しようとしてはどうか。ほくはそのことのほうに価値を置きたいです。文章や発言、いや生き方にまで通じる「骨」となりうる考え方だとも思います。
猪木さんも指摘されていますが、そのことは、とてもしんどいことです。だけど、そうしなければわからないことは必ずあり、そうすることが何かのマイナスになることは絶対にない。 ぼくの「姿勢」として、その言葉をいただきました。
覚醒。まさに自己陶酔からの覚醒をうながす言葉です。 ところで、猪木さんも亡くなる前の須賀さんにお会いした経験がおありで、その様子を語られるのだけれども、それはとても静謐で、「やさしさ」に満ちているとしか形容できないものでした。
新年。いい言葉をみつけて嬉しく思っています。
今日は朝から雪です。 雪の中犬たちと散歩していて、山茶花の赤と積もった雪の対比の美しさにしばし見とれていました。
それから、空が呼吸するように雪と晴れの繰り返しです。北の山を越えて薄い墨色の雲が忍びこんできては雪が激しく降ります。 あれほど凶々しい雲から純白の雪が降るんだな。
猫のキキが今日、手術。大きなお寺の横の獣医さんに連れていきました。 雪が激しくて、トラベルケースをさらにバスタオルで覆って。 ジャン、ハナ、ピピ、ルル…。みんな連れていったなぁ…。
そうそう、きのうJAHEIM(ジャヒーム)のセカンドアルバムを聴きました。タイトルは「スティル・ゲットー」。一枚めと変わらないテイスト。「散歩主義」になる前の古くからのダイアリーを読んでる方ならご存知かも。 ぼくにとって、2001年の最大の収穫だった男性ヴォーカリストです。
| 2003年01月14日(火) |
「カフカ」のメイルボックス |
うちのサイトもリンクして頂いている、村上春樹さんの「海辺のカフカ」のためのサイト。著者へのロングインタヴューなど興味深いコンテンツが魅力。特におもしろく、スリリングなのは「メイル・ボックス」です。読者からのメイルに春樹氏自身が返信を書くもので、その数は膨大なものになっています。 すでに、先月の末に受けつけは終了していて、完了したカタチのままで2月14日までの公開となっています。
昨晩はそのメイルボックスをずっと読んでいました。まだ、全部読んだわけではありません。しかし、これほど「本を読むこと」「何かを書きつけること」いやいや「前を向いて生きること」をはげましてくれる「文章の塊」を読んだことはありませんでした。…ここ最近。
大好きなbiceさんの2ndアルバムを聴きながらずっと読んでいました。
「一言、書きだせばいいんだ」という思いが、決意のようにできてきて、実はほんとにそれだけで、あとは自分の誇りをもって書きついでいけばいいんだと思いました。ただし、その時どんな「思念」を持つかがとても重要だということにも気づきました。それは、たぶん、書き出す初期駆動を支配して、書きあがったものにも色濃く反映されるもの。
これだけは、その人の「生き方」によります。
自分を充足させるために、ただ他者を巻きこみたいだけなのか。 他者を好きになりたいのか。つまりは「世界とどんな関係を結びたいのか」ということなのだと思います。 それはそして紙一重にみえても、実は大きな開きがあるな、と。
傷つく側は傷を対象化するのに苦労するけれど 傷つける側はまったく、ほとんど無自覚。 そんなひとたちの「前向き」は御免だな。そんなことをチラリと思いながら 物語を創ろうと思いました。
「カフカ」のメイルボックス。万華鏡のようにおもしろいです。
| 2003年01月13日(月) |
久しぶりにメイ君に会う。 |
生後半年を過ぎたピレネー犬のメイ君と御所で久しぶりに会いました。 やっぱりピレネー、もう大きくなっていて、後ろ足はジャンと変わらないぐらい。やんちゃざかりで元気いっぱい。 ジャンが先輩風をふかして吠えても知らん顔。ジャンも若い頃そうでした。犬って同じ犬種はわかるんでしょうね。なんだか親戚の叔父さんにあってるみたい。 しばらくするとジャンの後ろについてほいほいと歩いてました。 あー、かわいい!!!
御所(京都御苑)は土も芝生も林も素晴らしく、しかも広いので敷地のあちこちに犬たちのグループがあります。メイ君は東のほう、今、迎賓館をつくっているあたりの芝生でゴールデンたちと走りまわっているとか。 ぼくらはいつもの西の梅林で珈琲とパンの朝をいただいています。今朝は梅林まで足を伸ばしてくれたのでした。
帰ってくると、家の人達は舞鶴へドライブ。ジャンとハナが寝たので、ぼくはこれから猫たちをみに行きます。猫のほうはキキがマーキングをはじめたらしいので、手術を急がねば。なんせ予約制なのですぐにはできませんが、今週中になんとか。
「無印」の新しいノートを買いました。いままではぺらぺらの罫線の入ったノートだったんだけど、すぐに一杯になるので、少し厚い無地のノート。グレーのカバーがしてあって、ノートを使いきると文庫本のカバーとして使えます。
PCも原稿用紙も机の上ではなかなか使えないので、持ち歩きしやすいようにしたのです。
ここんとこロックの新しいCDを聴いてません。今、探しているのもWindy Cityというシカゴのソウルグループのアルバムだし…。あ、レッチリがあった!! うーん、きょうはなにを聴こうかなぁ。
ではでは。
| 2003年01月12日(日) |
ことばのつえ、ことばのつえ |
藤井貞和さんの詩集です。 いま、しょっちゅう目をとおしています。この20の詩篇は今、いちばん「生きた言葉」としてぼくを自由にし、さまざまに考えさせもしています。
一種のDUBのように消された助詞、助動詞を思いながら読むのもいい。一行のイメージのふくらみの連続に身を任すもよし。 作品の懐がふかい。
いちばん感じたのは 言葉はここまで自由だ 言葉は律動するものだ 詩は力だ というようなこと。長いけれど、削った果ての自由を感じます。
そして、ぼくを覆うぼくのなかの「とめようとするもの」の実態のことを考えています。 詩は自由です。ヒトを解放する力を内在しています。うたうものを昇華させもします。すばらしいものなのです。
リズムと感情の決して引き裂かれない塊を、魂のチカラとして書けないものか。
うたうように、くちずさむように。響きあうように。 そんなことを思っています。
今年は歌舞伎発生400年。南座での公演も力がこもるようですね。市川新之助も三月には来ます。
ところで、歌舞伎の発生は京都・四条河原となっていますが、どうもそうではないようです。『上方芸能』編集長・森西真弓さんが指摘されています。 そもそも出雲の阿国がはじめたその時は太閤秀吉は亡く、家康の孫娘、千姫が秀頼に嫁いだ時でした。資料をあたると、当時、興行は北野神社(天神さんですね)、五条河原(方広寺門前)だったといいます。 では、何故四条河原になったかというと、家康の「秀吉嫌い」からきた、と森西 さんはおっしゃいます。
たしかに、京都では秀吉ゆかりのものは徹底的に破壊・排除が進んだようです。方v広寺はつぶされ、秀吉の墓も荒れるに任せたといいます。(現在は綺麗ですが) また、近世年間、たびたび「太閤記」も出版禁止になったそうな。
四条河原を劇場街として幕府が公認したのは、「夏の陣」のあと。その後も女歌舞伎が駄目、それならとはじめた若衆歌舞伎も駄目。しかたがないので成人男子の野郎歌舞伎になり、それが発展・継承され現在まで続いているわけです。
幕府は弾圧を続けたわけですね。「石垣直角」みたいな連中ばかりだったんでしょう。 そもそも「歌舞伎」とは「傾く(かぶく)」から来ています。「かぶきもの」といえば去年の大河ドラマ「利家とまつ」でしっかり語られ、通底していたもう一つのテーマでもありました。信長、秀吉、利家、みんな「かぶきもの」です。 「かぶきもん」とはたわけ者、枠に縛られない自由な人間、そんなニュアンスです。 家康は「かぶきもの」ではありません。
「秀吉ぎらい」は「かぶきもの嫌い」とおんなじ意味に思えます。たしかに前田を除いて「かぶきもん」たちは疾風のように日本史を駆け抜け、消えていったけれど、こちらの「歌舞伎もの」たちはしたたかに、逞しく、歌舞伎を最高の演劇に発展させていきました。 森西さんは「幕府に擦り寄るために、阿国歌舞伎の発祥の地をあえて四条河原にしたのでは」と推論されています。そのしたたかさから、さもありなんと思わせますね。
今年は新しい力がさらに、かぶこうとする未来が見えています。 東京にはなんだか「かぶきもの」の典型のような中村獅童もいて、なんだかおもしろいですね。
昨日の京都新聞で、少し気になるコラムを読みました。不定期連載の「俳句のいま」というコラムです。今回は櫂未知子さん。角川書店からでている「俳句」1月号の座談会に彼女も参加していて次のようなことを述べておられます。
「『俳壇は作者と読者がイコールだ』とよくいわれますが、そんなことはない。今はみんな作者オンリーです。」
そして、誰もがスポットライトを浴びたがる。そこには目の肥えた観客がいない、 とコラムで指摘されているのです。
即座に連想したのはインターネットにおける「よき読者」の存在についてです。 正確なクリティックを装って、その実自分のことだけを書くぐらいならば「よき読者」としてありたいな、と。 作品に対して批判も提案もあるだろうけれど、それらが「作品」を前進させる、あるいはきちんとした論点から述べられるのならともかく、たいていが慇懃な皮をかぶった侮辱である事が多いように思えます。
櫂さんはこう続けます。 <だれもが自分の作品を読んでもらいたいと願う事は、あたりまえのことです。 しかし、何がホンモノなのか。それは他者の作品や文章を読まねばわかりません。>
ぼくのなかには「よき読者はよき書き手でもある」という不文律が何故だかあります。読まないで書く人ももちろん認めますが、少なくとも本なんて大嫌いだ、という人がいい本を書けるとは思えません。
簡単に一つの見かたではくくれない問題です。そんなことはない、と思える局面もあるし。 他人はどうあれぼくは「よき読者」でありたいです。と、結局は言ってしまうのですが、「よき」の中味について、いつも自問していますね。
それと、これは印象論、直観なのですが、インターネットにおける言葉は、紙の上よりも鋭角に刺してくるように思えます。根拠はありません。 だからなおの事、言葉に敏感でありたいし、他者の作品をていねいに読みたいと思うのです。
速ければあさってぐらいに、藤井貞和さんの本が届きます。今、いちばん読みたい人。読みたい本です。
書くことも大事だけれど、読むこともとても大事。結局、それを自分の中で確認したコラムであったようですね。 簡単な事に悩む、にしはらくんなのでした。♪
ウクレレの事、書いたことがありましたよね。実はおとといぐらいからインストをよく聴いています。その前は真冬にレゲェきいてました。 ♪あいあん らいからいあん いんざいおん などを。
ウクレレはもちろんハワイ。ですが冬に聴くのもいいもんです。ナイロンストリングでとても柔らかで暖かな音。暖かいけどすこんとぬけていく音が気持ちいいです。
ボビー・ウォマックの「ブリージン」(ジョージ・ベンソンで大ヒットしました)をウクレレでやってるんですけど、いいですよ。 IWAO氏、オリジナルの「コナ・サンセット」が好きで聞き出したんですが、彼はウクレレでブータンの音楽をカバーしてるんです。世界中どこに行くのにもウクレレを持っていく彼。ヒマラヤで聴いた音楽が忘れられずにカバーしたのですね。 「JOGE JOGE」という曲。なんとも不思議な感覚になります。
さて、家の者から「詩を書け」とよりによって朝ご飯のときに、はっぱをかけられました。うううう。書いてるやんかぁ、と言いたいところなのですが、うちの人達は「メジャー誌への投稿」しか認めてくんないので辛いです。 でもね、書きますぜ。注文がきたことにして書こうっと。
ではでは。
おそらく、またとても寒い日が来るんだろうけれど、正月寒波が緩みはじめました。 素晴らしく晴れていて、暖かに感じます。朝はいちばんの冷え込みでしたけれど。 なんだか春の尻尾が見えるんですよね、こんな日。 「胡麻屋の辻」にいってこようかな。
そういえば、祇園の花見小路では郵便ポストに昔の円形のものが復活したそうです。町屋のリフォームブームと合わせて、まぁ結構なことだと思ってます。 この花見小路、四条通から北は全国どこにでもある歓楽街だけど、南はいいですよ。ちょうど角が「一力」さんで、ここから建仁寺の境内までの短い距離だけど電線が地下に埋まっています。東京や大阪ではあたりまえ。京都も官公庁周辺はそうです。だけど古い町屋が並ぶ通りから電柱と電線が消えると…。そう、明治をとおり越して江戸時代以来ですよね。新しい石畳とハイテクがぎゅうぎゅうに詰まった道路の地下と古い木造の家。なんともハイブリッドでありますな。
京都ではこういうハイブリッドが流行り。正面は古式ゆかしい町屋風情なんですが、中に入るとあらびっくり、光あふれる超ハイテクの家なんてのがあります。 お店にもそういうのがあります。こちらのほうがそういう流れを作ったのです。
「胡麻屋の辻」のモデルになったあたりに普通の町屋と思って入ったら、バリバリのイタリアレストランだったところがあります。むろんご主人はイタリア帰り。
詩人の想像力を超えてる?いやいや、ここの主人はたぶん詩人ですぜ。 頑固で、こだわっていて、人が好きで、おいしいものが好きで…。 あれれ、詩人てそんなに素敵な人種だったかな? たしか、ハンニバルもいた記憶があります。むふふふ。
「胡麻屋の辻」が現実から離陸してちょっと時間がたちました。こちらの想像力は全然違うものを創ってますからね。うまくいきますように。 ではでは。
| 2003年01月07日(火) |
もうひとつの「抱負」 |
昨晩、ゴザンスのメルマガに今年の抱負を書きました。年始早々には完全に書く事を諦めていたテーマだったのですが、不思議と書くべし、と情報が来たりしたため書くことができました。 さて、それとは別にある方の文章をレジュメのように読みつづけています。これを「抱負」とはとても言えませんけれど、書く事を励まされた文章でもあるのです。 この日記を読まれている方になにかしらのヒントになればと思い、一部を書きとめておきます。書いた方は井坂洋子さん。書かれていたのは、婦人公論 2002,12,7日号 フォーラム「詩」の評からです。この月のタイトルは「空虚を制して」というものでした。
<毎日きまりきった生活をしているし、保守的な暮らしぶりで経験も少ない、だから書くこともなくなってしまうのだと、長い間書いているとそういう思いにとらわれがちです。生活に新味が感じられないときというのは、生命力が衰えているとも言えますし、確かに詩が生まれにくい状況だとは思います。 けれども、そのような時にこそ、想像力と向き合ういいチャンスなのかもしれません。身辺に材をとった詩を書いても、厳密に言えば詩は現実の写しではありません。つくりもの(虚構)であり、書かれた詩作品には、現実とは微妙に違った空気が流れています。自分がうみだした場で、自分を解放してやること−−そんな事ができるのはそこが虚の空間だからです。 空虚という言葉がありますが、虚の空間にはこちらを黙らせてしまう空虚も立ちはだかっていて、自分の想像力の強度が試されているんですね。 圧倒的な空虚を制して、まず声をあげ、自分の心地よい空間を創り出すことからはじめましょう。うまくいけば自分の声がひろがり、等身大の自分を描きながらも、等身大を超える喜びに浸されます。>
これからあとは、各作品の評が続くので省略します。このとき、ぼくはこの詩のページへの投稿を止めて、「胡麻屋の辻」を書いていた頃でした。 だけど、井坂さんのこのようなお話を読むのが好きで自分が投稿していなくても読みつづけています。(先月の末に投稿を再開しました。) 詩の成立の仕方。想像力の大切さ。書いていく上で重要な示唆がここには、ぎゅっと詰めこまれていると思います。
「空虚を制すること」…これがもうひとつの、隠した「抱負」というか今年のレジュメであるのです。ずっとそうであるかもしれません。
雪の積もった朝でした。 早朝はまだ灰色の空で、大阪の方がピンクとオレンジに染まった空になっていました。それから、まるで潮が退くように薄い雲が山の北へと退いていきました。 今、ちょうど午後1時。快晴です。雪は融けました。乾いた冷たい北風が気持ちいいです。
きょうはパソコン関連の買い物と振りこみ。一つはサイバーショツトのバッテリーを新しいのに交換。もう一つはウィルスバスターの会員延長。ウィルスバスターは2003ヴァージョンです。お金がかかるけど、必要経費ですね。 去年の11月から12月ごろ、ウィルス付きのメールがたくさんきました。それとせっかく添付メールを送ってくれても、うちのウォールは高く設定したあるから、はねられてしまうというのもありました。
自転車で電気の量販店にいったんだけど人が少なかったなぁ。こどもたち、お年玉は使ったのかな。これからなのかな。
としがあけて、モノカキ「仲間」たちが始動しています。とてもいい刺激になりますね。
「光」を追っていて、なぜか「水」に行き当りました。京都で世界「水」フォーラムがあるために、京都の水関連の情報が溢れていて楽しくチェックしています。 京都も「水の街」だったんですね。大阪も「水の街」といえば大阪ですが、大阪は河と運河と港。京都は地下水と井戸。それぞれ「らしい」な。
そろそろ新しい詩が書けそうです。ノートそのものは毎日書いているんですけれどね。 さあ、珈琲でも呑もう。 ではでは。
| 2003年01月05日(日) |
さらに寒く さらに晴れ渡り |
朝六時に散歩しながら 斜めに空を見て なに色がほしい?と口に出してみる。 こういうときは ピンクの雲だね。そんな答えが頭に響いたとたん 音楽が始まった。
割れそうな頬を削るように 音の記憶が頭の中を駆けて 外は無音。
京都の秘密。 1℃や2℃の寒さのとき風は西か北から吹きます。 氷点下になると緩い南風になるのです。 寒気が強すぎて盆地の上を通りすぎ、奈良の手前で山にあたって 戻ってくるのです。
不思議な南風に頬を削られながら 草野新平さんの蛙の詩を思い 丸山健二さんの芍薬の花を思い 高橋睦郎さんの白薔薇を思いました。
もっと寒くてもいいよ。なんてね。
寒気団が一気に南下、強い風に晴れ渡った空と顔が痛いほどの寒さに包まれた街でありました。 お正月の来客がさっきお帰りに。ぼくのようにお酒を呑まないということは「ハレ」の日がないといえるかもしれません。酔った人の緩慢さや傲慢さを見ているのも楽しかったり疲れたり。 そのぶんシラフでも「あちらの世界」へ行くことができますが。てへっ。
新年の目標のことを考えたんですが、今までと変わりなくいくだけで、とりたててありません。やるべきことははっきりしていて、それをやるだけ。 りきむほど「逃げていくなにか」というものがあって、淡々と続けていくことで「いただけるもの」があります。カタチがあったりなかったりだけれど、それはとても大事なものです。
ただ、心のあり方として、より柔らかく、素直にありたいと思います。そういう自分が好きでもありますから。
箱根駅伝が今、終わりました。 これだけの寒さの中の駅伝を見たのは久しぶりです。箱根で氷点下。暖かいはずの湘南でも2℃か3℃。ゴール地点の東京は横殴りの雪で、気温も2,3℃しかないようです。 こちらも朝はまだ曇りだったものの、すぐに湿った雪が降りだしました。今は冷たい雨です。
各大学のレギュラーに近畿や九州の駅伝の強い高校出身の選手が目立つのはいつものこと。「箱根駅伝」というのはそれほど強烈な魅力があるのですね。
さて、正月も三日。空のほうでは新月でした。正月に新月になるのは珍しいことらしく、これから膨らんでいく月にあやかって抱負や願いに思いをこらしては、と星占いからのオススメであります。
今年は自分の幅を広げることがテーマです。いつまでになにを、という期限はつけません。ゴザンスのメルマガのテーマをペースメーカーにしてもいいかなとは思っていますが。
ことしは、さらにいろんな本を読みたいです。もっともっと根っこの部分を充実させたい。そして、やはり常に「光」のなかにいるとイメージしつづけていきたいです。 これまで、1年で詩のテーマを区切ってましたが、「光」についてはさらに続けてみようと思っているのです。もちろんそれ以外のテーマもありますが、「光」のことは常に意識しつづけていきたいと思っています。
新月は闇夜です。これからピンとはった弓のような月が現れてきます。まるで願いが「かたち」になるかのように。 みなさまの1年もそのようでありますように。
今朝は湿った雪が4時ごろからずっと降っていて、そんな中、京都御所を犬たちと散歩しました。外の鋪道はびしょびしょだけど森の中にはいると枝葉のおかげでほとんど濡れません。とても静かでした。 お正月は初詣の場所以外は人がほんとに歩いていないし、車も少ないのでとてもいい気分です。音が少ないんです。
ちょうど今、箱根駅伝の往路が終わったところ。空が嘘のように晴れて、温度がどんどん下がっています。これからいちばん寒い頃になりますね。 ここのところジャンが夜の9時過ぎに散歩を要求するようになりました。その頃というのは、ぼくのもう眠る体制の時間。それでも出かけるようにしています。 おかげで夜をいろいろと観察できるようになりました。 寒くて風が強いので、空に見える星の数が増えた気がしました。昨晩はオリオンの三ツ星が東と真上のあいだの空で輝いていました。ほかの星もくっきりと見えてオリオン座の線がひけそうなくらい。
寒椿やサザンカの満開の花が夜のなかに浮かんでいます。そうそう、今年はもう蝋梅が咲き出しました。寒いけれど季節のすすみ具合は速いです。 今年の初詣はいつもの近所の神社。ここは六つのことを請け負うことで有名な神社です。去年と同じことをお願いしました。
これからしばらくは寒気が厳しそうです。風邪だけはひかないように注意したいものです。
今年はウォンさんの『アースブリーズ�供戮鯆阿�ながらのお正月です。 最近は、この音楽を聴きながら詩の訪れを待っていたり、練っていたり。 今年も詩を書きます。
あけましておめでとうございます。 新年早々、京都パープルサンガがやってくれました。 サッカー天皇杯の優勝です。年の暮れには、せめて雑草軍団の意地を見せてほしいとおもったけれど、やはり「あきらめない」ということがどれだけ大事か、というお手本のような試合でした。
前半はアントーズペース。やはり奈良橋、中田浩、秋田というベテラン勢の壁は厚いな、と感じていました。柳沢も相変わらずセンス抜群の動きだったし。 ではパープルサンガが勝っていたのはなにかというと、若さと粘っこさ。なんせ平均年齢が23.1歳。U−21日本代表の松井。U−19の日本代表の角田。そのほかもほとんど20歳から23歳ぐらいまでの選手。 粘っこさの代表が朴智星と松井大輔。それがメンバー全員に浸透していました。
そしてなによりのヒーローはエンゲルス監督。この人の指導力は素晴らしいです。Jリーグのほかのチームでも天皇杯とった経験もありますね。一時は、J2まで落ちたサンガをよくぞここまで作り上げてきたと思います。
パクチソンはこの試合を最後にオランダに行きます。韓国のヒーローは京都のヒーローでもありました。頑張ってきてほしいものです。
若いチームです。これからもっともっと強くなってほしい。エンゲルスさんの戦略が、Jリーグの中でも新しいほうだと思うので、そちらの面からも注目です。
いやー、新年早々テレビの前でバンザイしてしまいました。 やったぁぁぁ。
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