秋晴れ。 お見事、といいたいぐらいでした。
朝の散歩、夕方の散歩、夜の散歩3回とも気分よく歩けました。 犬たちもご機嫌だった…かな。 猫たちも涼しくなってずいぶん過ごしやすくなったみたいです。
今晩、BS11chで「世界の猫百科」という番組がありまして、なかなかに面白かったです。やっぱり日本の野良にも外来種の血がだいぶ混じっているというのは、本当のようでした。 我が家の近所の野良のルーツは、ある医院で飼われていたシャムだといわれています。出入り自由にしていたため、眼の色が今までと違う猫が続出したとか。 今うちにきている7匹のなかの黒猫がまさにそうです。
気温が下がってきたので薔薇の秋の花が次々と咲き出しました。ブロッコリーは葉がますます成長し、ますます楽しみ。
それと今日はCDをネットで注文。旧いウィンダムヒルですが、タック&パティの「ラヴ・ウォリアーズ」を。ジミ・ヘンドリックスの「リトル・ウィング」をカバーしているからなんです。サイトの方のレヴューではジミヘンとスティングを紹介しました。あと一つは彼らのカバーなんです。
タック&パティを近所のショップで探したら、「ジャズ/グループ」というところにありました。確かにジャズですが、感覚はウィンダムヒル、ですね。 ニュー・エイジかどうかは聴く人の判断でしょう。ぼくはそうは思っていないんですけども。心温まるギターとヴォーカルであることは事実です。
今聴いているのは、渡辺貞夫/Wheel of Lifeに入っているレクイエム・フォー・ラヴという曲。リピートモードにしています。 バラードが聴きたくなって。
アルトサックスが流れて、ジャンの寝息が聞こえています。ハナは寝息をたてないで寝ています。 今日も犬と猫に感謝の一日でした。 あすもよろしく、皆の衆。
ということで久しぶりに早く眠ります。(実は全然眠れていないんですよ。ここのところ。ここに書きこんだあともずるずると起きていたりで)
ではでは。
2003年09月26日(金) |
little wing / jimi hendrix |
雲を擦りぬけて 彼女は歩いている 無垢にはしゃぐ 心のままに 蝶 ゼブラ 月あかり 彼女が思い描いた御伽噺 そのままに
風にのって
哀しみに暮れていると 彼女はやってくる 千の微笑で 自由を 与えに
「だいじょうぶ だいじょうぶよ」 彼女はそう
「あなたの望むもの わたしからなんでも持っていきなさい」 言った
あらゆるものを すべてを と
ああ 小さな翼よ 舞いあがれ 舞いあがれ
**訳は にしはら によります。
2003年09月25日(木) |
All along the watchtower |
ボブ・ディランの有名な曲です。が、この曲のベストテイクはジミ・ヘンドリックスのものだと今でも固く信じています。
今日はこれをリピートしながら「リルウィン」というブログに連載している小説を打ちこんでいました。夜から始めたからここまで、かな。 話はもう動き出していて、これからどうにでも動いていきそうです。 テーマもしぼれてきました。
ところで、この曲、通称『ワツチタワー』。ジミヘンのギターもさることながら、彼のシャウトが凄いんです。声がね。一撃だけの。
邦題は「見張り塔からずっと」だったな。この訳はいいです。まさにそう云う雰囲気の歌だから。 風と夜とが交じり合っている歌。ジミヘンが歌うとかなり飛んでる高度も高いです。
さて、と。 風を感じながら。
ではでは。
英語で書くと字全体が別のものになって、「エモーショナル」という、日本に帰化したかのような言葉に親しみを覚えます。 カタカナの表記とアルファベットの表記とでは意味がだいぶ、ずれて使われているともおもいます。
そもそも「表現」を意味するのですが、より「表現意欲」の発露に力点を置いている場合、に使われているようです。 では「なによりも大事にするのとエモーショナルになるのか」というと、たいてい「テクニック」という言葉が返って来ると思います。
技巧よりも表現したいという衝動を、という意味合いで使われると、思わずうっとりしてしまいそうなんですが。
だけどそれだけではやはり駄目なんですね。衝動があっても表現として成立しないといけない。 だけど詩というのは、衝動の生々しさを言葉寸前で表現したり、逆に言葉によって言葉以前の感情の塊の側面を照らし出したりすることがあります。
たとえば「詩のボクシング」はそうです。ただ、多くの現代詩人が「紙の上の文字の貧困を忘れている」と指摘し、否定的ではありますが。
文字と声と紙と その際際で 詩人ひとりの指が生み出すものとして ぼくは時として 歌を 想起します。
エモーショナル…それは歌にこそふさわしい言葉だと。
詩も もちろんエモーショナルでありえるけれど ぼくは時として歌うように書くことがあって それはそれでまた 書くだけで 至福のときでもあるのです。
ただ声に出してしまうことで 得るものと 失うもののあること、それはあります。 「声」故に失われる言葉のこまかなニュアンスは必然だと思わねばならないでしょう。得られるものは生の感情の発露です。
ただし、凄い歌手というのは 言葉の細かなニュアンスの 凡人には想像もつかないような豊かさをみせてくれます。 そういう歌手こそ エモーショナルなのでしょうね。
ボビー・ウォマックを聴きながらそんなことを思っています。
久しぶりにひとりだけで、つまり犬を連れないで散歩に出ました。 夜のWalkingです。速歩です。散歩じゃないな。 かなりのスピードをだして歩きます。上はTシャツにウィンドブレーカー。下はカーゴスタイルの短パンとテニスシューズ。 なぜテニスシューズかというと、クッションとストップがとても効くこと。
ほっとくといつまででも歩いているので、時間を30分と切られました。切られたら30分で行けるとこまで行ってやろうと、かなりの距離が稼げたんじゃ無いかな。
歩いて考えていたのは、今、草稿を書きつつある「walkxwalk」のふたつの小説のこと。 ひとつは「夕顔の町」。もうひとつは「籠」の続編「リルウィン」。 資料の読み込みが一段落してノートに書きはじめています。 たぶん「夕顔の町」のほうが動きが速いと思います。 「リルウィン」はちょっと大変。かなり覚悟して進めないといけない物語で、自分で自分を鼓舞しています。書いていく先に怖さを感じたのははじめてなので。
それと詩と。 詩で散文的に書いて、それが核になって「夕顔の町」になっていきます。実はそういう書き方をしています。 それとは別の詩。それは完全に「これを書く」とターゲットを絞り込んで書くようになってきています。思わぬフレーズとかも、その過程で現れるものだと思っていますから。
モノカキの日々です。
天神さんにお参りしようと思ったら、本殿は夕方5時で門を閉めてしまうんですよね。ちかいうちに…。
ここ2,3日ろくに寝ていないので、今日は早く寝ます。 朝も早いので。 うん、何がうれしいといって、書くことが見つかったときがいちばんうれしいです。自分のためではなく、ね。 少しはぐっすり眠らなきゃ。
ではでは。
2003年09月22日(月) |
素晴らしい天気の日が終わり |
少し寒いぐらいの夜です。 ほんとうに涼しくなりました。今日は北風も強く、塵が飛んでしまい、影も濃かったです。
夜に入り、タック&パティのギターとヴォーカルを聴いています。 ハートウォーミングなデュオ。秋の夜長にぴったり、というかんじですね。
今日は児童虐待の資料を読みこんでいて、気分が悪くなって途中で作業中断。 それから、しばらくして気を取り直して、詩を何行か書いて、最後に「彼岸」という詩を書きました。
目を開けたまま殺された子供のことを書こうと思います。 作品の中で彼を生き返らせたいと思っています。生きるべき命を断つ世界があるのなら、蘇らせる世界を創ろう。それが基本コンセプト。 たぶん、ブログの「籠」の続編はそういう物語になると思います。ただし、予定調和的に物事は進まないので、確約はできませんが。
タックのギターがとても軽く跳ねて、タイム・アフター・タイムが終わります。 今晩は伊藤君子さんをききたい気分。このひとの英語はとてもウェットで、まるで日本語のニュアンスで英語の歌を聴いているようです。 発音じゃなくてニュアンスが、です。
Alone in the World こんな夜にはいいでしょう。
2003年09月21日(日) |
久しぶりにイチローのこと |
シアトル・マリナーズのイチローについてはなんどかここでも書いたことがあります。 身体の動かし方や自らのポリシーを崩さないことや、驚くべき練習量のことなど。 あいかわらず、ぼくは彼の大ファンです。
メジャーリーグで、完全に確固たる地位を築いたイチローではあったけれど、今年の後半は(まさに今)ファンとしてはほんとうに肝を冷やしました。 7年連続首位打者を獲得し、3割はあたりまえ、常に3割5分前後のハイアベレージが当然のように見られていたイチローが、首位打者争いから転落すると、3割も危ないところまで、打率が落ちるという極度のスランプに陥ったからです。
それでもヤンキースの松井と比べれば断然数字はいいんですが、(初めてメジャーに挑戦して、いきなり100打点以上をたたき出している松井という選手もモンスターです)なんせ、「あのイチローが」なんです。
短いスランプはあってもすぐに調整して立ち直ってきていた彼がずるずると崩れていく姿を信じられない気持ちで見ていました。 もちろんスーパーな守備と走塁は健在で、それだけでもチームに多大な貢献をしていますが。
もし今日、5打数無安打だったらイチローが2割9分台に打率が落ちたと、大騒ぎになっていたでしょう。結果は4安打を打ち、打率を3割1分1厘までもどしました。それ以上にすばらしいのは年間200安打を記録したということ。 これは3年連続で、大リーグにも数人しかいない記録です。
もともとイチローは打率云々よりも、安打数200本を目標にシーズンをスタートさせます。この年間200本という数字がいかに凄いかは試合数は違うけれど、日本の高打率の打者の安打数を見てくれればわかります。ちなみに日本記録はイチローが持っていて、今年、阪神の今岡が届くかと見られましたが、やはり無理でした。
200本を打ったその日のインタヴューで、「こんなに苦しいのは初めてだった」と正直に感想を述べました。こんなことをいうイチローに初めてみました。 正確には高校時代に交通事故で野球が一時、できなくなったとき以来だといいます。
常にクールで飄々としたイチローでもこういう壁にぶち当たることがあるんですね。こんかいはそれを乗り越えた、とぼくは思っています。
チームの調子が悪く、ヒットではなく長打を狙って打点をあげようとしたところから、バッティングが狂いだしたように思います。現在もマリナ―ズはリーグ優勝とワイルドカードを賭けて際どい戦いが続いています。 「チームのために」そのことを第一義にして自分を変えようと苦しんできたイチローですが、本来の姿に、いやさらに強くなってリニューアルされた感がしますね。
彼のなにかが変わったとおもいます。そしてより一層、変わらなくなった信念を感じます。
彼のひとこと。 「はやく、弓子と一弓のいるシアトルにかえりたい」 弓子は奥さん、一弓は柴犬です。 彼女がいなければ現在はなかった。イチローが奥さんに対する感謝の言葉をさかんにマスコミで語りだしたのも、今年になってからでした。
シーズンも残りわずか、リーグ優勝は厳しいかもしれないけれど、イチローはこれから打ちまくりそうです。そんな予感がしています。
2003年09月20日(土) |
詩を書く、ということ。投稿する、ということ。 |
いつも詩を投稿している婦人公論が届きました。 男のくせに何故「婦人公論」なのか、という方もいないわけではありません。
現代詩の最前線で、ぼくが優れた詩を書くかただと思っている詩人はたくさんおられます。その中で、月刊のペースで公募の選評をやっておられる方が婦人公論にのみいたということから、購読も応募も始まったのです。 その詩人が井坂洋子さんでした。
今回は投稿が遅れたという事もあって、選には関係なかったのですが、そういう時でも欠かさず読んでいる選評に、今月は一段と感じ入ってしまいました。
この「詩フォーラム」というページには最近、新しい投稿者が増えているといいます。新しく選に入る人がいます。常連の人もがんばっています。だけど、入選のある無しにかかわらず、井坂さんから丁寧に詩論が語られたり、書くことの大切さ説かれたりします。
今回は「吐け口でもけっこう」というタイトルでした。詩が苦しい日常のはけ口であってもかまわないという主旨の事が書かれていました。それに続いて次のようなくだりが続きます。
まず、書くこと、清書して投函すること それは生への執着のひとつの形で(作品への) 第一歩だと思います。 作品になるには、最低限の体力と気力、感じる心、 ことばへの関心が必要なのですが 焦ってもしかたありません。 …そして詩集ではなく、投稿原稿を見て (詩と)書き手との一筋の繋がりを意識します。 それも投稿のよさでしょうか。
井坂さん、ご自身が投稿で見出され、「現代詩人」として歩みを始めた方です。だからでしょうか、投稿者への言葉がじつに「ぴしゃり」と決まります。 上に挙げた「書くこと〜」から始まる一節は、ぼくにとって基本とも言うべきところです。必ず立ち戻る原点といっていいです。
婦人公論の応募原稿はB4サイズの原稿用紙が指定されています。その大きな桝目に一字一字清書することは、PCとはまた別の緊張感が走ります。文字の顔、言葉の顔が見えるんです。何度も書きなおしたり、ペンの太さを替えたりもします。 そのことの大事さに気がつきました。
「吟味」のひとつの方法です。
今月は昨日、投稿しました。随時募集ですから〆切りはありません。自分の中で設定しなければいけません。 選に入ったり、佳作に選ばれたり、そのつどうれしいものですが、いちばん大切なことは「読んでもらおうと送ること」だと思います。 それはネット上でもそうだと思います。
自らの字を眺めながら、考え、直し、整えて送る。 そのことだけで生きることを豊かにもできるのですから。
2003年09月19日(金) |
First breath |
Kimura Akikoの初めてのミニアルバム。5月21日に発売されています。(ただし、新星堂の全国各店でなければ手に入らないかも。ただいま品切中)
ハスキー・ヴォイスを聴くのは久しぶりでした。 なんともいい雰囲気。
彼女のサイトは http://www.kimura-akiko.net/ ここに行けば、バイオグラフィーなど情報を手にできます。 ミニアルバムの全曲のさわりも聴く事ができます。 そのミニアルバムの曲は
feel like makin‘ love ロバータ・フラック Fragile スティング Bomber 山下達郎 La nuit est Tombee クレモンティ―ヌの書き下ろし wait for me ホール&オーツ
山下氏の歌も良いけれど、このFragileはとてもいいです。 かすれた強い声、と言えばいいのかな。あとクレモンティーヌの書き下ろしの曲も、ザッザッとデッサンしたような感触があってとても好きですね。
ごく普通の女のこがジャズに目覚め、家族との軋轢などを経ながらも、なにひとつ投げ出さずに歌に辿りついているというところが、彼女を支持する大きな理由です。
なにも肉体労働をすればいい、というわけじゃ無いけれど、さまざまな仕事で自分の生活を支えつつ、無我夢中で歌ってきたようですね。
そして、まわりに天使が飛びはじめた様です。 今後がとても楽しみな21歳です。
今日も暑かったです。 だけど夏がいよいよ終わっていくのが実感できました。 匂いと風が変わりました。 匂いは草が枯れた匂いがしだしたこと。風は痛くなくなりました。
そろそろ彼岸花が、詩仙堂の方に行けば咲き出しているかもしれません。 詩仙堂から蔓朱院門跡のあたりの田んぼのあぜ道には毎年、彼岸花が一斉に咲くのです。ちょうど一乗寺の北の方です。もう山に少し入っていて、実は比叡山に登るルートもここにあります。川の横を歩いていけばたぶん最短に登れる道です。
学生のころ、ぼくは京都の左京区に住んでいて、つまり一乗寺から修学院離宮まで歩いていけるあたりだったんですが、夜中に酒を呑んでは「叡山に登るか」と、数人でこの道を登った事が何度もあります。
左京区の街の中から歩いていけてしまうんですよね。比叡山も。
実はこの道は全山、修行の場としている比叡山延暦寺の千日回峰行の行者さんが飛ぶようにして夜中に歩いている道なのです。見た人はあまりいないと思いますが、白装束で身を固め、真っ暗闇の中を鳥が飛んでいるかのごとくに降りてくるそうです。
白装束、つまり死装束で歩いているのです。途中で歩けなくなったらその場で自害したといいます。この厳しい修行の詳細は省きますが、常人ではできません。 多くの人が途中で挫折を余儀なくされています。
昨日、久しぶりに万行された方がでました。 白装束にわらじを履いて歩く姿が京都新聞に掲載されました。 まさに毎日が「死に仕舞い」であったでしょう。
今日は「仕舞う」ということを考えていました。 終わりを終わる終わり方、ということについて。 あるいは能の「仕舞い」のこととか。 「仕舞う」という字の美しさのこととか。
夜になると気温がだいぶ下がるようになってきました。 涼しくなって増えるのが「通い猫」たちのご飯の量。 だいたい一日四食は最低食べます。家の中の猫たちの5倍食べるかな。
外にいる分体力の消耗も激しいのでしかたないですね。 大体、野良の世話をしているところでは大きないれものにドカンと入れておいて置くのが普通ですが、ぼくのところはめいめいにアルミの皿があります。
入れているのはドライと缶詰のミックス。だからホームセンターのチラシはいつも見ていて、しっかりしたメーカーの特売に目を光らせています。 なんせ七匹います。そのうち二匹は食べ盛りですからね。バカにならんのですよ。
今晩も9時過ぎに今日の最後の食事をもらいに来てました。 ところで、動物学の先生の話では、野良猫は一日20回食事をするそうなんですよ。少量を何回にも分けて食べるそうです。
だからうちのは「野良」ではなくて、やっぱり「通い」なんですね。
涼しくなると、犬たちの散歩も楽になります。特に歩くのがなにより好きな連中は散歩のおねだりが始まりますね。うちでもハナが長い距離を歩きたがります。 これをなだめたりすかしたりするのが結構しんどいんですよね。 ジャンはもともと歩くのが嫌いな犬なんで、(ピレネー犬には多いです)2頭一緒に出て、ジャンが近所をくるりと回って一度帰宅、それからハナと歩きなおしています。
まあ、犬も猫も健康でいてくれたらそれでいいのですが。
さてと、CDで期待の新作が21日に発売されます。ベーシスト・ヴォーカリストのリチャード・ボナの3枚目のソロアルバムです。 パット・メセニー・グループでのツアーも終わり、自らの音楽に専念しているようですね。たぶんジャズベーシストとしては現在、屈指の存在でしょう。
渡辺貞夫さんの「Wheel of Life」でも抜群のベースと声を聞かせてくれました。中村善郎さんのアルバムにも参加していました。
それとこれはもう発売になったのかな Akiko Kimuraのミニアルバム。ハスキーヴォイスの持ち主です。 ホール&オーツのwait for meやスティングのフラジャイルをとりあげているといいます。一聴の価値ありかも。
本は保坂さんのカンヴァセイション・ピースと新しく文庫化されたものを読まねば。
自分の作品も前進させなければ。 涼しくなるとやる事が増えます。
阪神タイガースが優勝を決めた。 ヒートアップしているのは、大阪、西宮、甲子園方面だけではなくて 関西の至るところで朝まで祝杯が重ねられるだろう。
京都も阪神には縁が深い。もちろん関西だから圧倒的にタイガースファンが多いんだけれど それ以外にも京都出身の選手が現役やOBに多い。 (巨人にも東山高校卒の岡島がいるけれど) いまバリバリなのは選手会長の桧山。彼は平安高校の出身。ルーキーの杉山投手は龍谷大学、移籍2年目で、今日同点ホームランを打った片岡は同志社出身。
OBでいちばん有名な京都出身の方は吉田義男さんだろう。 現役時代は牛若丸の異名をとった名ショート。それから監督になってからも18年前の優勝は吉田監督だった。
吉田さんの実家は天神御旅商店街という小さな商店街で炭屋さんをしていた。今はないけれど、今晩、用事で商店街の方に行ったら、神社の境内で祝勝会をしていた。手作りのささやかなもの。明日から三日間、祝勝セールをするらしい。
京都の西の古い商店街。8時にはもう真っ暗で、秋風が吹きぬける、ひんやりとした通りを帰ってきました。
賑やかな河原町や新京極は朝まで賑やかだろうな。
さて、関東では地震の「予報」がでていました。 気が気じゃ無いでしょうね。外れてくれればいいんですが、ぼくのところにもメールが来てました。「あるぞ」という文面で。
明日はそのことで緊張した一日になります。
2003年09月14日(日) |
少し涼しくなりました。ワイエスのことなぞ… |
まだ昼間は30℃を越える気温ですが、日陰に入ったら、おや、と思うほど涼しかったです。そして夜も。 がんばっていたツクツクホーシもだんだん鳴かなくなって、秋の入り口がちらりと見えてきました。
秋の花…秋明菊なんてどうかな、と思ったけど今だ手にしていません。 とりあえず野菜のブロッコリー先行のまま、咲き出した秋の薔薇の手入れに追われています。虫が多くて。
虫といえば京都の桜に異変です。異常気象のためか毛虫が大量発生。葉がなくなり、季節を勘違いした一部の木が咲き出してしまっています。 それも御所の桜。春が心配されています。
さて秋の花、なんにしようかな。緑の葉ものにしようかとも思ってます。
ところで、ゴザンスの「800字小説」で、アンドリュー・ワイエスのことを書きました。アメリカを代表する画家です。テンペラもあるけれど水彩画が素晴らしい。 大好きな画家のひとりです。 日本でも根強い人気があるため、ワイエス展はしょっちゅう開催されています。
スーパーリアリズムといわれる手法、実は光のデフォルメが見事なのと構図が抜群なんです。身近な風景や人物ばかりだけれど、その語りかけてくる深さは大変な豊穣さを含んでいます。 哲学的な絵であり、強烈にぼくを律してくる絵です。 リトグラフが一枚あれば生活は変えられ、支えられるでしょう。それほどの力を秘めた作品だと思います。
静でいること。身の回りを見つめること。ワイエスの絵には教えられることが多いです。 なにより大切なのは、愛情ぶかくいること。
ワイエスにこんな言葉があります。
…私は、ある人の芸術というものは、その人の愛が達する深さと同じところまでしか行けない、と思っています…
大事にしている言葉です。
2003年09月12日(金) |
この三年間で、ぐっと来た本は… |
これがゴザンスの、新しいテーマの一つです。 書評を書く人がライターに多くて、こういう企画が生まれたのでしょうね。
ぼくは、天野忠、ローレンス・ブロック、小川洋子、藤野美奈子、以上のみなさんと田川ミメイさんのはふたつ、メルマガに載せて発表しています。
さて、この三年間でいちばんよく手にして、読みふけった本はなんだろうと思い起こすと、いわゆる「作家」の本じゃないんです。医者の本。それもアメリカの。 この本のことを書いてみようかとも思うんですが、日々の暮らしのスキルについてですから。薬、食事、サプリメント、精神的なケア、瞑想などなど。 その紹介でも書こうかとおもいます。たぶんこの一冊があれば大丈夫。しかも文庫でも出てます。
小説に絞るのなら村上春樹さんです。 詩集に絞るなら高橋睦郎さんです。 エッセイに絞ると白洲正子さんと松本隆さんです。
この三年。ネツトとの出会いの3年でもありました。 そこを飛び交う情報はみな文字で、文学離れどころか、本を読むことの大切さが、あぶりだしになっている世界でしたね。
もし今、文学や本に対してのカウンターの力を持っているとしたら、それは「声」でしょう。 現代詩の世界では、詩の朗読に対する拒絶をはっきりと宣言する詩人が相次いでいます。 それはたぶん「紙の上」と「声」との違いであって、同じ「詩」であってもまったく別物とみた方がいいのかもしれません。
で、本です。 一番ぐっと来た本…。 もう少し考えてみます。
九月に入ってからの方が暑さが厳しくなっていたんですが 昨晩、激しい雨が降りました。少しだけ気温も下がったのかな。
ブロッコリーの苗はぐんぐん育っていますが、アオムシ君との戦いです。 黒に紫、茶色にオレンジ…こんな蝶が毎日、家のプランターの上を優雅に飛んでます。薔薇の花壇でオクタヴイアヒルがじゃんじゃん咲いているからかもしれませんが。
雨のおかげで、緑が全体にしっとりと落ちついた感じです。
さてと ホームページの方のカウンターが10,000を超えました。実は2万回が一度あって、少しブランクがあって久しぶりの万の単位です。 で、この散歩主義のカウンターがそれを追っかけている状態です。
そういえば「リンク」というのはしてあたりまえ、それがあるからネットなんだ、という考え方がアメリカでは当然、というか自明になっている事を知りました。 韓国でもそうらしい。いちいちリンクの「お願い」はださない。直リンクまであたりまえだといいます。 「リンクフリー」という言葉は日本にしかない和製英語だし。(ちなみにHPも) 考え方が全然違うんだな。
とまあ、そんなことを小耳に挟みながら、雨のおかげでこちらも少しアタマの中に潤いとアイデアと情熱が吹き出てくれないかな、と願っている次第であります。
あ、そうそうblogのほうはページ間移動がさらに楽になりましたから、是非是非おこしのほどを。 ぼくの入っているNews=handlerも11月ぐらいから、機能拡充版と無広告版の二本立てで有料化が始まるようです。もちろん「乗り」ます。
サポートフォーラムでシステムをみんなでつくりあげている感じがしますね。ぼくみたいな初心者たちは一生懸命ついていってます。 おかげでHTMLやタグのことの理解が少しづつ進んでいます。 そんなこと考えもしないでテキスト1本できてましたからね。
さて、と。ではそろそろ good night ,sleep tight
最近、散歩主義への連続の書きこみが停まりがち。 なのは理由があって ここでは無い場所に言葉を置きにいっているから。
それは以前だったらノートで、今はBlogになりつつある。 草稿段階で置いておけるから。 最初は慣れもなく、やはり完成稿を載せていたのだけれど、blogにはもっともっと可能性がある。
いつか、ホームページそのものがblogになるかもしれない。 今書いていることとこれまでのコンテンツをカテゴリー分けすればすぐにでもblogができあがる。この散歩主義でさえ、CD評だとか本の話、ダイアリーとばらばらにすることだってできてしまう。
コメントがものすごく身近にもなるし…。 極端な話、自分のURLがなくてもレンタルでも可能。
そんなことを考えていると、自分自身の生活が作品を制作することにさらに投企されていることに気づく。 うん、いいんだと思う。
とにかくいいものを。 読んでくれる人に飛び込んで行ける作品が書ければ。 そのことだけを考えている。
とにかくまっすぐに。いい姿勢で。 それだけに気をつけて言葉を置いていきたい。
2003年09月08日(月) |
down on the crossroad |
ゴザンスの800字にデルタブルースの祖ともいえるロバート・ジョンソンのことを書きました。彼のレコードをはじめて見たのは、高校二年の時、場所は大阪・心斎橋のサカネ楽器。その時すでに伝説のブルースマンだったんですが、なんといっても彼の存在を全世界に広めたのは、エリック・クラプトンです。彼がクリーム時代にカヴァーした”cross road”によって。
たぶんアメリカ人の黒人だって、その名前なんか知らない。ブルースなんてそれほどマイナーな音楽なんです。特にその創成期の人たちは。 むしろイギリスや日本のブルースマニアの方が本国よりも詳しい情報を体系的にもっているでしょう。
800字に書いた悪魔伝説は実際に現在も語られつづけている話です。そのことを歌った me & devil blues という曲もあります。 なぜそんな風に言われたのか。それはやはり突然ギターがうまくなったということによります。 これはだけど、あることなんです。あるポイントのようなものがあって、それを超えると突然、自由自在に操るようになる、ということ。
それをロバートは十字路で悪魔にあった。なんでも望みをかなえてやるというからギターがうまくなりたいといって、二人で酒を呑んだ。奴が消えた後、おれはギターがめちゃめちゃうまくなったんだ、と歌ったわけです。
だから、あいつは悪魔に魂を売ったんだと、ブルーズファンやプレイヤーの間ではずっと信じられつづけてきています。今も。 そうかもしれませんね…。
じつは十字路で霊にあえるというのは、イギリスの古来からの言い伝えなのです。 それでなのか、あるいはそれゆえなのか判然としませんが、十字路に行き倒れの亡くなった人を葬ったといいます。
それから長いときが経ち、草葉の陰でロバートも、自分の歌がミシシッピデルタから全世界にひろがっていつたことにびっくりしているでしょうね。 それもひょっとしたら、契約の続きかもしれません。
天才といわれたロバートは27歳のときに毒殺されました。原因は他人の女に手をだしたから、となっています。 ほんとうのことは瞳の中に青ぃ炎を燃やした人物が知っているのでしょうけどね。
まだ暑い日が続いているのですが、5月に咲いた薔薇のうち、四季咲きのものが花をつけだしました。 暑さにめげずに咲いている姿は、それでも、夏の終わりを告げているように見えます。 街の家々の庭では、黄花コスモスが咲き始めました。
朝顔も夕顔もまだまだ咲いています。お店にはリンドウなんかが並び始めています。
異常な気象の今年、果たして紅葉はうまくいくのかどうか。暑さがこのままつづくと紅葉の前に枯れだしますから。どこかですとんと温度が下がるような気もするのですが。
今年、トマトとキュウリに挑戦した野菜づくり。秋の野菜はブロッコリーにしました。すくすくと大きくなっています。ただ、みるからに新鮮そうなその葉っぱに早速アオムシが。毎日、葉を見ては虫取りをしています。 無農薬栽培のひとたちはたいへんだろうなと思いますね。虫除けのために他の植物を横に植えたり、毎朝、畑を巡回しなくちゃいけません。大変な作業です。
ところで、薔薇にもきっちりと虫が食らいついて葉を食べています。昨日は開きかかった花が3分の1ほど切り取られたように食べられていたのです。犯人はどうもカマキリみたいなんです。手にとって点検しようとしたら花から慌てて飛び出して行きました。 カマキリはミントの葉も食べます。だけど花も食べるのかな。だとしたらなんだかすごいなぁと、妙に感心していたのでした。
もうすこし涼しくなったら、いろんな花や緑を見たいと思います。 あ、秋の花壇も考えなくては。 さて、なにを植えましょうかね。グリーン系で考えようと思ってます。
ご存知の方もおおいと思うけれど、タック&パティというデュオを聴いてました。 黒人女性シンガーのパティとギターのタック。1978年に出会い、1981年に結婚してから公私ともにパートナーになりました。
彼らのハートウォーミングな演奏は、そうですね「ジャズ」のカテゴリーでかまわないと思いますが、キャリアがウィンダムヒルのジャズレーベルからということでも、そのスタイルが伺えると思います。
とにかくクリアで柔らか。一度聴いたら忘れられない音楽です。抜群のテクニックのパティのギターとソウルフルなパティの声のコラボレーションが、すばらしい世界をみせてくれます。けっして大袈裟ではなく、むしろセピア色の静かな部屋で二人の演奏に耳を傾けている、そんな感覚になります。
今回、手に入れたのは、日本で企画されたアルバムで「A Gift of Love」といいます。 愛の歌をカバーしているんですが、キャロル・キングのアップ・オン・ザ・ルーフ。坂本九の上を向いて歩こう。ビリー・ジョエルのjust the way you are。エルビスの好きにならずにいられない。ミニー・りパートンのラヴイング・ユー。レオン・ラッセルのソング・フォー・ユー。バカラックのクローズ・トゥ・ユー。シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムなど。
よく聴くと凄いギターだったりするんですが、とにかく「愛と感謝」だけでつながっていると、こんな音楽が生み出せるのだな、と。
彼らがジミ・ヘンドリツクスの「リトル・ウィング」をやっているアルバムを次に聴きたいと思っています。ジミヘンの曲でぼくが一番好きな曲。ほかにカバーしいるのはスティングだけなんですが、この二人が、あのファンタジックな歌詞と強烈なギターとをどう解釈しているのか、是非聴いて見たいと思っています。
とにかく ほっとしますよ。
2003年09月02日(火) |
「考えることで楽になろう」 |
これだけ「散歩主義」を空けたのは、はじめてです。 いろいろと忙しくて、ここに書く時間が、ゴザンスの記事や投稿、それとBlogのほうにとられていました。
で、京都は9月の今頃、真夏になりました。大阪なんかもこの夏いちばんの暑さです。とにかく暑い。犬も猫もこれではたまらない。特に外の連中はみんなダウンしてます。
今、読み終えた本があります。藤野美奈子さんが哲学者の西 研さんの協力のもと、書かれた「考えることで楽になろう」。 「考える」ことはほんとに大事です。つまずいたり傷ついたり、あるいはその逆の事も、「考える」ことでほんとうに楽になります。「楽」ということは回避できるということと、問題の本質に気がつく、ということです。
とくにweb上の言語は「角がたちやすい」といいます。匿名ということがあまりに生々しい感情を引き起こす言葉をまきちらしているのかもしれません。 だからこそ、「考える」。 考える事を放棄すると、必ず苦しくなる。そんな気がしてこの本を何気なしによみだしたのでした。
藤野さんが(彼女は漫画家です)西さんに質問するかたちの構成になっています。 コンテンツの大筋はこんな風。 ■他人の目が気になって仕方がない■親しい友人に心を閉ざしてしまった■「見かけが大事」って?■カラオケでドキドキ■嫉妬■深く傷ついたとき■自分の気持ちをがまんしてしまうということ■母親とのこと■失恋
こういうことをひとつひとつ、考えていくわけです。 「考える」ことには西さんが六つのメソッドを用意してくれていますが、簡単に言うと「感じて、納得して、態度を決める」ということ。 藤野さんはこのラインに沿って、自らの悩みを「考えて」いきます。 そして出された「態度」について西さんからのアドバイスが続きます。
こういう作業は、どうなんだろう、友達との会話のなかでは無理かもしれませんね。 自分のなかにぐいっと踏み込んでいくわけだから。
内容の一つだけを紹介すると 例えば「嫉妬」。『人の欲望は可能性のない所には流れない』 だから『無力感が嫉妬の苦しみの核心』。 この前後にとても丁寧なアドバイスと、自分を見つめるできるだけ正確な記述があるわけです。 各章の掘り下げは、見かけとはうらはらに、かなり深いです。読み応えがあります。
大人であれば当然、と思われがちなことだけれど案外そうでもないんじゃないでしょうか。自分が傷ついている、と感じているかた、あるいは傷つけたかも、と気にしている方にはかなり、参考になるかもしれません。 ぼくとしては中学生や高校生の教材としてもいいんじゃないかと思ったほどです。 とにかく読みやすく、優しいですよ。
『考えることで楽になろう』 藤野美奈子・協力・西研 メディアファクトリー
|