散歩主義

2004年09月30日(木) なんどめかの台風一過

昨晩、それも深夜、台風が京都市内上空を通過していったようです。風はともかく雨が凄かったですね。

今日はなんだか風が涼しくて、気持ちのよい一日でした。
掌編小説を少し動かしましたけれど、ちょっとスケールを変えたほうがよさそうなので、もう一度アタマから書きます。

それからパソコンのデータを整理したり、ワードの不具合を調べたりといった作業に終始しました。ワードそのものが頼りないということはよくわかりましたが、キーボードはやはり変えないと駄目みたいです。

ゴザンス編集部が今日で解散となります。いろいろとお世話になりましたから、寂しいです。
「光函」を作ることもできましたし、次のものも、と思っていた矢先だったので正直、ショックです。

次の本がネオブックでできるかどうかもわかりません。東京の某有名自費出版専門のお店も候補にしています。たぶん「本を作る」ということを、ミュージシャンのアルバムをつくるということと同じようなスタンスで捉えていて、そのために
原稿をそろえていく作業が続くと思います。

ゴザンスの編集部がなくなって一番困るのは、一番ぼくの作品を読んでくれているクリティックがなくなることなんです。「基準」が消える、というか…。
クリティックのひとつの柱としては婦人公論の井坂洋子さんの選があります。詩はそれでいいとして、散文や掌編はどうしようかと思います。
ゴザンスでつかんだものを活用して自分で自分を見ていくしかないようですが。

実はとにかく来年早々に本を創ろうという話が先行しています。もちろん自費出版。
今、掴んでいる京都の会社の情報だと、たぶん軽自動車一台分はかかりそうなので東京で作ることになると思います。京都にあればいいんですが…。

やっと音楽も聴ける気分になって来ました。
いまのところクミコさんとウォマックを一番よく聴いています。そろそろシャーデも。

そうそうナンシー・ウィルソンの新しいアルバム!ものすごくいいです!
彼女、もう67歳になるんです。元気ですね。
好きなジャズはクリフォード・ブラウンを中心にぽつぽつ聴き始めました。



2004年09月29日(水) 今日から

昨日はジャンの初七日でした。
我が家では毎朝、新しい習慣がはじまっています。御香を焚いて、氷水を供えるのです。ジャンが好きだったものです。

ジャンの訃報を聞いて駆けつけてくれた人たちのお花が一杯になっていて、そろそろ整理が必要になっています。それにあわせたように気持ちもなんとか落ち着いてきました。

ここのところ、ぼくにとっては激変の日々でした。ゴザンスの編集部が解散したこと、ブログがフリーズしたこと。パソコンも最悪。ジャンの死で揺れていたものだから、ずいぶん滅入りました。そこからも歩み出ることが出来そうです。

詩は一つだけ書けました。で、今日から掌編にとりかかります。
アップはどこにするか決めていませんが、メルマガがいいかな、などと思っています。決めていませんけれど。

ジャンの死をきっかけにして、自分の内部が変わった気がしています。
なんだろう、一言では説明できないんだけれど、変わったという感触がざらり、とあるんです。
「変わった」のではなくて「剥き出し」になったのかもしれません。


今日から、新しく。
そう言い聞かせて動き始めました。





2004年09月27日(月) ジャンについて思ったこと





ジャンが亡くなってから、一度、ジャンのものを全部整理しました。
捨てるものは捨て、片付けるものは片付け。そうしているとものすごく広いスペースが現れ、何もしなくていい時間がぽかりとできました。
ジャンがいかに大きな存在だったか、ということを思い知った次第です。

さて、それからホームページも改めようとしたのですが、いじる段になって、ちょっと待てよ、と思ったのです。
このまま、記憶の全てに蓋をしてしまっていいものか、どうか。
なんだか、いつまでも悲しみだけが残っていくような気がしたのです。それになんだかジャンに相応しくないような気もして。

で、生前の写真をトップページの真ん中において、消すのではなくこれからも外へ出していく方針を選びました。(この写真を選んだのは文庫本主義者です)
人間の記憶なんて、どんどん色あせていくもの。それよりもいつまでも鮮明にジャンのことを覚える方を選んだと思っています。
犬と暮らすのも、たぶんハナが、ぼくの人生では最後になるでしょう。ハナとジャンのことは死ぬまで忘れずにいたいのです。

今、どんなに強烈な想いがあっても、人間のアタマというのは忘れていくように出来ています。また忘れていかなければ生きていけないというのも事実なのでしょう。
だけど犬たちのことは忘れたくありません。

それで、さらに、ぼくの気に入った写真を小さくしてトレードマークをつくりました。上の画像です。ホームページ上にもあります。ブログにもつける予定です。
これでいつでも自分のサイトを開くたびにジャンに会えるというしかけでもあります。今は見るたびにひりひりしますけれど…。

ところで独りでジャンと斎場にいき、ずっと独りで延々と待っていました。
その時の感情を忘れてはいけない、という気持ちになり、鞄にいつも持っているノートに書きつけようとしたんですが、三行ぐらいしか書けませんでした。
ただただ泣けてしまって。

だけどその三行と向かい合って、詩を書きました。他の方が読んで思われることは別として、ぼくの生涯で一番、烈しい詩を書きました。
自分で読み返すたびに、胃袋が焦げるような気持ちになります。

詩としてどうなのかも、わかりません。だけど、これ以上のものはぼくには書けない気がしています。来月の末か再来月にはどこかにアップします。
詩というものがどういうものなのか、また少しでもわかることができれば、と思っています。

「書くこと」
それでしかぼくはジャンの死に応えることができないと、ずっと思っています。



2004年09月25日(土) 一緒に泣いてくれる声

ジャンが亡くなって、日にちがそんなに経っていないけれど、最後の宝物をジャンがおいていってくれたことに気がつきました。
それはいつもジャンを思い起こすこと。それがこれから生きていくことの糧になるということです。

そんなふうにしてまず思ったことは、何をするにつけ、「何のために」という発想そのものが傲慢だということ。目の前に消えかけた命がいたらそんなことは考えません。
そんなに大袈裟でなくても、「何のために生きる」という発想そのものが間違っている気がするのです。「なにかのためだけに」生きるように命は出来ていません。全てに対応して今を生きているのです。目の前の現実を一つ一つ生きていく。それ以外に何があるでしょう。

何者かになろうとすることから自由でありたいとも思いました。それでも人は何者かになってしまいますけれど。
信条は持ちます。それは、命を大事にして生きる、ということ。
それは「なんのため」でもありません。そう決めて、目の前を生きていくということです。

なにかのため、と思ったところから、それがたとえどんなにいいように思えても、おかしくなっていく。目の前の今を信念を持って生きていかなければ今を見失い、自分を見失う。

そんなことを今、考えています。

ところで、ジャンがいないことがあまりに辛くて音楽を聞くことさえ出来ませんでした。
全部、空々しく聞えてきて。
だけど少ないけれど一緒に泣いてくれる声がありました。
クミコさんの声とボビー・ウォマックの声とタケコさんの声。
彼や彼女がどんな人なのかは知らないし知る必要もないけれど、少なくともこの人たちの声に体と心がどれだけ救われたかわかりません。

もちろん詩に声が乗るわけですから、詩人も素晴らしいのですけれど。
悲しみの淵にいるときに、横にいてくれる声。
ほんとうにあり難く思っています。

それと心温まる、メールや書きこみをくださった皆さん、
ほんとうにありがとう。
どけだけ泣いたかわかりません。
泣くことだけが今のぼくにできることでした。

ジャンを連れて遠い斎場にいき、小さくなったジャンと家に帰ってきました。
これからハナや猫たちと暮らしていきます。
彼らだっていつか死ぬ日が来るのです。
彼らを残して死なないように、日々をきちんと生きていければと思っています。
いや、そう決めました。



2004年09月24日(金) ありがとう、ジャン


もっと早くにお伝えしようと思ったのですが、なにも手につかず、こちらには一字も打つ事が出来ませんでした。
今、ようやくお伝えできる状態になりました。

愛犬ジャンが9月23日、午前8時15分、息を引き取りました。10月5日で11歳になるところでした。

少し落ちつきましけれど、泪はいったい何処から出てくるのかというぐらい、止まりません。

写真と遺骨とハナと猫と…家族が違う形で暮らしを再開しています。
ジャンにはあらゆることで、感謝をしてもしたりません。
ほんとうに、一緒に暮らしてくれてありがとう。
宝物のような時間と想い出をほんとうにありがとう。



2004年09月21日(火) FIVE SPOT AFTER DARK

ジャンの後ろ足の具合が悪くて、夜になってもずっと横についています。
立てないんです。

部屋の中ですべって転倒して、それでなくても悪かったのにさらに痛めたようです。

それでも無理に立ちあがろうとして体力を消耗したみたい。
何も食べないし、何も飲みません。目に力がなくて、かなり心配しています。

毎晩のことではあるけれど、今晩も一緒に寝ます。フローリングにジャンが寝ていて、その横に布団を敷いてぼくが寝ます。ハナはすぐに布団の上に飛び乗ってきます。

傷ついた動物が、ひたすらに眠り、休むことでバランスを回復するように、ジャンが寝ています。心配です。
明日の朝、すっと立ちあがってくれたらいいのですが。

スピーカーからはファイブスポット・アフター・ダークが流れています。ベニー・ゴルソンとカーティス・フラーの2管が渋い、ジャズブルースの傑作です。なんせテナーとトロンボーンですから。
ベニーのテナーというのがまた「むせぶ」テナーなもので。
ジャズの一種の代名詞、バップというのも不滅なんだなぁ…。

村上春樹「アフターダーク」の由来となった曲です。難しい曲じゃありません。誰もが聴けば「ああ…」というと思います。「なんか聴いたことある」ってね。
ある「典型」とも言える曲ですから。

ジャンの様子を見つづけて、少し荒れた気分を鎮めてくれる「温かい闇」のある曲です。
早く寝ます。

good night,sleep tight…



2004年09月20日(月) 円についてのシンクロニシティー

「アフターダーク」を読んで、ハービー・ハンコックのトーキョージャズ2004スペシャルユニットの演奏を聞いて、ずっと心がざわついていました。
理由はわかりません。わからないまま、本棚の隅に眠っていた本を引っ張り出して、任意のページをめくっていました。

それはシャーリー・マクレーンの「カミーノ」という本です。ぱらりと開いたページは、シャーリーが「理性の崖っぷちに読者を連れていく」から最後まで公開を迷ったという、後半部分。レムリアだとかアトランティスときいただけで、もう拒絶反応を起こす人もいるだろうけれど、それに関しての彼女の超常的、かつ率直な発言と体験が語られています。

このなかで彼女が述べていた事を簡単に言うと、あらゆる表現、生きかたを通して
わたし(たち)は本来の「ワンネス」に戻ろうとしているということ。つまり損なわれた自分の片割れを捜しているのだ、と。それは男と女、光と影などあらゆる二分化されたもの。もとは一つの完璧な円のような存在だったものなのだけれど、欠け落ち損なわれてしまったもの。今、それを繋ぐべく生きているのだ、と。
それは「わたし」と「わたしたち」の関係性にも重要な意味を持ちます。まるで「アフターダーク」にシンクロするように浮かんできたんだな、とその時は理解しました。

その「欠けた円」という発想は、今度発売されるミメイさん(田川未明さん)の「ミ・メデイア」におけるミメイさんとクミコさんの対談でも語られていて、(実は今、ゴザンスのサイトで立ち読みできます)
彼女達は表現の動機として、「欠けた円」としての自分に自覚的であるからこそ、表現に向かうのだと、述べています。これは大事な指摘だと思います。

さらに、何の気なしに読んだ紀貫之に関する文章で、彼が生まれ育った場所の性格上「姫」とよばれて育ったことを知りました。代表作で「ひらかな」を使って書かれた初めての書物「土佐日記」は女に化身して書かれています。しかしかれは、当時の詩歌が「おんなのなぐさみもの」だと非難し、漢詩を詠むべきだと主張もします。なんとも不思議な人物で「確かなものはなにもない」という思想が根底にあるのは確かなのですが、ぼくには彼が彼なりの「円」を繋ごうとしていたのではないかという気がしてならないのです。

そして、この日記を書いているときに見ていたパウル・クレーもそうでした。
彼の絵は徹底して単純な線に収斂していきます。それは子供の絵と精神障害者の絵から多大なインスパイアを受けています。
それはまさにどのようにも「統制も束縛もする事の出来ない絵」だったからです。
彼は無垢な魂の、描くべきスキルを持たない絵に、最高のスキルで「かたち」を与えたのです。そうすべきだということを知っていました。
これこそまさに「円」を繋ぐ作業です。

紀貫之もクレーも孤独です。シャーリーもクミコさんもミメイさんも、表現の場では孤独なのだと思います。
クレーの最晩年の言葉。
『わたしはこの世では理解されないだろう。なぜなら私の魂は、今だこの世に生まれざるもの、また死者のものとともにあるからだ』
紀貫之の有名な歌
『人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににおいける』
この二つに通い合うもの。その魂の自由さをこそ汲み取りたいと思います。







2004年09月19日(日) 光へ






午前11時、曇りがちだった空から大粒の雨が降り出した。鋪道が黒く輝きだし、傘が開き、ワイパーが動き出す。昏い光に調整していた部屋の光量がさらに落ちる。部屋の中では音量を落として、ジョン・コルトレーンの「ソウル・トレーン」がなっている。テーブルの上には村上春樹の「アフターダーク」が置いてあり、それはちょうど二回目の読了をしたところだった。

1950年代のジャズが「アフターダーク」にはよくでてくる。作者の趣味であることは百も承知。自分も50年代のジャズのファンとして、デューク・エリントンのくだりには、大きく頷いて読んでいた。
しかし、と思う。ジャズを知らない人たちにとって、この小説はどう響くだろうか、と。
知らなければ知らないなりの理解の仕方が出来るとは思うけれど。もはや聴かない人を置いていく、ぐらいの覚悟で書いているんじゃないかと思ったりもするのだ。

村上春樹はこの作品でいろんな意味を重ねて「私たち」という言葉を使った。それならばこうも言えるのではないか。彼はもう、そんなに「みんな」を待たなくなった、と。たぶん、この作品の「次」があるはずだ、と思う人も多いだろうけれど、「夜明け」についての「歌」はこれで終わりだと思う。主人公たちがみな、自らの生きかたを定めて「朝」を迎えたように、つぎは読者が歩みを始めなければ、物語は動かない。作者自身の作品では「あちら」と「こちら」についての掘り下げが、これから始まる予感がする。

「アンダーグラウンド」で自らの「オウム的なるもの」と対峙した彼が、かつて河合隼雄さんとの対談で社会へ「コミットメント」(参加)していくことを語っていたことをとても鮮明に覚えている。
村上春樹といえば「ディタッチメント」(遊離)することの軽やかさ、スマートさだと思っている読者も多いし、ぼくもそのへんに浸かっていたところがあった。けれど、彼はきっぱりと「コミットメント」を宣言していた。だから記憶が鮮やかなんだろうと思う。

生きるということは「他者」とどうかかわるのか、ということだ。その事が前面に出てきた。作品の登場人物たちは夜から昼へと出ていく。その誰もが「他者のため」とはいわないまでも「自分の利害」を「生き方」の理由の第一にはしていない。注意深く、生きることを語り始めたような手触りが残る小説だった。

雨があがった。もうすぐお昼だ。コルトレーンのCDをブルー・トレインに変える。50年代のコルトレーンの傑作。ブルーノートに残されたリーダー作としては唯一の盤でもある。いかしたホーン隊がバックアップする。トロンボーンはカーティス・フラーだ。「アフターダーク」の由来となった曲を彼はベン・ウェブスターと録音している。
この時、コルトレーンはクスリに完全に嵌っていて、クスリ代を捻出するために、凄いメンツを集め、一種のスーパーセッションを行なった。カーテイス・フラーもいれば、リー・モーガンもいた。何たる皮肉というべきか、演奏は素晴らしく、ジャズ史に残る一枚が誕生した。だが「夜」はやがて終わる。
 コルトレーンが酒もクスリも絶ち、文字通り「光へ」歩み出す60年代はすぐそこまで来ていた。

夜から朝へ、光へ。想像力を研ぎ澄ませれば、どこにだっていける>
「あちら側」にだって。作者はそう誘う。もういちどやってみようか。しくじらないように。そう思わせる小説だった。



2004年09月18日(土) 東京JAZZ 2004 

毎年恒例の東京ジャズ祭。今年もハーヒー・ハンコック総指揮のもとはじまりました。
今、BSではハービー・ハンコック・クインテットの演奏をやっています。
ウェイン・ショーター、デイブ・ホランド、それにハービーは60歳を超えているはず。だけどこれほど瞑想的でシャープで美しいジャズができるとは…。
テクニックは全員超一流。ドラムスの人も抜群だった。

相手の音を聴きながらのインタープレイ。ウエインのソプラノとテナー、ハービーのピアノ、ホランドのベース、そしてブレイドのドラムス。全員の作り出した音空間が黒い水のような輝きに満ちていました。

ジャズの凄さ。それはどこまでもフリーフォームを追求するところにあります。ただしテーマだけを決めて…。音が音をつくりだすことを知り尽くしたマエストロたち。素晴らしい、のひとことですね。

そして、驚きのギタリストが登場。ハンコック・カルテットとともに演奏したんですが、なんとも摩訶不思議。セミアコを使っているんだけれど、琴のような音も出すし、ヴォーカリーズも披露。すばらしい音空間を創り出していました。この人はしばらく要注意ですね。
リオネル・ルエケといいます。

上原ひろみさんも久々に見ました。明日は彼女のトリオです。元気でした。

それとダイアン・リーヴス。この人のヴォーカルはさすがでしたね。

全体は総指揮ハンコックの独特の少し硬質でスタイリッシュで美しく、自由なジャズが奔流のように展開していました。
満足。



2004年09月16日(木) 彼岸花




ここ二日間、村上春樹さんの新刊「アフターダーク」に没頭していて、しかも、PCの調子が最悪で日記から離れていました。テキストを打ちこんでいる最中に突然フリーズする事が多くて、ちょっと参ってしまいました。
PCの寿命なのかもしれません。

それでも「アフターダーク」のノートはPCで打ち込む事が出来たので、ちょっと迷いましたけどそのままゴザンスにアップしました。
他にノートには書いていないけれど、読んでいて思ったことがあります。
春樹氏とぼくの「現実認識」がとても近づいているということ…。感覚…なんですけれど、そういうのは初めてです。

だからこそ「小説」で表現できることがらをもっと探し出して掘り下げていかなければ、と思いました。詩でも散文でも良いんですけど。

ここのところ京都市内も彼岸花が満開の状態です。嵯峨野の田んぼのあぜ道とか、嵐電の線路脇など、真っ赤な花が揺れています。
ほかに白い彼岸花もうちの近所の御爺さんが栽培していて、それも満開です。

彼岸花が咲くと、秋ですね。まだまだ暑いけれど、朝晩はとても涼しい風が吹くようになりました。



2004年09月12日(日) N‘s jazz house  vol.8




●ゴザンスに投稿した文章です。デヴィッド・ダーリングはジャズのアーティストではありません。チェロ奏者で、アンビエントな音楽を創り出す人です。今回は他に区別のしようがなくて、ジャズ・ハウスに入れました。



【CD】 Dark Wood/David Darling

 音楽は鏡に似ている。このDark Woodを聴くたびに思うことである。聞き
手の状態が音楽をとおしてくっきりとフィードバックされるからである。落ちこんで
いる時ならば、樹海のような森に迷い込んでいるようにも感じるし、逆に深い森の水
と影に守られていると感じることもある。興奮している時は清涼剤になり、軽薄に浮
かれている時はまずこのCDを聴こうとも思わないだろうけれど、これを聴けば正常
にもどる。ぼく自身を振り返れば、自身に深く沈潜したい時によく聴いてきた。

 1993年の録音。ぼくがこのCDを手にしたのが1994年。およそ10年間、
鏡を覗き込むようにしてこの音楽を聴いてきたことになる。ある時はあまりに暗く感
じて、聴き続けることができなかった時もある。それでも聴いた。これは「鏡」だ、
という確信が最初に聴いた時からずっとあったから。
 ただし、例外がある。最初と最後の曲である。この同じ旋律をもつ二つの曲はそれ
ぞれ「Dawn」「New Morning」という。「夜明け」と「新しい朝」。ま
さにこの曲はその名のとおり、ぼくがどんな状態の時でも、ぼくの「駆動装置」だっ
た。何の気負いもなく、すっと立ち上がっていける。そう「させてくれる」曲だった。

 全編、チェロの独奏である。といっても何層にも多重録音されていて、分厚いチェ
ロのサウンドが展開されている。楽曲はすべてダーリングのオリジナル。エレクトリ
ツク8弦チェロも使用していた前作と違い、アコースティックのみである。その前作
にクレジットされていたように、この音楽はグレゴリアン・チャント、聖歌、哀歌に
インスパイアーされている。もちろんインプロヴィゼーションの部分もある。これで
ピンとくる方も多いのではないだろうか。
 また、ジャン・リュック・ゴダールやヴィム・ベンダースといった映画監督に強い
インスピレーションを与え、彼らの作品内で使用されてもいる。さらにダーリングの
ソロ作品を世に送り出しているのがキース・ジャレットのソロ作品で名をはせたEC
Mレーベルときけば、ご存知の方ならば彼の音楽のアウトラインはかなりはっきりと
みえてくるのではないだろうか。イメージが浮かびやすい、アンビエントともいえる
音楽だ。

 アルバムはダーク・ウッドの�犬�ら�擦泙任料閥雰措阿砲覆辰討い董吻気�ら�靴倭�
作「チェロ」に収められている)、そのなかに「Dawn」「Journey」「B
eginning」「New Morning」といった「始まり」を予感させる曲
が散りばめられている。アルバムそのものが、暗い幻想的な森へ旅に赴き、そして帰
ってくるというようにトータライズされているけれど、全体を覆う感覚は「夜明け前」
だ。
 美しい混沌、あるいは動き以前、言葉以前のなにか、というような感覚である。

 何かが終わり、何かが始まるとき、いちど鏡をのぞきこんでみるのもいいかもしれ
ない。そんな思いでこの音楽を紹介します。

 ■ ダーク・ウッド/デヴィッド・ダーリング  (ECM  pocj−127
5)




2004年09月10日(金) 涼しくなりました。

朝晩がめっきり涼しくなりました。といっても明日はまた暑くなるそうです。
ゴザンスの新しいメルマガのトップページに作品をピックアップされています。
読まれていない方は一度読んでみてください。

このメルマガとトップページのピックアップも次回が最後になります。おおよそ1年半のあいだお世話になったゴザンスともお別れです。
これほど集中して書き続けた経験は初めてでしたし、自分のペースではなく、編集部のリードに合わせての制作というのも初めてでした。
まさに得がたい経験をさせて頂いたわけで、ほんとうにありがたく思っています。

特筆すべきは「光函」という作品集を発刊できたということ。ぼくのまわりのすべての力が集まって、うねりながらできあがり、そして世に出ていったと感じています。

最近、書けば書くほど欠落感が増してきていけません。なんとか前を向こうとしています。
「光函」の制作にあたって、ぼくの背中を強く押してくれた方は、次の本のことをもう考えていて、ゴザンスのネオブックの停滞を睨みながら、たぶん京都での制作にこだわっていくと思うのですが、壁に向かってキャッチポールをする状況が続くでしょうね。

ゴザンスでの800字小説というのは本当にいい経験になりました。たとえば平野啓一郎さんが最新の短篇集で試みた超短篇の連作を一つのテーマで括るというやり方にも、すぐにでもついていけるだけの「試行」を、すくなくとも参加していたライターたちはしていたと思っています。
つぎも基本はそれらを生かした本づくりにしようと思っています。

今、「音」をテーマにしながらいろいろと書いています。それでもどうしても「光」へと主題が移動したりして、それはもうそれで仕方ないんですが、自分をよく見て、これからは自分で自分を鍛えていかなければ。

Takin‘ Off。
本当の意味ではこれからのような気がしています。
「ものを書くわたし」でありつづける歩みは、たぶん外からは見えにくくなっていくでしょう。だけど「いいもの」を書きたいという気持ちだけあればそれでいい、とも思っています。

こつこつと続けていきます。



2004年09月09日(木) 小説家

作家の水上勉さんが亡くなられました。もう高齢であられたから、大往生を遂げられたとも思え、手を合わせました。

水上さんは履歴に「立命館大学中退」とあるように、京都・等持院に数年間住んでおられました。京福電鉄等持院駅の近くには氏がかつて通われた「衣笠食堂」の建物がそのまま残っています。今では普通の住居になり、看板も近年はずされたので、知る人ぞしる場所になってしまったけれど…。
ぼく?知ってますよ。

小林秀雄をして、ずば抜けた山である、といわしめたというその才能が、彷徨したであろう京都の遊郭。「五番町夕霧楼」の舞台はその雰囲気を濃密に残しつつ、朽ちていこうとしています。

さて、ある人のススメにのって宮本輝さんの「避暑地の猫」を読みつつあります。ところが宮本作品は初めてというぼくに、文庫本主義者が「小説の前にエッセイを読んでおくと小説家のことがよくわかるよ」というものだから「血の騒ぎを聞け」というエッセイも併読しています。

このエッセイが抜群に面白い。大阪出身の方だから、関西弁も飛び出して、読みやすいし、いいです。宮本さんが井上靖さんのこと、中上健次さんのこと、田辺聖子さんのこと、山田詠美さんのことなど、小説家のことを書かれているのだけれど、この「レヴュー」がとても読ませてくれます。
愛情がこもっているのですよ。宮本さんがどれほどこの小説家たちを、そして作品を愛しているか、おもわず頷いて読んでます。とてもチャーミングな文章を書かれる人なのだな、と。

また読む範囲がぐんとひろがりそうです。

そういえば村上春樹さんの「アフターダーク」、発売されました。
予想としては「神々の子供はみな踊る」の長編版と思っているんですが。デューク・エリントンが出てくるとかで…あ、ジャズやりたかったんだ、と勝手に思っています。……さっさと読みます。



2004年09月08日(水) 乾いた風




台風が去って、乾いた気持ちのいい風が吹き渡っていました。
秋になって、大原で苗を仕入れて、キッチンガーデンをこしらえました。
バジルとイタリアンパセリ。

いつもこのふたつは失敗したり、虫にやられていたんですけれど、今回は大原の苗を作っている農家の方から秘伝を授かったのでうまくいくと思います。

毎日覗く、バジルにはカマキリが…。負けないようにしないと、ね。



2004年09月06日(月) 「何故」そして「何処へ」

吉行さんの「暗室」をもう一度、最初から読みなおしました。

第二次世界大戦を子供の時に経験している世代の人にはよく、「おまけの人生」とか「一度死んでるからあとは付録」というような人がいますけれど
「暗室」にでてくる「すべてが虚しいと分るために、生きている」という吉行さんの呟き。
そしてその言葉をもたらしたゴーギャンの絵。
そして娼婦のつぶやき「ついでに生きている」。
それらがひと繋がりでぼくにある感覚をもたらしました。
人生の底が抜けている感覚…と同時にそれだけではないなにか生々しい感覚です。

(「蛇にピアス」という作品を徹底的に考え抜くと「暗室」になる。これはぼくの説ですが。)

吉行さんのクレーの絵への偏愛は有名ですけれど、「暗室」ではゴーギャンの絵が象徴的に扱われています。
それはゴーギャンを代表する大作「われら何処より来たり、何処にあり、何処にいくや」。

人生が絵巻物のように右から左へと展開しています。タヒチの民俗、風俗に素材求めています。見た瞬間、ああ、これは曼陀羅だ、と思いました。
全体を覆う暗い色。吉行さんが「死の匂いの漂っている」と形容した色はペロネーゼ・グリーンとブルーです。象徴的な女たちのポーズの背景を覆います。
夜明け前と日没後の色、といえばイメージできるでしょうか。

その絵を見ながら、柳美里さんのインタヴューを思い出しました。発売されたばかりの婦人公論の巻頭です。
一連の作品で、東由多加氏の壮絶な癌との闘いを、ともに闘い、そして自身は出産し、生きていく物語を書ききった彼女が、なんと1800枚の長編を書いたのです。それをめぐるインタヴューでした。

東さんが亡くなる前日に「…あの子の誕生とおれの死を通して、きっと観念ではない生と死を書けるようになる」と語られたと。その意味が今わかると柳さんはおっしゃいます。

そして「構想はしたけれど構成はしなかった」という小説が書かれ始めます。まるで登場人物の魂たちに導かれるように。そして自らの魂の闇に踏みこんだと、おっしゃいます。

彼女は「著者はメッセージを持たないほうがい」といいます。本というのは商品になった時点で読者のものです。どのように読まれても誤読ではない、と。
ただ問いだけが置いてあるのです。彼女によれば
「何故生きて、何故死ぬのか」という問いが。

そして彼女はそこに立ちすくんでいるし、その問いの前に立ちすくんでいる人に向けて書きたい、といいます。たぶん答えのない問いの前で。

「何故生きるのか」「どこへ行くのか」…。

「いつ死んでもいい」という地点から「暗室」へ、あるいは「魂の闇」へ歩んでいく。
小説家たちの渾身の作業は、モチーフこそ違え、一つの河のように繋がってはいないかと、感じています。

「何故」そして「何処へ」

*「暗室」吉行淳之介
*「8月の果て」 柳美里



2004年09月05日(日) 地震




久しぶりに、おっきたか、という地震が夜にありました。
京都は震度4だったけれど、妙に長く揺れを感じました。
震源地は三重沖、熊野灘になるのかな。

白浜のホテルの上の階に泊まっていた人は驚いただろうな。震度5だから相当揺れたと思う。
台風は来るし、東京は大雨だし、浅間山は噴火するし、地震は来るし
今年はほんとうにおかしい。
「異常」が常態化してきているのでは。

今、沖縄を直撃している台風も非常に強いし、アメリカのフロリダに上陸したハリケーン「フランシス」もとてつもなく強大。アメリカといえばついこないだハリケーン「チャーリー」で甚大な被害が出たところ。

地球規模でなんだか起きていますね。あまりに規模が大きいから実感は湧かないけれど、ネツトで情報を集めて組み合わせたら、世界中が天変地異にあっているのがわかるかも。

戦争や憎しみの応酬をやっている場合じゃない。足許から崩れていくんじゃないのか。そんな気がして仕方ないです。



2004年09月04日(土) 眼鏡




どうも本が読みにくいと思っていたら、やっぱり眼が悪くなってました。
で、新しいのをひとつ購入。たちまち視界良好です。

読んでる文の字が小さいですから、これは大助かりです。もちろんパソコンの画面もくっきり。こんなだったらもっと早くに作るんでした。

今日はゴザンスに197.htmlとなる作品をアップ。「草の音」という作品です。もともと「スミス、空なの」のまえに「2010年の水藍」という作品があって、さらにその前に「草の音」を構想していて、これをその時の800字の課題にあわせてつくり発表していたものです。

それを800字という設定と例の決められた三題をはずして書いてみました。
これを書きながら、昨日からよく聴いているのはUAの「温度」という曲。UAという人は歌によってがらりとスタイルが変わる人だけど、この曲は「閃光」とならんで好きな曲です。

さて198.htmlは何にしましょうか。やはりWALKXWALKからの詩にしようかと思っています。
たぶん、ひとつアンケートが入りますからそれが199.html。それと9月6日に課題が出たら、それが200.html、と。

それで一応、目標には到達します。
どうしようかと思っているのは「温かい雨」の続編。ふたりでチーズトーストを食べるところまでは書いたんですが、そこで止まっています。
集中して考えなければ。ひょっとしたらもうなにもテーマが出ないかもしれませんからね。



2004年09月03日(金) 秋かな?




ロードレーサーの前輪がクラッシュしました。
うーん、当分乗れないかも。ホイール高いんですよ。その間はMTBのトレックに乗ることになります。
近いところなら良いけれど、ロングになるとロードレーサーとは快適さも速さも比べ物になりませんからね。
参りました。

京都は昨日と今朝は秋そのままの涼しさだったんですが、今日のお昼から気温がぐんぐん上昇しています。ただ同じ30℃でも、真夏の湿気を含んだ重たい暑さではないのが救いですね。からりとした暑さです。

さて、ここのところゴザンスの編集部がなくなるために、それに合わせるようにモノを書いたり、今後のことを考えたりの日々です。
かつて書いた800字も最後の800字も書いてゴザンスへアップしています。

ネオブックがどうなるのかはまだわかりません。「光函」に続く本を出せれば、と思っています。ネオブックが駄目となると、うむむむ。

そんなこんなですが、書きながらも、本を読んでいます。
吉行淳之介さんを再読。再読といっても何回目になるのかな。…ちょっとわかりませんが「夕暮まで」と「暗室」を読んでいます。
読めば読むほど「うまい」と唸ります。もちろん技術的なことばかりではなくて、「人物」をどう捉えているのかというところは、くどいぐらい読みたいですね。さらりとした文章で浮き彫りにされていく、人と人。
その関係をどう描いているのか、注意しながら読んでいます。

だけれど、当然のことかも知れませんけれど、ぼくとの違いがどんどん、はっきりわかっても来ます。主題的なことですけれど…。
ほかにも庄野潤三さんの文庫本がどさっと積まれているし、こんど村上春樹さんの「アフターダーク」もでます。だけど今回はちょっとそんなに急いで読む気はしません。落ちついてから読んでもいいんじゃないかと思っています。

ゴザンスの作品ロットが196。197になる作品を推敲しだしたら止まらなくなっています。困ったな。200に届かない…。


そうそうロードレーサーのタイヤを買いにいったコセキのご主人(といっても同じ歳ですが)から「光函」の感想が聞けました。
「夕立三日」がとても印象に残っているそうです。いまだに残っている、と。
いやー、ありがたいです。
なんとしても次も出さなくては。



2004年09月01日(水) バロックの森

朝の音楽のお話しです。
毎朝、4時ごろから起きていますが、朝一番にするのがコーヒーを淹れるのと音楽を小さな音で流すこと。
7時ぐらいまではバッハのCDを聞いていますが、今日はNHK−FMを聞きました。
朝6時から「バロックの森」という番組があるのです。

なんとなく聴きたくなったんですが、今日はバッハの交響曲第一番とカンタータ。
なんだかラジオから聴いているというシチュエーションがよかったです。

バロックというかヨーロッパの古い音楽については、今、バッハ以前のもの、つまり古楽といわれるもの、中世からルネッサンスの頃のものに興味が移りつつあります。
ヴィクトリアだとかバレストリーナといった作曲者や聖歌です。

「バロックの森」が始まるのは6時。それまでヒリヤードアンサンブルを聞いていました。

これはまたそれだけに絞って紹介したいと思います。


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