散歩主義

2004年12月31日(金) 大晦日

大雪になりそうな午前中でしたが、午後にほとんど融けました。
変わりに思い切り冷たい風が吹いています。

何か気ぜわしい大晦日の凍てつく夜。
後30分で2005年です。

さあ!いきますか。



2004年12月30日(木) パリ・コンサート

年末から年始にかけて聴く音楽として、キース・ジャレットを選びました。

と、いうのは年末年始は結構、疲れるんですよね。
ぼくはお酒を呑まないし…。テレビはうるさいし…。
で、頭をすっきり、精神的に前向きでいくために、音楽の力を借りようという魂胆なのです。

で、まず「パリ・コンサート」
ぼくのようなバッハが好きな人間には、こたえられない一曲があります。

むろん、ソロピアノ。最初の「1988年10月17日」を聴けば彼がいかにバッハにインスパイアされているか如実にわかります。

ぼくがキースの「バッハ的音楽」を聴いたのは、このパリが初めてでした。その後、1989年に八ヶ岳高原音楽堂でバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」をチェンバロで全曲演奏していますし、その後のモーツァルトなどの録音は衆知の通りです。

音は硬質で、あいもかわらず美しいです。
ただクラシック系の人は三曲目の「Blues」になじまないかもしれないですね。こてこてのブルースピアノです。それもアーシーなもの。唸り声もびしびし。

だけどブルースなら、ブルースピアニストを聴きます。キースらしいソロとなるとやっぱり「ブレゲンツ」かな、と思うのですが。
キースのソロピアノには聴き手によってベスト盤は様々で、これだ!というのはほんとに各人各様。
それほど各作品のクォリティは高く、キースのどの面が好きなのかということでも変わってくるようにも思います。

ほんとにどれが「ベスト」なのかは難しい。
難しいけれど個人的には「ブレゲンツ」と「ステアケイス」が素晴らしいと思っています。
もちろん他のものもいいんですよ。
それに全作品を聴いているわけではないので、これからこれが代表作、というものが現れる可能性も、当然あります。
まあ、無理にベストを決める必要もないんですけれど。

この「パリ」はこれまであまり聴いていなかったので、今回聞きこんでいるというわけです。

だけど冒頭に戻って、当初の目的のためなら「ブレゲンツ」を選ぶんでしょうね。たぶん…。



2004年12月29日(水) 冬の雨上がり

朝から雨が降り、冷え込みました。
テレビをつけると東京では吹雪。それでも去年より二日遅いといいます。
そういえば去年の冬は寒かった。

今日は一日家にいて、あすいろいろと買い出しに行かねば。
といっても珈琲とペーパー。それと猫の缶詰。
年末年始に読む本。
音楽はキース・ジャレットを聴こうと思っています。
それとモレレンバウム。


昼から雨があがり、道が輝いていました。
冷たい風が吹き抜けて、道は輝きながらいつまでも濡れたまま。
近所の玄関横や庭では水仙が咲き始めています。

やっと冬らしくなってきました。



2004年12月28日(火) 誕生日に




昨日は、アメブロで書き続けている「天使形」という作品群に一編を追加すべく、うんうんと書いたり考え込んだりしていて、日記を書くのを忘れていました。

物語の舞台はできています。登場人物も決まっています。話も動き始めました。が、短い話の大事な部分を決める段になって、ここのところの「読書」が顔を出しました。「読書経験」はぼくにこう囁いたのです。

「それではあかんよ」

その囁きで、「光函」以前に戻りかけていた手法を元に戻したように思います。やはり大きな経験として、庄野潤三さん、田中小実昌さんがあります。もちろん平野さんや大江さんも夢中で読んでいましたから、底流に影響はあるはずですが、意識の上で庄野さん、田中さん、それに加えて江國香織さんの存在がとても大きいです。
詩における井坂洋子さんのように。

そういう影響はを否定しないし、そういう自分を受け入れながらものを書いていければ、と思っています。
と、いいながら書き上げたのが「ダリア畑」でした。

で、日記は書き忘れたけれど、誕生日は覚えていました。
今日、誕生日です。
「文庫本主義者」からのプレゼントが画像のPC用のアームレスト、というか見たまんまの「うで枕」。なるほど、これに慣れたら、手首や腱にはいいかもしれません。

だけど、これは「書け」と言われているような気がして…。



2004年12月26日(日) そんな日曜日

今日は全国高校駅伝。都大路を若きランナーたちが駆け回る日。
こんな日は外に出ると渋滞に巻き込まれるので、家にいるに越したことはありません。
いつもどおりハナと朝夕の散歩は、できました。

夕方に原稿を駆動開始。
こういう作業はためらっていてはいけないですから、とにかく書いて形を作ることを肝に銘じています。
とにかく書いていないと駄目になる。最近、特にそれを思いますし。

しかし、
ここのところ、少し睡眠不足気味。よくないですね。
睡眠不足だといろんな行動や思考をとることが面倒くさくなるんですよ。
立て直さないと。

ところで、
夜のM1グランプリ。今日の南海キャンディーズはよかったです。しずちゃんの調子がよかった。ファンとしては、はらはらしたけれど。
グランプリのアンタッチャブル。まあ、あれがとらなかったら他のひとはどうしたらいいんだ、と思いました。
だけど全体的におもしろいと思ったのは、東京も大阪も若手。「斬新」なコンビがよかったです。

明日も原稿を前に進めます。



2004年12月25日(土) ハナのこととか

今年のクリスマスイヴはとても静かでした。
そしてその夜、いつもならぼくの足下の布団を折って作った「専用ベッド」で寝るハナが、ぼくの真横で寝ました。くっついて離れないのでぼくの右手はベッドから下に、朝まで垂れたままでした。

どうしたのかな。
部屋の中なのでそんなに寒くはないはずなんですけどね。
何か怖いことでもあったのかな。

夜、井上陽水のトリビュートを見ました。
UAの「傘がない」はよかったです。ドラムとベースはAJICOじゃなかったかな。

…冷たい雨が ぼくの目のなかに降る…
このフレーズ。

今日はクリスマスで、終い天神。
年がゆっくりと閉じられていきます。

これからエリザベス・キューブラーロスの番組を見ます。
ではでは。



2004年12月24日(金) 猫とか

猫がなにを考えているのか、所詮、人間にはわからないものだとは思います。

何故、暖かい小屋があるのに、その外で、震えながら涙をだして佇むのか。
何故、車が行き交い、渡れそうにもない道路を、突然渡りだすのか。
猫なりの理由を想像し、対処するのが猫好きの努め。今日も野良猫の状態をチェックして考えています。

昨日聞いた話。
日本の人口動態調査によると2500年には日本の人口は13万人になるそうです。で、これは縄文時代に匹敵すると。
大昔は海で囲まれていたから外から攻め込まれることもなかったし、縄文文化に渡来系の影響はとても少ないです。そして縄文時代ってとてつもなく長いんですよね。
「停滞」していたとは思いません。平和だったんだと思います。
2500年にはどうでしょう。いろんな人種の坩堝になっているかも。
人類そのものもどうだか怪しいものですけれど。

さて、うちの猫たち。
寒くなったから、朝も布団から出てきません。
そのまま掃除をするんだけど、猫や犬を飼っている家では拭き掃除をしてからでないと、掃除機の風で細かな毛が舞い上がってしまって駄目なんだそうです。それは経験的によくわかります。

今度サンヨーから、拭き掃除と一体になった掃除機が発売されます。ぞうきんがけの手間が省けるから、売れるんじゃないかな。それとペットを室内で飼っている家庭には朗報かも。
クイックルワイパーのウエットでざっと拭き掃除をして、大きな塵を後から掃除機で、というのがうちのやり方。それが一度にできるというんですから。

蜜柑醤の話。
蜜柑の皮で作る一種のタレです。テレビの番組でボケの特集をしていて、様々な角度から防止策を提示していました。そのなかの食品の話。
今までは細胞の活性酸素による酸化を防ぐ食品が紹介されていました。もちろんそれも重要だけれど、血液や脳にかかわるものは不明だったのです。それが一度酸化してしまった赤血球をクリーンにする物質が最近発見されたのだそうです。
それがキサントフィルといって「黄色い食品」に含まれている、と。

この時期一番摂とりやすいのが、蜜柑。しかも皮には実の三倍も四倍も含まれているといいます。これを食べるために紹介されていたのが中華料理で使う「蜜柑醤(みかんじゃん)」。家庭でも作れるというのでレシピをメモし早速作りました。

レシピ:�〔�柑の皮二枚をみじん切りにする。
    ��熱いウーロン茶に混ぜ入れる。
     ウーロン茶にこだわる必要はなくて、緑茶でも麦茶でもいいです。ぼくは紅茶にしました。お茶の量はテレビでは25ccになっていたけれど実際には少なすぎたのでうちでは125ccで作りました。
    ��みそ100g、豆板醤小さじ 1+1/2、砂糖50g、を入れよく混ぜる。数量は好みで調整を。砂糖を多め、というのがポイント。
    �い瓦淕�大さじ1、醤油大さじ1で味を調える。

あと、うちでは瓶詰めにして冷蔵庫で保存しています。生ものだからさっさとつかったほうがいいんでしょうね。

実は番組ではふれていなかったけれど、蜜柑の皮は漢方では「陳皮(ちんぴ)」といって昔から使われていました。

理屈から説明すると、酸素を運ぶ赤血球が酸化すると脳に運ばれる酸素量が減り、活動が鈍くなる、と。するとその小さな傷害を放置しておくと、症状は進み、ボケに通じるというわけ。
若い人もぼけるらしいから用心した方がいいよね。

今朝はボイルしたブロッコリーにかけて食べました。これがね、結構いけるんですよ。おすすめです。
このキサントフィルという物質はビタミンCのように、蓄積されずに毎日、刻々と壊れていくという性質のものではなくて、体内に蓄積されるんです。
だからせっせと蜜柑を食べればそれが一年分をカバーすることに繋がるでしょうね。考えてみればマーマレードもいいんでしょうね。たぶん。

体を柔らかく。というのもあって、ポイントは股関節。きっちり座禅をくむか。ヨガをするか。
頭を柔らかく。これは「そう努める」しかないですね。硬直化したら駄目みたい。

で、野良猫なんですが。
どうも一匹、風邪ひいたみたいです。困ったな。
さっき湯たんぽを交換しました。彼には夜だけでなく昼から湯たんぽを入れておいたのです。

治りますように。



2004年12月23日(木) 時雨の日

山を越えて黒い雲が進入しては、針のように細い雨が降る。
降りながら青空がすぐにもどってきて、あたり一面がきらきらと輝く。
そんな繰り返し。典型的な京都の冬です。
ずいぶん寒くなりました。

昨日はずいぶん遅くまでやらなければならないことがあって、睡眠不足気味。この時期それをやると必ず風邪をひくので、注意しています。

今日アメブロのin Paradisumに散文詩をアップしました。
だいぶここのブログになじんできた気がします。
できることなら2wayのデザインが欲しいです。

今日の作品はある週刊誌のなんでもない冬の街のスケッチのような写真を見た瞬間に書こうと思ったものです。

いつものヨガ。
やはりやるとやらないでは全然体が違います。
続くのはやはり気持ちいいからなんだと思いますけれど、体は正直です脳の思惑とは別に。

今聴いてるンデゲオチェロの「Comfort Woman」にジミ・ヘンドリツクスの「Little Wing」を彷彿とさせる曲があって、繰り返し聴いています。
曲名は「Love Song#3」ギターはドイル・ブラムホール二世。

あとボブ・マーリィとピーター・トッシュの傑作「Get up,Stand up」からのフレーズを取り入れた「Fellowship」もあります。この曲もいい。

このアルバムが出たのは去年。ちょうど今のぼくと波長があったんでしょうね。ずっとラックで眠っていたのが不思議です。

彼女の作品は他にもあって、ぼくが好きなのは「Bitter」「Comfort Woman」のような静かでパワフルな系。もうひとつ、強烈なファンクの側面もあって、そちらも凄いです。それも紹介できればと思っています。 



2004年12月22日(水) 冬の雨を想う

昼過ぎからどんどん冷えてきました。
明日の朝は相当、冷え込みそうです。

今日は掌編小説を少し前進。
このまえ、NHKのトップランナーで、吉本ばななさんが一時期、毎日一篇、短編を書くと決めて実行していたと語っておられました。
毎日「短編」!!なんと素晴らしい!!!

少しは見習わなくては、と早速一つ書きました。といっても掌編です。
書けるんですけれど、直しがこれから入ります。だからアップできない、というのはしかし情けないなあ。
とにかく毎日何かを書いてはいます。

ノート的にプログを使うのなら、どんどんアップしていいんだけども。
もう少し集中しなければ…。
今日書いた掌編は冬の雨を想って書きました。
近々アップします。

夜は「文庫本主義者」の旦那さんの年賀状を制作。何とか一気にできました。
だけどね、いろいろソフトがあるけれど、結局一番やりやすいのは、白い枠をつくって、そのなかに字も画像も自由に入れていくやり方だと思います。
ソフトって結局、「規定」だもの。

音楽。
相も変わらずンデゲオチェロ。渋いです。いいなあ。

ノートからデスクの、それも大画面とフル機能のキーボードになったものだから勘がまだ狂います。
特にキーボードの感覚があっていない。
大画面は自分で本に直接書き込んでいるような気になるときもあります。

なんだか不思議…。



2004年12月21日(火) 冬らしく

夜に入り冷え始めました。
昨日より今日。今日より明日。明日よりあさってと寒くなるそうです。
やっと冬らしくなってきました。

最近、ヨガのあるポーズを一日に何回かやらないと、体の調子がなんだかおかしいと感じるようになってきました。なんだろう、内臓感覚が敏感になってきたのかな。

禅でもヨガでも呼吸は鼻呼吸が基本です。特にヨガは吸うときも吐くときも。一部には吐くときは口でというやり方もありますが、ぼくは「両方とも鼻」を採用しています。

鼻呼吸はいろんな意味で、人を活性化するようです。
こないだテレビでマクモニーグルというFBIの超能力捜査官を紹介するテレビ番組で、透視実験をやっていました。透視する直前に呼吸に注意して瞑想状態をつくるやりかたです。これもヨガと禅の援用ですね。
なかなか好成績でしたよ。ぼくの場合は対象の輪郭にアクセスする特徴があるようです。

そうそう、その透視実験で一番大事だと思えたことがあります。
自分の感じ方を信じることです。
信じないと感度はあがらないみたいですよ。
信じる、ってほんとにシンプルにそうできればいいですよね。



音楽。
今日はマイルスのリラクシンを聴いています。いいです。



2004年12月20日(月) 穏やかに晴れた日

パソコンまわりの作業は終了。これまでのノートはサブとして使おうと思います。
年末らしく、いろんな作業が進行しだしました。といっても、つまりは「大掃除」ですが。
窓ガラス磨きと植栽の整備。サッシのレールの溝のような普段、あまり掃除をしない場所…。やることはいくらでもあります。

そんな中でも、音楽と読書と短い時間のヨガは欠かせません。
創作についてはメモから始めています。

音楽。
ミシェル・ンデゲオチェロの「comfort woman」を聴いています。最近彼女の名前が頻繁にこの日記に登場しますが、ちょうどシャーデとエリカ・バトゥの中間のようでいて、その二人よりもずっとクール。もっとファンクの要素が強い気がします。ロックの要素も(特にジミ・ヘンドリックスの影響)。
また感想が書ければ、と思っています。

読書。
夢幻の音楽とは好対照に、こちらは庄野潤三さんの「ピアノの音」を。

創作モードは「詩」から「ストーリー」へ。

明日は冬至。
寒くなるそうです。ひょっとしたら雪がちらつくかも。



2004年12月19日(日) 花のこと、XPへの引っ越しのこと。

薔薇の中でいちばん元気がいいプリンセス・モナコの蕾が開き始めた。
もうしばらくしたら剪定して、生けようと思う。

うちの薔薇は、つる薔薇のピエール・ド・ロンサール以外は全部四季咲きなのだけれど、冬に咲き出したのはモナコだけ。
全体に弱っている気がするので、きちんと寒肥を施したい。

シクラメンも実は寒さに弱い。冬の花、というのは園芸農家で12月に照準を合わせて作り、出荷してくるため。
夏にも弱い。下は5℃まで上は20℃までらしい。しかも陽を好む。乾燥も駄目。
これほど神経質だとは知らずに、なんとか越年をしてきたのは幸運としか言いようがない。
今、たくさん咲いているけれど無邪気に外に置いたままではいけないし、家の中のものも乾燥に注意しなくては。
しかも、窓際は夜に結構冷えるから、要注意。
自然状態だと厳しい生育条件なのだなあと認識したのだけれど、街にはシクラメンが溢れている。

さて、友人の好意でPCが新しくなった。問題はデータの移送。
方法を検索してみたところ、これで苦労している方が多い。
幸い新しいOSがXPなので、こちらには転送ソフトがついている。大きな容量の転送は時間もかかるし、ぼくの旧いPCにはLAN端子もついていないというぐらい旧いから、このXPのソフトを使って、とりあえず、エクスプローラーとアウトルックエキスプレスの引っ越しだけをする。
これだとFDでてきるから。
これ以外の移送はディスクに落として、のんびりやってもかまわないし。

問題は新しいウィルスセキュリティー。パソコンが変わるとウィルスバスターはもう使えない。XPにプリインストールされているマックフィーに面倒を見てもらう。
「一太郎」のインストールもXP独特の問題が書かれていたような記憶がある。一度チェックしておこう。

改めて旧いPCを見ると、キーボードがもうかなりいかれてきている。友人が見るに見かねたというのも、わかる。
新しいキーボードは大きくてなめらか。違う機械のようだ。
モニターも全然違う。ノートから19インチなので見える世界が違う。

まったく、ありがたい。
感謝。そして期待に応えねば…。



2004年12月18日(土) 山茶花に溢れた街路

朝、冷えました。
外猫は一斉に隣のOさん宅のベランダに避難した模様。
実は隣の娘さんこそ、この冬、救世主のごとく外猫の世話をするために嫁ぎ先から通ってこられる方なのです。
幸いご主人も猫好きな上、子供にも手がかからなくなったのでしょう。

猫の世話どころか、今まで隣のベランダは半ば放置され寒々しいままでした。
それが今では、波板で屋根は新調され、床にはフエルトが敷かれ、周りの鉄の柵には毛布が幾重にも掛けられ、さらに全体を厚めの透明のビニールシートが覆うという完璧な猫ハウスとなり、その威容を誇っています。

彼女とは連日、猫の消息について語りあっています。うちのキキとチャチャの母猫でもあるキシはもうそこの「うち猫」になりました。
なんと野良猫を獣医さんに連れて行き歯石を取ってもらうという奇跡を成し遂げたのですから。

その現場にぼくも立ち会いましたが、(暴れた時の『保安』要員として)キシは全く動じず、まるで何年も飼い猫をしていたような風情なのでした。
彼女から「あなたが孤軍奮闘して世話してくれていたからやりやすいんやわ」
とほめていただきました。

とにかく猫が好き。猫が弱っていると黙っていられないとおっしゃいます。

今日もいい天気。
近所の街路は山茶花が溢れんばかりに咲き誇っています。
鳥の数も多い。
鳥類図鑑を少しずつでもそろえようかと思っています。

さてコンピューター。
要は二台のコンピューターを繋げばいいのだと気がついたんですが、シリアルケーブルがありません。明日にでも買いに行きます。
だけど98からXPへ入るのかな。ネット接続は同じだったけれど。

音楽。
ミシェル・ンデゲオチェロ。
聴くほどよくなります。
「Bitter」がでた1999年にはそれほど印象に残ってなかったんですけれど。今聴くととてもいい。
最近のものもいい。
で、朝はモーツァルトを聴いています。

「文庫本主義者」がポルノグラフィティーのファンで、何故彼らがいいのか、説明を受けました。
ぼくの感想は、曲がいい、というのと「日本語の発音がいい」ということ。

あいもかわらず読書は庄野さん。江國香織さんが「庄野文学には強烈な中毒性がある」と書かれたのがよくわかります。読まずにはいられなくなるんです。

きょうも湯たんぽ、蓄熱マットともに設定終了。入った猫が朝まで暖かく眠れますように。


明日は掌編を何枚でもいいから書きます。



2004年12月17日(金) 困った困った

京都新聞でアメブロの記事を発見する。
ミメイさんのブログでは読売新聞での同様の記事が紹介されていたから、ブログもだいぶ注目されてきているようだ。

お昼に、老朽化著しいPCが、知人のおかげで新しくなる。

が、ネットに接続できない。困った。
結局、「老ノート」で頑張ることに。
ラインがどこか違うんだと思う。それか設定ミス。

詩を二編。昨晩に書き直して今朝、投函。
このまま詩のモードに突入できるかと思ったんだけれど、PCの設定のために消えてしまいそう。
あすにでも専門家に見てもらおうと思う。

音楽はモーツァルトを聴いているうちは良かったけれど、設定にわやわやとしていて、何も聞けず。
ミシェル・ンデゲオチェロのコンフォート・ウーマンをこれから聴く。

明日の朝はこの冬いちばんの冷え込みだという。
猫の湯たんぽ、蓄熱マット、先ほどセット完了。

猫たち、早く寝るように。

ではでは。



2004年12月16日(木) 湯たんぽ





朝の散歩で鳥を注意してみています。
鳩、鴉、雀だけならそうでもないのですが、鳥の種類が豊富なもので、つい。
声がいろいろと楽しいし、神社やお寺の境内にたたずんでいる姿もなかなかいいものです。

素人ですから名前がわかるのは今の季節、ウグイスやユリカモメ、鴨ぐらい。
声のけたたましさで覚えたのがヒヨドリ。キツツキはこんこんやっていて覚えました。ロッド・スチュアートのヘアスタイルを「ウッドペッカー」といいますが、アニメではなく実物を見て納得。

御所に行けば、森に来る鳥たちの種類は飛躍的に増えるとか。
昔、ジャンを連れて御所に行っていた時もバード・ウォチャーを大勢見ました。

音楽はバッハ。そのあとモーツァルト。
読書は庄野さんを継続中。

ホームページのトップの画像を変えました。いつもは洛星高校のステンドグラスなのですが、昨晩アップしたものの、なにかしっくりしないので自分のところのツリーにしました。20�僂阿蕕い了羣拗�です。赤いシクラメンの横にはジャンの写真を置いています。

詩を二つ書きました。これから推敲です。

明日の朝は冷え込むとか。
猫たちが心配です。
画像はその猫用の「湯たんぽ」。
右から順番に、湯たんぽにお湯を入れて、隣の靴の入っていた布袋に入れ、さらにアルミの断熱袋に入れて「ハウス」にいれます。
これだと低温やけどもしないし、結構長持ちします。
毎晩9時に入れますが、今日は早めに入れました。
そのぶん朝早くに取り替えてやろうと思います。



2004年12月15日(水) とても薄い月夜に

外猫用の「蓄熱マット」を使い始めたけれど、みんな怪しんで近づかない。
充電にも一時間半もかかる。あまりよくないようだ。
湯たんぽのほうはすっかり慣れていて、くっついて寝ている。

読書は庄野さん。もうすぐ一冊が終わる。もちろん次が待っている。
詩集は蜂飼耳さんの本を発注しているところ。

音楽はミシェル・ンデゲオチェロ。彼女はベーシストなのだけれど、ギターがジミ・ヘンドリックスの影響を上手に昇華したような人なのでこれもききもの。
歌がとてもいい。静かで。

頼まれていた「文庫本主義者」の年賀はがき完成。プリントアウトして渡す。
自分のものもできた。
写真をコラージュしたもの。ペイントショップと一太郎とで作成。

今月が誕生日なので免許の更新にいかねばならないのだけれど、更新の手続きをする場所が遠い。
舞鶴とか福知山に住んでいる方は、出てくるだけで大変。一日仕事である。
日本海側にはあるのだろうか。ないとしたら、とんでもなく不便だ。

京都の運転免許更新場所は長岡京市の羽束師にある。淀川の西岸の堤防の隣。
桂川にサイクリングロードがあるのでいつも更新にはロードレーサーでいく。
途中から淀川西岸を走る。
最初、目立つかなと思ったけれど、原付の免許を取りに来る人が自転車だから全然目立たなかった。それ以来ずっとロードレーサーでいっている。
一応、予定を入れておく。今回もゴールド。

一日の最後にモーツァルトを聴く。ピアノ協奏曲26番、27番。ピアノは内田光子さん。気がつけばクラシックのピアノでは彼女のものが一番多い。
これからもそろえるつもり。ペースはかなり遅いけれども。
モーツァルトはいいなあ。

寝る前のヨガ。やると気持ちがいいので習慣がついてきた。
しめしめ。
ハナがいつも不思議そうにみている。



2004年12月14日(火) Bitter

「洋服の病院」からスウェーター2枚が「退院」。肩のところが破れていたんだけれど、見事に「全快」。買うと高いものだから、少々、「治療費」が高くても「入院」してよかった。

きょうもとてもいい天気。実は暖かすぎて京都の紅葉のベストは12月に入ってからだった、というのが大方の人の意見のよう。

読書は相変わらず庄野さん。
音楽はミシェル・ンデゲオチェロの「Bitter」。1999年のこのアルバムはとてもいい。昨晩、突然聴きたくなり、朝から繰り返し聴く。
彼女のアルバムは何枚かあるけれど、ぼくはカサンドラ・ウィルソン、エリカ・バドゥと同じぐらい大事に聴いている。

友人のお母さんから頼まれていた年賀状。パソコンで作成しプリントアウトし完成。
年賀状ソフトは「一太郎」に内蔵されているもの。ひな形があるのだけれど、その枠内で十分対応できるほど、いろいろな要素が変更可能なので助かる。
来年の干支、「酉」は手持ちのハミングバードの色鉛筆のスケッチを使う。

掌編小説をたちあげる。
「天使形」の続編。ゆるゆると。
ブログ、ブログ…。(意味不明)

クミコさんのライブの録画。
見るのはこれから。どんなだろう。
感想は他のブログに書きます。



2004年12月13日(月) 五線譜のラブレター

昼に北大路のいきつけで珈琲のブレンドを買う。
今日は美男美女のご夫妻が揃っておられた。
雨上がり。「暖かいですね」とご主人と言葉を交わす。
二人を見ていて「黄緑」につづく作品が書ける、と思った。

昨日ラジオでサントラを聴いたコール・ポーターの伝記映画とも言うべき作品は邦題「五線譜のラブレター」という。原題 De−Lovely。
サントラはエルビス・コステロ、ダイアン・クラール、ケビン・クラインら多彩な顔ぶれ。

やはりどうしてもSo in loveがいい。
歌手も気になって調べてみた。
デュエット。かたやベルギー出身のシンガーソングライター、ララ・ファビアン。もう一人がギリシャ出身の新鋭のテノール歌手マリオ・フラングーリス。

マリオ・フラングーリスのテノールは柔らかでとてもいい。ファビアンの歌はクラシックファンには不満があるだろうけれど、「感情」がいい。

読書は庄野さんを読み継ぐ。
詩は寝かせているところ。
昨日買った3Bの鉛筆でメモをとり続ける。

ブログのIn Paradisumに、作家のモトギさんがコメントを寄せてくださった。うれしい。
過去の「温かい雨」を修正しながら一日おきにアップしている。

猫。湯たんぽの入った段ボールハウスで寝ているのを朝、そっと覗いて安心。
風邪もひいていない。
薔薇の中でいちばん元気なプリンセス・モナコが蕾をつけた。
うれしい。
他の薔薇たちは肥料やりと土替えをしなければ。

パンジーとアザレアが多いので、赤の一群と黄と白の一群とにわける。
今年は綺麗な前面。もう少し増やしてもいいかな。

ハナ。ぼくがパソコンに向かっているのをしみじみと眺めるので、早めに寝室を暖めて先に寝かせることに。きょうはうまくいった。

夜、友人と「にんじん」を見る。
何とも「フランス的」だなあと感想を述べあう。
日本だとああいう終わり方はない。個人の生き方を貫くために、切られたら切り返す。きっぱりと。我が道を行く。
「嫌いになったのはお母さんが先だ」とにんじん。
「背を向けたのは彼女のほうだ」と父。
この二人の言葉が、核になっていると思った。

実は重いテーマだけど、映像が美しく、アコースティックギターの音楽が「軽くて」よかった。

深夜、クミコさんのコンサートがBSで放映される。明日も早いのでビデオ録画。
明日も3Bの鉛筆を握る。



2004年12月12日(日) 新月

昼間に自転車で買い物。
千本まで。「五辻」で「らうす昆布」をふたつ。七本松の「とようけや山本」で豆腐二丁とお揚げ五枚。それから白梅町でハナのフード。

グレート・ピレニーズのジャンが亡くなってフードの消費量が激減しました。
以前は9�埖泙魴遒貌鵑槌召世辰燭韻譴鼻▲魯覆世韻砲覆辰藤坑娃娃臑泙�なくなり次第に買うというふうにしました。
ジャンが亡くなってから今日まで残りを食べていて、新しく買ったのはそれ以来初めてのこと。
小さい袋でこまめに買うようにしたのは、そのほうが劣化が防げるから。

 クリスマスの飾り付け。
ジャンの写真の横に小さな白いツリーを一つ。何故かハナがよく横にいます。

 ラジオでこんど公開されるというコール・ポーターを題材にした映画のサントラを聴く。
 さすがにスタンダードの王様だけあって、曲は素晴らしい。
 何人もの歌手が出演しているよう。
 今日聴いたのでは、Love for saleとSo in loveが素晴らしかった。特に後者。
これは手もとに置いておきたいです。

 読書。
 庄野潤三さんをずっと読み継いでいます。手に入る全作品を読むことにしました。手もとに文庫で手に入るものはすべて揃っています。
ほかに今発注しているのは伊東静雄氏の著作。


 今夜は新月。
 終わりきり、そして始まる夜です。
 夕方から雨が本降りになりました。

 



2004年12月11日(土) 北野天満宮の梅

早くも開花した木があるそうです。
暖冬の影響ですね。
どんな早咲きでも咲くのは2月の終わりごろですから
異常です。

京都新聞の大嶽秀夫氏(京大大学院法学研究科教授)の長いコラムを、興味深く読みました。
書かれていたのは「断言の空恐ろしさ」について。


詩をなんとか書き上げることが出来ました。
明日にでも送ろうと思います。

詩を書くのに、とにかく独りで集中する時間と場所が必要になってきました。
以前なら、横で人が何をしていようが、猫や犬が大暴れしていようが書けたのですけれど、もうそれではできませんね。

今回は社会にコミットしようとした詩です。ぼくとしては珍しいことですが。



2004年12月09日(木) 日没がいちばん早い日

冬至は12月21日ですから、一年で日中がいちばん短い日はまだ先ですが、日没がいちばん早いのは今日でした。

京都では午後4時半過ぎに日が沈んでいったと思います。
ということは冬至まで日の出がさらに遅くなり続けるということですね。

ずっと冬至が過ぎてから、日の出と、日の入りとどちらから「回復」していくのかと思っていましたが、日の入りからのようです。
ニュースソースはラジオの気象予報士さんでした。
どちらにしても日没はこれ以上早くならないわけです。

今日は詩に集中するはずだったんですが、コンピュターに集中する羽目に。
なんとか今日中にケリをつけました。

ホームセンターや種苗店でははやくもバラの大苗が出始めました。
白薔薇の苗もでているようです。
チェックしておかないと。

音楽はプリンスからシールへ。
walk on by…。

インフルエンザも流行りはじめたようです。
気をつけないといけないです。
ではまた詩に戻ります。

ではでは。

追伸
「みりん」を10回言ってから、鼻のいちばん長い動物を述べてください。





2004年12月08日(水) スケッチ

詩を少し前進させました。
音楽はプリンス。
気がついてみるとこの人の音楽もデヴュー当時からずっと聴いています。

京都新聞の「創作の流儀」は小川洋子さん。
小川さんの作品はフランスで高い評価を得ていて「薬指の標本」がフランスで映画化されました。

そんな小川さんの「書き方」は舞台となる「場所」や「家」から入っていくことだそうです。
それを細かいところまでイメージしきれないと書けないとか。
ただし「博士の愛した数式」だけは少し違うそうです。

ここ数日は詩作に集中します。
ヨガのおかげで体よりも先にアタマのほうがクリアになってきました。
呼吸法、恐るべしです。

詩は集中力と粘り。
ぼくの場合それにつきます。
…あらゆる意味において。



2004年12月07日(火) 穏やかな日ざし

日中は穏やかな冬の晴れ間がひろがりました。
町内に月に一度、ミニバンに乗った「刃物研ぎ屋」さんが店を開きます。
今日はその日。
店の出るお寺の山門前のスペースに、包丁やら剪定ばさみが町中から集まります。
メニューはそのほかに「合い鍵づくり」と「靴底修理」。
朝の9時から夜の6時過ぎまで、一人でフル回転されてます。
街のみんなに重宝されています。

昨晩も文庫本主義者の旦那さんと夜の散歩。たぶん今夜もいっしょです。
二人の散歩コースに洛星高校の前も入っていて、去年紹介したクリスマスの「光る木」が今年も暗い夜に輝いています。

洛星高校のダバティ校長は今年から理事長になられて、あまりお会いできなくなりましたけれど、こないだ久しぶりに出会いました。
実は以前から犬の散歩を通じての知り合いなのです。彼は柴犬がなにより大好きで、柴犬のキキをつれていて、こちらにはもちろジャンとハナがいました。
ジャンのことを告げるととても悲しんでくれました。
やんちゃだったキキもすっかり大人になって、ハナとなにやらお話ししてました。

まだまだ暖かな夜です。
去年のようなクリスマス寒波がくるのでしょうか。
今年の締めくくりとなるような作品を書こうと思います。
詩と掌編小説と。
それが今年最後の課題です。



2004年12月06日(月) 「光の花」

「光の花」という作品をアップしました。
「光の花」へ


「天使形」の続編です。「天使形」という作品からはじめた掌編小説の連続も繋がりが伸びてきたのでナンバリングをつけていこうと考えています。

今日は思ったほど寒くなりませんでした。猫たちも犬も元気。

昨日から簡単なヨガをはじめました。体が硬いのが気になるのと、腕の痺れが全く治らないので。

ヨガも基本的には呼吸法なんですが、ほとんど禅で指導されているのと同じです。
空いた時間に出来るようにシンプルなポーズにしました。
「ポーズ」。つまり「静止」が重要な要素なんですね。

体さえ健康ならば何とかなりますから、お金のかからないヨガをこつこつ実践していきます。
とにかく病気にならないことがこれから大事だと思うので。

鈴木重子さんの「かぜのみち」がいいです。平原綾香さんの「ジュピター」も今日は聴きました。

音楽鑑賞の方法として業界ではすでにCDという媒体は古いという認識が拡がっているそうですね。ipodや配信が当たり前になりつつあって、あとはレンタル。
80年代のメガヒットというのも異常だと思いましたけれど、今は変化の時代であることは間違いなさそうです。

これだけ配信の媒体や録音のテクノロジーが発達し、どんな音でもできて、どんな音でも商品になる時代になると、より価値を高めるのはライブだと思います。
ライブだけは加工するにしても限界があります。テープ流したり口パクでも、聴いてる方は敏感だし、どうしようもないものはどうしたって露呈してしまう。

その場所に行かなければ聴くことが出来ないという流れと、どこにいても誰でも楽しめる楽曲という組み合わせになっていくのでしょうか。

パッケージからこぼれるぐらいのオーラを持った人の時代になるような気がします。
と、いったところで今までだって実はそうなんですけどね。





2004年12月05日(日) 北西風が吹いた日

昨晩の雨は、嵐となって東海、関東を襲った模様。
雨の上がった西日本には北西の風が吹き始めました。
天気予報の最低気温はたいてい午前六時頃に記録されますが、そうでない日もままあるようで、昨日はテレビで予報士がわざわざ「ことわり」を入れていました。

『朝まで気温は下がりません。雨が上がって北西の季節風が吹き始めてから気温が下がっていくでしょう』

ということは最低気温はたぶん夜になりますね。

友人が大原の朝市でみつけたというミニシクラメンを4鉢もプレゼントしてくれました。赤と白が二つずつです。
また花が増えました。今年の冬は花が多いです。
うれしい。

明朝はかなり冷え込みが厳しそうです。
はやめに暖かくしてやすみましょう。
ハナが待っています。

鈴木重子さんのオーヴァー・ジョイを聴いています。スティーヴィー・ワンダーの名曲ですね。


ではでは。



2004年12月04日(土) 雨が降り始めて

昼過ぎぐらいから、ぽつぽつと雨が降り始め、夜に入りしっかりと降っています。
早朝の犬との散歩の時にいつも顔を合わす、角の牛乳屋さんと今朝も言葉を交わしました。

いつも決まって気温の話をします。
寒くなった、暑くなった、今日はマシだ、などと。
だけど今年いちばん多かった台詞が「なんだかおかしい」。

台風の多さや異常な暑さがその理由。こんなんではなんかおきるで、といっていたら新潟で地震。最近もなにかおきるぞ、と合うたびに語ってきます。

おとといの夜中、京都で震度3。昨日京都の北西、亀岡市で震度1。
京都や近畿地方だけでなく、日本全体がなにか落ち着きがないように揺れています。

「暑さ寒さ、雨の量」以外に、牛乳屋さんが何かが起きる理由として、今日はじめて言った言葉があります。
「人の心も荒んでいるし」。

だから、なにかおきるのだそうです。

夕方、一人だけの晩ご飯になったので、近所の独りでやっている総菜屋さんへ。
煮豆とかミンチカツと鶏とこんにゃくの炊いたんなどを買いました。
そこのおばさんが珍しくぼくを引き留めて言うのです。

「最近は、自分が正しいと思うからそうした、とか常識的な道徳に照らして正しいと思ったからそうした、というのがあれへんねんね。10人いたとして7人が『正しい』ゆうたら、それが正しいことになるんやね。だからそうした、ってね」

「怖いことやね」
ぼくから出た言葉はそれだけでした。

庄野潤三さんの「貝がらと海の音」を読んでいます。
鈴木重子さんの歌う「スカボローフェア」がとても綺麗です。

新しい作品を書こうと思います。



2004年12月03日(金) 「庄野体験」

アメーバブログに感想文『「庭のつるばら」を読んで』をアップしました。
in Paradismへ


ぼくの読書は乱読です。系統立てて読むことをあまりしません。だから森敦さんの「読書リスト」などを読んだりすると、ああこういう繋がりがあるのか、と感じ入る始末です。
 学校で専攻していたといっても、ほとんど授業に出てないで音楽ばかり聴いていたから、乱読はそのころからの癖です。それに仕事が忙しくなったり「病気」をすると本も読まなくなりましたしね。

 本が嫌いなんじゃなくて、そのころ何を開いても読む気にならなかった。ほんとうに一部の詩人の詩集ぐらいしか読めませんでした。ぼくが「小説」を再び読み出したのは村上春樹さんの作品を後輩から借りて読みだしてからです。そしてローレンス・ブロック、吉行淳之介さんの「驟雨」…。
それからあとはとにかく乱読が復活しています。

 だから、ずいぶん遅れた読者です。吉行さんと並ぶ「第三の新人」と呼ばれた人たちの作品群を読みだしたのもずっと後になってからです。今、いちばん読みふけっているであろう庄野潤三さんも、そのかたたちとおなじに称されていました。

「庭のつるばら」は庄野さんの今のところ、いちばん新しい文庫ではないかな。平成15年2月1日発行です。
 とにかく気が休まります。ほっとします。

 最初は文体というか、構成のスタイルにとまどいましたけれど、それになれるととにかく、すっぽりとはまりました。
 江國香織さん曰く「庄野文学には強烈な中毒性がある」。
まさにそのとおり。

 しかし、「庄野体験」。得難いです。
 いいです。



2004年12月02日(木) 晴れた12月の日



嵯峨野の最深部です。


早朝の曇天が嘘のように、空はみるみる晴れ渡り昼頃には雲一つ見あたりませんでした。

友人からいただいた柿を「干し柿」にしています。初めての経験です。今のところ順調。

本はたぶん、どっぷりとはまるであろう作家の文庫を横に積んで、予想通り、やはりどっぷりとはまって読んでいます。

「サカタのタネ」から「家庭園芸」の2005年春号が到着。薔薇に芳香の強い白薔薇があって、検討中。
それと薔薇の肥料を買おうと思ったけれど、高価なものなのでホームセンターでその都度買うことに。

光が溢れて、花たちが輝いています。今週末は雨模様のようなので、たぶんその時に散るものもあるでしょう。薔薇は最後の花を切り、これから「冬越え」に入ります。

風邪が流行りだしたようです。周囲で寝込む人が出てきました。鼻からきて、熱が出ます。

無理は禁物ですね。



2004年12月01日(水) 「森敦との対話」を読んで

読み終えた直後の感想は「ざらついた感じで覚醒した意識のよう」になった自分がいた、といいましょうか。

時間軸で説明すると、佐藤富子さんが、森敦らの同人誌に参加し、森に出会い、妻に出会う。それからつきあいが始まり、創作の援助から生活の援助までを彼女が果たすようになり、やがて森が小説の執筆に力を入れ始め、それを引き金にするように妻の様子が変わり、入院。小説の注文が入り、そして芥川賞を受賞。佐藤富子は森夫妻の養子、森富子となり、そして妻が逝去する。
まさにその「逝った」という言葉でこの小説は終わります。

「月山」という作品の成立と評価を物語のピークとした評伝小説。
そこにいたるために失われたといっても過言ではない森暘という女性の存在の余韻が読後もずっと響き続けています。
富子さんの筆致は冷静に森敦の弱さ、狡さ、旧さを、その才能の天才ぶりとともに、隠さずに指摘しています。たんなる礼賛ではありません。ことに女性に対する態度はばっさりと切り捨てています。
ただ、それを乗り越えてでも小説を書かせたいという富子さんの執念に似た気持ちと森敦の才能への惚れ込みようも、はっきりと伝わってきて、それでさらに緊迫感を持って読んでしまったのでした。
緊迫感。
つまり、書かないでは済まされないぞという気持ちが溢れているように感じました。

何度も登場する作家、小島信夫の小説にかける凄まじいまでのエネルギーや、集中しきった森敦の描写などが、作品を引き締め、「ものを書くということ」について否が応でも考えさせられました。
逆説的に言うのなら、そうまでしなければ小説は書けないのか、ということも。
尋常ならざる真摯さ、ということをもちろん認めた上で。
森敦というかたは、才能もさることながら、(本書によれば)そのたゆまぬ努力こそ、さらに、さらに賞賛されてしかるべきだと思いましたから。

まるで日記から引用しては続いていくような小説です。
たぶん読書慣れしている方なら、一気に読めてしまうでしょう。

書くことは読むこと。
読むことは書くこと。
その反復のことも思いました。
しかし技術論については、とてもではないですが感想は述べられないです。
ただしっかり読み取るのみです。

しかし、立ち止まること、駆け出すこと。見えること、見失うこと。生まれるもの失われるもの。そんな渦の中の人生を思いました。

だから、森敦の文学理論云々よりも、この本を読み終えたあとに、どんな物語や小説を書くのか。そのことがとても大事に思えた一冊でした。
心の一隅に、微かながら森敦の生き方に、反発とかではなく「自分は違う」という自分がいたことも正直に書いておきたいと思います。
考えてみれば当然のことではありますが、そう意識せざるを得ないほど没頭して読んでいました。


*「森敦との対話」森富子・著 集英社  


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