後15分で年が変わります。 ことさら年越しを意識するわけではないけれど 時間の大事さが、年を追うごとに身にしみてきています。
大晦日。 山本Kidの時代になったということ。 それがいちばん感じたこと。 いつも強烈な男だけれど、今日ほど強烈に感じたことはなかった。
音楽は Kidの試合の前に唄った矢沢永吉。よかった。
あと七分。 じゃあみなさん、来年、また。
慌ただしく一日が過ぎていく。 家の近くの古刹をのんびりと散策している老夫婦などを見ていると 自分たちはいったい何に忙しいのか不思議になる。
玄関外の石段をぞうきんで拭き、小さな注連飾りをつける。 屋根の上からこちらをのんびり眺めている野良猫たちもみんな元気だ。
夏目漱石の詩を読む。俳體詩というスタイル。試行錯誤の末に素敵な詩に到達していく様子が全集だからこそわかる。 源兵衛さんが練馬から馬で大根をもってきてくれるという詩。 おおらかで遊び心があって急所を掴んでる。 うはははと笑ってしまう、とてもいい詩。さすが、である。
谷崎潤一郎「月と狂言師」から「磯田多佳女のこと」を読み出す。お多佳さんは夏目漱石と因縁、浅からぬ方である。祇園の「文学芸妓」と呼ばれた人だ。 漱石全集の日記や手紙にあたって、漱石とお多佳さんの関係を思い描いていたのだけれど谷崎の記述はとても詳しく、さらにふかく思い描けそうである。
京都には彼女の研究をなさっている方も幾人かおられ、そちらの本にもあたってみたい。
いつになく文学まみれの年末だ。自分の表現が音楽ではなく文学である以上、もっと意識的になりたいと思う。もっともっと。
京都市発行の「市民しんぶん」の年内最終版のコラムが白川静先生だった。白川さんは現在、桂の東のあたりに住んでおられる。散歩のコースに桂離宮がはいっているのだけれど、その西側にあるほとんど知られていない御霊神社にもよられるという。京都に他にもいくつかある御霊神社は皆、荒ぶる魂の安寧を願いたてられた、平たくいえば謀略により殺された人の怨霊を鎮めるためにたてられたのだ。 桂の御霊神社ももちろんそうだ。実は桂離宮造営のきっかけにも権力闘争に敗れた皇族がいる。白川さんはそういう人への視線を語られる。 とても優しいことばで。
明日は大晦日。明日も忙しくなるだろう。
年末ではあるけれど、一月からの本作りのプランに熱が入ってきました。 ふと「光函」のことで頭がいっぱいになったまま年を越したことを思いだしたりもしています。
それとは別に田川ミメイさんがサイトを起ち上げられました。 ネット上の自らの作品を集めたライブラリーも完備。 そちらからも触発されています。 ブログ全盛のような状況だけれども、ブログはやはりサブであって、サイトの運営がメインなのではないかなと思ったのです。
特に画や文章などの作品を創るものにとっては、作品をページできちんと見せることのできるサイトは不可欠かつ基本なのでしょう。 ブログサービスのサーバーが不安定になるたびに増殖してきたぼくのブログも整理していきます。 各ブログに散らばっている作品をひとところに集める作業です。コピーして移動するだけでもある程度時間はかかるけれど、やらなければならない時期だと思います。 幸いぼくには元々のサイトがあるので、そちらをリニューアルしていこうと思います。少しずつコンテンツを手直し中です。 (今調べている段階なのですけれど、ホームページビルダー10がとても気になる性能になって発売されているのです。ヴァージョンアツプを検討中。 オンラインショップも簡単にできるとか。これは「産直出版」の人間にしてみればかなりそそられます。)
特に今まで作品を載せてきたアメブロでさえも、運営されている側の作家・山川健一さんが
…今のところ、ブログが対応しきれているのは、エッセイまでだとぼくは思います。いろいろな制約から、ブログで小説を読ませるのは難しい気がします。…
と述べられているように、作品を見せるのにはある限界を感じています。それならば以前同様に、サイトに一つ一つアップしていく方法に戻るべきかな、とも思うわけです。 まして誰もが本を制作できるノウハウが徐々に積み上げられてきている現在、作品を発表する上でのブログの意義はどこにあるのでしょう。
作品を素早く読んで頂き、ダイレクトな感想をいただくことがブログの魅力だとしたら、ブログからサイトへの誘導ということではどうでしょう。 考えることがたくさんあります。
とりあえず総花的に展開してきたサイトですけれど、「書いたもの」を中心に再編成しようと思います。
気ぜわしく年末が過ぎていく。今年は寒さが厳しい。 谷崎潤一郎「蘆刈」「春琴抄」再読了。
語りながら書かれていると観じて読む。特に「蘆刈」。 この作品には私家版があって、それは谷崎直筆の毛筆で書かれたもの。 日本の古典文学と同じスタイルをあえて昭和という時代におこなった。
「蘆刈」は地の文と会話の文が融けあっていく。そして渦となり、夢まぼろしのような結末に行き着く。語り手が消えていくのだ。これは能ではないかと読後に感じた。
「春琴抄」は有名だけれども、今回は雲雀が飛んでいくヴィジョンを思い描いた。そして佐助に寄り添うように読んだ。これも「語りの小説」である。
家をがさごそと捜したら近代日本文学全集がまだあった。昭和30年代のもの。早速谷崎の巻を取り出し「刺青」を読んでしまう。 次は「細雪」。もう一度読もうと思う。
ぼくが彼の作品でとことん感心するのは会話の美しさと文章のリズムである。 短い作品にもすぐれたものが多く、これは全集にあたらなければ手に入らない。
今日、たまたま古書店をのぞくことがあったので全集を捜してみたら、例の「森鴎外全集」と「永井荷風全集」がそろっていた。 思わず手が出そうになった。谷崎全集はなかった。
今日、年賀状をだした。
きょうは年末にすませておかなければならないことを処理。 特に各種の支払い。これであちこちに行く。それと年賀状。 そして大掃除。今日は網戸。
そして「遠い鐘」 7で終了。 これがいちばん気がかりでした。
明日からは細々としたいろんなことをやらねば。 だいたいこんな時に春琴抄を読んでていいのかな。 …いいことにしよう。
それはわからない。 だけどハワイの音楽が好きだ。 特にケアリ・レイチェルが好きで、今日は何度も何度も聴いていた。
小説もそうだけれど、音楽も「あわない」と何を聴いてもつまらない。 苦痛にすらなるでしょう。
食わず嫌い、聴かず嫌い、読まず嫌いなんてのもあるから、一度はためしてみないと自分の好きなものかどうかはわからないんだけれども…。
車谷長吉さんの「雲雀の巣を捜した日」を読んだ。文士の意地を知った。読んでよかった。 波瀾万丈の人生にはぼくとだぶるパターンの経歴が所々にあったりする。 土地の名前とか職業とか…。 苦く感じる言葉もあるけれど、この方は優しい方なんだと思う。 この本の文脈でいうならば、ぼくの場合夏目漱石全集が目の前にどんっとあるという巡り合わせを大切にしようと思う。岩波書店版の素晴らしい装丁の全集。このような本は「めぐりあわせ」でもなければぼくは買うどころか手にすることもできなかっただろう。 せいぜい図書館で読むぐらいだったか。それも怪しい。
文士を志し、しかし先立つものに恵まれなかった頃の車谷さんは図書館でいくつかの全集を読破する。 文士を志すのなら全集を読み給えという小林秀雄の著作からの言葉に忠実にしたがうかのように。 図書館で八ヶ月かかって筑摩書房版の「森鴎外全集」を読破されたという。
(しかしその前、慶応大学二年の夏休みに「芥川龍之介全集」を読破されている。)
ほかに「樋口一葉全集」「夏目漱石全集」、並行して「和辻哲郎全集」。 全集だから小説作品だけではない。エッセイ、日記、書簡、断簡零墨に至るまですべてである。これを図書館から借り出してすべて読み進めていかれたのだ。
その点、目の前に「夏目漱石全集」があるぼくなどとてつもない幸せものといえるだろう。 一巻から読むべきところなのだろうけれど、「夢十夜」「虞美人草」書簡、日記、小品と搦め手から読んでいくというところが、ぼくのひねくれたところというべきか。
最近は全集も絶版になるのが早くてこつこつあつめている「吉行淳之介全集」などが書店の棚にあったりすると大喜びしてしまうのだが。 それにしても高価である。 他にあつめているのは「須賀敦子全集」がある。
さてそこに谷崎潤一郎がくわわった。だけどもこればかりはとりあえず手に入る文庫を全部手に入れるという方法でいく。 やはり高価なのだ。中央公論社からでていて一冊4893円。全31巻。 しかも在庫だけが頼り。巻によっては版元にも在庫がなくて古本屋で探すしかないものがある。 まずは文庫ですべて読破していこう。
「遠い鐘」 6をアップしました。
晴天の休日。 京都は全国高校駅伝と終い天神が重なり、街は少しにぎやか。
車谷長吉さんの「雲雀の巣を捜して」を読み継いでいます。 独特の播州弁そりまんまの語り口と形容詞と副詞の少ない文体でくり出される、苦い言葉の数々に立ち止まっては自分のことを考えています。
昨日から寝不足気味。 いくら知らん顔をしていてもハナはずっと横にいるわけで、やはり犬を見殺しにする文士殿には、ぼくはなれません。 ハナのためにも早く寝ます。
谷崎潤一郎は全集を読むことに。漱石全集もまだ読んでいる途中ですが。
ではでは。
am5:30 30分起床が遅れる。休みの日だから。だけど掃除と珈琲はいつもどおり。
am6:20 ハナの散歩。このころはまだ横殴りの雪が時々降した。だけどぜんたいに気温は高く、新たには積もらず。ここから一日雪は溶けていき、昼過ぎにはおおかた溶けました。ただし日陰はダメ。 東西の通りの南側は特に。
am8:00 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、芹と三つ葉と朱ほうれん草の胡麻和え。
●正月を目指してのお買い物。五辻の昆布、関東屋の白みそ、とようけ屋やまもとのお揚げ、ゴールデンコーヒーのスペシャルブレンド。買い込んで帰る。ところが 家を目前に、滑ってこけかける。くしょうくしょう。
正午 昼食。北海道で大人気というスープカレーを食べる。なかなかいいじゃありませんか。
●「雲雀の巣を捜した日」車谷長吉・著が届く。この本をたのしみにしていました。車谷さんの「文士としての覚悟」を読みたかった。 谷崎は読み続けますが車谷さんも並行して読んでいきます。
●クリスマス。 今年はジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」という編集盤がでていてそれを聴きます。 それとブルースハープのジュニア・ウェルズ。長いこと待っていたデルマークレーベルのCD化が始まって大喜び。
●高校の途中から聴きだしたブルース。 サニー・ボーイ・ウイリアムスン、ジュニア・ウェルズ、バディ・ガイ、キャリー・ベルなんかがアイドルでした。 どちらかというとアーバン・ブルースのほうを聴いていたかな。 このころの京都はブルースを聴いてないとね、というかんじだったな…。
●とまれメリー・クリスマス!!!
昨日の夕暮れに雪が少しだけ溶けかけて、そこを車やら人がこねくり回してぐちゃぐちゃになった路面を目撃してから夜の闇が下りたのでした。 今朝、それらがそのままの形で凍りついていました。
今日は一日中太陽が顔をだしていたので、日の当たるところはどんどか溶けて、乾いていったけれど、東西に延びる通りの南側はまったく溶けず、昼過ぎにやっと緩んできたくらい。家の日陰の部分は凍ったまま。
さて、溶けてきた雪の中には折れた植物やらゴミが混ざっていて、それを片付け、掃きだしてと大忙しの後始末。 なんとか夜の再凍結までに家の前から雪を排除しました。
昼過ぎに竹林柚宇子さんの個展の案内が届きました。 なんと大晦日から1月17日まで。 場所は大丸京都店6階美術売り場アートスボット。 関西在住の方、是非どうぞ。
あすはクリスマス・イヴ。 ぼくにとってはジョン・レノンを聴く夜です。 今日はクミコさんの「愛の賛歌」を聴いていました。 夜に入ってD−51を。
「遠い鐘」 4をアップしました。
朝6時、ハナと散歩に出るころには窓越しに黒々と輝く路面が見えていて、これは濡れているだけだと思って外へ出たのですが、それは濡れているのではなくて氷が街灯に光っていたのでした。
ぼくらは氷の上を滑べりながら歩き、なんとか朝の散歩を終えました。その直後から一散に雪が降り出し、何度かの小休止をしながら一日中降り続きました。なにしろ凍った路面ですから積もること積もること。
その結果、12月の京都市内としてはなんと10年ぶりの大雪に。 一日中、雪に振り回されることになりました。 夕方の散歩ではハナが大喜び。雪の中を駆け回りました。
創作はできず。明日アップします。
そうそう今日は冬至でもありました。かぼす入りのお風呂にざぶん。 明日も寒さは続きます。 夜になって、外の道路はがちがちに凍てついています。
am5:00 起床。珈琲。 そして掃除。
am6:00 ハナの散歩。寒いのか眠たいのかハナが散歩を早めに切り上げる。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、こ゜はん、じゃこと切り昆布とシシトウの炒め煮、トマトとタマネギのサラダ、焼きお揚げに大根おろしのせ(つまりエレベーター)。ヨーグルト。
●年賀状を印刷。あて名も書き始める。
正午 パンとヨーグルト。
●「遠い鐘」 3をアップする。
pm17:00 ハナの散歩。空がにわかに曇り始めて、その雲がうすら明るい。まるで雪起こしの空だ。
pm18:00 キムチチゲ。ここのところ鍋が多い。鍋はいいです。野菜がどっさり食べられる。
●笹川敏幸さんの「レクイエム」を聴く。 心から鎮魂を願う時、必ず聴きます。
●大寒波到来とか。明日の朝はどうなっているだろう。
今日は寒気も一服。 寒いけれども穏やかな日でした。
「遠い鐘」の2をアップ。
アップとは別に原稿をさらに進めました。 素敵なグリーティングカードと励ましのメイルをいただき、それぞれにお返事を。
谷崎潤一郎を読み進めています。驚くべきこと多し。 車谷長吉さんのエッセイを発注。覚悟を決めるための一冊です。
今日はばたばたしていて、食事も不規則に。 朝は昨日のきりたんぽの残りを。昼はブルガリアヨーグルトとパンいくつか。 夜は伊勢丹で買った餃子と中華まん。お歳暮でいただいた「長崎チャンポン」。これがまたおいしい。ありがとうございます。
やはり書き出すと、精神がぎゅーんと帆をあげるように起ち上がります。 年末ということもあり、短い話になりますが全力で。
am5:00 起床。珈琲を淹れる。外は真っ暗。雪は少し残っていて、凍っているのが街灯の明かりでわかる。掃除をさっと。
am6:00 ハナの散歩。なるべく凍っていないところ和選ぶけれど、つるつると滑る。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とワカメのみそ汁、小松菜とお揚げのたいたん、納豆。ヨーグルト。
●久しぶりに掌編小説「遠い鐘」の一回目をアップ。
正午 昼食。カレーライス
●文庫本主義者の古くからの友人の娘さんが、東京新橋で芸者として大活躍されていることは、この日記でもかつて書いたことがあると思う。 名前を姫千代さんという。
その友人、つまり姫千代さんのお母様からとても貴重なプライベートDVDが届いたからみせてあげる、ということでDVD鑑賞。
以前から美しいと言いつづけてきましたが、なんというか全然癖のない、素の美しさ。踊りを二つ。
長唄で「浅妻船」、もう一つは清元で「鞍馬獅子」。 それとこれは貴重なお座敷での踊り。これは異例中の異例。 プライバシーもあるので詳しくは紹介できませんが、いや全く素晴らしい。 いるだけで輝いている、そんな方です。
たぶん新橋一でしょう。祇園にもよく呼ばれていて、近々、京都に来られるとか。その時は文庫本主義者も会いに行くそうです。 彼女が芸者になる種をまいた張本人のような人だから……。
新橋の料亭なら「金田中」。 東京在住の方、一度いかがでしょう。 とにかく人気があって先約が詰まっていますから、簡単にはいかないと思いますが。
pm17:00 ハナの散歩。すっかり雪は溶けたけれど風は冷たい。
pm18:00 夕食。きりたんぽ
●谷崎潤一郎を読み、姫千代さんを観、掌編小説の終わり方をお風呂で考える。ぶくぶくぶく。
午前五時、いつもどおり起きようとして表の通りから音が聞こえないのに気がつく。音とは車、鳥、人、猫など。 これはひょっとしたら、と思い障子を開けると、街には雪が。
このころは凄い強風で乾いた雪が横殴りに。それでも午前十時のころには風もおさまって晴れ上がり、外にでると目が痛いほど。
朝食もいつもどおりの時刻に。トースト、りんご、珈琲。 それから創作を進める。
街を少し歩く。風の抜ける交叉点の日陰はつるつると滑る。凍結融解剤がまかれていました。帰りに鍋焼きうどんを買って、それが昼食。
昼からは読書。つづけて谷崎潤一郎。 気温は冷たく風も強く、しかし雪は融けていきます。
いつものように夕方にはハナの散歩。 夕食はスパゲティミートソース、チーズとキュウリとフルーツトマトのサラダ。蟹とレタスのサラダ。
気温は低いまま。昔の京都に戻ったみたい。ここ数年の間だと、この寒さは1月、2月のいちばん寒い日のよう。 それが毎日続いています。
| 2005年12月17日(土) |
掌編のこと/ブックレットのご紹介など |
新しい掌編を書きはじめました。 PCの画面に最初の一行を打ち込みました。できあがり次第アップします。今年中にこの掌編を皆様に読んでいただければ、と思っています。 しばらくアップがなかったのは創作から離れていたわけではなくて、原稿用紙とエンピツの世界に嵌っていたから。
それ以外に「音函」の制作がいちばんの優先事項だったのも事実で、かなりの時間をそこに当てていました。今でも制作には注文があればすぐにそちらに動きますが、できあがるまでの時間はおかげさまで相当短縮されています。
で、京都の出版の話。ぼくの作品集は基本的に書店におかずにネットで直に販売しています。(百万遍と等持院の二つのお店は、ほんとうにご好意で置いてもらっているものです。二つだけですが、そこから新しい読者のかたもできていて、それはそれでとても有り難く思っています。)
同じように個人ではなくグループとして、ブックレットを直販しようとしている編集グループがあります。「SURE」といいます。(他にも何冊かの素敵な本を出版されています。) こちらでは二年前から鶴見俊輔さんをホスト役に、ゲストに作家さんや学者さんを招いて若者たちと語り合うという会を催しいて、その内容をブックレットにまとめて刊行されるようなのです。 制作担当は作家の黒川創さん。予定されているラインナップは次のとおりです。
第一回 井波律子(国際日本文化センター教授)「『論語』を、いま読む」 第二回 作田啓一(社会学者)「欲動を考える」 第三回 那須耕介(法学者)「ある女性の生き方ー芽辺かのうをめぐって」 第四回 山田稔(作家)「何も起こらない小説」 第五回 加藤典洋(文芸評論家)「創作は進歩するのか」
ぼくが読みたいのはずばり、山田稔さんの号。隔月刊だというから6月頃になるんでしょうか。早く読みたいです。もちろん他の号も読んでみたいです。
詳しくはこちらまで 編集グループ SURE
なんだかとても楽しみな動きですよね。期待してます。
と、このことは京都新聞の囲み記事だったんですが、読んでいて、 そうだなあ、隔月刊でぼくもださなきゃなあ、と思ったのでした。 年末はばたばたしますので、来月には本を作ります。
夜に入ってとても冷えてきました。 皆様も体調には気をつけてくださいませ。 では。
am5:00 うーん、寒いといいながら起床。珈琲を飲み、掃除。
am6:00 寒さを苦にしないくせにストーブ犬になるハナと散歩。ダバティさんと出会う。カナダでは子犬のことをキキというんだそうだ。で、大好きな柴犬と日本で出会って、おお、キキとか何とかいってたら日本人の奥さんが初めて飼った柴犬にね当然のようにキキと名前を付けたんだという。 キキは元気。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、納豆、小松菜とお揚げのたいたん、フルーツトマト、ヨーグルト。
●今日のワンポイント大掃除は東側の窓。部屋まですっきりした感じ。
正午 昼食。鍋焼きうどん。「音函」、二冊送付。
●明日からさらに寒くなるそうだ。京都北部の北山杉に雪による倒木被害がでている。
●谷崎潤一郎を読み出す。
pm17:30 ハナの散歩。大急ぎ。 pm18:30 夕食。すき焼き。
●谷崎の続きを読む。
am5:00 えいやっ、と起床。珈琲を淹れストーブに点火。掃除を始めるころにハナがストーブの前に。
am6:00 ハナの散歩。車のフロントガラスは着氷もせず乾ききっているけれど、汚れを取ろうと水拭きした途端に凍っていく。それぐらいの寒気。久しぶりのこと。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、人参とゴボウとエリンギのたき合わせ胡麻風味、湯豆腐、三つ葉とクレソンのサラダ、ヨーグルト。
●今日は街へ正月のお餅を買い出しに。烏丸丸太町上がるの播磨屋さん。おかきで有名だけれど実はお餅も売っている。とても美味。すぐ売り切れるので電話で注文しておいた。
さて、それでなにげなく堀川通りを走っていたら丸太町の信号が全部消えていた。大きな交叉点なのだけれど交通警察官、大活躍。手信号で車を仕切る。見事なもんです。
●ついでに街の園芸店で薔薇の大苗を見る。あかん。あかん。あかんといいながらもつい手が出て…。と、すんでの所でストップ。 クィーン・エリザベスという品種がとても綺麗なんだけれど、ラベルは白い花になってる。薔薇図鑑には確か薄いピンクのように出ていたんだけれど…。ということで新しい剪定鋏だけ買って帰ることに。
正午 昼食。ごはん、目玉焼き、トマト、惣菜いろいろ。
●「音函」の注文が10冊入る。さあ製本だ。 ありがとうございます。
pm17:00 ハナの散歩。 pm18:30 夕食。かに玉どっさり、ローストビーフたたき風で、レンコンと人参とエリンギの炒めに。みかん。
●夜。偶然見た「ご近所の底力」で正しい歯磨きの方法を知る。かなりショック。いったい今までの磨き方はなんだったんだあ。
柔らかく、時間をかけない。持ち方は自在…。縦使いも可。うむむむ。 早速実践。たぶんとてもよく歯垢がとれてる。鏡で見てもそうだ。
歯は大事だ。思っている以上に。歯が抜けてなくなった人が苦労しているのを見るにつけそう思う。
am5:00 起床。珈琲を飲む。外は真っ暗。ゆっくりと白んでくる。 掃除。今日のワンポイントはクローゼットの床。
am6:00 ハナの散歩。昨日と同じぐらいの寒さ。公園を一回り。 am7:30 朝食。ごはん、舞茸とナメコのみそ汁、トマトとキュウリのサラダ、お揚げと水菜のたいたん、納豆、ヨーグルト。
●今日も快晴。冷たい強風が吹く。空気はからから。山の向こうは大雪だけど、こちらは全然。ただただ冷える。
正午 フレッシュネスバーガー二個、コナコーヒー。
●詩を書く。もう少し寝かせておく。 ●ジャック・ジョンソンを聴く。
pm15:00 玄米茶、みなつき。 pm17:00 ハナの散歩。ハナはとても元気。
●ホームセンターでは早くも薔薇の大苗が売り出された。また悩ましい季節だ。
pm18:30 夕食。自家製餃子、焼き豚、トマト、もやし炒め。
●夜。短編の題材が二つ。登場人物がいるだけで何も決めていない。 このまま書き出してみる。
●なんだか自分の作品の整理の時期かもしれないという気がする。 とにかく書く、ということで飛ばしてきたから、過去の作品を手直ししたり整える作業も必要かと思う。その当時の書きたい心が全部反映されていないし、技術的にぼくがなにかを身につけたということもあるから。
am5:00 起床。やっぱり冷えた。うーん寒い。珈琲を飲んで掃除にかかる。
am6:00 ハナの散歩。空気が澄んでいて気持ちがいいんだけれど、大きく息を吸うと胸の内側が冷えるのがわかる。たぶん氷点下だね。朝日がとても綺麗だった。
am7:30 朝食。ごはん、飛竜頭と大根のたき合わせ、ワカメと舞茸とジャガイモのみそ汁、柿とリンゴ、ヨーグルト。
正午 気温が上がらず。昼食はトースト。
●京都の宇治で起きた小学生殺人事件。犯人のような人間はいたる所に潜んでいる気がする。賢く、負けないように生きて行かなきゃ。 大人も子供も。
●Def Techの1500円のアルバムを聴いた。日本人とハワイ生まれの白人のデュオ。
●ハワイといえば、ジャック・ジョンソンのBetween Dreamsはよく聴きます。冷えた日に暖かな声を聴くという感じ。
am17:00 ハナの散歩。府の北部は大雪警報がでているというのに、市内は時折ちらつく程度。からからに乾いた冷たい強風が吹きわたっている。
am18:00 夕食。ビーフカレー、りんご。
●夜。 ネットで本を発注。今年最後の短編を書こうと発心する。 年末の街のお話が目標。詩も書かなきゃ。
●今聴いてる歌はバンシゲの「イントロ」。旅立ちの歌でもあります。
am5:00 起床。今週から一段と寒くなる、と天気予報に脅されていた割にはそれほど冷えこまなかった。珈琲を飲みながら聴いたラジオでは、それでも気温がほとんど上がらないといっている。
am6:00 ハナの散歩。ハナがそんなに歩かない。寒いのかな。 am7:30 ごはん、舞茸とワカメのみそ汁、小松菜とお揚げのたいたん、納豆、ミートローフ、トマトのサラダ。
●今日のワンポイント大掃除は外回りの一角だった。
正午 昼食はお好み焼き。
●北風が時々うなりを上げている。 ●胃腸の調子がイマイチ。ごはんを食べてから横になる。ちょっと睡眠不足気味だった、と反省。僅かな時間だったけどぐっすり眠る。体復調。
●年賀状のデザインがどうも気に入らない。もう一度やり直すことに。
pm17:00 ハナの散歩。珍しく遠くまで歩く。 pm18:00 夕食。ビーフカレー、ブロッコリー、大根と人参とお揚げのサラダ。
●夜になってどんどん寒くなってきた。明日の朝は相当冷えるらしい。 それにこの冬は暖冬にはならないという。ずっとこの寒さが続くわけだ。 年が明けたらもっと寒くなるだろう。体調を崩さないようにしないといけない。
最近、詩を声に出して読んでいる。 黙読(目読)ばかりの読書だったからずいぶん新鮮だ。
文庫本主義者は詩もいいけれど小説がいいよ、という。 NHKラジオではずっと小説の朗読番組が続いていて、ファンも多いそうだ。
彼女がいつも言うことなのだが、彼女が小説に目覚めたのは、高校時代(京都の堀川高校。一時期低迷していた京都の公立高校も最近ではかつての名門校が復活している。もちろん堀川高校もそうだ。彼女の在籍時には名門の名をほしいままにしていた) 国語の先生が毎時間、冒頭の10分程度を朗読の時間にあて、「罪と罰」を最初から最後まできっちりと読んでくれたからだという。 それで長編小説のおもしろさに目覚め、どんどん読んでいったんだという。たとえば「チボー家の人々」!! あのおそろしく長い小説を楽しんで読んだというのだから、たいした高校生だな。 そのクラスのどんなやんちゃな連中でもパール・バックの「大地」ぐらいは平気で読んでいたという。 いくら名門とはいえ、ぼくの頃とはずいぶん違う。
ぼくは彼女から6歳年下で、高校時代に本を読む暇があったら、レコードを聴いてた。 ラスコーリニコフとジミヘンか…。 高校時代の読書はとにかく二年間ぐらいキルケゴールに熱中してた程度。 日本文学は…やはり大江さんだった。 がんがん読み出すのはずっと後になってから。 とにかく音楽だった。
ところで 幾たびもの情報革命の進行に伴い、人間は飛躍的にすぐれた「道具」は得たけれども、そのぶん能力は著しく減少しているという推論がある。 たとえば世界に残された口承の歌や物語。それらはどれもおそろしく長い。 しかも文字で残っていない。しかし伝承者によって語り唄われるたびに、それは一言たりとも間違えることはないという。 おそらく太古の昔の人間はそういう力を持っていたのだろう。
だからその推論はパソコンやネットでスピードと新たなデータバンクを得た分、さらに能力の何かが欠落していきそうであると続く。
自分のことで恐縮だが、朗読した声を自分で聴くとあきらかに自分の中の何かが変わる。長く動いていなかった部分が、ごとんと音を立てて動き出しているような気分になるのだ。まるで小学生の頃のように。
なるべく声を出そう。なるべくエンピツを持とう、と思う。
am5:30 起床。珈琲を淹れる。 am6:00 ハナの散歩。散歩仲間と何回かすれ違う。みんな重装備。
am7:30 朝食。トースト、バナナ、紅茶、ヨーグルト。
●午前中から読書三昧、高橋睦郎「未来者たちに」読了。詩人のこと、詩のこと、古典のこと、そして「生きる」ということ。具体的に何がどう、とは書けないけれど、ぼくのなかに種が蒔かれた手応えがあります。
永沢光夫「声をなくして」。強烈、というと違う。だけど、ずんっと来る内容。舞台は新宿二丁目。
正午 昼食。卵かけごはん、具だくさんのオカラ。
●引き続き読書。「声をなくして」。書くことの大切さを、思う。読者を想定する日記なんてあざといだけだ、と毒づきながら、日記を書くことを決める筆者。「日記じゃない、手紙なんだ」と言い聞かせて日記を書きだす気持ちが響いて、立ち止まる。
●いわゆるノンフイクションへの批判も。 啖呵を切っていてかっこいい。 だけど全体は「かっこよさ」とは無縁の、のたうち回って生きていく、という内容。生きることは切ない。だけど生きるんだ、という。 全体は食道癌切除の手術を軸とした、闘病の日記であるけれど、描き出される周囲の人たちの生き方、ご本人の生き様になんども立ち止まる。
書くこと、生きることを考える。
pm17:00 ハナの散歩。 pm18:00 夕食。ピサ゜、コーンとベーコンのサラダ、フランクフルトソーセージ。ハナが大喜び。
●BSでアジアの仏像ばかり、しかもその選りすぐりの映像ばかりを見つづけたためか、顔が柔らかくなった気がする。スリランカにいきたくなった。
ひきつづき「声をなくして」を読みながら、夜。
am5:00 起床。寒さは相変わらず。足許で寝てるハナが丸くなっていて、ハナ用におろしたバスローブを上からかけてやる。
am6:10 掃除が終わる頃、ストーブの前に移動していたハナはやる気満々。散歩に出かける。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸と葱のみそ汁、小さな湯豆腐、お揚げと水菜のたいたん、サツマイモのにっころがし、ヨーグルト。
●ここのところの寒さでとうとう琉球朝顔も力が尽きたよう。だけどまだ立派な蕾を付けている。恐るべき生命力。
正午 昼食。鍋焼きうどん。
●猫四匹のためのキャットタワーが到着。いちばん軽いチャチャが天井近くの棚まで駆け上がった。猫たち嬉しそう。こちらも嬉しい。
pm15:00 紅茶。English Blend
pm17:30 ハナの散歩。ハナの機嫌がとてもいいので嬉しくなる。
pm18:30 夕食。ビーフカツ、トマト、キャベツ、具だくさんのオカラ、シラタキのたらこ和え、人参場の胡麻和え、フレンチフライ。
●今年は町内の当番なのだけれど、お金を集める仕事は全部終わったと思っていたら、松尾大社の人形(ひとがた)が残っていました。上の画像のような紙でできた人形に名前と年齢を書き込み、息をふぅーふぅーとかけて、その紙で全身をさする。特に悪いところは念入りに。これを隣組に配布。
やがて、袋に入れて我が家に持ってきはります。これをまとめて氏子さんの当番の方に渡すわけです。 いつから、というのは全然わからないけれどこの辺りはずっと昔から。 もちろん強制ではありません。
am5:00 起床。珈琲。 ぼくから遅れてハナが起きだし、ストーブの前に来る頃から掃除。
am6:10 ハナの散歩。きりりと晴れました。 am7:30 朝食。ごはん、アボガドとミートローフ、舞茸とワカメのみそ汁、人参と大根のなます、黒豆、ヨーグルト。
正午 昼食。トースト、珈琲。
●いろんな方の定年後の人生を知る機会がありました。老いるということについての「誤解」のないひとたち。 「誤解」とは人はいつまでも力を持ち続けることができるとか、自らの死を自覚していない、とか。
「人間の身一つ始末することができれば一人前だ」まさにそのとおり。 「始末」とは自分で自分の面倒を全部見るということ。健康も然り。死もまた然り。
●高橋睦郎さんのエッセイ集も「孤独」にどう向き合うかということが書かれています。まさか高橋さんにもスランプがあったとは…。 27歳からの15年間。しかし高橋さんは書き続けていました。書くことを止めなかった。そのあたりの話や世阿弥の話など。
pm17:00 ハナの散歩。今日は暖か。 pm18:30 夕食。ごはん、白子の唐揚げ、レンコンの唐揚げ、焼き豚、ブロッコリー、スナップエンドウ、かわり稲荷、シューマイ。
●夜も読書です。 では。
am5:00 起床。寒い。ストープをつける。 珈琲を淹れた後。掃除と洗濯開始。 am6:00 ハナの散歩。今日はいい天気♪
am7:30 朝食。ごはん、舞茸と白ネギのみそ汁、白菜とお揚げのたいたん、てんぺ(大豆を固めたもの)、キュウリとハムのサラダ、ヨーグルト。
●京都はいわずとしれた碁盤の目の街です。 四角い区割りの中に家が建っているのですが その四角の土地にひとりが住んでいれば路地は生じません。 だけど、そんな広大な屋敷はありません。
その区割りをさらに細分化して人々が住むようになり そのまん中あたりに住んでいる人が表に出る道が必要になります。また、一々角を回って反対に行くよりも中を突き抜けた方が早く表にでられる場合もあります。そんなことからできた極端に細い道が京都にはたくさんあります。
最初の中から表に出る細い道を「路地」といいます「ろーじ」という人が多いです。「路地」というのは基本的には行き止まりの道のことです。袋小路。(実は通り抜けられるものもあります) それとは別に、さっきの例であげた突き抜けていく道、これを「辻子(ずし)」(図子とも書きます)といいます。この言葉は京都のまん中(中京区、東山区の祇園付近、下京区、上京区)にいる人しか使わないかもしれません。 要するに「抜け道」であり「近道」であり、「裏口でも商売をするための道」なんです。
中世から近世にできたであろう辻子が今でも残っています。 有名なところでは「団栗辻子」(どんぐりずし)。 ちょうど南座から鴨川沿いに南へ下がったところに団栗橋という橋があります。そこから東へ入った辺り。宮川町1丁目から2丁目へ抜ける道がそうです。このあたりは花街です。
町衆たちがこうしようや、とか相談しながら街を作っていったんでしょうね。辻子の入り口に立つと、道が狭ければ狭いほど駆け抜けたい気分に襲われます。
正午 昼食。焼きそば。
pm15:00 紅茶。
●本が到着。 「未来者たち」高橋睦郎・みすず書房/2002年西日本新聞に連載されたエッセイをまとめ、加筆し今年の10月に発刊されたもの。 詩はいつも読んでいるれけれど、この方のエッセイはとても勉強になります。
「声をなくして」永沢光夫・晶文社/今年の5月に初版。咽頭癌で声を失ったルポライター・インタヴュアーのドキュメント。 永沢さんのアングルは、取材対象に寄り添うようにある。常に社会的弱者に対する目線がある。そんな声を生業にする人が声を失った。 そんな彼のまわりに精神を傷つけられ、病み、死んでいく女の子がいる。 「生きる」ということを切実に願い続ける人たちの現場を知りたかった。
実はこの本はジェンダー研究で著名な上野千鶴子さんの書評で買おうと決めました。ぼくは彼女の言葉をエッセイで読んで、この人の言葉には嘘がない、と感じました。だから。
pm17:00 ハナの散歩 pm19:00 夕食。筑前だき、笹カレイ、ほうれん草のおひたしポン酢、揚げ発芽玄米餅に納豆大根おろしがけ。
●来年の年賀状に再びジャンに登場してもらうことに。戌年だからね。
●気がつくと「生きる」ことについての記事の切り抜きや本が集まりだしていた。作品はこの中から生まれていくと思うし、創りだしたい。
昨日に続き今日も冷え込み、一日中雪が降ったり止んだり。市の北部、岩倉の辺りでは5�僂曚廟僂發辰燭茲Δ任后� うちの付近も激しく降ったけれど積もることはありませんでした。
ハナはストーブの前から離れないし、猫たちはベッドから出てきません。 人間だけが忙しそうに立ち働いていました。 そうそう植物たちのために去年も使った簡易のビニールケース(テント?)を組み立てて、ミントや小手毬などを退避させました。
「音函」をいっぺんに5冊、購入していただきました。新しい読者の方が増えました。 ありがとうございます。
この寒さなので睡眠不足は大敵。体調を崩さないようにしなければ。 創作。小説のほうはメモの段階。詩は未だ第一稿を書き終えたところです。
am4:40 起床。寒い。(京都の最低気温は0.2℃だった。) 珈琲を淹れて、ゆっくりと掃除。大掃除一日一ヶ所のノルマ、今日はレンジまわり。油を落とす洗剤に指がやられる。がさがさ。
am6:00 ハナの散歩。夜明け前から歩き始め、空が明るくなり出した頃、ずっと南の八幡の男山までが見えた。おそろしく空気が澄んでいる。 まるで透明な流れの川の底にいるみたい。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とナメコのみそ汁、お揚げと小松菜のたいたん、茄子の胡麻和え、ヨーグルト。
●朝の出勤時にフロントガラスが凍てついた車多数。そんな季節になったんだ。
昼前ぐらいから天気が急変。どんよりとした冬曇りになり、雪がちらちらと舞った。
正午 昼食。コロッケ、いかリング、トマト、バナナ、みかん。
●すべてが年末進行になりつつあって、個人的なこともそうだ。文庫本主義者、その姉さん、お母さんの三人分の年賀状づくりを依頼されていて、そのうち二人分を、それぞれの写真を入れながら完成させる。 葉書のデザインは全部ワード2003でまかなえる。このソフトはデザインレイアウト系には強いと思う。
午後の間中、凶々しい天気だったけれど、夕方にはレンブラント風の光が差してきて、たいそう劇的だった。
pm17:00 ハナの散歩。 pm18:00 夕食。おでん。
●当分、寒さは続くようだ。風邪には注意。 今日聴いた男性デュオ、とてもよかった。名前がわかんない。………&アイボリーだったと思うんだけどね。テレビのCMでよく流れているんだけど。 明日にでも調べよう。
朝から雲の多い天気。しかし日射しは鋭いぐらいだ。 そんななか、きらきらと光りながら小雨が舞う。 北山時雨が一日中。
少し濡れて、冷える。路面が輝き梢に水滴がつく。 と、強い北風が水滴を吹き飛ばす。空が光る。 その繰り返し。
昼からプラチナに輝く雲を猫たちと見上げながら 心を静かに休ませていました。
夜は久しぶりの来客。 笑い、語り、ぬくもって帰っていかれたのなら 嬉しい。
am5:00 起床。珈琲を淹れて、掃除。
am6:00 ハナの散歩。今日は曇天なので空がなかなか明るくならない。 am7:30 朝食。ごはん、ナメコと舞茸のみそ汁、お揚げと聖護院大根のたいたん、納豆。
●お昼前、詩とは朗読するものか否かで、文庫本主義者と意見を交わす。彼女はするべきでないという。理由は声に逃げるから。紙面は逃げ場がないぶん詩そのものの優劣がはっきりわかる、と。 確かに現代詩人のなかにも朗読に対する批判はあって、朗読は文字や紙面の美しさ、あるいは行替えの意味を全く考慮していない、というものだ。
ところが朗読する側からは全く正反対の主張がある。つまり朗読を否定する人たちは紙面に逃げているというわけだ。肉体をともなってこそ初めて言葉にリアリティーが生まれる、というような意見だ。
ぼくが見たり聞いたりした意見のなかで両者に際だったものをあげてみた。
ぼくは「朗読至上主義」ではない。最近はやっている音読ブームにも若干、首を傾げる方である。 歴史的に、古代において読書とは声を出すものであったという。それがいつしか人間は「黙読」というテクニックをつくりだしたのだった。
だいたい誰もが朗々と大声をだしていたらうるさくてたまらないし、夜中にそんなことされたら安眠妨害だ。
たしか古代ローマ皇帝の誰だったか名前を忘れたけれど、彼がある教皇の博識ぶりはいったいどこから来るのか調べたのだという。音読、つまり読書をしている形跡がなかったからだ。すると彼が深夜に「黙って」本を読んでいる姿を発見。おおいに驚愕したという話を読んだことがある。 その頃「黙読」するような人はいなかったのだ。
これを京都新聞のコラムに書いていたのは「ケータイを持ったサル」の著者の正高さんだったと思う。 「黙読」こそ思考のテクニックなのだという主張だったんじゃないかな。
確かに何でもかんでも声を出して読めばいいというものじゃない。だけど詩を書く時、口の中で声にならないまでも、やはり「詠んで」いる。 そんな呟きは止められないし捨てられない。また、詩は口に出してみて初めて「わかる」ものが多い。
詩の朗読会があっても時間がほとんど無いから参加しないけれど、詩を作る過程の中ではなんども詠んでいる。だからごく個人的な呟きは続けているわけだ。 文庫本主義者だって、遊びで句をひねる時は朗々と口づさんでいるじゃないか。 とか、そんな話をした。 だけど現代詩ぐらいだね、こんなことが言われるのは。
正午 昼食。パン。
●どんどん冷え込んでいく。冬本番。
pm17:00 ハナの散歩。
●家に帰り着く寸前、かなり背の高い小学校高学年の男子が一心不乱に本を読みながら歩いているのに遭遇。ほとんど前を見ていない。 危ないなあと思いながら、何をそんなに真剣に読んでいるんだろう、と覗き込んでやった。えへん、おじさんは背がずうっと高いのだ。 あー、なるほどハリー・ポッターだった。 そうかあ、こうやって読書経験が積まれていくんだな。 ぼくが彼の年齢のころはアルセーヌ・ルパン全集に夢中だった。 だから「はまる」とああなる、というのはよくわかる。 ほんとに「無我夢中」そのものが歩いていた。
pm18:00 夕食。ごはん、ミンチカツ、キャベツ大盛り、スパゲティサラダ。
●創作、少し前進。
am5:00 起床。珈琲を淹れる。掃除。
am6:00 ハナの散歩。東山の山際が橙に染まり、空の天めがけて蒼が走っていく日の出前。冬は格別に美しい。
am7:30 朝食。ごはん、もやしとお揚げと人参の炒めもの、めかぶ納豆、グリーンアスパラの胡麻和え、ヨーグルト。
正午 昼食。太巻きとバッテラ。
●大掃除は「暮らしの手帖」が推奨する、毎日一ヶ所だけ念入りに掃除をする方式で行くことに。一気呵成はキツイです。
●遅まきながらアップルから「itune」をダウンロード。一曲150円から200円。200円でブーイングが書き込まれてるぐらいだから、CDが売れなくなるわけだ。制作サイドから見れば音楽を提供するだけだから、デメリットは何もない。かな?
●目についたのはROSSOのライヴ。それと矢野顕子さんの新しいの。 矢野さんは「くるり」の岸田君とずっとやってますね。
pm5:00 ハナの散歩。薔薇のまわりに白いパンジーを三鉢置く。なかなかうまくいった。
pm6:30 夕食。ペンネアラビアータ、カポナータ(ズッキーニ、ピーマン、パプリカなど野菜たっぷり)、鶏胸肉のローズマリーとニンニク風味のソテー。
●ku:nelにでていた小川洋子さんのきっちりした日常を、文庫本主義者と語り合う。実に淡々と。しかし着実に前に進む。一日五枚のノルマ…。
書けなくても、とにかくどんな形であっても五枚は書くんだという。同様のことは保坂さんも、些末なことにこだわらずとにかくぐいぐいと前に進めるべきだ、と「書きあぐ」に書いていた。
改めてそうだよな、と思う。長編を書こう。
●夜。 Matatabiを聴く。バンシゲです。
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