| 2008年02月29日(金) |
「おとなのコラム」が盛り上がっています。 |
連載を続けさせて頂いている「おとなのコラム」が他のウエブ上で評価されました。 それがこちら。
やっぱり「熱」なんだろうな、と思います。
そして3月7日からは新たに連載陣に小説現代新人賞を受賞された方が加わるとか。 これは、ぼくも頑張らないと。
だいたいぼくみたいな才能のレベルの人間は熱中して、熱中して行く以外にうまくならないんです。 なので、さらに熱中します。
今週のぼくの更新はこちらです。 「みんなが言った」
午前五時。いつものように朝刊をテーブルに置くと一面下の広告欄に書籍の広告がありました。 「本は10冊同時に読め!」 凄いタイトルです。惹かれました。
というのは、今、知識のインプットとしてではなく、いや結局そうなるのか、とにかく圧倒的な量を、できるだけ高速に、読む時は集中して読書をしようという試みを始めているからなのです。
しかも時間はどうしても細切れになるので、一瞬に集中するということを心がけています。つまり、(なんのことはない)、数分でも時間が空いたら中途からでもいいから読み始める(書き始める)ということなんですが。
なんだ、そんなこともできてないのか、と思われそうですが、周りを整えて、とか、綺麗にキリがつくように、とか、そういう「行為の周辺」に気を回してしまうタイプだったんですよ。 一、二分読んでも仕方ないじゃないか、みたいな。
それ、やめたんです。
やってみると瞬間に集中するというのもおもしろいですよね。 トイレに立った時とか、ほんの少し待機する時間とか、おもむろに文庫本を取り出してふむふむと読む。 長くて10分。短いと1、2分。 その間きゅーっと集中する。 今、同時並行して六冊読んでいます。 時間割の要領ですね。
そんな塩梅なので、「本は10冊同時に読め!」というのもぴんっときたんです。 書いていおられるのは成毛真氏。マイクロソフト社におられた方です。
詰まるところビジネスに役立てるための読書術でした。
小説はあまり読まない、とのこと。「言葉の力」ゆえに、村上春樹の小説を読んで後々までかなりこたえてしまったからとも書いておられました。 なので、そういうのは読まない、と。 但し、ミステリだけは別のようですが。
「志賀直哉なんて、とても文章がへたくそで、何でこれが小説の神様なんだと思った」とか「梶井基次郎なんてわけがわからない」など 立ち読みしながら、おもわず、おおおお、と声が出そうになりました。 なんと大胆なことをおっしゃる。
「ゆっくり読む、とか、あろうことか小説にアンダーラインを引くなんて考えられない。そういう人は本が嫌いなんだ」とも。
これは平野啓一郎さんの「スロー・リーディングのすすめ」を完全否定しているわけで、どうやら筆者もそれを知っているふうなんです。 なんせ驚くべき読書量ですからね。
で、自分で文章を書くことにもっと自覚的になろう、という方向性のなかではあまり参考になりませんでした。 というのも、とにかく読むのだ、という方向性だと福田和也さんの本で読んでいますから。 なので、成毛さんの本は静かに書店の本棚に戻しました。
朝刊で眼にしてから、本屋での立ち読みまでの時間、そのタイトルに惹かれていたというのは事実で、そのわくわく感は貴重でしたね。 で、最後の方の章で、本を選ぶさいに参考にする信頼する評論家をあげておられて、それは松岡正剛さんとのこと。そのことには同感しました。
さらに「福田和也がいいかもしれない」と書いてあるので、ほほお。なるほど。ああそうだろうな、とも。
結局、「志賀直哉のことをぼろくそに書いた珍しい人」ということがぼくの中に残りました。
実行中の並行読書ですがぼくの場合、最低一日に一度はその本を開かなければいけません。そうしておかないとほんとうになにがなんだかわからなくなります。
| 2008年02月27日(水) |
図書館/雨はコーラが飲めない |
■たぶんリクルートのウェブマガジンR25の記事がきっかけだと思うけれど、最近、「一週間、ネットもケータイもない生活」のレポがいろんなブログやサイトに載っています。
たいていの場合、ネットとケータイをやめてる本人よりも周囲が先に音を上げるようです。それと検索ができなくなるので資料を集めに図書館に行く人がほとんど。
R25の記事よりも精緻なレポもあって、それにはネットの検索がこれだけ発展しているのとは関係なく、図書館の利用者が増加しているという事実が書かれていました。
なんだか、うれしくなりました。 本をじゃかすか読むのに、やはり手もとに置いておくにはお金がかかるでしょう。場所もとるし。 経済的な理由からも図書館というのはとても大事だと思うので。
そういえば中学生の頃までは勉強するのに市立図書館に時々行ったなあ。高校、大学になると喫茶店でごろごろしてたなあ。ミスタドーナッツで深夜の二時、三時まで論文を書いたいた京大の女の子もいたなあ…。
作家の方にも喫茶店で書く人、ファミレスで書く人がいる。ファミレスで珈琲をがぶ飲みしながら勉強している人、今でももいるかなあ…。
おっとことっと。 話を戻しましょう。 このまま老人になることができたら、と考えてみると、たぶん年金は破綻しているし、爪に火をともすような生活になるはず。 そうなったら一日中図書館にいようかな、と思うのです。できれば近くに公園のあるところがいい。 坐りすぎて腰がかたまったら、ぶらぶら散歩してまた図書館へ。
家の電気代も浮くし、もう家は寝に帰るだけ。好き放題に読んだり、書き写したりできたらなあ…。
■哲学系の本を読んでいると、どうしても脳が強張ってくるので、江國香織さんのエッセイを読んで頭をほぐしています。 今読んでいるのは「雨はコーラが飲めにない」。二度も三度も読んでいます。
犬が好きな人、音楽好きにもおすすめ。 「雨」というのはわんちゃんの名前なんです。
ほかにも今読んでいる「フランス短編傑作選」にでてくるロジェ・グルニエを江國さんも読んでいて、おもわず嬉しくなったりしています。 音楽の趣味も重なるところと重ならないところがあって、それもおもしろいです。
クミコさんもでてきます。
日々の前進。 書くこと、読むこと、つくること。 事務系、創造系なんだってあり。 最近、しばらく通っていた法務局での作業が終了。少し一息つける。
金曜日の連載の小説も最後まで書き終えた。 本の作品にもう一つ挿入。 テキスポに入れようとしている作品に新しいアイデアが生まれてきて、止まらなくなりつつある。
もう10時。ハナが横になりました。 ではでは。
| 2008年02月24日(日) |
「草稿保存」が捨てられない。 |
メルマガで冬の底は過ぎました、なんて書いたものだから、腹いせのように思いっきり雪が降ってます。例によって積もるわけじゃないけれど、今週一週間はかなり寒いそうです。
■さてこの日記を置いている「エンピツ」。 総ユーザー数は減っているのか、増えているのかわからないけれど、「マイエンピツ」に登録していた人の多くが「記録」としてその日記を閉じています。日記を更新しているのは現在四人かな。 ほとんど毎日更新しているのは一人だけになってしまいました。
コメントとトラックバックが欲しい人はブログに移行していくわけで、ここに残っているのは淡々と日記を書いている人ばかり。 しかもぼくの場合は有料のほうだから、年に一度、ある一定の額を支払わなければなりません。
この金額がばかばかしいというので他のブログに移っていった方もいます。 ぼくが「エンピツ」に残っているのは過去の日記データが膨大なのと、「草稿保存」の機能があるという二つだけの理由。
もちろん「下書き保存」機能のついたブログは山ほどあるのは知っているけれど、ブログについてくるいろんな機能が、時として煩わしくなるのですよ。 コメント欄はついていないけれど、ホームページのBBSもあるわけだし。 有料であることは、なんとか我慢できる範囲だし。
シンプルであることと、拠点を京都に移転したということ、フィードしているブログがとても多いということで日記そのものを移転しようといた「はてな」なのだけれど、「はてなダイアリー」には下書き機能はついていません。
ほとんど個人的にパソコンに向かう時間をまとめてとれない毎日なので、書く時間を早朝に設定するか、こういう「草稿保存」がついているものかしか選択できません。 もし「はてな」に下書き機能がついていればすぐにでも移るんですけどね。
■茂木健一郎さんの本。 「脳と仮想」を読んでからずっと新書で出された本をほとんど読んできました。今読んでいるのは「思考の補助線」と「欲望する脳」。 特に「思考の…」のほうは、これまでの著作よりもかなり激しい文に出会うことができます。「怒り」が押さえきれずに溢れている部分にかなり刺激を受けています。読者への叱咤ともいえます。
■山田稔さんが編と訳をしている「フランス短編傑作選」(岩波文庫)を読んでいます。ロジェ・ダルニエ、マルグリット・デュラスを読んだところです。主にアメリカの短編ばかり読んできたので、その趣の違いに驚いています。他にもプルーストはじめ珠玉の短編が並んでいます。これは影響を受けると思います。というか読んだ本すべてから影響を受けていますが。
| 2008年02月18日(月) |
グズグズは天気だけでいいや |
寒いし、雪は気忙しく降っては融けてのくりかえし。 道はぐちゃぐちゃ。
夜に入ってメルマガの原稿を打っておりました。 ハナが眠たそうな顔を上げているのでもうやめます。
今回は本屋さんの話です。
本の作業が少し進展。あー、はやくつくってしまいたい。
朝から雪と晴れの繰り返しという激しい天候。 朝のうちに市長選挙の投票に行ったんですが、投票会場が図書館。 で、ずらりと並んだ「今月の新刊」のハードカヴァーに見とれてしまいました この図書館ならかよえるかな。 地域開放図書館で小学校の敷地内にあって土日だけ開く図書館なのですが。
今日は京都で話題の「かべ書店」が新聞に紹介されていました。 場所は北白川にあるからうちからはちょっと遠いんだけども…。 この書店の特徴は普通の取り次ぎの本とミニプレスと最近いわれている、取り次ぎを通さない「私家版」の本も同列に扱っているところ。
ミニプレスとは特にパソコンでほとんど自分一人で作り上げている本のことを特徴的にいうらしいんだけど、たいていの場合は取り次ぎを通さない小部数の発行の本などのことをいいます。
代表的なところではイラストレイター大橋歩さんが出している「Arne」や作家・長嶋有さんや柴崎友香たちが「五人組」としてたちあげた「メルボルン1号」などの同人誌。
パソコンの進化で一人でも本の制作までできてしまう時代なんです。 拙著「音函」もそうなんだけど、ヴィジュアルや見てくれで完全に負けてるから置いてもらえないだろうな。
「京都余情」で紹介できれば、と思っています。
午後からはR−1グランプリ。 なんたって「芋洗坂係長」でした。死ぬほど笑った。 ジン、ジン、ジンジカアーー♪ まだ頭の中でなってます。 メタボで踊りがうまくて、声も意外と通る。 トーキョーだったら間違いなく王者だったと思う。 気になるのはスーパー宴会芸に近いところかな。
「世界のナベアツ」も腹がよじれるぐらい笑ったけど、この「三の倍数芸」はもう何度も見てたから、得体の知れない芋洗坂にはたまげた、ということです。
まあそんなこともどうでもいいか。 死ぬまで踊れるか、だよね。
空いている時間は、今日も読書をし、文章を書いていた。 本は相変わらずユーアン・リーの「千年の祈り」。 書いた作品は連載のつづき。 編集部から届いた旨のメールをいただく。明日、掲載予定。
たぶんどんな境遇でも、しなやかに生きることはできるのだろう。 他人の目にどんなふうに映っているかは関係なく。 ユーアン・リーの作品を読んでいて、同じような孤独の心根の触れる作品としておもうのは多和田葉子さんの「旅する裸の眼」だった。
鷲田清一「『待つ』ということ」、吉田健一「時間」。この二冊はゆっくりと読んでいる。 「千年の祈り」という短編集は心に消しがたい痣をのこしつつあるように思う。 たぶんそれは「よいこと」だとも。
| 2008年02月13日(水) |
当分寒い日が続くそうです。 |
京都は今日も雪が断続的に降っては融けていました。 夜になると、乾いた冷たさが足元からしみてくるようです。
今日は「おとなのコラム」の連載を書き終え、明日画像を撮ろうと思っています。
音楽を減らして、読書に集中しています。
もう一度読み出したイーユン・リーの「千年の祈り」。 短編の一つ一つを読み終えるたびに、深い感慨にとらわれています。 独りであることの切なさと強さが「彫り出されている」ように感じます。
もっと読むことと書くことに集中にしようとしています。
■青空文庫からダウンロードして森鷗外の短編小説を続けて読んだ。 「独身」「里芋の芽と不動の目」「追儺」「カズイスチカ」。 ダウンロードしたものはもっとある。以前。「普請中」を読んでからの課題だった。(それにしてもこれらが全部無料というのはほんとに凄いし有り難い)
それまで鴎外の短編は「百物語」を読んだくらいだったけれど、これらはそれよりも短い。 そして文章も人物もが驚くほど活き活きとしている。 続けて読んだのでそのクスリは全身に回ったようだ。 いっぺんにすきになった。
「鴎外の短編を読むべし」というのは、大好きな庄野潤三さんが、師である伊東静男から言われたことで、 それを庄野さんの「自分の羽根」に書かれていたのを読んで、追体験しようとしたのだった。 結果、「日常から物語を立ち上げよ」というまさにそういう意図だったのだと、読み終えて理解した。
ただし、伊東静男が庄野さんに最も勧めた「うた日記」はさすがの青空文庫にもなくて、 たしか岩波文庫から出ているはずなんだけれど、たぶん手に入りにくいと思うので 古本をあたるか、図書館に行くしかないようだ。 庄野さんのいたく感激したようすが「自分の羽根」に書かれている。
■日常を書く、ということで今注目しているのが文学界新人賞を受賞した楊逸さんの「ワンちゃん」である。 芥川賞の候補にもなったはずで、史上初の外国人受賞かともいわれたのではなかったのかな。 日本で暮らす中国人(ワンちゃん)の日常をかいたものだ。
この本についての書評が京都新聞に載っていて、藤井省三・東大教授によるものなのだけれど、 凄く刺激的だった。 少し引用してみる。
…思えば日中両国の文学は一世紀に渡り相互に越境してきた。 上海・満州における欧米・日本の侵略と中国人の抵抗を見て生涯のテーマに「満州問題」を選んだ夏目漱石、 その影響下で医学から文学へと転向した明治の留学生魯迅、戦後この魯迅を胸に刻印した村上春樹、 さらにポスト��時代の上海で誕生した衛彗、アニー・ベイビーら村上”チルドレン”。これまで”越境文学”は 漱石と魯迅のように国家と国家の形成に取り組み、村上やアニーのようにポストモダンにおける家族の変容を書いてきた。 ところがいま私たちの前にフッと現れたのは、歴史の創造も記憶も語ることなく、もっぱら庶民の喜怒哀楽に終始する小説である。 …
そしてこのまったく新しい越境文学の誕生として藤井氏は祝福するのだ。早く読んでみたい。 しかしこのあいだ読んだ在アメリカの中国人イーユン・リーの「千年の祈り」はすでにその先鞭をつけていた。 すばらしい短編集だった。
それにしても藤井さんの俯瞰図は凄い。しっかりとした読み込みに裏付けられた発言なのだろう。 学の浅いぼくにはとにかく刺激的な言葉が並んでいる。
■こないだからいじり倒していた詩を書き終え、ようやく投稿した。 連載は書き始めたところです。
毎晩寝る前に必ず本を読む友人がいる。 友人に比べればぼくなんてほんとに読書量が少ない。 ぼくは寝る前に必ず音楽を聴く。
友人はほんの僅かな時間も逃さずに本を読む。 本当に読書が好きなんだな、とおもう。
とにかく読んでみる、というのもありだし、あわなきゃやめればいい。 本を読むことがとても大事だと友人はいうし、ぼくもそう思う。 痛いほどそう思う。
原書を読む。と決めてみた。 英語である。日本語訳で読んだものを読んでみる。 辞書なんて引かない。
と、なるとなにかな。 オースターかな…。それとも…。なにがいいかな。
とにかく読んでみようとおもう。
| 2008年02月03日(日) |
「社会に潰されないために」というインタヴュー |
昨日から始めたTEXPOのための作品のリライト、やり出して一番驚いたのは、自分がまったく変わっているということ。 「クスノキ・アラウンド」を書いた頃と今とでは全然違う。今のぼくならこうは書かないな、と思う反面、この頃の自分の感じ方もよくわかる。嫌いじゃない。だけどもう違う。
小説は自分を前進させる、と改めて思います。付け加えれば、詩もそう。
「小説を書く」ことを修行ととらえる古川日出夫さんの、とても興味深いインタヴューを紹介しておきます。 古川さんの言っていることは、他のいろんな分野の方がいっていることと重なり合う部分もあり、頑張らなきゃ、と改めて思った次第です。 こちらです。
| 2008年02月02日(土) |
吉田神社は大丈夫かな/TEXPO |
明日の節分に先立って、今夜、吉田神社では鬼を追う「追儺式」がおこなわれています。(節分祭りは4日まで続きます) 京大キャンパスの東側にある吉田山全体がご神体ともいえる神社で、ここの頂上から下の本殿前まで「鬼」が追われ、征伐されるのです。
過去に何度かいったことがあって、たぶん京都市内で一番盛り上がるんじゃないかな。 去年は三日に千本釈迦堂に落花生をもらいに行きました。こちらもすごい盛り上がりでしたが。(そのことは日記にも書きました。)
さて今夜の京都はとても冷え込んで、たぶん夜半過ぎには雪江、もとい、雪へと変わるでしょう。こんな日に観客も鬼役の人も大変でしょうね。 熱気がすごいから多分大丈夫だと思いますけれど。
さて。 TEXPOという超文系サイトのことを書いたと思いますが、そこに載せる作品として、以前ドリコムブログに書いた「クスノキアラウンド」を選びました。もちろん推敲し、ブラッシュアップします。今その作業をしているところなのですが、
長い文章に挑もうと決意した頃。とにかく前に進もうとしていました。このあと、いくつかドリコムで書いた後、アメブロの「In Paradism」の「シャツ」や「天使形」を書いたのでした。
一太郎の画面で一本に繋ぎ合わせた原稿は、ほとんど散文詩のように読めます。この頃より今の方がはるかに書いている自分が違う、と意識できます。 良し悪しは読者の方が決めるとして、ぼく自身は書くことで前進していると改めて感じているところです。
今の自分がどれだけ書けるか。やってみます。
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