2009年02月26日(木) |
Trouble Trouble |
ここのところトラブルがいくつか重なりました。 まず愛犬ハナが夜中に苦しみだして、下痢をしたことがトラブルの始まり。 それに気がつき抱き上げて介抱したり、掃除をしたりと寒さの中動いていて腰を痛めてしまいました。 それから痛み止めのロキソニンを飲みながら、ひたすら看病の日々。
愛犬ハナがようやく恢復し、腰の痛みも少しましになったかな、という日に、こんどは電気のブレーカーがばちん。 どうも様子がおかしいと思ったら、漏電しているとのこと。その場所を探すために電器屋さんが家中を一日かけて探索。 それに落ち着きをなくした愛犬をあやして寝かしつけつつ、工事に付き添いました。 ようやく「犯人」が湯沸かし器のマイコンであることが判明。
明日、ガス給湯器をすっぽり交換します。
で、気がついたら明日はメルマガ発行の日。取材が途中でストップし、それどころではなかったので、正直にそこまでの内容にしました。 しかも明日は母の誕生日。花の用意もしていない!!
がっでむ!! だむん・いっと!!
くっそお、負けへんぞお!!!
今日から天気はずっとぐずつき気味らしい。春先には菜種梅雨という短い期間の悪天候があるけれど、「菜種がまだだから『タンポポ梅雨』でしょうか」とテレビ画面の向こうから声が聞こえていた。
(え、タンポポ?見てないなあ。ネコヤナギの新芽なら見たけど。)
明日、道ばたを気をつけて見てみようと思う。
そういえば春になったら替えたいものがある。パソコンのキーボード。Shiftキイがとても甘くなったしまったから。どこのものがいいかこれから検討する。春になったらというより、本当は今すぐ替えたい。
そういえば英語の原書も。Haruki MurakamiとかKazuo Ishiguroは洋書コーナーにあるけど、他の作家のもので何かないかなと検討中。短編でもいいから原書を一冊とにかく潰したい気持ちがめらめらと燃え上がるので。
雪が舞い散る昼さがり、還暦以上の先輩が四人やって来た。 それぞれの歳の差が二三年はあるけれど、全員同じ大学の美術研究会のOBである。全員ぼくよりはるかに年上なのは同じだが。
ぼくは美術研究会には入らなかった。他のサークルにも入らなかった。 不良だったから、ぼくのサークルといえば爆音が響くジャズ喫茶かロック喫茶になるのか。
いろいろ理由や縁があって美研の人たちと知りあいになったのだった。 仕事をリタイアした先輩たちばかりではない。プロの日本画家とタクシードライバーは現役でがんばっておられる。
ぼく以外は全員ビールと焼酎、ぼくはルイボス茶で寿司をつまみながら、爆笑連続のおしゃべりである。 年金、病気、介護…だいたい話題はそのあたりに集中する。 ほとんど老老介護の現実が始まっていた。
その話が一段落したところで、興に乗った人たちはぼくのパソコンをあけて、東京新橋の芸妓だった姫千代さん(去年若くしてリタイアなさったのだった)のDVDを見て和んでいて、ぼくはタクシードライバーの方と明智光秀生存伝説について意見を交換していた。
京都の山科に小栗栖(おぐりす)というところがある。そこで明智光秀は武装した農民に殺されたことになっているのだけれど、興味深いのは小栗栖という地名。この伝説の前提は来栖、栗栖など「くるす(くりす)」という地名のあるところはキリシタンが集団で住んでいたところだという思いこみに似た断定にある。
光秀の娘、細川ガラシャがキリシタンであり、小栗栖という部落と結託して「光秀の死」をでっちあげ、実はここから光秀を逃がしたのだ、という伝説なのだった。やがて光秀は僧となって徳川家康と結びつく。天海僧正である。光秀=天海という伝説は別ルートでもあるようだ。
他に山科には御陵血洗町というところがあるのだけれど、そこで首を洗ったのだという説もある。 それもこれも秀吉が検分したとき、光秀の首の傷みが激しく本人かどうかはっきりわからないほどだった、という「いわれ」から生まれたものなのだ。
信長を討ち、秀吉に滅ぼされた逆臣光秀の伝説はいまだにけっこう残っている。
そんな話をする傍らでは、市内で未解決の殺人事件の話がいつの間にか盛り上がっていた。
どうも酒が入ると血なまぐさい。ただ一人の素面としては、ほおほおと肯き、あははと笑うのみである。
2009年02月20日(金) |
強い寒さは明日で終わる、と彼は言った。 |
明日は寒いようだけれども、あさってからは一段と気温が上がるらしい。 その後はぐずつき気味で、早くも菜種梅雨の様相を呈するとか。 気温の変動の幅が大きく、寒波が長続きしなくなる。これはつまり冬が終わるということだ。
樋口一葉を読む。あの文体のリズムにはまると、それっとばかりに最後までいってしまう。
夏目漱石全集11巻を読む。うちの全集は岩波版です。 漱石の評論やコラムはとてもおもしろい。
2009年02月19日(木) |
夜になって雨が降り出した。 |
日々の読書。今日は再読が多かった。夏目漱石全集第14巻より「人工的感興」、日本近代文学全集樋口一葉、日本語が亡びるとき/水森美苗、フランス短編傑作選、八十二歳のガールフレンド/山田稔
「街函」を制作。土曜日に手渡し。明日の連載を予約投稿する。 早く寝よう。頭が熱い。
岩波文庫の「フランス短編傑作選」山田稔訳を読み続けています。ほとんど手もとに置いていつでも読めるようにしています。
フランスでは圧倒的に長編が多く、短編小説は編集者から冷遇されてきた歴史があります。ようやく1990年頃から復興の動きが出て、「モーパッサン賞」がもうけられもしました。
アメリカやイギリスにはショート・ストーリーとかサドン・フイクションという言い方が定着していますが、フランスでそれにあたる言葉は「コント」になるようです。「ヌーヴェル」という言葉もありますがそれは中編以上を意味するようですね。
「コント」だから、などと書くと見え透いたように聞こえるかも知れませんが、 フランスの短編(ほとんど掌編ともいえる長さが多い)は「芸」を磨かねばならない、と訳者の山田さんは解説で強調されています。 文芸つまり「文章の芸」として。 ル・モンド紙によれば短編は「フィクション芸術のエッセンス」であり、それにふさわしい表現を目指して芸を競うのだ、と。
たしかに読んでいると英米とは趣が異なる作品が目立ちます。 最初にいいな、と思ったのはマルグリット・デュラスの「大蛇」でした。細やかなひんやりとした感情の描写がとてもよかった。 それから読んでいくうちに次々に贔屓にしたくなる作品が見つかっていきました。 ヴァレリー・ラルボーの「ローズ・ルルダン」、ジュール・シュベリビエル「ヴァイオリンの声をした娘」、ミッシェル・デオンの「ジャスミンの香り」 ロジェ・グルニエの「フラゴナールの婚約者」、アルフォンス・アレーの「親切な恋人」などなど。
以前から「読むことは書くこと」とぼくは信じていて、したがって読むことで書くことも豊になると信じています。
2009年02月16日(月) |
慌てるなよ、まだ二月だぜ。 |
午前中、時間をこしらえて寺町二条の三月書房へ行った。 詩集や散文作品に関しては、僕の望んでいるものはこの店に行けば必ず手に入るからだ。
天野忠、荒川洋治、山田稔。 今すぐに名前が挙がるのはこの三人だけれど、もちろん他の作品についても大抵ここで揃う。 小さな書店で、大部数が売れているメジャーな本はみつからない。
学生の頃からだから、通いはじめてからもうずいぶん長い。 京都中の大学の「文学部生御用達」とまではいかないまでも、この書店の存在は同学部のものならほとんど知っていたはずだ。そんな本屋さんである。
うちは北区だから寺町までそれほどでることもない。おまけにうちの近所の本屋さんが二月いっぱいで店を閉めるように、近場の書店はどんどん減っていて、ぼくはほとんどアマゾンで本を注文するようになってしまった。代金はコンビニで払えるし。 だからここ数年、半年に一度とか、一年に一度というとんでもない頻度で店を訪れるようになってしまっていた。 だけど三月書房は特別なのだ。やはりこの店の「手」が見える書棚はいい。
つい最近、山田さんの全著作を読破すると発心したので、これからは三月書房に訪れることとも増えるだろう。 すでに何冊かはよんでいるから、編集工房ノアでつくられたり再発されたものを購入していくことになるはずである。で、今日、一冊購入した。
するとご主人から編集工房ノアでだしている「海鳴り」という小冊子を頂いた。 定価が書かれていないから、サービス販促冊子ともいえるのだろうけれど、庄野至、山田稔、島京子、天野忠といった方々のエッセイ、散文が収められている。 無料でいただいていいんだろうか、と思いながらも有り難く頂き、メッセンジャーバックに購入した山田さんの本共々詰め込んで帰路についた。
ところが寺町を御所に向かって北上しだしてすぐに後輪がパンクした。 ついてない。 近くに自転車店はないし、おまけに僕の自転車のチューブはフレンチバルブなので、ある程度専門的なショップじゃないと空気が入らない。 とぼとぼと丸太町通りを歩いた。第二日赤病院に出る手前にプロショップ風の店があったのを思いだしたのだ。
北風が厳しかった。 一昨日、まるで春のような陽気だったから、余計に寒く感じた。 だけど考えてみれば奈良東大寺のお水取りも、琵琶湖の比良八講もまだまだ先だ。寒くて当たり前。 なんてったってまだ二月だ。
お店の人が30分時間をほしい、という。場所と工具が借りられるなら自分で治すんだけれど、といったらば、いやいやそれにはおよびまへん、とのこと。 じゃあ、お願いしますといい残し、近くの喫茶店へ。もちろんさっきの小冊子を読むのだ。
山田稔さんの「匿名」という文章を読んだ。 人によっては小説ともいい、エッセイともいうだろう。 その境界線。山田さん自身「散文主義」とおっしゃる作品群は、やはり「文章」と記述し、そう書くことでことさら「文章」を意識することがいちばんふさわしく思われるのだった。
「匿名」は考えていることがずれていく話、あるいは薄皮をめくるように本当の関心事に迫っていく話でであるように思いながら読んだ。 時間が川の流れであり記憶が川に転がる岩だとするなら、何がのこっているのか。何が引っ掛かっているのか。 それは切ないものであったり、また滑稽であったり。 味わいがあった。
2009年02月13日(金) |
叫ぶ。声を出さずに。 |
金子光晴さんの「ねむれ巴里」がそろそろ読了にちかい。 PCの横には海外放浪三部作の最後にあたる「西ひがし」が待っている。 昼前に本屋さんが届けてくれた。
まったく「詩人」というのは…。まったく男というのは…。まったく日本人というのは…。まったく人間というのは…。と、時に立ち止まりつつ「裸の言葉」に魅惑され、幻惑されて、巴里の地獄の底めぐりのような話にアタマをぐりぐりさせていた。ほんとに「どうしようもない」のだ。 金子さんも「どうしようもない」。
おかげで神経は冴えてしまい、昨晩、寝ながら細かな黒い糸の塊を吐き出すような気分で叫んでいたような記憶がある。 声が出ていたかも知れないし、出ていないかも知れない。 何に対してか突撃していて、ほとんど咆吼していたような感覚が残っている。
金子さん自身書いているように、第二次大戦前の巴里での金子さん達の無鉄砲な生き方と1970年前半の若者たちの一部の生き方は似ている。 パリのアパートを「北白川アパート」とか「下鴨一本松のベッドハウス」と読みかえれば、そのまま京都の話になるし、東京であれば60年代末から70年代にかけての新宿でもかまわないぐらいだ。
フランスに行って帰ってきた男達。 遠藤周作さんに、生活の苦闘の記録としてすぐれた作品が残っている。山田稔さんもパリでほとんど外に出ないで部屋で言葉と格闘していた時間があったという述懐を読んだ。
「ねむれ巴里」にはフランス語やフランス文学に対しての言及はほとんどない。ときどき、ほとほと嫌気がさしたというような記述が現れる程度。
それどころではなかったのだった。生きていくことに精一杯なのだ。多くの人が病み、多くの人が死んでいった。多くの人がパリの土となり、肌のあわない人はたちどころに日本へ帰っていく。
奥さんの森三千代さんは凄い。フランス語を学び、フランス語の詩集まで制作し、自分を置いていった夫を追い越して帰国を果たしたのだから。
ほとんど詩を放擲していた金子さんが、奥さんと離れ、ぼろぼろの連れ込みホテルの奧に部屋を借り、透きとおるような孤独の中で、ようやく何年かぶりにノートを開き、何事か書き始めるシーンが好きだ。 書いている場合ではないのだが、書くより他に出来ることもないというその感覚が。
金子さんたちがこの時代をくぐり抜けると、日本は第二次世界大戦に突入していく。 戦後、金子さんは時代に対して反骨を貫き通したと評価されているけれど、背後には人間に対しての透徹した覚醒があったからだとおもう。 それは上海からマレー半島、巴里と彷徨ったこの時代に、否応なしに身に付いてしまったことなのではないだろうか。
うーむ。 今夜も叫ぶかなあ。たぶん声は出ないと思うけれど。
金子光晴さん、山田稔さんの本を軸に様々な本を連続して読んでいます。 二人に共通するのは「フランス」です。
山田さんは翻訳も多くて、以前から彼の本を全部読み切ろうとしているので、当然そちらにも手が伸びます。 で、岩波の「フランス短編傑作選」も詩人の書いた短編から潰していっています。
さらに昭和40年に出た河出書房の世界文学全集に収められているゾラの「ナナ」も山田さんの訳だと知って、本棚から引っ張り出して読んでいます。(よくぞありました) 箱入りでしっかりした装丁の本が一冊390円だった時代の本です。
金子さんはボードレールの「悪の華」を訳していますが、それよりもパリという都市の「底」を這い回るような凄まじい自伝「ねむれ巴里」にぐいぐい引きつけられて、ほとんど夢中になっています。 巴里在住の頃、ほとんど詩を書くことを中断していた金子さんが、ふたたび文学へ、詩へと向かい始める契機となったブレーズ・サンドラールにも行き当たり、本を発注しつつネットでバイオグラフィーを調べています。 興味津々。 ところでフランス文学の本は絶版になるのがはやく、手に入りにくくなっています。古本でもずいぶん高価です。特に生田耕作さんの訳のものは高いですね。
そもそも金子さんの「いのちもたまゆら」というなんとも美しい詩のフレーズに魅了されて、ちくまの文庫版全集を買ったのが、もう10年以上昔のこと。最近、金子さんの散文に光を当てる文章を読んだことがきっかけでまた読み始めたのです。 なんだか鉱脈にぶち当たった感覚がしています。
フランス文学の翻訳といえば堀江敏幸さんもエルヴェ・ギベールを訳されていました。堀江さんご本人の作品よりも先にこちらを読んでいました。今では彼の作品が大好きですが。
併読している本で特筆すべきは江國香織さんの「左岸」。 これは凄い本です。
本を読んでいます。 ある方が雑誌で金子光晴の散文を紹介していて、そういえば詩はほとんど読んだけれど散文作品はあまり読んでいなかったなと思い、読み始めました。 これがまたべらぼうに面白くて、今まで読まなかったのが悔やまれます。
山田稔さんの作品も未読の作品を拾いながら読み続けています。
併読する本は増える一方。 読むのを待っている本も増える一方。 読みたい本も増える一方。 なんとしても全部読みます。
で、気がつくと聴いている音楽が絞り込まれていました。 ほとんど二、三枚を繰り返し聞いているばかり。 自分でも数えたことがないけど、これだけ枚数があって…と思うより、これだけ聞いたからこうなったんだと思うようにしてます。
節分。 街を走っていると商店街に出るたびに、鰯を焼く香がした。 本家本元の吉田神社では一日早く昨晩、鬼が追われていた。
川村カオリさんを久しぶりにテレビの映像で見た。 ますますかっこよくなっていた。 病気のことはあえて触れることもない。「なめんよ」ってことだし。 再開された歌のこと。耳をそばだてていようとおもう。
2009年02月02日(月) |
久しぶりに「ごまや」さんへ |
祇園・下河原の「ごまや」さんへ久しぶりにいった。 往きは大きな道を通っていったけれど、帰りはずっと路地から路地へと繋ぎながら帰った。なかなかおもしろかった。 ぼくが高校生の頃、怖ろしくて足を踏み入れることが出来なかった旧千中ミュージック周辺も通った…。あのあたりに凄まじい大音量でロックを聴かせる絨毯バーがあったんだ。大学生の頃にはもう入り浸っていたね。 河原町周辺では考えられないようなヒップな店が、銀閣寺や下鴨や上立売や千本西陣にあったんだ。
今は、あたたかな鋭い感性たちがそんな街に散らばって、小さなスペースを運営している。 若い人たちのやってることにこそ新しいものはある。 いつの時代でもそうだ。
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