不幸な自分が好き。 |
子供の頃から、不幸な自分っていうものを想像して楽しんでた。
大人になってからも、そんな空想をして楽しんでいることがある。
夫に冷たくされる自分、好きな人から冷たくされる自分、
他人から分かってもらえなくて、苦しんでいる自分。
そんなシチュエーションのドラマをつくり上げ、
自分を悲劇の主人公に仕立て上げ、涙したりして。
私に可愛そうな小説を書かせたら、かなりいけるかも。
なんでそんなに可愛そうな自分が好きなのか、そんな事を最近考えていた。
しかし、その想像の物語の結末は、決まっていつもハッピーエンド。
『あぁ、そんなに苦しんでいたんだね。』と、周囲が分かってくれるような展開。
たとえば、心労で倒れるとか、泣いてるところを見られるとか。
実は今現在、私自身がまだまだとても辛くて、
それを周囲に理解されていないという気持ちがあるのか。
それとも、幸せであることより不幸である事の方が、
より深く素晴らしい人生だと思っているのか。
そういう人生を、かっこいいなんて思っているのか。
影のある人に憧れる、センチメンタリストのAB型の特徴か。
自分大好きで、主人公にしたいだけなのか。
どうなんだろう・・・。
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2003年05月26日(月)
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