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2001年08月17日(金) |
ためらい/8月15日の第4試合 |
ずいぶんと日記の間隔が空いてしまった。 先週一週間ゼミの交流プログラムで不在だったせいもあるし、 今週はお盆にも関わらず割と用事があったという言い訳もできる。 けれど、何より大きいのは、最近、ここに「日記」を記す事に 少なからぬためらいを感じていたからだった。 今、僕は、こうしてまた書いているわけだけれど、自らの中から 湧いて来た疑問に対して明確な答えを見出したわけではない。
自己満足的で吹けば飛ぶよなサイトに過ぎないのだからやめるも続けるも 本人が決めれば良いだけのこと、誰も迷惑をこうむるわけでもない。 やりたくなければやらなければいい。 それだけのことだ。
けれど、と思う。
そう、いつの日からかインターネット上に自分の思いを 書き連ねるという自己完結的な行為を止めることを考えるときに、 刹那自分を踏みとどまらせる思いが心をよぎるようになっていた。 時々ではあるけれど、お互い顔も知らない誰かがこの日記を読んだ 感想を送ってくれる。そんなことがある度に、こんな駄文でも 書いていてよかったなと思う。
それはまさしく自己満足な思いなのだろう。 意味など何もないかもしれない。 下手な文章がどこかで誰かの嘲笑を買っているのかもしれない。 けれどもそうやって、「大した事ではない」とか「些細な事だ」 と言って何かを止めていったら一体最後に何が残るというのだろう? 何が瑣末で何が大切なのか、そんなものは後知恵に過ぎないのでは ないだろうか。僕は、少し踏みとどまってみよう、と思った。
****************************************************************** ちなみに先週の交流プログラムの詳細は別に「special memory」欄に 後日掲載しようと思う。一日の日記にまとめる事など到底できないほどの 濃密な時間だったから。
甲子園では夏の高校野球大会が佳境に入ってきた。 明日でベスト8が出揃う。 甲子園大会で一番面白いのは準々決勝だという意見をどこかで 耳にしたことがあるが、僕もその通りだと思う。
大学1年の夏の準々決勝で印象に残っているのは何と言っても 横浜対PL学園の延長17回の攻防だ。記憶が確かなら、あの日は 残暑の厳しい日だった。当時部屋に冷房がなかった僕は 涼むために居間に居座り、テレビに釘付けになっていた。
その次の日から僕は北海道へ旅に出た。 横浜高校の劇的なまでの結末は翌々日の北大の学食のテレビで知った。 翌朝、僕は最果ての街稚内で夜行電車を降りた。 松坂投手の祖父が稚内に住んでいることもあってか、 新聞の扱いがひどく大きかったのを覚えている。
去年の夏も僕は北海道へ旅に出る直前に甲子園の準々決勝を見た。 横浜対東海大浦安戦。池袋のデパートのテレビに映る東海大浦安の 浜名投手の奮闘に目を奪われ、なかなかその場から動けなかった。 横浜が勝つだろうとの予想に反して、東海大浦安が勝ち進んだ。
準々決勝と並んで僕が注目している試合は8月15日の第4試合だ。 今年は習志野対明徳義塾戦、去年は確か智弁和歌山の試合だったと思う。 吹奏楽の名門でもある習志野高校の応援のサウンドは聴いていてとても 心地よかった。
5年前の8月15日、2回戦の第4試合は予定を大きく遅れて17時頃に始まった。 試合が中盤に差し掛かる頃には早くも照明が点灯し、外野に線審がつく ナイトゲームになった。試合は1点を争う緊迫したシーソーゲーム。 中盤に逆転され1対2で迎えた8回表、僕の高校は3番4番の長打で再逆転に 成功する。3対2。7回裏の一死3塁のピンチで相手のスクイズをはずして 併殺した直後の逆転劇にスタンドは酔いしれた。
9回裏、アルプススタンドは誰しもが自分達の勝利を確信していた。 そんな状態だったものだから、平凡なゴロをショートがはじいて 内野安打が生まれ、ノーアウトのランナーが出たことなど誰も気にも 留めていなかった。かくいう僕も試合終了を見越して「楽器をしまおう」 なんて部活の友達と軽口を叩いていた。ひょっとしたらグラウンドにいる 選手達も同じような気持ちだったのかもしれない。
ノーアウトランナー1塁。 相手の打順はその試合当たっていなかった4番打者だった。 カウントワンボールからの2球目。
鋭い金属音。 球場が一瞬、静寂につつまれた。
振りぬかれた打球はぐんぐんと伸び、カクテル光線に照らされて 自分達の応援する3塁側のアルプススタンドに向かってくる。 いや正確に言うと打球がむかったのはアルプススタンドではなかった。 レフトは背中を向けて空を見上げた。 そのときのレフトの選手の顔は今でも鮮明に覚えている。 3対4、逆転サヨナラ負け。
僕は毎年8月15日の第4試合、必死に応援する3塁側のアルプススタンドを 見る度に、あの夏、あの場所で立ちつくしていた自分を思い出す。 それは苦くも痛くもなく、何故か不思議と甘い思いを伴って。
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