彩紀の戯言
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2000年10月25日(水)

哀。

哀しみ・・・。悲しみと同じなのかな?日本語って難しい。

私の父は私が23歳の時に他界している。
仲の良い親子ではなかったし、他界する2年前から入退院を繰り返していたので
号泣するほどの哀しみが私を襲ったわけではなかった。

冷たい言い方だと思われるかもしれないけどこれが事実。
愛情表現が下手な人だったのか、子供好きではなかったのか、
どちらにしても父からのアプローチはあまり感じられなかったので
子供の私は母側についてしまった。

とはいえ肉親であることには代わりはなく、父の死で私は2つの哀しみを感じた。

1つは、「体温」。
残念ながら私は父の最期には間に合わなかった。「今夜が峠だ」と言う連絡を受け
勤め先から病院に向かったのだが、様態が急変してしまったのだ。

2,3日前からほとんど意識がなかったので、生は「体温」でしか感じられず、
あまり好きではない父だったが、それでもできるだけ長く父の手が温かいことを
願っていた。苦しんでいないのならば、できるだけ長く・・・。

その「体温」が失われていく時間が私にとっての父の最期。
ただ手が温かいというだけで生が実感できることを知り、
冷たい父の手は私をどんどん哀しい気持ちにさせていった。

私の家には無記入の臓器提供意思表示がカード2枚ある。
自分は脳死状態で臓器を提供する意思があるが、家族の場合はどうだろう?
まだ温かい家族の手を手放すことができるだろうか・・・。


2つめは・・・「父の本意」かな。
多くを語らない父だったので本意が判らないまま旅立ってしまった。
お世辞にも仲むつまじい夫婦ではなかった両親の意見を、
私は母からしか聞いたことがなかった。

父にも言い分があったとは思うのだけれど私は聞こうとはしなかった。
もし、今生きていたとしても聞く意思が私に持てたかどうかは判らない。
自分が歳を重ねたから父の言い分を聞いてみたいと思ったのか、
父が他界してしまったからそう思うようになったのか・・・。
どちらにしても父の本意は2度と聞けない。やはりそれは哀しいと思う。


そうだ!私が天国に行ったときに聞いてみよう。
ついでに、ココに父のことを書いたことを怒っているかも聞いてみよう(笑)
あれ?でも、私もおばあちゃんになっているかもしれないぞ。
私のこと判るかなぁ?


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