彩紀の戯言
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喜。
喜ぶ。わ〜い、わ〜いと思うこと・・・・・。
私の母のセンスはあまりイケてない。(死語?) だから旅行のお土産も「どこに置けばいいの?」なんてモノもあったりするだが・・・。
私はそんな母からの好意が嬉しい。くさい言い方をすれば「母の愛」?
私は親に甘えることをあまりしない子供だったと思う。 幼稚園の2年間を祖母の家に預けられたため、 一番甘えたい時期に親が近くにいなかったのだ。
母の出産と父の入院が重なってしまったらしく、 家から1時間の距離の祖母の家に1人で乗り込むことになった。 さながら週末になると家に帰る単身赴任。
だから小学生になって両親と住むようになっても「おねだり」の方法がわからなかった。 というか、「おねだり(ねだれば買って貰える)」という行為を知らなかったようにも思う。 お祭りで母が「これ買ってあげようか?」と言いビックリした覚えがあるくらいだ。
なんだか悲壮な幼少期にも聞こえるが、 その後、人生において特別に道を外した訳でもなく せいぜいおバカな戯言をネットに綴る毎日を送っているだけである。
話を戻そう。 そんな幼少期があったから私は母の好意が2乗の喜びに感じられるのだと思う。 当たり前ではないことは喜びを大きくする。
逆に連続は習慣に結びつき、習慣では喜びを味わうのも難しいのではないだろうか? 好意だとは感じられくなると思うから・・・。
某女優さん宅では「コンビニへ行く」と二十歳の息子が言えば、 数千円を毎回渡していたと記者会見で話していた。 おそらく望むモノは全て両親の財から与えられていたのだろう。
彼の喜びとは一体どんなモノだろう? イケナイお薬を吸引する事だとは私も思いたくない。 コメンテーターの言うとおり、母親からの愛情を得ることなのだろうか?
さてさて、悲壮にも聞こえる幼少期を過ごした私の喜びのひとつでもある 母の旅行土産が、最近は「小さな招き猫」に定着してきた。 それらは玄関口に並べられ、出かける度にほんわか気分にさせてくれる。
そしてそれが私にとっての小さな母の愛でありちょっとした喜びでもあります。
でもねぇ、某女優さんのように綺麗な母親ならまだしも ウチの母親に「愛」って言葉はどうも抵抗があるのよねぇ(笑)
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