誰って前にかいた彼女ですよ。去年結婚した旦那があと1年の命って ひと。今日久しぶり会ったわけですよ。わたしはあの夜は夢もしくは自 分の妄想かと思いました。 あんまり普通だから。笑ってるから。3月の送別会の幹事までしてる から。 すごいなあ、って思うひとには「いや別にすごくないから」って言っ とこう、彼女のかわりに。運命とやらに面と向かうとそうなるから。 向かわなくても、人生ってそういう瞬間が誰にもまんべんなく訪れる のかも、って予感を感じたひとも、そうなれるから。 自分の苦しみのために、他人の喜びを損ねてはいけない、って思える ときがくるから。
わたしは、感情に素直であることを否定しているのではないよ。全部 押さえ込むのが人間として美しい姿だ、とはいいません。 でも、ヒトは何故いつまでも子供のままでいられないのか、って聞か れたら、子供はある瞬間は美しく、おとなには決して取り戻せない輝や かしいものを持っているかもしれないけど、それ以外の大半は煩く、他 から要求するだけの、役立たず、概して汚く醜いモノである存在だと。 だからオトナは自分の子供以外、は「かわいい」という認識以外で子 供をとらえない。かわいいのは犬も猫も一緒。子供がかわいいというの は子供という存在の極小さな1部のエレメントだと。それが生きぬく技 らしいから生き物ってすごい。
ねえ、他人の顔色をうかがって生きていけってんじゃないんだよ。 でも、あなたと違う人生、違う考え、違う喜び、近い価値観みたいなも のを持ったひとがすぐそばで暮らしていて、だからたいていヒトは寂し さを忘れていられるんだ、ってことを感じることのできるヒトが好きだ ってことだよ。
だから彼女のようなヒトを見ると、オトナとして≠人間として生きよ うとする意思のようなものを勝手に思って、尊いような気にさえなるん だよ。
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