痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2011年12月29日(木)  東京VS京都

はわー天皇杯ー
今日の準決勝も面白かったねー。
元日は都決戦ですよー。
J2同士の。
強豪でもひょんなことで負けたらおしまいのトーナメント戦ってやっぱり燃えるね。
一日はサッカー 二日と三日は箱根駅伝。
お正月だ。

ちなみにわたくしは東東京にクラブができるまでは
心の中だけの、水戸サポーターになる と決めました。
両親から受け継いだ水戸魂が、あの不憫なクラブを無視できなかった。
少しでもサポートするためにグッズでも買おうかな。
あと少しずつ選手を覚えようっと。
 
それから久しぶりに見たけど、中村しゅん輔はやっぱり段違いに巧いね。
だからといってチームが勝てるわけではないところが面白いところです。


今年もあと二日。
一年前のお正月は、再発を自覚していたけどまだ確定ではなかった。
大晦日にお仕事して元朝参りをしてリンゴ飴の美味さに感動していた。
それからすぐ抗がん剤の治療がはじまって、高額な薬代にブチブチ言っていた。その後どんどん額が倍その倍 となることを知る由もなかった。
3月にその頃なぜそんな気になっていたのか分からないけれど、
テレビで国会中継を見ていたら地震があった。
おさまってすぐスーパーに念のため水を買いにいった。
20分後に津波がくると、
スーパーから帰るとテレビでその映像を見せられるとは思ってもみなかった。
止めて止めて と思わず声がでたけど水は止まらなかった。
普段どおりの行動をしようと、その2日後に都内の温泉に行ったけど停電にそなえて休みになっていた。
それから10日間くらいは毎晩、とうとう原発が爆発した という夢をみて
朝おきると確認のため一番にテレビをつけていた。
だんだん暖かくなって 薬がぜんぜん効いてないことにも気付いてきた。
隠れ家を引き払い実家に帰ってインコさんをかった。
寝たり起きたり、インコさんと遊んだりの初夏。
7月のお盆に新潟のジャズフェスに行った。
船で歌った。
この頃から喉がおかしくなる。
でもまだ自毛があったし、声もでた。なかなか体調もよく楽しかった。
夏 なにしてたんだろう。
寝たり起きたり、インコさんと遊んだりの夏。
秋のお芝居の話がだんだん具体的になる。
当初の予定から変わり、平将門公と震災というか原発の話しになるっぽい。
じじいの散歩と称して 関東以東の鎮守祈願に神田明神さんに参ったことを思いだす。
絶対に出演しよう、と決意する。
暑さもおさまりお芝居の顔合わせ、そして稽古がはじまる。
体調はどんどん悪くなる。
出る ということを第一に前半の稽古はほとんど休む。
後半は流れで役者としてより囃し方の太鼓の役目が重要になって休んでいられなくなり、
そのおかげか気力で持ち直し、自分としてはいいかんじで最後まで芝居を楽しむ。
でも打ち上げを楽しむところまでは持たなくて、その後どんどん体調が悪くなる。
痛みがでてきて、夜眠れなくなりとうとう先生に鎮痛剤を出してもらう。
腫れもどんどん大きくなり首が回らなくなり、いつもヒューヒュー気管から音がして一日中咳をしていた11月。
自分もまわりもやばいなあ と思いはじめる。
期待の新薬も効かず、ヤケクソでバリ島に最後の旅行にでかけることを宣言する。
その一週間後に替えた薬が奇跡のように効きはじめ、投薬して3日で目にみえて腫れが引き始める。
どんどん呼吸も楽になり、痛みがなくなって眠れるようになり鎮痛剤と手を切る。
そのかわりに髪が抜けまた副住職になる。
12月バリに行く。
とってもとっても気持ちのよいところ。
わたくしの足の爪にはまだ白い花を描いてもらったペディキュアがキレイに残っています。
帰国、一週間後のライブも歌えると確信する。
ライブ終わり、少しずつお仕事に行く日も増やす。
そして年末、今年も大晦日の夜にお仕事をいれ、そのまま元朝参りにいく予定。

いろいろあったけど、こうして拾い上げてみなければ、
昨年も一昨年も、10年前も同じ感想。
いや一年はあっという間です。


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