痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2012年01月12日(木)  わんわん

あれは、いつ どこへ行く途中だったんだろう。
深夜にフランクフルトで乗り換え・・・
ドイツ・・・ 
あ!トルコに行く途中だ!

フランクフルトでイスタンブルへの便を待っていた時だ。
夜遅い、疲れた、眠い、国際線乗り継ぎロビーに全然お店がない、椅子が少ない、
それで結構な人数がロビーに座り込んでいたのだった。
するとイキナリ、でっかい有能そうな働く気まんまんの犬の軍団を連れた、
これまたでっかい全員190cmはありそうなムキムキ男性軍団があらわれたのでした。 
犬達はひとめ目でわかる 本物の本場もののジャーマンシェパード。
座り込んだ旅人達はは なんだなんだ、とザワザワしながらも
「夜だから見回りかな〜。面白いドイツ風警備が見られてよかったな〜」
と結構のんきな風。
ところが、その後から空港警察らしき制服の男女がたくさんやってきて、
黄色いテープ そう海外ドラマでよく見る キープアウトのテープを
ムキムキ犬&男軍団が向かった柱の周囲に張り巡らし、
床にいた旅人立ちに、立て立て! のジャスチャー。
フランクフルトからトルコに発つ乗客の大半は帰国する出稼ぎトルコ人で、大量のお土産や電化製品などを手荷物として持ち込んでいました。
床に積み上げたそれらを纏めるのも手分けして手で運ぶのも中々捗らず、
一気にロビーは大混乱。
というのもフロアから追い出され階段で中二階の廊下みたいなところへ上がれ上がれと、警察がジェスチャーしているからです。
身軽な旅行者のわたくしはサッサと上がっていったい何が起きたのか、下を覗き込んでいましたがウゾウゾ動く人の頭と荷物ばかりで全然分からない。
でもこれ爆弾騒ぎだよね。
なんか変な金庫みたいなカプセルみたいなのを持った処理班らしき人たちも来たよ。
やばいじゃん。
中二階にはどんどん人と荷物が上がってきて、
更に乗り継ぎの別の便の旅客が到着するや否や何も分からず階段に追いやられてくるわで、
仕舞いには朝の新宿駅くらいまで混んできたのに、
乗り継ぎロビーのせいなのか、そこから外には誘導されない。
ダメじゃん これが本物なら大惨事になるかもしれないじゃん 
ドイツ警察の危機管理はどうなってるのだ!
それとも念の為の検査をそれこそドイツ的に、厳密に、大げさに執り行っているだけなのか?

なんかイスタンブル行きの便の時間もせまってくるし、
周りのひとたちはほとんどトルコ語かドイツ語でしゃべっていて状況が全く読めないし、
人がグチャグチャで成田からの便で一緒に来た人たちはどこに居るのかわかんないし、
この騒ぎでゲートがかわってたらどうしようと、死ぬ気でアナウンスに耳をかたむけていました。
が、そうだ、出稼ぎトルコ人についていけばいいのだ!
彼らを乗せずに出発する筈がない!
よし、あの電化製品を山ほど持った家族について行こう。
スカーフを巻いた年配の女性や太ったママさんもいるし、信頼できそうだ。
絶対に離れない!ついて行く!

そうこうしていたら、下のロビーではあっけなく撤収作業がはじまりました。
ほんとにあっという間に黄色いテープがはがされ、
特になにもアナウンスもなく、手押し車に小さなダンボール箱を乗せて、
処理班・警察・ムキムキ犬男軍団も去っていきました。
それと入れ替わるくらいのタイミングでロビーに航空会社のスタッフが走りこんできて、
ナントカー ナントカー と叫んでいます。
すると一気に中二階があわただしくなり、皆 荷物を担いで我先に階段を下りようと大混乱の民族大移動が始まりました。
わたくしも慌てて頼みの綱の電化製品家族の太ったママさんに、
「イスタンブル? イスタンブル?」
と(たぶん)縋るような目で問いかけました。
「いえす いえす いすたんぶる。かむ。 かむ うぃず まいふぁみりー」
答えたのは少し英語のわかる息子さん(たぶん)でした。
こういうところがわたくしもユルユルな日本人。
もうそれで安心してしまい電光掲示板を確かめもせず、トルコのご家族について何番ゲートだか分からないまま走りました。
もうゲートはオープンしているようで、皆走る走る。
とにかく本気で走っているのは大荷物を持った帰国トルコ人達です。
なぜかというと、フランクフルト→イスタンブル便のトルコ航空は座席指定なし! 
自由席なんです。
(当時。今は分かりません。)
彼らが心配しているのは機内持ち込みにした大荷物の置き場所なんです。
遅れをとったら頭上の荷物入れなんか当然満杯。
非常口前にも積みあがっています。
空席があったらすかさず荷物を置こう、と離陸直前まで立ち上がってキョロキョロ。通路をウロウロ。
こういうことは飛行機に乗り込んではじめて分かりました。
電化製品ご家族は、これも縁と非常に親切にわたくしの面倒をみてくれて、
たぶん小さい女の子(当時)が一人だったからでしょう、
先に乗り込んだ息子さんがわたくしの席もママさんの隣 奥の窓際にとっておいてくれて、
たぶん知らない男性の隣にならないように、
離陸してからも、
寒くないかと毛布を余分に差し出してくれたり、
持ち込んだお土産用のお菓子やジュースをわざわざ梱包をあけて食べろ食べろ飲め飲め
トルコ語しか話せないママさんは機内食の中身をトルコ語で教えてくれたり、
ウトウトして気付いたらママさんが、毛布をかけ直してくれていた!
トルコ人の旅人への親切大盤振る舞い魂は、トルコに向かう飛行機の中でも発揮されていたのでした。

息子さんの話によると(たぶん)、
先ほどの爆弾さわぎは、
柱の影に封の開いたダンボール箱があった。
イスタンブル行きの乗客がロビーに集まってきた時にはもうすでにあった。
誰のか分からないし気持ちが悪いので皆すこし遠巻きにして柱の周りを空けておいた。
警備のひとが通りかかった時に誰かがそのことを告げた。
すると警備のひとはトランシーバーでどこかに連絡した。
あっという間にムキムキ犬男軍団がきた。
犬たちはダンボールをクンカクンカ嗅いだ。
男たちは金属探知機の棒でピーピー調べた。
爆弾処理班も到着した。
大丈夫と判断し、箱を開けてみた。
中身はゴミだった。
撤収!
ということらしい。

なぜか突然思い出しました。
9.11の起こるずっと前のことです。


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