虹色過多想い
2005年04月12日(火)  名前を呼ばれるのは存在してる証で

あたしが通っている大学で最も気に入っているのは道内最大級だという図書館があるところ。
昨日はそこで綿矢りさの「蹴りたい背中」を借りてきた。
すごく流行っていたのに読むの遅いなぁって思われてるだろうけど、人気過ぎて区の図書館ではいつも貸出中だったの。
ハードカバーだから買うほどではないしなぁって思って。
綿矢りさの本はすっきりとしているので、2時間ほどで一気に読めちゃう。
そして読んでる途中で、この人の描く主人公には本当に共鳴してしまうなぁと思うの。
「インストール」の時もそう思った。
べつに「蹴りたい背中」の恋愛模様である、傷つけてしまいたいくらいの激しい気持ち―背中を蹴りたくなってしまいたくなるほどの―には共鳴しない。
だけど、綿矢りさの描く主人公の教室の中のグループに溶け込めないだとか、人間関係に歪みを感じるだとか、そーゆう部分にすごく心が震える。
どうして彼女がこれを書けるんだろうって思う。
美人で聡明な彼女が、どうしてこんな孤独を際立たせる本を書けるのかな、と。
あたしが心のどこかでいつも感じていることが、そのまま活字になっているようだよ。
この人の文章がうまいと思うわけでなく、好きだと思うわけでもなく、心に残る一文があるわけでもないのに、心がすごく綿矢りさの小説に近づける気がするの。

火曜日は1講だけ。
あたしは法学部の女の子と6人でグループを組んでる感じで、その中の誰とも一緒じゃない授業は史学系の2つだけ。
あたしはずっと歴史を専攻していきたいと思ってたから、その2つだけは共通科目の中から個人的にとることにした。
それ以外の授業は誰か彼かと一緒。
今日の1講は商法の授業で、6人グループの中の友達2人と一緒に座った。
その2人は授業中、ノートの隅っこにイラストを描いてなんだか2人でよく話していたけど、あたしはうまくその中に入っていけなかったなぁ。
あたしはイラストなんて描けないし。
あたしが入るグループは高校の時から大人数で、絵のうまい子ばっかのところだなぁ。
あたしはイラスト描けないし、どちらかと言うと大人数より少人数の方が好きなはずなんだけどな。

名前を呼ばれるとすごく安心する。
恋人に名前を呼ばれるのが好きだと何度も書いてきているけれど、友達に名前を呼ばれるのも好き・・・と言うか、安心する。
今って会話でもメールでも相手の名前を呼ばなくても話していけるから、名前を呼ばれないことって多い。
そんな中、同じグループの中に気軽にあたしの名前を呼んでくれる友達がいて、すごく嬉しいなぁって思うんだ。

まだ新生活には慣れきってなくって不安がいっぱい。
そんなんで、最近のあたしの文章が乱れてたらごめんなさい。

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