虹色過多想い
2005年07月03日(日)  私は私でいたい

「優等生だね」って昔から言われ続けてきた。
道を踏み外すことが嫌で、先生に怒られたことも説教をされたこともなくって、不真面目だと思うことに誘われれば、上手に断ってきた。
どうして自分がそんな風に生きようと思ったのかはわからない。
怒られることが嫌だったのかもしれないし、褒められることが嬉しかったのかもしれない。

だけどいつの間にかあたしにとって、そーゆうイメージは窮屈なものになっていた。
優等生なんて言われていたけど、あたしは学校が好きな方ではなかったし、学級委員長なんてしていても、病気のせいだとかで学校はよく休んでいた。
あたしはそんなにいい子ではなかったと思う。
きっと本物のあたしと、みんなが見ている(望んでいる)あたしのイメージは違ってた。
だからあたしが高校を中退した時、それまでのあたしを知っていた人はみんな驚いた。
本当は違うのに優等生ぶってたから、18歳の時に自分がガラガラと崩れていった。
それをよくわかってる。だからもうあの時の二の舞は踏みたくない。

この日々になのか、世界になのか、自分になのかわからないけれど、息苦しいだとか窮屈だと思ってしまう。
大学に入って、友達ができないかもなんて心配していたのに、ひとりでいるのがあんなに怖かったのに、今のあたしの周りにはものすごくたくさんの人がいてくれる。
いつも誰かと一緒に居て、ひとりだなんて感じることもなくって、いつだって誰かと話している。
そんなあたしのことをみんなが「顔が広いね」と言って、「心が広いね」とも言う。
そんなこと思ったこともない。
このあたしの人間関係が広いだなんて思ったことないし、余裕のある人でいたいとは思うけど、あたしはまだ自分のことでいっぱいいっぱいな発展途上中の人間だ。

あたし、そんなにいい子じゃない。
自分の存在を認めて欲しいけれど、本当のあたしをわかって欲しいとも思ってしまう。
本当のあたしはそんなんじゃないって言ってしまいたい。

恋人の好きなところのひとつは、あたしを過大評価しないところだ。
恋人は決してあたしをいい子だなんて思ってない。
ダメな子だと、頭の悪い子だと思ってる。
あたしは恋人がそう思ってくれてると知って安心する。
「もっといい子になるからね」と素直に言える。

体も心も限界ギリギリで、バイトを辞めさせてもらった。
楽しいお仕事だったし、お店側からは辞めて欲しくないって言葉までいただいたけど、今どうしても学校とバイトの両立をできなくって。
学校すらちゃんと行けてなかったもんな。
できることならあたしもあのお仕事を続けたかったけど、今はまず学校にちゃんと行くことが大事だと思った。
もう中退なんてできないんだから。

まだ少し息苦しいけれど、少しずつ元気になってきた。
恋人とこの夏の楽しい予定の話をした。
去年は生まれてきてから一番楽しい夏を過ごした。
今年も恋人と一緒に夏を楽しめる。
この夏には恋人のバースデーパーティーも花火大会もふたりの一年記念日もある。
花が咲き乱れる公園でバドミントンだってするんだ。

友達だって、夏のいろんなイベントに誘ってくれるし、みんなでたくさん夏の予定の話をしてる。
協調性があるように見えるけど実際はマイペースなあたしは、海だとかプールだとか遊園地だとか話に積極的に入っていってるわけではないんだけど(あまりそーゆう話に乗り気でいけないんだよなぁ。若さがないのかな・・・)、友達とそーゆう話ができるってこと自体、幸せなことなんだよね。

大学入る時、本当に不安だった。
2年も遅れて、周りの若い子たちと仲良くやっていけるのかって。
だけど今、21歳のあたしをみんな受け入れてくれている。
みんなが思っているようないい子じゃないから・・・なんて思ったりもしたけど、まだ友達になって3ヶ月も経ってないんだし、これからまたあたしを知ってもらえればいいかも。

明日からまた新しい一週間。
今週はちゃんと学校に行って、授業を聞いて、お勉強を頑張ろう。
もうテストだって近いんだから。

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