2003年06月04日(水) |
『ancolau foje』(蜃気楼〜後北条小ネタ) |
「兄上っ!三郎はまだ生まれてこぬのですかっっっ!!」 「……まだだ」 「少しは落ち着いたら?氏照兄…。馥子義姉上だって、これが初産なのだからもう少しかかると思うけどなぁ」 「じゃと言うて、邦っ!!三郎が、三郎が再びこの北条に生まれて来るのだぞっっ!これが落ちつかずにおれようか!……ああ、どのように愛らしい子であろうのう♪遠駆けも、弓の稽古も、あれがやりたがっておった仕舞も一緒にしようかのうvvそうしたらわしが笛を吹いてやらねばのう♪」 「……照兄、せめてそれは三郎が数えでも6歳くらいになってからにしてくださいね…。それと、今の我らの名字は「北条」ではなく、「北城(きたしろ)」ですからね。お間違いなく」
熊よろしく、分娩室の前をうろうろしているのが氏照。それをくすくす笑いながら見ている氏邦。氏照の浮かれっぷりに冷静にツッコミを入れているのが氏規。 …そして、姿勢良く厳然と座っているのが氏政。 丁度飲み物を買いに席を外していた北城家年少組のひとり氏忠は、この光景を見てため息をついた。 「これじゃ、誰が父親なんだか分かんないよなー」 「そう?」 氏忠の後ろにいた弟の氏光は、にこにこと笑った。 「だって、あれじゃまるっきり氏照兄が父親みたいじゃんか」 青くなったり、赤くなったり。うろうろと歩き回っては、これからの事を計画しては喜び、まだ生まれないことに不安になるなど、百面相をしているのは次兄の氏照の方だ。…対して、今度生まれて来る子供の実の父親である氏政にいたっては、椅子に腰掛けたまま、姿勢良く動こうともしない。 氏光はまた、おっとりと笑った。 「忠兄、政兄の手元見てみた?…ああ見えて、めちゃめちゃ緊張してるみたいだよ」 弟の言葉に長兄の手元を見てみると……氏政の手は、自らの膝をしっかりと掴んだままだった。……掌の汗で、淡い色のスラックスがその辺りだけ濡れている。 「か…顔は全然汗かいてないのに……器用だな……兄上」 「そうかなぁ?妙に不器用なだけだと思うけど」 氏光はふふ、と笑うと、その「よく観察してみれば内心激烈動揺しまくり」…な長兄の元へと歩んでいった。
「はい、氏政兄」 そして抱えていたブラックコーヒーを差し出す。 「ああ……氏光。すまぬ」 顔は冷静なまま、兄はそのコーヒー缶を受け取った。しかし彼はそれを飲もうとはしない。しっかりと握り締めたまま……分娩室の向こうを、見つめている。 「もうすぐ…三郎が生まれてくるんだね」 「……………」
…そう。彼らは、諏訪湖を守る守人の血族として、そしてその彼らが前世で行った償いの為に、前世と怨霊の頃のままの記憶を持って「北城」の家に生まれてきた。何の特殊な力も持たぬ人として生まれ、生き、そして長兄は結婚した。 そして、その氏政の最初の子供…それが、かつての自分たちの末の弟、北条三郎が転生した魂であると、諏訪の龍神……北条氏康公から託宣が下ったのだ。
それから、氏政の弟たちは一斉に、氏政の妻、馥子のお腹に向かって「三郎、三郎」と呼びかけはじめた。馥子は、「女の子だったらどうするのですか?」と笑いながら、その「三郎」という呼び名を受け入れる。 …そして気がつけば、氏政も、「三郎の調子はどうだ?」と、ごく自然に口にしていた。半ば無意識だったので、妻に指摘されてから気付いたのだが。
――しかし。不安は…あった。 他の兄弟は良い。自然に、三郎のことを「身内」として受け入れている。妻にとっては我が子なのだから、当然だろう。 しかし、自分は………。
どこか、三郎のことを「身内」として受け入れきれず、触れ合う機会すらも逃して上手くゆかなかった、最初の生。 その記憶をひきずったまま、三郎をただの「兵器」として認識しようとしていた、以前の自分。 ――その自分が、今度こそは三郎を「身内」として受け入れられるのか? 我が子として、愛せるのか?
――答えは、出ない。出ないまま、いま、もうすぐ「三郎」は生まれようとしている。
何故、そんな自分のもとに「三郎」は生まれてくるのか? 前生で可愛がっていた、氏照や、氏邦のもとの方が良かったであろうのに。
それとも、これこそが「償い」なのか。 以前の記憶を明瞭に持ちながら、自分の為したことを目の前にさらけだされながら、それでも、「生きよ」と。 何の力も持たぬ、「人間」として。
――――父上――――
コーヒー缶を両手で握りしめたまま、氏政は目を閉じた。
その時。
甲高い――しかし力に充ちた産声が、ドアの向こうから聞こえてきた。
「――生まれた――!」
そして、分娩室の扉が開く。 「お父様はどちらでしようか?」 鼻までマスクに覆われた看護婦は、それでも分かるほど満面の笑みをたたえていた。
「兄上、さぁ、三郎を迎えに行ってやってくだされ♪」 「ああ、その缶はこちらでお預かりしますから」 「ほぉら。立って立って!」 「政兄!」 「馥子義姉さんも待ってるよ」
兄弟の声に背を押され、氏政は、ゆっくりと、歩を進めた。
「大丈夫かな」 「心配はいらぬ。元々、兄上は優しいお人ゆえ」 「感極まって腰をぬかさないと良いんですがねぇ…」 「そうじゃのう。それで三郎を落さないと良いのだが」 「……落したこと、あるの?」 「うーん、そういえば光を抱いていた時の政兄、手つきがあやしかったような……」 「政兄上に言わせると、小さすぎて加減が分からないらしいよ」 「それでも氏光の頃には慣れて、落さなかっただけ上出来でしたよ」 「…え。じゃあもしかして」 「光以外は、兄上は一度は皆抱き落したという記録の持ち主じゃ」 「今回は、ほら。大分時間があいたし…」 「初めての「我が子」だし……」 「その上「三郎」だし………」
「だいじょうぶ……かな?」 「さぁ?」
「……………………」
年長組兄弟のあまりにも不安な会話に、氏忠と氏光は、思わず祈らずにはいられなかった。
(…氏康父上!どうか三郎をお守りください!)
今度こそ、三郎といっしょに、遊ぶのだ。 ――そう、今度こそ。 離れ離れになって、お互い合う事も稀だったあの頃とは違うから。
もういちど。 はじめから。
お前の誕生を祝うところから、始めよう。
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