2003年09月10日(水) |
『シルエット』(シュート!皇帝狼小ネタ) |
テラスから庭に下りると、空調の効いた部屋の中とは違う、草の匂いを含んだ風を肌に感じた。 空には月明かり。真夜中の今に中天でほのかな光をなげかけるそれは、真円というには少し足りない。 しかし庭に影を落とすには十分で。
ヴィリーは、その月明かりの下で咲く白薔薇へと歩を進めた。 白…というよりはほのかにクリーム色に近いそれは、中心に向かうにつれて、ほのかな薄桃色に染まっている。 庭一面に咲く、白い薔薇。 その印象と同じ柔らかな芳香に惹かれたかのように、ヴィリーは開きかけた蕾にふれた。
「…何をしている」
「重傷で安静にしなきゃならんお前に言われたくはないな……」
背後からの声に、ヴィリーはため息をついた。 「こんな夜中に起きていいのか?怪我人」 「うるさい」 「じゃあ言い直そう」 ヴィリーはくすりと笑った。 「シーズン開幕早々にタックルをくらって肋骨を3本ほど景気良く折った上にその場で気絶して病院送り、加えて前節復帰は絶望視されてる皇帝サマ、お加減はいかがですか」 くすくすと微笑うヴィリーに、カイゼルはさらに苦々しい顔をしてみせた。 いつもはその名の通り、傲然としている彼なのに、大怪我をしてもなお意地を張ろうとする姿が妙に子供じみていて、可愛く見えてしまう。それが何とも妙で、おかしい。
「…加減なぞ良い訳があるか」 「俺が着いた時には、よく眠っていたようだが」 「麻酔が切れて、目が覚めた」
カイゼルの額にはうっすらと汗がにじんでいる。暑さのせいではない。立っているのも辛い状態の筈なのに、よくもまぁベッドから起き上がったものだと、ある意味感心できるかもしれない。
「俺の質問に答えろ。何をしていた?」 「別に」 ヴィリーは傍らの白薔薇に触れる。 「遠征先でお前のニュースを知って、そのまま搬送先の病院に向かったら、お前は既にこのシュバルツバルトの保養所に移されていた。カミヤが車を出してくれたから助かったよ」 白薔薇が揺れる。彼の指の感触に。かすかに撫でるような風に。 「着いたのはほんの少し前だ」
「よく使用人がこの別荘に貴様を入れたものだな」 ここはバッハブルグ家の者しか使えない保養所を兼ねた別荘。医療施設からリハビリ施設、温泉まで整え、使用人はすべて何らかの医療資格を持つ者ばかり。主治医は普段は隣接する(といっても別荘の敷地の広さが半端ではないので、決して近くではないが)一般の保養所で勤務しており、いつでも呼び出せる状態になっている。 そんな特別な別荘だけに、入れる人間は数少ない。
「この指輪が、そんなに効果があるとは知らなかったよ」 ヴィリーの右手の薬指にはまる、紋章が刻された銀色の指輪は、カイゼルから贈られたにしてはシンプルなものだった。
「ああ…それを見せたのか」 自分が彼に贈った物の中で、唯一身につけてもらっているモノ。…いや、半ば無理矢理に脅して、鳴かせて、その指にはめる事を約束させたもの。 …どうやら、今回はそれが役に立ったらしい。 くっ、と笑おうとして、上半身に走る激痛に顔をしかめた。しかし声を上げることはしない。そんな様を見せるのは、屈辱以外の何物でもないから。 狼を手元に置くのなら、自分は皇帝であるべきなのだ。
「すごい…白薔薇だな」 ヴィリーはゆっくりとカイゼルのいるテラスへと歩を進めた。 「着いた早々にお前の様子を見に来たんだが、よく寝ているようだったからな。起こす事もないだろうと思ったら、月明かりに、この薔薇が見えたんだ」 ゆらゆらと…風に、薔薇が揺れる。月のほのかな光をうつしたかのような、ほわりとした、白い薔薇。 清らかで高貴な白に、かすかにともる、薄桃色。 凛と立っているくせに…誇らしげに天上に向かって咲くくせに、どこか甘い。 今、自分の前に立つ、柔らかな黄金の髪をもつ、狼のように。
「……まだ、痛むか?」 「そうでもない」 「嘘をつけ。額に脂汗をにじませている奴なんかに、全然説得力なんてない」 「暑さのせいだ」 「無理をするな…ベッドに戻った方が良い」 「随分積極的だな」 カイゼルがヴィリーの言葉尻をとらえてニヤリに笑うと、ヴィリーはどこか悔しそうに眉をひそめた。
そして不意に、カイゼルに抱きつく。彼の負担にならぬよう、腕を首に回して。 そっと。 しっかりと。
「 」
吐息だけで、囁かれる言葉。 カイゼルは、ふと笑う。唇を歪めただけの、しかしそれはいつもの不遜なそれではなく。
「…当然だ」
…声だけは、いつもの調子だったけれども。
月が、白薔薇の庭を照らす。 夏の風が、白薔薇の花を揺らす。 音もなく。
ただ、テラスから部屋に、ひとつになった影が、落ちるだけ。
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