2003年09月18日(木) |
『月光 2』(ヒカ碁小ネタ。搭矢門下…?) |
搭矢家の和風の庭に、ぽつぽつと、ほのかな行灯の灯りがともる。 ゆっくりと夕闇が迫る中、最初ははかなげだったその灯りは、次第に温かみのある印象へと変化していった。
「綺麗ですね……」
父、搭矢行洋自らが作った行灯は、素朴な造りだが、それがなお良い雰囲気をかもし出していた。 縁側には、やはり行灯と、そして母が三宝に盛り付けて月へとお供えした白い団子と、その横にはススキや萩に桔梗、ミズヒキやノギクなどの秋の花が花篭に生けられ、時折吹いてくるかすかな風にゆらゆらと揺れていた。
「今夜は月を眺めるのだから、準備が終わったら部屋の電気は消しましょうね」 明子は、涼しげな阿波しじらに縞の半巾帯を結び、冷酒や酒の肴などを運びながら微笑んだ。 「…ふむ。碁も打ちたかったのだが」 「月明かりで十分打てますよ。縁側の側に床几でも出されたら?」 「そうするか。アキラ、手伝ってくれ」 「はい」
…結局、碁盤と碁笥を床几の上に出し、行灯の一つも上に置いて、父と息子はその光景に満足すると、さっそく一局打ちはじめた。 明子は、苦笑しつつも準備を終え、家の明りを消してゆく。 後は月を待つばかり。 庭には、秋の虫の音と、ぱちり、という、碁石の音だけがひびいていた。
搭矢門下の門下生も、ひとり、ふたりと顔を見せる。 月を見ながら賑やかに酒が飲める……若い者たちはそう期待して来たのだが、暗い家の中、明子にペンライトで庭につながる広間にまで案内されて、今夜の「趣向」がそういったものではないことに、少しとまどったようだった。
都会の喧騒では、めったに味わうことのない、静かな空間。 行灯が所々に灯る庭は、見慣れていたそれを、全く別の姿に見せ。 縁側に出て、月明かりで静かに交わされる談笑。盃。 かそけき風に揺れるすすき。 縁側のさらに外には、床几が出され、そこで打たれる一局は、対局というより、手談ともいうべき、穏やかなものであった。
見慣れない空間に、芦原などは呆然とし、明子に導かれて、縁側に腰を下ろした。そして勧められるままに朱塗りの盃を受け取り、冷酒をそそがれる。 まずは一杯飲んで落ち着こうと、その朱盃に目を落とした瞬間。 彼が目にしたのは。 盃の中に映る、月。 彼はゆっくりと降り注ぐ光のもとを見上げた。
今宵は、満月。中秋の月。
ぽかん…と口を空けたままの芦原に、明子はくすくすと笑った。 「こういうのも、たまには、良いでしょう?」
行洋が床几から戻ると、やはり月がよく見える縁側に座を落ち着けた。明子が夫に酒をつぎ、肴をすすめると、彼は一度受け取った朱盃を置いて、冷酒の入った瓶子をとりあげた。 「明子」 「あら、もうなくなっていましたの?」 「いいや。おまえもどうかな」 「ふふ。じゃあ、いただこうかしら」 明子は嬉しそうに微笑むと、新しい朱盃を夫から受け取った。 そしておぼつかない手つきで、夫から冷酒を注いでもらう。 口にすれば、ぴりりとした辛さが舌をさす。…そして広がる、豊かな香り。 「おいしい」 まるで娘の頃のように頬を染めて微笑む妻に、行洋もやわらかく微笑んだ。 息子は、少し離れたところから、朱盃に満たされたサイダー(明子が飲酒を許可しなかった為)をちびちびと舐めつつ、そんな両親を眺めていた。
ゆったりとした空間と時間とが流れる中、玄関につけておいた風鈴が、さらなる来客を告げる。
「ああ、きっと緒方さんと進藤くんだわ」
明子は帯にはさんだペンライトを手にすると、新たな客を迎えるべく席を立った。
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