2005年01月04日(火) |
『初春』2(女の子ヒカル) |
着物を包んだ風呂敷を抱えて助手席に座ったまま、ヒカルは何かを思い出したようにぷっ、と吹き出した。そのまま下を向いて、くすくすと肩を震わせる。
「ヒカル///もういい加減に笑うのやめなさい//」
車を運転しながら、美津子はそんな娘の様子に、少し頬を赤らめてきまりわるそうにたしなめる。 「……だって…なんかさっきの思い出しちゃって………」 くすくすくす。ヒカルの笑いは止まらない。 「まったくもう、誰のせいだと思ってるの?!」 「はーいはい。大雪降るようなコト言ったオレのせいだよ〜。…あ、次の信号左ね」 ヒカルはなんとか笑いをおさめた。何しろココは車の中。運転手の機嫌を損ねるのはやはりまずいので。
……時は戻って半日前。
ヒカルの爆弾発言に、軽いパニックに陥った美津子だったが、そうそういつまでもじっとしている訳にはいかない。なにしろ今日は12月30日。やることは山積みなのだ。 美津子はすっく、と立ち上がった。
「ヒカル」
「ふぁに(なに)?」
ヒカルはみかんを頬張ったまま母を見上げる。 美津子は真剣だった。
「初詣に着物を着せて振袖はお礼がいるのかしら?」
……一瞬の空白後、ヒカルが爆笑したのは言うまでもない。
我に返って自分が何を言ったのか把握した美津子は真っ赤になってうろたえたが、言ったことは取り消せない。笑い転げる娘をこづいて、照れ隠しに猛然と自分の押入れから着物を取り出しはじめた。 …しかし、彼女が持っているものをヒカルにあててみても、どうもしっくりこなかった。顔立ちは似ている筈なのに何故…?とふたりは首をかしげる。 そこで、今度は平八の家に行き、彼の妻…つまりヒカルの祖母の着物を見せてもらうことにした。今は亡い彼女は着物を好み、結婚前のものも大切にとってあるのだ。「いつかヒカルが大きくなったら、着せてやりたい」そう言っていた姑の言葉を、今さらながらに思い出す。 しかし彼女の若い頃ということは、昭和も初期の頃のもの。戦争を経て、痛んでいたりはしないか。そしてそんな古いものを、現代っ子の娘が着たがるのだろうか……そんな心配をしながら、平八に桐箪笥を開けてもらい、いくつかの着物を取り出した。 すると即、ヒカルは 「これが良い!」 とひとつの着物を選んだのだ。 それは黒地に、大小の紅梅が全体に散らしてある古典柄だった。袖もあまり長くはない、いわゆる「小紋」だ。正月なのだし、振袖を着るものだと思い込んでいた美津子は、そんな娘の選択に驚いた。心配していた痛みもなく、きれいな状態だが、やはり振袖のもつ華やかさ、というものには欠ける気がする。 自分が気に入ったのは総絞りの振袖だったが、いかんせん、ヒカルに羽織らせてみると明らかに大きかった。いくら多少のサイズの違いは着付けで修正できるとはいえ、これでは肩や背中の部分で縫い上げないと着られないし、そして直す時間もない。 …結局、着る本人が一番気に入っている黒地の小紋を選ぶことになった。 しかしここで困ったのが帯である。 古典柄とはいえ、黒地に赤い梅模様という大胆な色づかい。どのようなものを合わせれば良いのか、皆目見当がつかない。 平八も着物の事は分からない、というし、ヒカルに至っては問題外である。 行き詰まった挙句、取り合えず使わない着物を片付けはじめた時、ヒカルの携帯が鳴った。 「帯は貸してくれるって〜vv」 …どうやら、ヒカルに着物を着せてくれる、という人物かららしい。 「着物が決まってるなら、一度持ってきてほしいって。それを見て合わせる帯とか色々決めたいんだって」 まさしくこの状況では渡りに船の申し出だ。美津子は一も二もなく頷くと、ヒカルはさっさと時間を決めて、携帯を切ってしまった。 「夜7時以降だったらいつでも良いって〜」 「ヒカル、何で切ってしまうのよ。お母さんだって色々ご挨拶とかお礼とか…」 娘はぱちぱち、とまばたきした。 「なら今晩一緒に行く?そん時言えばいーじゃん」 あっけらかん、と言い放つ娘に軽いめまいを覚えつつ、美津子はその言葉に同意した。…というかするしかなかった。この分では、先方にどれだけの失礼を働いているか、分かったものではない。
…そんなこんなで、美津子は大急ぎで年末年始の買い物を済ませ、夕食の仕込み(後で暖めれば良いだけで放っておけるのでシチューになった)をした後、件の着物をたとう紙にたたんでから風呂敷に包み、ヒカルをナビにその着付けてくれるという人物のもとへと車を走らせたのである。
「あそこだよ」
ヒカルが指し示したのは、歴史のありそうな呉服屋だった。 大きな看板には、「あつみ」とある。
「呉服屋さん?!」 「そうだよ」 「そんな人とどうして知り合いなの?」 およそ普段のヒカルからは関連づけられない意外な場所に、美津子は驚いていた。 「二年前くらいにさぁ。オレ、カレンダーの仕事で着物着たじゃん。その着物を着せてくれたのがここで、今年の夏、オレととーさんが雨宿りして着物貸してくれたのが、ココの女将さん」 「何でもっと早く言わないのよ!」 「―?だって聞かれてないもん」
……正確には、違う。 その時に質問はしたが、こちらが答えて欲しい事柄と微妙にねじまがった答えが返ってきたきりだったのだ。例えて言うなら、キャッチボールをしようとボールを投げたのに、サッカーボールがヘディングで返されてしまった……そんな感じ。 美津子は呉服屋の前で車を停めて、大きくため息をついた。
(……そうだった…こういう子だった)
囲碁を始めて、プロになって。いろんな意味で成長はしたと思うわが子だが、この出たトコ勝負でどこかずれた天然さ加減はまったく変わっていないのだ。
……しかしそういう所が、意外に好ましく映る人物は意外に多いらしく。
暖簾の奥から出てきた着物姿の女性も、おそらくその一人であるらしかった。
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