混乱しっぱなし |
「ファザコンでマザコンでシスコンで犬コン。だから他人が苦手なんだ」 と評されたことがあった。 もう携帯から番号を削除したひと。 そうかもね。 でも父親も母親も妹も犬も、どれもみんな比較対象だ。 劣等感が発動する。 つまり、この世界には、やっぱり「自分」か「その他」しかなくて、父親も母親も妹も犬も、「その他」なんじゃないかって、そう思っていたけど。 苦手といえば、父親も母親も妹も犬も苦手だ。 劣等感を刺激されるから。 ただそれでもなんとなく、「家族だから」と許されるような気がしていて、甘えている。「友達」もそう。言わないことも多いけれど、それはそれでいいんだろうけれど、「家族だから」「友達だから」って許されるのって甘えるのって、なんかイヤ。でも楽。でもなんかイヤ。 「家族だから」「家族じゃない」「家族でしょ」 母親がよく使う。 だからなんだ。 昔はよくそう言い返した。 自分で歩けよ、甘えるなよ、自立しなよ。 自分に言い聞かせていたことばを、彼女にぶつけた。 自分がそうありたいと思うことばを、吐きつけた。 そのかわり、自分で歩くよ、甘えないよ、自立するよ、寄りかからないから寄りかからないで、ってことだ。 育ててもらった恩返しをしなきゃいけないのかって。 ばかなガキだ。 価値観を押し付けていたのはこっちだ。「恩返し」の責任を持ちたくなかっただけ。 自己嫌悪してやめた。 やめたけど、わかったわけじゃない。 「家族だから」…「家族」ってなんだ。 自分のかたちすらもよくわからないのに、「家族」ってなんだよ。 自分も家族もわからないのに、それ以外のひとのことがわかるわけないんだ。 ばかで鈍感で無神経なまま、暗闇のなかを手探りだ、いつも。
妹が帰省。 妹はやっぱり劣等感を刺激する。 それでも「家族だから」じゃない空気が流れているような気がする。彼女は自分で歩いて、甘えながら甘えてなくて、自分で選んだ、自分のために。 以前とは違う。妹であることに変わりはないけれど。 「家族だから」じゃない。 がんばろうと思った。 自分で歩いて、甘えないで、自分で選んで、自分のために。 まあ、まだその「自分」がよくわからないンですが。 正解はないのかも知れないけど、突っ走るには自信か勇気が必要。 切り捨てられる覚悟も多少。 つまりそんな自信も勇気も覚悟もないってことだ。 嫌われるの恐いし、怒られるの恐いし。 向く方向が違っても、歩幅が違っても、自分の足だけで立って歩いて、自分の姿を見て、景色を見て、ときどき視線を合わせて、ときどき寄り添いたい、だけなのに。うまくいかないな。 成長しないな。 てゆーか暇だな。
混乱したいちにち。 や、いつもしてるか、混乱しっぱなしか、アハハ。
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2005年08月21日(日)
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