ちょんすけが日に日にかわいくなる。 はなれたところから名前を呼ぶと 肩にとんでくる なんとかわいいこと。
夏目漱石の『文鳥』を読んだ。
この人はホント 自分の微妙な感覚に敏感で それをうまく文章にしてるなあと、 あらためて感じ入る。
その短編の最後には、 飼っていた文鳥が死んでしまう。 その死んだ文鳥の描写が なんともなまなましく わたしは随分 こたえたらしい。
昨夜の夢は いろんな色の鳥を何匹かかっていて そのうちのブルーの1匹が 死にかけている夢だった。
あたたかいように、 新聞紙をちぎって鳥をまいて すずりが入っていた箱にいれた。 ほとんど死んでいて からだがかたまっていく感触を 手のひらがおぼえている。
死体をどこにうめようか、 おおきな病院の裏山を うろうろとして 鳥を埋める場所を探した。
今にもくずれそうな 吊り橋をわたりながら、 視界のはしっこにちらちらと見える 白い病院の黒い窓がこわかった。
いやぁな感じでめがさめて、 あまりにもいやぁな感じだったので おきてすぐに 相棒に電話をかけてしまったほどだ。
そういえば、 つげ義春のマンガにも 文鳥が死んでしまうのが あったような。 あれはどんなストーリーだっけ。
それにしても、 文鳥はなんで文鳥なのだろうか。 もしかして、 夏目漱石をはじめ文学者の間で はやった鳥なのではないだろうか。
文鳥は東南アジア原産なので、 英語ではJava sparrowというらしい。 なのになぜ日本語では ジャワ鳥でなく文鳥なのだろう?
謎は深まるばかりである。 だれか知っていたら おしえてください。
ああ こんなにわたしが 胸をいためているというのに、 ちょんすけは 肩にとんできてふんをする。 なんていとおしい。 ちょんすけめ。
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