近所にレトロな産婦人科があるのだが、 その入り口のぼたん桜がとても美しいのである。
その産婦人科の建物は明治時代をおもわせる 蔦のからまるちょっとハイカラな感じで、 看板がなけりゃ病院だとはわからない。
この町に引っ越してきた当初、 あまりにもすてきな病院なので、 興味本意で訪ねたことがあった。
昔のふつうの家のような待ち合い室。 受付には誰もおらず、 声をはりあげても誰もでてこず、 奥からテレビの音と 世間話のような人の話声がきこえてくるのみ。 30分ほど待っても誰もでてこないので、 結局そのまま診てもらわずにでてきたのである。
病院としては あまりつかえないが、 生活の中の風景としては とても好きな場所なのだ。
そこのぼたん桜がとても 美しいのである。
ピンク色のうすい紙のような 花びらがつくりものみたいに おしあいへしあいひっついていて 現実ばなれしているのである。
今日のような雨の日は、 花びらがぬれて とけてしまいそうなのである。 とけて濃いピンクの液体が したたっているようなのである。
かえりみちに はっとして、 1年前の不安定であやうい こっぱずかしい自分をおもいだした。
その夜もきょうみたいな春の雨で ぼたん桜のピンク色がしたたっていた。
わたしは電話で相棒とひどい言い合いをして、 はだしで雨の中をとびだしたのである。 はだしでずぶぬれで 40分くらいはなれている 相棒の家までいってやろうという きゅうくつで衝動的なおもいつき。
家をでてすぐ、 ぼたん桜の姿にはっとして 花のついた枝をぽきっと折って それをもって相棒のところまで いこうときめたのだ。
しかし、 地面は小石がおちてたりして おもっていたよりも痛い。 でもとびだしてしまったからには ひっこみがつかなくなってしまって、 イテテ、イテテテ、 靴くらい持ってくればよかった などと、現実的なことをおもいながら 相棒の家まで完歩したのである。
あれから1年たったのである。
あのときの自分は かかわりたくない他人のようでもあり、 そのエネルギーをうらやましく いとおしくもおもう。
確かなのは、 ぼたん桜は同じでも わたしはあのころとは 別の場所にきているということである。
わたしたちは 同じようでも 常に変化しつづけているのだ。
いったいどこまでいくのやら。 ぼたん桜よおしえておくれ。
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